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婚約破棄された伯爵令嬢ですが、前世のタロット知識で運命の王子様に溺愛されます。今更、愛している、復縁したいと言われても手遅れです!

作者: 山田 バルス
掲載日:2026/08/06

第一話 婚約破棄された伯爵令嬢は、なぜ笑っているのか


「マーガレット=アシュレイ。君との婚約を破棄する」


 華やかなシャンデリアが輝くロイヒテン王国の王城の大広間。

 王侯貴族が集う舞踏会の中心で、その宣告は高らかに響いた。

 音楽が止まる。

 グラスを持つ手も、談笑する声も、一瞬で消えた。


 何十もの視線が、一人の令嬢へ集まる。

 伯爵令嬢マーガレット=アシュレイ。

 金糸のような美しい髪を結い上げた彼女は、豪奢なドレスを身にまとい、凛と立っていた。


 婚約者である侯爵令息ロベルトは、勝ち誇ったように顎を上げる。

「君のように、占いなどという胡散臭いものへ心を奪われた令嬢では、俺の妻は務まらない」


 会場がざわめいた。

 婚約破棄。

 それは令嬢にとって、社交界から追放されるにも等しい屈辱。

 誰もが思った。

 ――彼女は泣く。

 ――許しを請う。

 ――惨めに縋る。

 しかし。


「承知いたしました」

 マーガレットは静かに一礼した。


 涙はない。

 怒りもない。

 ただ春風のような穏やかな笑みだけが、その唇に浮かんでいた。


「……何がおかしい?」

 ロベルトの眉がぴくりと動く。

「婚約を破棄されたのだぞ」


 マーガレットは優雅に首をかしげた。

「わたくしの運命のカードが、この日を教えてくださいましたの」


「また占いか!」

 ロベルトは鼻で笑う。

「そんな紙切れに人生を預けるとは、本当に愚かな女だ」


 マーガレットは胸元から一枚のカードを取り出した。

 そこに描かれていたのは――《塔》

 崩れ落ちる塔。


 偽りの繁栄が終わることを意味するカードだった。

「このカードは申しておりました」

 静かな声が会場に響く。

「偽りの幸福は、崩れ去る、と」


「はっ!」

 ロベルトは大声で笑った。


「つまり俺が没落するとでも言いたいのか?」

「ええ」


 あまりにも穏やかな返事だった。

 その落ち着きに、笑っていたロベルトの表情が一瞬だけ強張る。


「あなた様ではなく……」

 マーガレットはカードを静かに伏せた。

「わたくしが、この婚約を失わなければならない理由があったのでしょう」


「強がるな!」

 ロベルトは声を荒げる。

「婚約を捨てられたのは君だ!」


「はい」

 マーガレットは微笑む。

「ですので運命を受け入れますわ」

「……何だと?」


「わたくしは未来を恐れておりません」

 その一言に、周囲がざわつく。


「彼女……取り乱していない」

「普通なら泣き崩れるはずでは」

「堂々としている……」

 ひそひそとした声が広がっていく。


 ロベルトは苛立ちを隠せなかった。

 思い描いていた光景と違う。

 泣き叫ぶマーガレット。

 惨めに許しを請うマーガレット。

 それを見下すはずだった。

 なのに。

 今、周囲の視線は自分ではなく――

 穏やかに微笑むマーガレットへ集まっている。


「……笑うな!」

 思わず怒鳴ってしまう。

「君は何も失っていない顔をするな!」


 その叫びに、会場はしんと静まり返った。


 マーガレットは優雅に一礼する。

「失ったのではありません」


 一歩だけ後ろへ下がり、美しく微笑む。

「もっと良い未来を選んだだけですわ」


 その瞬間。

 会場の空気が変わった。


「……なんて気高い方だ」

「婚約を破棄されたとは思えない」

「むしろ、侯爵令息のほうが取り乱しているではないか」

 貴族たちの囁きが少しずつ広がる。


 ロベルトは拳を握り締めた。

 勝ったはずだった。

 辱めたはずだった。

 なのに――

 なぜ、自分だけがこれほど惨めなのか。

 マーガレットは最後に一度だけ《塔》のカードへ視線を落とす。


「カードは、今日もわたくしを守ってくださいました」

 誰にも聞こえないほど小さく呟くと、静かに会場を後にした。

 その背中は婚約を失った令嬢ではなく、自らの未来へ歩き出す女性そのものだった。


