【第08話-11】それぞれの“一番”-和也・美由
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【Scene03.2:1年前6月】
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ある6月の日。
霞の宿の廊下を、林庄蔵が全力で駆けていた。
「姫さま、大変でございまする!」
──また、あの時代劇調だ。
普段なら軽くいなすところだが、花音の表情が強張る。
庄蔵が意図せず、それを口にする時、それは──本当に一大事ということだ。
「何事、爺や。落ち着きなさい」
「和也様が──和也様が……!」
「……っ! 和也に、何かあったのね?」
花音の脳裏には、一瞬にして最悪の光景が広がった
「いえっ、申し訳ございません! 和也様の身に、直接の異変があったわけではございませぬ」
慌てふためく花音を前に、庄蔵はようやく冷静さを取り戻す。
「……もう。脅かさないでよ」
怒ったように顔を赤らめる花音に、しかし庄蔵の口調は重いままだ。
「姫様、順を追ってご説明いたしまする」
花音は姿勢を正した。
「姫様はこれまで、和也様に度々“房中術”を施しておられますな」
「ええ、でも……定着するほどの回数じゃないわ」
──房中術。
その存在すら秘中の秘であるが、より重大な掟がある。
それは、同一人物に房中術を繰り返してはならないという禁忌だ。
気の流れは繰り返すほどに体に刻まれ、術を“受けた側”に定着し──
やがて、簡易ながらも術を発動できる側へと変化してしまう。
「……潮時かも」
あの日、美由にそう語った花音の言葉には、情だけではなく、
この“限界”を悟っていたからこその覚悟も含まれていた。
しかし──
「それは、“何の血筋も持たぬ者”に対してのみ通じる話でございます」
庄蔵の言葉に、花音の背筋が凍りついた。
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時は少し遡り、4月。
千晴の誕生日。あの狂乱の特別室において。
その様子を、冬美が壁越しに“見て”いた。
目視ではない。のぞき穴など存在しない。
だが、冬美には気の流れを読む術があった。
花音が狂乱の宴を維持するのに房中術を使っているのは明白だった。
それが暴走しないか、監視する必要があったのだ
房中術の特性上、本来、気の流れは花音から和也、または花音からから少女たちへと向かうはず。
しかし、確かにそこには──和也から少女たちへと流れる“異質な気”があった。
冬美は直ちに庄蔵に報告を上げた。
それを受けた庄蔵は、そこから二ヶ月を費やし、和也の家系を一族に遡って調べあげたのである。
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「姫様」
「上嶋和也の父方──五代前の祖先は、一ノ瀬家に連なっております」
「そ、そんな……この前、高倉南もそうだと判ったばかりなのに」
「一ノ瀬家は“一子相伝”にこだわり過ぎました。
その掟を守らんがため、追放された者も多く──
中には処分された者もおりましょう。
──ですが、中には生き延び、子孫を残した者も確かにおりました」
庄蔵は、一拍おいてから語る。
「その血筋が──今も絶えず、流れておりました……」
花音に言葉はない
「上嶋家は、五代前の一ノ瀬家当主の弟君の系譜にございます。
記録には“房中術を操れたが故に──掟に従い、追放された”とあります」
「……つまり」
「和也様には、房中術を定着させるに足る“素養”が、血の中に残されていたということ。
冬美の報告が確かなら、既に兆候は現れており──確実に、術が根を張っております」
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花音は、決意した顔で立ち上がった。
「……爺や。和也に、会ってくるわ」
「はい。お気をつけて。宿のことは、残る者たちにお任せを」
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その後、花音はすぐに美由を訪ねた。
「お願いがあるの。詳しくは言えないのだけれど──
しばらくのあいだ、和也とするは控えてちょうだい、会うのは構わないわ」
そして千晴にも同じ連絡を入れる。
「草関連ね」
「もちろんよ」
「分かったわ。梨子にも、伝えておく」
「ありがとう。お願い」
──
花音は、東京行きの準備を始める。
(嫌な予感がする……)
その背中に、いつもの残念美人の姿はなかった。
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【Scene03.3:1年前6月】
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花音は和也に電話を入れた。
「今夜、どうしても直接伝えたいことがあるの。これから東京へ向かうわ。……泊まりになるかもしれない」
「わかった。待ってる」
それは、和也が美久・久美と一夜を過ごした翌週、金曜の夜のことだった。
新幹線の座席で、花音は小さく息を整える。窓の外を流れる街灯の点滅が、鼓動のリズムとぴたりと重なる。紙袋の中では、軽い夕食の空き容器だけが寂しく揺れていた。
