間違いだらけのあなたにキスを
私の原稿に間違いを見つける度、彼女は私にキスをする。
最初は手の甲に。原稿が半分を過ぎると、頬に移る。
髪が触れたこそばゆさを残して、彼女の顔が離れる。ショートボブの髪を耳にかけて、原稿に視線を戻した。右手には私が中学の頃にあげたキャラクターもののボールペン。
ペンの走る音が机に突っ伏した私に伝わってくる。二重線を引く音、何かを書き加える音。
彼女は私の親友であり、共同執筆者である。私のアイデアを、彼女が読める物にする。そうして私達は十年間、いくつもの作品を書いてきた。
一つ修正を終えると、彼女は再び文章を追って瞳が上下に動き始めた。その様子を、私は振り子時計のようだと思った。
そして、一分もしないうちに、彼女が立ち上がった。右頬を見せている私に近づき、優しく唇を当てる。
役割分担の性質上、私が書いた原稿に彼女が直しを入れる作業が発生する。修正作業が私の心を傷つけるのではないかと心配したのだろう。彼女は決して私を否定しているのではないという意味を込めて、ペンを入れる前にキスをする。
趣味で共同制作を始めた頃から続くルーティンだ。
彼女は最初ぎこちなく手の甲にキスをしてくれた。興味本位で手を隠してみると、頬に変わった。
だから、私は机に両腕をつけて、そこに頭を乗せる。初めのうちは手を見えるところに出しておいて、原稿が半分を過ぎた頃に手を腕と頭の下に隠す。
なぜキスなのかはわからない。
「あんた最近わざと……」
キスを終えるといつもはすぐに作業に戻る彼女が、私をじっと見ている。
私は体を起こして、微笑む。
「なに?」
「なんでもない」
私がキスを期待してわざと間違えていることに、彼女は気づいた。でも、事実を認めるわけにいかない。
純粋なふりをする私に、彼女はそれ以上何も言わなかった。
私は頬杖をついて目を閉じた。
彼女がペンをとり、修正をする。一瞬、手を止めて思案する。ボールペンの頭をあごに当てて、カチカチとノックボタンを押す。また、ペンを紙に当てる。書き間違いをぐるぐると黒く塗りつぶす。ボールペンを机に転がす。原稿用紙を一枚めくる。マグカップを持ち上げて、口に運ぶ。カップの中身はコーヒーで、彼女の仕事の必需品──
あ、カップを下ろすのが早かったな。もう中身がないのかも。
目を開けて、彼女のマグカップの中身を確認しようとした。首を回す。右肩に彼女の気配を感じた。と同時に、唇に柔らかい物が触れた。
ふにゃっとした感触の後、奥にある固い物が私の前歯を押した。それが彼女の唇と、彼女の歯であることを理解した時には、彼女は驚いた顔で仰け反っていた。
「ごめん」
彼女が謝る。
突然動いた私にも非があることはわかっていたけれど、謝罪すればキスが嫌だったと言っているみたいで許せなかった。
「……なんて顔してんの」
私はどんな顔をしているのだろうか。彼女が苦笑して言う。
彼女が茶化すのを選んだように、私も上手くやらなくては。
「ファーストキス奪っちゃったね」
ウインクをして小悪魔ふうを装う。でも、上手く笑えている気がしないので、急いで彼女のマグカップを持ってキッチンに退散する。
保温ポットに残っていたコーヒーを注ぎながら、彼女からの返事がないことを不思議に思った。
彼女は、困り眉で立ち尽くしていた。
「初めてじゃないの?」
私の問いから逃げるように、彼女はリビングの椅子に戻った。
原稿を手に持っているが、仕事に集中していないであろうことはすぐにわかった。彼女はそんなふうに指で文字をなぞって読まない。
コーヒーを持って、私も隣に腰かける。
「彼氏がいたの」
彼女が罪を自白するように言うのは、私に言っていなかった引け目からだろう。
「え、いつ?」
「高……一かな」
「なんで教えてくれなかったの?」
「一瞬で別れたから。なんか違うなーって」
「そうじゃなくて」
「高校の人だし」
「名前言われてもわかんなけど、そうじゃなくて」
理不尽に怒っている自覚はあった。
高校一年生と言えば、夏休み、私達は初めての共同執筆に挑戦した。私にとって重要な人生のイベントがあった年だ。そう思っていたのは私だけだったのかもしれない。
私は勝手にふられた気分になって、彼女から距離をとった。テレビの前にあるソファに飛び込んで、クッションに顔を埋めた。
その時、玄関のチャイムが鳴った。
担当編集者が来たのだ。彼女がテーブルのボールペンを片付けて、引き出しから別のペンを取り出す音がする。
彼女が玄関に客を迎えに行った隙に、ボールペンを戻しておいた。人前で使うのは恥ずかしい、キャラクター柄のボールペンを。
私の小さな仕返しに、彼女は一切動揺しなかった。それどころか、担当編集者がスケジュール帳を確認しているタイミングを狙って、勝ち誇った顔でボールペンにキスをして見せた。
ああ。私の間違った気持ちも、その唇で直してくれたらいいのに。
―完―
お読みいただきありがとうございました。
書く仕事をしている二人のお話を書いてみました。
皆さんはどんな距離感の関係が好きですか。




