【第08話-06】それぞれの“一番”-和也・美由
一つの区切りとなる話です
⸻
【Scene01.6:1年前4月】
⸻
霞の宿への旅行からしばらくたった、ある日曜日。
この日は千晴の休日だった。
梨子はいつものように、午前中から高橋家に遊びに来ていた。
「──あら梨子ちゃん、いらっしゃい。千晴はうちの人と出かけてるの。昼までには帰るから、一緒にお昼ご飯どう?」
「わーい、幸恵さんのご飯大好き!!ありがとうございます!」
「そういえば、うちの人とは会ったことなかったかしら?」
「はい、高橋進教授は大学でお顔を拝見したくらいしか……」
「そうねぇ。梨子ちゃん、千晴の大学の後輩だったわね。すっかり家族みたいに思っちゃってたわ」
そう言って幸恵は笑った。
梨子は持っていた学生証を見せながら言った。
「経済学部の4年です」
幸恵はその学生証を見て、ふと口を開いた。
「……あら、梨子ちゃんって“阪本”さんだったの?」
「はい。名乗ったこと、なかったでしたっけ?」
「“さか”の字が“ことざと”偏なのね……。うちの人の従兄弟にも“ことざと”の阪本さんがいて、名前は“孝”さん」
「えっ、それ……うちの父と同姓同名です!」
「ちょっと待ってね」
──そう言って、幸恵は年賀状の束を取り出す。
「これ。今年の年賀状……“阪本孝”さん」
「これ、うちの家から出したやつです!」
「じゃあ、梨子ちゃんと千晴……“はとこ”同士ってことになるのね」
「やった〜、千晴お姉ちゃんですねっ!」
「どうりで親しみを感じると思ったわ」
……いや、梨子の場合、誰の懐にもふっと入り込めるのだが。
それはまあ、置いておこう。
⸻
梨子が幸恵と一緒に昼食の準備をしていると、進と千晴が帰ってきた。
「あら、梨子、来てたのね」
「うん、おかえり、お姉ちゃん!」
千晴は小さく首を傾げる。
梨子は普段“千晴先輩”と呼ぶ。
二人っきりの時には『千晴お姉ちゃん』と呼び、
特別な時には媚びを売るために『お姉様』と呼ぶが、
単に『お姉ちゃん』と呼ばれた記憶は、ない。
その時、幸恵が進に話しかけた。
「こちら、梨子ちゃん。千晴の後輩よ」
「ふむ、話はよく聞いている。ゆっくりしていってくれ」
両親は、友達付き合いの少ない千晴を心配していた。
大学に入った頃から、花音、美由、由美という親友もできたが、近所づきあいではない。
ごく身近にできた友人の梨子は、両親にとっても嬉しい存在だった。
「それがね、梨子ちゃん、阪本孝さんの娘さんなんですって!」
「はい、そうなんです!」
梨子が朗らかに答えると──
「ほう、孝の……あの子か!」
進も心当たりがあるようだ。
千晴はひとり、話についていけずにいる。
「孝はな、俺の年の離れた従兄弟でな、小さい頃から可愛がったものだ。
千晴、阪本の大叔母さん、覚えてないか?
お前のおじいちゃんの妹にあたる人だ。今も近所に住んでいて、お前が小さい頃はよく遊びに行ったのだがな」
「えっ、覚えてます!