和也は先に食事を済ませ、待ち合わせを“例のホテル”に指定した。
——なぜだか、そうすべきだという直感があった。
花音が到着すると、二人はほとんど言葉も交わさず、いつもの部屋に入った。
「いい部屋ね。宿泊費は私が出すわ」
「助かる」
花音はソファに腰を下ろし、まっすぐ和也を見据える。
「これから話すことを理解してもらうには……私の“生まれ”から説明する必要があるの」
そして、静かに語り始めた。
〈草〉として生まれたこと。
幼い頃から“技”の継承だけを目的として育てられたこと。
房中術を身につけるために、まだ心も身体も幼い段階で純潔を奪われたこと。
やがて、すべての因習を断ち切るため、自分の意志で〈草〉を終わらせたこと。
アメリカ留学中、源氏物語の古書を得るためだけに標的に近づき、心を操ったこと。
──そこまでは、六年前、千晴にも打ち明けた過去だった。
そして、あの夜千晴にも話せなせず、隠してしまった事実
アメリカで心を操った相手は何の罪もない人々だったのに、いつの間にか罪悪感すら消えてしまっていたこと。
それまで和也には告白した。
語り終えると、和也は無言で花音を抱き寄せた。
「……よく話してくれたね。辛かったね。そんな幼い頃から背負わされて。そんな形で奪われて……。
自分を“汚れ役”にしてまで目的を果たそうとしたんだ。……苦しかったよね」
和也の胸に額を預けた瞬間、花音の堰が切れた。
「……辛かったの。苦しかったの」
嗚咽とともに、声を上げて泣いた。
千晴が“共に痛む手”だったなら、和也は“痛みを受け止めて温める手”だった。
やがて、涙が静まりかけた頃。和也が、そっと問いかける。
「……俺に、房中術が根付いてるんだね? 去年、高倉さんの件の残り火とか、そういうこと?」
花音はゆっくりと首を振った。
「違う。私の責任よ。
私があなたに房中術を何度も使ったから──あなたの身体に、“気の流れ”が定着してしまったの」
「……え?」
「本来なら、この程度の回数で定着なんてあり得ない。けれど──あなたは、私と同じ“一ノ瀬”の血を引いていたの」
花音の瞳が、過去を見つめるように遠くなる。
「五代前──“いざ”という時の“代替”として育てられた弟が、掟により追放された。
それでも彼は、名を変え、ひっそりと生き延びて子を残した……
その血筋が──今も絶えず、流れていた……
そうして残された系譜が、上嶋家に繋がっているの」
和也は短く息を呑む。
「じゃあ、俺は……」
「ええ。今のあなたは、簡易的ながら“房中術”を使える状態にある。
……そして、その気配は、もう現れている」
沈黙ののち、和也は唇を噛みしめ、告げた。
「……先週末、俺は──やってしまった。
パワハラのような状況で迫られて……だが、途中から腹の底からドス黒い何かが湧き上がってきて、そのまま相手を──彼女たちをねじ伏せた。
……その後の彼女たちの様子は明らかに変だった。
もし、俺が洗脳してしまったのだとすれば──すべて納得がいく」
花音の表情が一瞬、強張った。
「……感情に押し流された結果なら、まだ間に合う。
意図して支配したわけじゃないなら、一週間以内なら、人格への定着も浅いはず」
「解除……できるのか?」
花音は静かにうなずいた。
「その人たちを呼べるかしら? 早い方がいいわ」
「今すぐ呼ぶ。あの様子なら、俺が呼べば──どんな状況でも来ると思う」
和也はスマートフォンを取り出し、短く連絡を送った。
わずかな間のあと、すぐに返信が届く。
『今すぐ向かいます、和也様のもとへ』
『今すぐ向かいます、ご主人様のもとへ』
そのメッセージを見た花音は、そっと目を伏せた。
「……どんな“洗脳”をしたのよ、ほんと。
しかも二人同時って……」
「……それは、あとで全部話す。
まずは、彼女たちの洗脳を解くのが先だ」
──そう言った和也を見つめる花音の表情は、どこか呆れを含みながらも、静かに決意を帯びていた。
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美久と久美は呼ばれるまま、和也と花音が待つ部屋の扉をノックした。
「和也様」「ご主人様」
その声音、所作──すべてが、花音には異常に映った。
まるで誰かに“人格”ごと塗り替えられてしまったように。
「えっ……若女将……?」
「やっぱり……和也くんの彼女って、若女将だったの?」
和也を見ていない時の二人は、驚くほど“普通”だった。
そのことが、花音の胸に冷たいものを走らせた。
「こんばんは。時間がないから単刀直入に言うわ」
花音は彼女たちをまっすぐ見据えた。
「……あなたたち、自分の状態に、何か違和感はないの?」
「……わかりません」
「なぜこれほど和也様を愛しているのか、記憶は曖昧です。けれど……不思議と、不自然だとは思えないんです」
(──厄介ね。きっかけが無い)
自分がおかしいと感じる“ヒビ”があれば、そこから揺さぶれるのに──
今の彼女たちには、一片の疑念もない。
まるで幸せそのものの“夢”に包まれているように。
「……和也。荒療治よ」
花音は振り返り、静かに告げた。
「……去年の俺と、同じってこと?」
「ええ、そう。今度は、あなたが“術者”になったの」
「……仕方ないな」
和也は静かに頷いた。
視線を二人に向け、低く通る声で命じる。
「──脱げ」
その瞬間だった。
花音の指が勝手にブラウスのボタンを外し始めていた。
(っ……!? 私……?)
