【第08話-09】それぞれの“一番”-和也・美由
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【Scene02.3:1年前5月】
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ゴールデンウィーク明け・美由の誕生日前日
美由は郡山から早朝の新幹線に乗り、大宮駅に降り立った。
郡山までは由美に車で送ってもらった。
「頑張ってね」
由美はその一言だけで見送ってくれた。
今回の目的地は、埼玉県にある動物園と遊園地の複合施設──東武動物公園。
ずっと楽しみにしていた、和也と久々に逢える。
改札を抜けた美由は、すぐに和也を見つけて走り寄った。
「和也~!!」
胸を高鳴らせながらキャリーバッグを引いて、小走りで駆け寄る。
「千晴と梨子は?」
美由の問いに、和也は無言でスマホを差し出した。
そこには、ビデオメッセージが映っていた。
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「美由、お誕生日おめでとう♪」千晴
「……まだ前日のはずだけどね」梨子
「さらに言えば、これ撮ってるのはもっと前よ」梨子
「まあまあ、そう言わずに」千晴
「これが私たちからのプレゼント。和也お兄ちゃん、今日明日は美由さんのものです!」梨子
「俺はお前たちの所有物か!?」和也(ビデオから声だけ)
──撮影者はどうやら和也本人らしい。
「そんなわけで、二日間たっぷりラブラブイチャイチャしてください♡」千晴
「追伸、私たちはこれから3人でしっぽりしちゃいます」梨子
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美由はスマホを返しながら、小さく笑った。
「ありがとう、千晴、梨子ちゃん……嬉しいです!」
「じゃあ、行こうか」
和也がキャリーバッグを受け取り、2人は東武動物公園へ向かった。
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園内では、美由はまるで子供のようにはしゃいだ。
動物の檻の前では、まるで歌うように声をかける。
「羊さん、こんにちは〜 ごはんいりますか〜?」
触れ合いコーナーでは小さな悲鳴を上げ、
虎の檻ではキャーキャーと興奮し、
赤ちゃん動物の展示には「かわいい、かわいい……!」を連発。
──そして何より、彼女の手は、ずっと和也の手を握っていた。
昼食は園内のレストランで軽く済ませ、午後は遊園地コーナーへ。
ジェットコースターでは「キャー!」と涙目で叫びながらも必死で乗り切り、
家族向けのコースターでは、最初から最後まで手をつないだまま乗った。
和也は心の中でふと思った。
(あれ? 八景島では平気だったよな……)
でも──今は、雰囲気が大事だ。
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開園とほぼ同時に入園した和也と美由は、夕方前には動物公園を後にして、都内へ向かっていた。目的地は東京ドームシティ。
「誕生日当日は、絶対ラクーアがいいの」
美由がそう言い出したのは、以前の慰安旅行でここを訪れたときの記憶からだ。あの岩盤浴フロアのリラックススペースで、寄り添っていたカップルの姿が印象に残っていたのだろう。
「……私も、ああいうのしてみたいなって」
スケジュールを相談していた千晴に、ついこぼした言葉。千晴は微笑ましく笑い、その話を聞いた和也が立てたのが、今日の計画だった。
電車に揺られながら、二人はずっと手をつないでいた。一度の乗り換えを挟んで一時間強、ぴったり寄り添うその姿は、まるで新婚旅行帰りの夫婦のようだった。
宿泊先は、東京ドームホテル(ラクーア隣接)。
和也が選んでいたのは、高層フロアのエグゼクティブスイート。二泊三日の特別なプランだ。
「ちょ、ちょっと……二人だけなのに、こんな良い部屋……!」
部屋に入った瞬間、美由は目を丸くする。
「美由の誕生日だからな」
「ねえ、いくらしたの?」
「いや、うん、まあ……」
ごまかそうとする和也の言葉を、美由がピシャリと遮った。
「私、半分出す」
和也は少し驚いた顔を見せる。
「私ね、和也と対等でいたいの。……彼女にも、奥さんにも、なれないかもしれないけど、それでも」
一瞬だけ言葉に詰まりながらも、まっすぐにそう告げた。