 そして、この日から数週間後。

 《塔》が示した運命は、ロベルト自身へ容赦なく降りかかることになる。

 ロイヒテン王国の王都を揺るがす大事件が起こる。

 ロベルトの実家である侯爵家が、王国で禁じられている違法魔石取引に関与していたことが発覚したのだ。

 隠し倉庫からは大量の魔石。

 裏帳簿。

 密売組織との契約書。

 証拠は次々と見つかり、侯爵家は爵位を剝奪。

 莫大な財産もすべて没収された。

 ロベルトは一夜にして、すべてを失った。

 もし婚約が続いていたなら。

 アシュレイ家もまた、この事件に巻き込まれていただろう。


「ロベルトが、お前を愛している復縁しろと言っているが、断っておいた……」

 執務室で報告を聞いた父は、深く息を吐く。

「……マーガレット、お前は知っていたのか?」


 マーガレットは窓辺に座り、一枚のカードを静かに撫でる。

「いいえ。知っていたわけではありません」


 金色の瞳がカードへと落ちる。

「ただ、この子たちが、いつも進むべき道を教えてくれるだけですわ」


 テーブルの上には、美しく並べられたタロットカード。

 その一番上には、《運命の輪》が静かに置かれていた。


 マーガレットは微笑む。

「……また助かりましたわ」


 カードは、今日も嘘をつかなかった。


 ◇


第二話 運命を変えた、母の祈り


 夜。

 アシュレイ伯爵家の自室。

 窓から月明かりが差し込み、静かな銀色の光が部屋を包んでいた。

 マーガレットは一人、机の上へタロットカードを並べる。

 指先が自然と、一枚のカードへ伸びた。


 ――《女教皇》。


「……また、このカードですのね」

 その瞬間だった。


 胸の奥が熱くなり、景色がゆっくりと揺らぐ。

 懐かしい香り。

 蝋燭の明かり。

 木製の丸いテーブル。

 そして、向かいに座る一人の少女。


『ママ……い、痛い』

『神様、お願いです……娘を助けてください』

 ――娘。

 前世の記憶の断片がよみがえった。


 前世は、日本でタロット占い師だった。

 多くの人の未来を占ってきた。

 けれど、一人だけ救えなかった人がいる。

 それは、最愛の娘だった。


「……っ!」

 マーガレットは息をのんで目を開けた。


 頬を、一筋の涙が伝っていた。

「夢……では、ありませんのね」


「あの子は……助かったのでしょうか?」

 答えは分からない。

 その時。

 机の上のタロットカードが、ふわりと淡い光を放った。

 一枚のカードだけが、ひとりでに表向きになる。

 現れたのは、《運命の輪》。

 その中心には、前世では決して存在しなかった金色の紋章が刻まれていた。

 どこからともなく、優しい女性の声が聞こえた。


『運命は、変えられる』

「だ、誰ですの?」


 マーガレットは周囲を見渡す。しかし、返事はない。

 静寂の中、《運命の輪》のカードをそっと胸に抱く。


「不幸な運命を、変えられるのならば……」

 今世では、多くの人の未来を救う。

 その決意を胸に、マーガレットは静かに微笑んだ。


 そして翌朝――。

 王城から、一通の招待状がアシュレイ伯爵家へ届けられる。

 差出人は、この国の未来を大きく変えることになる人物だった。



 第三話 隣国ルミナス王国の銀髪王子ジャンレオンと、王家に刻まれた呪い



 婚約破棄から数日後。

 アシュレイ伯爵家に、一通の招待状が届いた。


 封蝋に刻まれていたのは、この国の紋章ではない。

 銀の獅子が月を抱く、美しい紋章。


「……ルミナス王国?」

 アシュレイ伯爵は目を見開いた。


 ルミナス王国。

 王国の北に位置する大国であり、豊かな魔法文化を誇る友好国である。


「なぜ隣国の王家が我が家に?」

 伯爵が首をかしげると、使者は丁寧に一礼した。


「第一王子ジャンレオン殿下が、ぜひマーガレット様にお会いしたいと」

 その言葉に、父娘は顔を見合わせた。


◇ ◇ ◇


 翌日。

 マーガレットは王都にあるルミナス王国大使館を訪れていた。

 応接室の扉が開く。

 そこに立っていた青年を見て、マーガレットは思わず息を呑んだ。

 月光を思わせる銀髪。

 澄み渡る蒼い瞳。

 均整の取れた長身と、気品あふれる立ち居振る舞い。