逆らえない。
何かの術だと確信した花音は、制止しようとしたが手が止まらない。
──いや、これは違う。
房中術とは、似て非なるもの。
気の流れ、対象への感情誘導、全てが逆ベクトルに歪んでいる。
美久と久美は一糸まとわぬ姿になり、まるで見せつけるように立っていた。
ブラウスのボタンを全て外し
ようやく手が止まった花音は唇を噛む。
(これは危険だ……。もし、これが私の房中術を起点に生まれたものなら──
私はとんでもない化け物を生んでしまったのかもしれない。)
──それは、和也が無自覚のまま生み出した異能。
“恋慕特異点”
去年の夏、高倉南と花音によって施された房中術が媒介となり、
彼の中に芽生えた“恋情を引き寄せる磁場”のような力。
和也の気に触れた者は、まず彼を意識し、
やがて善意にも見える誠実さに惹かれ、心も体も堕ちていく。
そして今、彼はそれを**“意図して使ってしまった”**。
「ねえ、和也。あなた……彼女たちに戻ってほしいって思ってる?」
「当然だ……!」
「愛人にしたいとか……そんなの、望んでない?」
「あるわけないだろ! 今でも……いっぱいいっぱいなんだよ!」
最後の声は、少し情けなく、小さくなった。
「……なら、心の底から“戻ってほしい”と願って、“命じて”」
「わかった。やってみる」
和也は裸のまま、彼女たちを正面から見据えた。
心の底から“願い”を込めて、命じた。
「──戻れ」
沈黙。
美久と久美の瞳に、一瞬影が走った。
だが次の瞬間──
「きゃあっ!」
目に光が戻った。
二人は悲鳴を上げて、咄嗟に胸と股間を手で隠し、しゃがみ込む。
“自我”が、戻ったのだ。
和也は安堵の息をつき、花音は静かに目を伏せる。
「……よかった。まだ、間に合った」
──だがその顔には──
明らかな“恐怖”の色が、隠しきれずに浮かんでいた。
──
花音は美久と久美に服を着させ、帰るように促した。
そしてドアへ向かおうとする二人の背に、静かに声をかける。
「貴女たち、バカをしたものね。
和也を罠にはめようだなんて……和也は、貴女たちに手に負えるような人じゃないわ」
花音の表情は、真剣そのものだった。
「だいたい、罠にはめてハメちゃおうだなんて……いやーん、私もハメられたい」
やはり、表情は真剣そのものだった。
「花音さん? 顔と言ってることが一致してません」
「いやーん、ツッコミ入れるんじゃなくて突っ込んで欲しいの♡」
「だから、どこに!」
「いやーん、激しいツッコミ、花音壊れちゃうっ♡」
「花音さん……表情変えずにそのノリは、怖すぎです……」
「ぷっ……」
たまらず美久が吹き出し、久美も肩を震わせてしゃがみ込んだ。
「ほんとに貴女たち、バカ」
今度はやわらかく微笑みながら、花音は続けた。
「ちゃんとお願いしていたら──」
「……していたら?」
「第4彼女とか、第2愛人くらいなら、なれてたかもしれないのに」
「えっ……?」
「かっ、花音さん!?」
「千晴姉さん、梨子ちゃん、美由が彼女でしょ?
今、誰が何番か知らないけど──」
「何番って……」
「私は第1愛人よ」
「ねえ、美久。愛人、お願いしてみる?」
「久美ったら大胆!」
「……俺の意見は?」
「今日のことは、他言無用よ?」
「当然です。話したって誰も信じてくれないし」
二人は笑いながら、部屋を後にした。
──しかし、二人はのちに
“二人揃って愛人枠”での希望届け(※本当に紙に書いて)を出してくるのだが、
それは、まだ少し先の話である──。
今回は、物語の“核”に触れました。
和也の異能は偶発ではなく、血と術が絡み合った必然だった。
そして花音は、それを止められる側ではなく――同じ領域に立てる側だった。
けれど、だからこそ危険だった。
術者同士が交わるとどうなるのか。
なぜ秘伝が“一子相伝”なのか。
なぜ記録が残っていないのか。
答えはシンプルです。
――理性が、持たない。
二人が「もう二人きりで会わない」と決めたのは、愛が足りないからではない。
逆です。
強すぎた。
そして同時に、和也の力は“使えば戻せる”ことも証明された。
暴走は止められる。
だが、制御できるとはまだ言い切れない。
ここからは検証フェーズ。
感情ではなく、実験。
さて――
一番の問題児は、誰でしょうね。
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次回、
房中術の真実。
和也の力は、それとは別物だった。
触れずに揺らす力。
意図すれば支配できる力。
そして花音は決断する。
「私に、調べさせて」
術者同士の夜。
辿り着いた結論は――
「これは、駄目だ」
次は、千晴と梨子。
ホテル、4人。