「わかった。じゃあ、最後にかかった費用を一緒に精算しよう」
その一言に、美由はふっと肩の力を抜いた。
夕食は、ホテル内のファミリー向けビュッフェレストラン。二人で好きな料理を選び、ワインを片手に笑い合う。何気ないやり取りが、互いにとってかけがえのない時間になっていく。
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和也と美由は、ホテルの部屋へ戻っていた。
ほろ酔いで心地よく、言葉数は少なくても気持ちは穏やかに通い合っていた。
「和也、先にシャワーお願い」
「わかった」
二人のやり取りは、今までよりも落ち着いていて、大人びていた。
和也がシャワーを終えて出ると、入れ替わりに美由がバスルームへ向かう。
「……覗かないでくださいね」
振り返った美由の顔は赤らみ、ほんのり笑っていた。
けれどその表情は、どこかいつもよりもずっと色っぽく――
和也に、強烈な既視感を与えた。
(……まさか)
その直感は、すぐに現実へと変わる。
バスルームのドアが開く。
湯気の中から現れたのは、黒のバニースーツに身を包んだ美由だった。
そう、それは先月の“例の夜”に見た、あの淫靡な衣装と同じもの。
(そんな物まで……持ってきてたんだ)
和也は思わず心の中で呟いた。
(どうりで、キャリーバッグが大きかったわけだ)
「だって……千晴と梨子ちゃんも一緒だと思ってたから」
美由は恥ずかしそうに、それでも真っ直ぐに言った。
「これくらいしないと、勝てないかなって」
和也は一瞬目を見開き、そして笑みをこぼす。
「……素敵だよ」
その一言に、美由は耳まで真っ赤に染めた。
「じゃあ……バニーガールの美由に、ご奉仕させてください」
そこからの二人の時間は、あの特別室の夜よりも熱かった。
全てが終わった、その瞬間。
美由の足元に、脱ぎ残していたヒールが「コトン」と音を立てて落ちた。
美由は、深い満足感に包まれながら、静かに目を閉じる。
その後、交代でシャワーを浴びた二人は、ベッドで寄り添いながら、ぬくもりを確かめ合うようにして眠りについた。
誰よりも誠実で、臆病で、けれど勇気を出して愛を伝えた夜だった。
美由にとって、それは何よりも特別な記念日になった。
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美由は、誕生日の朝、和也の腕の中で目を覚ました。
「おはよう、美由」
「おはよう、和也」
「誕生日おめでとう」
「ありがとう」
静かに交わされる言葉。
何気ない会話だったが、それだけで胸が満たされるような、そんな朝だった。
ホテル内のカフェで軽く朝食を済ませた二人は、そのまま《Spaラクーア》へ向かう。
受付で一通り説明を受けた後、美由は「じゃあ、1時間後にレストランね」と笑って、スパエリアへ。
和也と別れてひとりになった美由は、湯に浸かり、サウナで身体をリラックスさせ、身体のすみずみまで磨き上げていった。
昼食は施設内のレストランでヘルシーに済ませる。
けれど──本命はこのあとだった。
(今日はリクライニングチェアではなく、まっすぐ寝そべる“暖房床のごろ寝スペース”で・・・)
美由はそう思いながら、壁際の静かな場所に和也を誘導する。
「ここ、空いてる。……このまま、ちょっとゆっくりしよ?」
床にバスタオルを広げて寝転び、もう一枚のタオルで体を包んで視線を遮る。
目的は──もちろん、いちゃいちゃするためだ。
二人は自然と寄り添い、美由は向かい合う形で和也に身を預けた。
静かながら、暖かな時間が過ぎる。
二人は何を話すでもなく、いつまでも抱き合っていた。
ただそれだけで、美由は幸せだった。
やがて、和也が言った
「……岩盤浴、行こうか?」
「うん」
美由は、満ち足りた顔で微笑んだ。
その後は岩盤浴と休憩スペースを行き来しながら、終始穏やかな時間を過ごした。
──それは、心からの満足の証だった。
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spaラクーアを後にし、和也と美由はホテルの部屋へ戻った。
しばしの休息の後、身だしなみを整え、レストランへと向かう。
今夜は高級フランス料理のコース。
昨日とは打って変わって、静かで心休まるディナー。
ワインを片手に、ゆったりとした時間が流れていった。
食後、デザートプレートが運ばれてくる。
その皿には、チョコレートでこう記されていた。
“With you, always.”