 まるで物語から抜け出してきたような、美しい王子だった。


「初めまして、マーガレット嬢」

 青年は柔らかく微笑み、優雅に礼をする。


「私はルミナス王国第一王子、ジャンレオン=ルミナスです」


「お会いできて光栄ですわ、ジャンレオン殿下」

 マーガレットも静かに頭を下げた。


 ジャンレオンは席を勧めながら言う。

「実は今日は、一国の王子としてではなく、一人の人間としてお願いがあります」


「お願い……ですか?」

「はい」


 彼は少しだけ笑みを消し、胸元へ手を当てた。

「私の一族は、数百年前から王家の呪いを受けています」


 上着を少し開くと、心臓の上には黒い紋章が刻まれていた。

 黒い茨が心臓へ食い込むような、不気味な呪印。

 見るだけで胸が苦しくなるほど禍々しい。


「この呪いは、代々、王位継承者だけに現れます。

歴代の王は、四十歳を迎えることなく命を落としてきました」


 マーガレットは静かに呪印を見つめる。

 その奥から、微かな悲鳴のようなものが聞こえた気がした。


(この呪い……生きていますわ)

 思わず息を呑む。


「宮廷魔導師も、大聖堂の大神官も、誰一人として解くことはできませんでした」

 ジャンレオンは苦笑した。

「ですが先日、あなたの噂を耳にしたのです。

婚約破棄を予言し、その後に侯爵家の没落まで言い当てた令嬢がいる、と」


「……噂になっていましたのね」

「ええ」


 ジャンレオンは真っ直ぐマーガレットを見つめた。

「私は、人の目を信じています。

あなたは詐欺師ではない。

未来を視る力を持つ方だと思いました」


 その言葉に、マーガレットは胸が温かくなった。

 この国では笑われた。

「占いなど迷信だ」と。

 けれど、この人は違う。

 最初から、自分の力を信じてくれている。


「……ありがとうございます」

 自然と笑みがこぼれた。


「それでは、占わせていただきます」

 マーガレットは革張りの小箱を開き、前世から魂に刻まれたように馴染むタロットカードを取り出す。

 静かにカードを切り、テーブルへ並べていく。


 一枚目。

 《悪魔》

 二枚目。

 《死神》

 三枚目。

 《塔》


 どれも強い破滅を示すカードだった。

(なんて重い運命……)


 そして最後の一枚へ手を伸ばえた、その時。

 カードが眩い金色の光を放った。

 部屋中が柔らかな光に包まれる。


「これは……!」

 マーガレットがゆっくりとカードを表に返す。


 そこには、前世でも今世でも見たことのない絵柄が描かれていた。

 白い百合を抱く女神。

 その前で手を取り合う、一人の女性と一人の王子。

 カードの名は――《運命の契約》


 その瞬間、あの声が心に響く。


『王家の呪いは、人の憎しみから生まれた』


 マーガレットは顔を上げる。

 ジャンレオンもまた、彼女を見つめていた。

 その瞳には希望と、ほんの少しの期待が宿っている。

 すると、彼の胸に刻まれた黒い呪印が一瞬だけ淡い金色に輝いた。


「……痛みが、消えた」

 ジャンレオンは驚いたように呟く。


 何年も胸を締めつけていた痛みが、ほんのわずかだが和らいでいた。


 マーガレットは静かにカードを見つめる。

「殿下。この呪いは解けます。

ですが、そのためには過去に葬られた真実を見つけなければなりません。

そして……」


 一瞬ためらった後、マーガレットはまっすぐジャンレオンを見つめた。

「わたくしも、その運命に深く関わることになるようです」


 ジャンレオンは優しく微笑んだ。

「それなら、どうか私に力を貸してください」


 その微笑みを見た瞬間、マーガレットの胸の奥で《運命の輪》が静かに回り始めた。



 第四話 運命の国へ



 隣国ルミナス王国へ向かう馬車は、春風を受けながら街道を進んでいた。

 窓の外には、一面の花畑が広がっている。


「長旅でお疲れではありませんか?」

 向かいに座るジャンレオンが穏やかに尋ねた。


 王子でありながら、彼は従者に命じることなく、自らマーガレットのために温かい紅茶を注いでくれる。


「ありがとうございます」

 マーガレットは小さく頭を下げた。


 ふと前を見ると、ジャンレオンが優しく笑っている。

 その笑顔に、胸が少しだけ温かくなる。


(不思議な方……)