その頃、買ってもらったぬいぐるみ、まだ部屋にあります」
幸恵が説明を続ける。
「その阪本の大叔母さんの息子さんが孝さん。
だから、その娘さんの梨子ちゃんは、お父さんの従姪、千晴の“はとこ”になるのよ」
梨子がさらに付け加えた。
「おばあちゃんとお姉ちゃん、去年の4月に不動産会社で会ってるよ」
「えっ、あの時の……」
そう、千晴にとって記念すべき初顧客は、身内だったと言える。
「それでね、私のお母さんのお姉さん──つまり私の叔母さんの息子が、和也お兄ちゃんだよ」
「ほう、あの子か?」
「えっ、お父さんも知ってるの?」
「孝の奥さんと、そのお姉さんは仲が良くてな。当時は近くに住んでいたから、よく阪本家に遊びに来ていた。その息子さんを連れてな。確か、名前は……和也くんだったな」
「あら、その和也さんって……」
「そう。この前炒飯作ってくれた、あの和也お兄ちゃん」
「ああ、千晴の素敵な彼氏ね。あの炒飯美味しかったわ」
「そうなのか。
千晴、お前は梨子くんとも和也くんとも会っているぞ」
「「えっ」」
千晴と梨子の声が、同時に重なった。
「少し待っていろ」
進が古いアルバムを持ってきた。
几帳面な進は、写真を“誰が写っているか”で細かく分類して保管していた。
「これが阪本家のアルバムだな」
孝の子ども時代は飛ばして、進はページを繰る。
「これが、孝の結婚式だな」
「お父さんとお母さん、若い!!」
「これが、その2年後。第一子──つまり梨子くんが生まれた時だ」
その写真には、ベッドで赤ん坊の梨子を抱く母親と、その隣で微笑む若い幸恵。
そして、赤ん坊を興味深そうに覗き込む、2歳くらいの女の子がいた。
「これって……」
「そうだ。千晴、お前だ」
「そうだったの……」
さらに別アングルの写真では、ベビーベッドの梨子の手をとる千晴。
そして、4歳くらいの男の子が写っていた。
「そうそう、この日病院に行った時には、ちょうど阪本の奥さんのお姉さん夫婦も来ていてな。それが和也くんだよ」
「私、和也と知り合ってたの……」
進は話を続けた。
「阪本家が会社を立ち上げるとかで、羽田空港近くに引っ越したのが、梨子くんが4歳の頃だったか。それまでは何度か千晴も遊んでいたぞ」
アルバムをさらにめくると、千晴と梨子が一緒に遊ぶ写真がいくつかあり、少し年上の和也も写っている。
さらに、美晴が一緒に写った写真もあり、みんなが楽しそうに遊んでいた。
「なんとなく思い出した。
阪本の大叔母さんの家に行くと、小さな女の子とお兄ちゃんがいたような……」
「うん、私も思い出したよ。
“和也お兄ちゃんを取るお姉ちゃん”がいたって」
顔を見合わせたふたりは、同時に吹き出した。
「そう言えば、和也のご両親は宮崎って聞いてたけれど……」
千晴が疑問を口にした。
それに、梨子が答える。
「和也お兄ちゃんは、ずっとここに住んでるよ。
叔母さんたちは、和也お兄ちゃんが高校2年の時に仕事の都合で宮崎に引っ越したの。
でも、和也お兄ちゃんはもうここの大学受験を決めてたから、そのままこっちでおばあちゃんの家に居候したの」
「えっ、じゃあ、小学校とか中学校は?」
「うん、たぶん、和也お兄ちゃんとお姉ちゃん、同じ学校だったと思うよ」
「和也も、知らないのかな?」
「今度、聞いてみようよ!」
進と幸恵は、そんなふたりの会話を──
まるで本当の姉妹のようだと、優しく見つめていた。
⸻
千晴はその夜、夢を見た。
夢の中では、梨子の家族は引っ越しておらず、3人は幼なじみとして共に育っていた。
なぜか美晴は登場しなかった。
小学校は3人一緒に登校し、
中学校では和也と千晴、その後は千晴と梨子が一緒に通う。
高校も同じだった。
千晴は高校1年の時、和也に告白する。
そして、ふたりは付き合い始める。
そこから梨子は登場しなくなり、
高校3年、18歳のとき──ふたりは結ばれる。
素敵なホテルのレストランで……
千晴はそこで目を覚ました。
少し、悲しくなった。
「……もし、これが本当だったら良かったのにな」
でも、それは夢にすぎなかった。
⸻
梨子の行動は、いつもながら早かった。
二日後の火曜夕方、彼女は和也と千晴を、あの居酒屋に呼び出した。
「私は明日定休日だから良いけど、二人は大学あるでしょ?」
そう返す千晴に、
「まあまあ、軽く軽く!」
と梨子は軽やかに聞き流す。
──そんな梨子に、二人が敵うはずもない。そもそも、すでに店内に来ているのだから。
席につくと、梨子はいきなり子どもの頃の話を持ち出した。
「……覚えてるよ」
和也は、あっさりと言った。
「梨子が引っ越したの、幼稚園の年少が終わった春休みだったな。『幼稚園変わるのやだ』って泣いてたの、覚えてないか?」
「……それは覚えてるけど」
本当は──『和也お兄ちゃんと会えなくなるのがやだ』だった。
でも、それは今は言わない。