美由は息を呑む。
さらに、ミニブーケがテーブルに添えられた。
その傍らには、小さな箱が一つ。
「俺からの誕生日プレゼントだ」
「開けてみて良い?」
そう尋ねる美由は、すでに中身を確信していた。
けれど、それでもどこか信じられない想いだった。
そして箱を開けると──想像通りのものがそこにあった。
シンプルな一組のリング。
「着けてくれるかな?」
和也の問いに、美由の返事は決まっていた。
「はい」
彼女はそっと左手を差し出す。
和也はその“薬指”に指輪を通した。
「ぴったり……」
実は、和也はあらかじめ由美を通じて、美由のリングサイズを調べていた。
けれど、それを今は語らない。
そしてもう一つのリングを、自身の左手薬指に。
それは恋人同士が贈り合うような華やかなジュエリーではなかった。
プラチナのシンプルなデザイン。
唯一の違いは、美由の指輪だけに小さなダイヤが添えられていた。
それは、まるで“結婚指輪”のような佇まいだった。
「二人っきりの時だけでもいい。
……それを着けていて欲しい」
美由は、微笑みながら答えた。
「昨日、特別な記念日になったと思ったばかりなのに……
貴方ったら、簡単にそれを超えてくるのね。
嫌よ、ずっと着けてる。
仲居をしている時以外は、絶対に外さない」
そこに涙はなく、ただ心の底からの笑顔だけがあった。
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その晩、ふたりはセックスをしなかった。
そんなことをしなくても、もう充分すぎるほど心が通じ合っていたから。
そして、眠る前──美由は宣言した。
「和也、今回の旅費、全部私が出すわ」
「いや、それはダメだよ。美由の誕生日お祝い旅行なんだから……」
そう渋る和也に、美由はぴしゃりと返す。
「誕生日プレゼントに、こんなに素敵なものを貰ったんですもの。
それ以外は私が出すの。
だいたい、和也は学生でしょ?
私は仲居の給料以外に、和也が作ったWebサイトのロイヤリティーで荒稼ぎしてるのよ!」
そう和也に恋をした美由は、妙な色気を纏うようになっていた。
その魅力がさらに世の男性たちを惹きつけ、
ブロマイドや写真データの販売額は爆発的に伸びていったのだった。
さらに、美由はこう言った。
「ねえ、私が東京に来ていない時は──
千晴や梨子ちゃんとセックスしてても良いわよ。
……ううん、むしろ、してあげて。
だって、本当の繋がりは“体”じゃなくて“心”だって、私わかったから」
──それはつまり、美由自身が頻繁に東京を訪れるつもりで、
その時は“渡さない”という宣言だった。
だが、和也はその含意には気づかなかった。
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その後、美由はふと、眠りに落ちた。
ベッドサイドのランプだけが灯る部屋。
美由の髪が枕に広がり、ほんのり甘い香りが和也の鼻先をかすめる。
隣に寄り添って横たわる彼女の左手には、あの指輪がきらりと光っていた。
和也はそっとその手を握る。
指先の温もりと柔らかさが、心にじんわりと沁みていく。
……何も言わず、ただその寝顔を見つめる。
(もしも、俺が南でもなく、千晴でもなく、美由と結婚することがあったとしても――
きっと、尻に敷かれっぱなしなんだろうな)
──間違っている。
君は南と結婚したとしても、美由の尻にも敷かれる。
その意味は、その時がくれば嫌でもわかるだろう。
だから今は、“恋慕特異点”が効力を発揮している間に──
多くの女性たちに、愛を振りまくといい。
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朝、美由は和也を求めた。
朝食の時間もなく、和也はチェックアウトぎりぎりまで何度も何度も搾り取られ続けた。
昨晩、美由はこう言っていた。
『ねえ、私が東京に来ていない時は──
千晴や梨子ちゃんとセックスしてても良いわよ。
……ううん、むしろ、してあげて』
だが今朝の彼女には、まるで
「千晴や梨子に、一滴も残してなるものか」
そんな気迫すら漂っていた。
やがてホテルをチェックアウト。
清算は当然のように美由が行った。
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そして後日、彼女は東武動物公園とspaラクーアの入館料まで、丁寧に和也の口座へ振り込んでいた。
その振込通知を見たとき、和也はぽつりと呟いた。
「結局、俺は……千晴にも南にも美由にも、誰にも敵わないんだな」
けれどその表情には、どこか満ち足りた笑みが浮かんでいた。
──
東京駅構内のレストランで昼食を済ませた後、
新幹線のホームで、和也は美由を見送る。
「またすぐ来るわね」
彼女の笑顔は、幸せそのものだった。
こうして、美由の誕生日旅行は幕を閉じた。
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濃かったですね。
けれど今回の本質は、
バニーでも、スパでも、指輪でもありません。
「二番目でもいい」と言いながら、
美由は一番“深い場所”に入りました。
体の独占ではなく、
“心の繋がりは揺るがない”と確信した強さ。
そして和也は――
与えているつもりで、実は完全に主導権を握られている。
甘い二泊三日。
でもその裏で、関係の重心は確実に動いています。
美由はもう、ただの“二番目”ではありません。
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次回、
舞台は大学と、例の高級ホテル。
再登場するのは――
霞の宿で出会った、美久と久美。
仕事上の立場。
弱みを握られた男。
酒。個室。隣はホテル。
そして翌朝――
左右に裸の女。
これは“事故”なのか。
それとも“必然”なのか。
恋慕特異点は、祝福か、呪いか。
和也の自業自得編。