 これまで出会った貴族の男性は、肩書や家柄ばかりを見てきた。


 けれどジャンレオンは違う。

 彼は「占いができる令嬢」としてではなく、一人のマーガレットとして接してくれる。


「何か、顔についていますか?」

 視線に気づいたジャンレオンが首をかしげる。


「い、いいえ」

 思わず目をそらすと、彼は小さく笑った。

「安心しました」


「安心……ですか?」

「ようやく笑っていただけましたから」

 マーガレットは驚いた。


 婚約破棄以来、多くの人は彼女の占いばかりを話題にした。

 けれど彼だけは、自分の笑顔を見ていた。


「殿下は、変わったお方ですね」

「よく言われます」

 二人は思わず顔を見合わせ、くすりと笑う。

 その笑い声は、馬車の中の張り詰めた空気を優しく溶かしていった。


◇ ◇ ◇


 夕暮れ。

 馬車は湖畔で休憩を取ることになった。

 水面は夕日に照らされ、黄金色に輝いている。


「綺麗……」

 マーガレットが思わず声を漏らす。


「この景色を見ると、帰ってきたと実感します」

 ジャンレオンはどこか懐かしそうに微笑む。


「マーガレット嬢」

「はい」


「呪いが解けたら……」

 彼は少し言葉を選ぶように空を見上げた。

「この国を案内したい。

王子としてではなく、友人として」


 マーガレットは少しだけ目を見開く。

 そして、自然と笑みが浮かんだ。

「その時は、ぜひ」


 ジャンレオンの表情が柔らかくほころぶ。

 その笑顔を見て、マーガレットは思う。

(この方には、生きていてほしい)

(占いだからではありません)

(この笑顔を失いたくない)


 それは彼女自身もまだ気づいていない、小さな恋の始まりだった。


◇ ◇ ◇


 数日後。

 ルミナス王国の王都が見えてくる。

 白亜の城。

 青い屋根が並ぶ美しい街並み。

 人々は街道を進む王子の馬車を見つけると、大きく手を振った。


「ジャンレオン殿下、お帰りなさい!」

「殿下のお身体は大丈夫ですか!」

 誰もが王子の身を案じている。


 その姿を見たマーガレットは、小さく微笑んだ。

(この国の人たちは、本当に殿下を慕っているのですね。)


 ジャンレオンは照れくさそうに笑う。

「少し恥ずかしいですね」


「いいえ」

 マーガレットは静かに首を振った。

「きっと殿下が、人々を大切になさってきたからです」


 その言葉に、ジャンレオンは一瞬だけ息を止めた。

 そして優しく微笑む。

「あなたにそう言っていただけると、とても嬉しい」


 マーガレットの胸がまた一つ高鳴る。

 この瞬間にはまだ誰も知らない。

 二人がこれから王家の呪いに立ち向かい、その先で互いにかけがえのない存在になっていくことを。



第五話 少しずつ縮まる、二人の距離



 ルミナス王国の王都・ルナリア。

 白い石畳の街路には色とりどりの花が飾られ、人々の笑顔が絶えない。

 市場からは焼きたてのパンの香りが漂い、広場では子どもたちが元気に走り回っていた。


「とても……温かな国ですわ」

 王城のバルコニーから街を眺めながら、マーガレットは小さく呟く。


「ありがとうございます」

 隣に立つジャンレオンが、どこか照れくさそうに微笑んだ。


「この国は豊かではありません。でも、人々が安心して笑って暮らせる国でありたいと、

父も私も願っています。」


 その言葉に、マーガレットは静かに目を細めた。

(この方は、王になることを【権力】ではなく【責任】だと思っていらっしゃるのですね)


 元婚約者とは、あまりにも違う。

 胸の奥が、少しだけ温かくなった。


◇ ◇ ◇


 翌朝。

 ジャンレオンはマーガレットを城下町へ案内していた。

「本来なら護衛を大勢連れて歩くべきなのでしょうが……」


 苦笑しながら肩をすくめる。

「見えないところに護衛はいますので、ご安心を。

では、私が案内役として、お供します」


 マーガレットは思わず笑みをこぼした。

「はい。喜んで」

 二人は並んで石畳を歩く。


 すると、果物屋の店主が大きく手を振った。


「ジャンレオン殿下!」

「今年のリンゴは甘いですよ!」

「ありがとうございます。取り寄せます」


 気さくに応じる王子の姿に、マーガレットは驚く。

「皆さん、とても親しげなのですね」

「小さい頃から城を抜け出して遊んでいましたから」

「何度も侍従長に叱られました」


 そう言って笑うジャンレオンに、マーガレットも思わず吹き出した。

「殿下にも、そのような頃があったのですね」

「今でもあります」

 二人は顔を見合わせて笑った。


◇ ◇ ◇


 市場の片隅。

 一人の少女が花冠を編んでいた。

 マーガレットは足を止める。


「きれい……」

 少女は二人を見ると、にっこり笑った。

「お姉ちゃん、とってもきれいだから、これあげる!」


 小さな花冠を差し出す。


「えっ、わたくしに?」

「うん!」


 マーガレットは恐縮しながら受け取った。

「ありがとうございます」


 その姿を見ていたジャンレオンが優しく言う。

「よくお似合いです」


 その一言に、マーガレットの頬がほんのり赤く染まる。

「そ、そのようなこと……」

「本心です」


 真っ直ぐな瞳。

 飾らない言葉。

 だからこそ照れてしまう。

 そんな二人を見た少女は、無邪気に笑った。


「お兄ちゃんとお姉ちゃん、仲良しだね!」

 二人は同時に固まった。


「……!」

「……!」


 ジャンレオンは耳まで赤くなり、軽く咳払いをする。

「誤解させてしまいましたね」

「そ、そうですわね」

 マーガレットも慌てて視線を逸らす。


 けれど、少女は首をかしげたまま笑顔だった。

「絶対にお似合いなのに!」


 その言葉が胸の奥に残り、二人とも少しだけ意識してしまう。


◇ ◇ ◇


 帰り道。

 突然、一台の荷馬車が暴れ馬に引かれて坂道を駆け下りてきた。

「危ない!」


 周囲の人々が悲鳴を上げる。

 マーガレットも咄嗟に振り返るが、逃げ場がない。


 その瞬間。

 ぐいっと腕を引かれた。


「マーガレット!」

 気づけば、ジャンレオンの胸の中だった。


 暴走した荷馬車は、すぐ横を轟音とともに通り過ぎていく。

 辺りが静まり返る。


「お怪我はありませんか?」

 心配そうに覗き込む蒼い瞳。


 マーガレットは鼓動が速くなるのを感じた。

「……はい。殿下のおかげで」

 ジャンレオンは安堵したように息をつく。


「よかった」

 その表情を見た瞬間、マーガレットは気づく。

 この人は、自分の力が必要だから助けたのではない。

 一人の女性として、自分を守ってくれたのだ。


◇ ◇ ◇


 夕暮れ。

 王城へ戻った二人は、庭園のベンチに腰掛けていた。

 空は茜色に染まり、噴水の水音だけが静かに響く。


「マーガレット」

 ジャンレオンが穏やかに口を開く。

「あなたが来てから、不思議と胸の痛みが少し軽くなった気がします」


 マーガレットは驚いて彼を見る。

「それは……呪いが解ける希望を、初めて持てたからでしょう」


 そう言って微笑むジャンレオンの横顔は、どこか穏やかだった。

 マーガレットはそっと胸に手を当てる。

(この方を救いたい)

(占い師だからではありません)

(この笑顔を……失いたくない)


 その想いは、まだ恋とは呼べないほど小さなもの。

 けれど確かに、彼女の心の中で芽吹き始めていた。

 その夜、マーガレットは一人、自室でタロットカードを広げる。

 一枚だけ裏返ったカードをめくると、そこには《恋人》が描かれていた。


「……まさか」

 カードは静かに輝き、まるで未来を祝福するように微笑んでいるのだった。

 しかし、それはマーガレットを苦しめる入口の始まりだったのをこの時の彼女は

 知る由もなかった。



第六話 解けた呪いと、届いた王命



 ルミナス王国に滞在して三か月。

 マーガレットは古い神殿を巡り、王家の歴史書を読み漁り、何度もタロットカードを引き続けた。

 そして、ある満月の夜。

 王城の地下深くに眠る「始まりの祭壇」へたどり着いた。


「ここです」

 マーガレットは静かに告げた。

「四百年前、この場所で誰かが王家に呪いをかけました」


 ジャンレオンは祭壇に刻まれた古代文字へ視線を落とす。

「私の祖先が……何をしたというのだ」


 マーガレットはカードを一枚めくる。

 現れたのは、《正義》。


「王家は罪を犯しました。

ですが、それはあなたではありません。

過去の罪は、今を生きる者で終わらせるべきです」


 ジャンレオンは静かにうなずく。

「ならば、私が終わらせよう」


 その瞬間。

 祭壇から黒い霧が噴き出した。

 呪いが形を成し、巨大な黒い茨となってジャンレオンへ襲いかかる。


「殿下!」

 マーガレットは咄嗟にタロットカードを掲げた。


 《世界》

 《星》

 《太陽》

 三枚のカードが黄金色に輝く。

 あの女性の声が響く。


『未来を信じる者よ』

『運命を書き換えなさい』


 マーガレットは最後の一枚をめくった。

 《運命の輪》

 金色の光が祭壇を包み込む。


「終わりなさい!」

 黒い茨は悲鳴のような音を立て、光へ溶けていく。


 次の瞬間。

 ジャンレオンの胸に刻まれていた黒い呪印が、音もなく砕け散った。

 さらさらと光の粒になって消えていく。


「……消えた」

 ジャンレオンは震える指で胸に触れた。


 生まれた時からあった痛みがない。

 息苦しさもない。

 胸を締めつけていた重圧が、すべて消えていた。


「本当に……終わったのですね」

 マーガレットは安心したように微笑んだ。


 その瞬間、力が抜けて倒れそうになる。


「マーガレット!」

 ジャンレオンは素早く彼女を抱きとめた。


 温かな腕に包まれ、マーガレットは驚いて顔を赤くする。

「ご、ご安心ください……少し魔力を使いすぎただけですわ」


「少し、ではありません」

 ジャンレオンは優しく笑った。

「あなたは命懸けで私を救ってくれた」


 彼はマーガレットの手をそっと包み込む。

「ありがとう」


 その一言は、王子としてではなく、一人の男性としての感謝だった。

 マーガレットの胸が小さく高鳴る。


 それから数日後。

 ルミナス王国中に歓喜が広がった。


「王家の呪いが解けた!」

「第一王子殿下が救われた!」

「奇跡の占い姫だ!」


 国民はマーガレットを英雄として迎え、街には祝福の花が飾られた。

 しかし、その知らせは国境を越え――。

 マーガレットの祖国ロイヒテン王国にも届く。


◇ ◇ ◇


 ロイヒテン王国王城。

 第一王子は報告書を読み終えると、ゆっくりと笑った。


「ほう……

婚約破棄された伯爵令嬢が、隣国の王子の呪いを解いたというのか」


 側近が頭を下げる。

「間違いございません。

現在、ルミナス王国では国賓として厚遇されております」


 第一王子の瞳が鋭く細められる。

「惜しいことをした。

これほどの力を持つ女を、他国へ渡すわけにはいかない」


 彼は玉座から立ち上がる。

「陛下へ申し上げよ。

マーガレット=アシュレイを帰国させる。

そして――」


 口元に冷たい笑みを浮かべる。

「私の側室として迎える」


◇ ◇ ◇


 数日後。

 ルミナス王国の王城へ、一通の国書が届けられた。

 それを読んだマーガレットの表情が凍りつく。

 そこに記されていたのは、ロイヒテン国王直々の命令だった。


『マーガレット=アシュレイは直ちに帰国せよ。

これは王命である。帰国後、第一王子の側室となることを命ずる』


 部屋が静まり返る。


「……側室?」

 マーガレットは震える声で呟く。


 婚約者には捨てられた。

 ようやく自分の居場所を見つけたと思った矢先に、今度は王命で人生を決められる。

 その手から、国書が音もなく滑り落ちた。

 その様子を見たジャンレオンは、静かに国書を拾い上げる。


 そして、穏やかな表情のまま告げた。

「マーガレット。

あなたは物ではありません。

誰かに命じられるだけの存在でもない」


 彼は真っすぐ彼女を見つめる。

「あなたの未来は、あなた自身が選ぶべきです」


 その言葉に、マーガレットの瞳が揺れた。

 初めて、自分の意思を尊重してくれる人が目の前にいる。

 そして彼女はまだ知らない。

 この理不尽な王命が、二つの王国を巻き込む大きな運命の分岐点になることを。




 数ある作品の中からこの物語を見つけ、主人公たちと一緒に笑い、悩み、そして最後まで見届けてくださったことを、心から感謝しています。

 また次の物語でお会いできる日を、心より楽しみにしております。


 山田 バルス

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