「俺は梨子の4つ上で、小2の終わりだったからな。千晴のことだって、よく覚えてるよ。……でもさ」
和也は少し視線をそらしながら続けた。
「幼稚園や小1の頃の“初恋の相手”に、大学生にもなってから告白なんて、恥ずかしくて言えないって」
「「えっ……?」」
千晴と梨子の声が重なった。
「じゃあ、梨子が引っ越した後、小学生の頃の私のことも知ってたの?」
千晴が思わず問い返す。
「知ってたよ。でも、2歳下だろ。俺が小3の時、千晴はまだ小1。
その頃は“好き”って対象にはなりにくかったって。……初恋は千晴が小学校に入る前の頃の話さ」
「そうなんだ……」
「中学の頃も、まあ似たような感じだったな」
「え? じゃあ、美晴姉さんは?」
千晴は写真で見た記憶を思い出す。
「同い年だったんでしょ?」
「ああ、そうだよ。中学校まで同級生さ。高校は別だけど。……でも、なんでだろうな。同い年の美晴よりも、年下の千晴の方が好きだった。……懐いてくれてたし、素直だったし、可愛かったんだろうな」
「お姉ちゃん、だってよ」
梨子が肘で千晴の脇を小突く。
「うん……阪本の大叔母さんの家で会ってたお兄ちゃん、優しかったの、覚えてる」
千晴が赤くなっていたのは、ビールのせいだけではない。
「そういえばさ、美晴姉さん、2年前に和也に告白してなかった?」
「ああ、びっくりしたよ。中学までそんな気配の一つもなかったのにな」
「もし、美晴さんが中学とか高校の頃に告白してたら?」
梨子が悪戯っぽく訊く。
「うーん……まあ、なんだかんだで千晴に似てるし、OKしてたかもしれないな」
「……美晴姉さん、初恋遅すぎ」
千晴と梨子は顔を見合わせて笑った。
⸻
「ここまで話しちゃったし、もう全部ぶっちゃけるよ」
和也は照れ隠しにジョッキを一気に煽る。
「なあ千晴、俺たち高校も一緒だったの知ってるかい。……君が入学したとき、『すごい美少女が入学してきた!』って学校中で大騒ぎだったの、知ってた?」
「……全然知らなかった」
千晴は、和也が高校も一緒だったことすら知らなかった。
話してくれたことがなかったから。
「でもさ、すぐに“高橋家の美人三姉妹”は男を寄せ付けない、って噂になったんだよ」
千晴はその言葉に、思い当たる節があった。
当時の三姉妹は完全に箱入り娘だったから。
「で、俺はそのとき、“あの初恋の子”だって気づいて──二度目の恋をした」
「……」
「でも、“高橋家の美人三姉妹”のガードは固すぎて、告白する勇気が出なかったんだ」
和也の目は、どこか遠くを見つめていた。
「私、知ってたよ」
梨子が静かに言った。
「高校3年のときに、お兄ちゃんが恋してたの。だから私、“絶対お兄ちゃんと同じ大学行く”って決めたの」
「それから3年後、“大学の後輩”ってお姉ちゃんを紹介されて、直感したの。“この人が、和也お兄ちゃんが3年も恋していた人”だって」
「──見透かされてたな。その通りさ。大学で再会して、俺はもう、止まらなくなって、千晴を口説いた」
「そうだったんだ……でも確かに、高1の頃の私は、誰に告白されてもOKはしなかったと思う」
千晴はその頃、誰かと深く繋がるのを恐れていた。
……今でも、きっと根っこは変わっていない。
⸻
「俺の告白は、以上」
「ありがとう。じゃあ、私も一つ告白するね」
千晴は、あの夜に見た夢の話を始めた。
「……そっか。私とお姉ちゃんと和也お兄ちゃん、3人で幼なじみだった世界……」
梨子が呟く。
「そんな世界、あったら良かったね」
「そうだな……」
しんみりと空気が落ち着いた、次の瞬間──
「ところでさ」
梨子がニヤッと笑う。
「その夢、初体験の直前で終わったって言ってたよね? “私が”出てこなかった?『それじゃあ一緒にしましょう』って」
「なっ……なんでそれを!?」
──図星だった。
夢の中、高級ホテルのレストランで、和也に「部屋、取ってあるんだ」と言われた瞬間、梨子が現れて……千晴はそこで目が覚めたのだった。
「夢って、その人の願望でしょ?」
梨子が舌なめずりしそうな勢いで続ける。
「その願望、これから現実にしましょ?」
千晴と和也が抵抗できるはずもなく──
この夜もまた、隣の高級ホテルへと吸い込まれていった。
⸻
だが。
この三人の夜は、これが最後となった。
千晴は、過去の話を聞いて逆に確信したのだ。
(これだけの出会いを繰り返しながら、大学まで“他人”だったのは──和也は、運命の人じゃなかったんだ)と。
そして今、和也の心は、美由のもとにある。
千晴は、ある決意を胸に秘めていた。
それを実行するのは──ほんの少し先、5月のことだった。
今回、いわゆる“最強設定”をひとつ崩しました。
ラノベではよくありますよね。
「実は幼い頃に出会っていた」
「知らずに再会していた運命の相手だった」――
あのギミック。
でも今回、千晴は違いました。
確かに過去に出会っていた。
写真も残っている。
同じ時間を共有していた。
けれど――
千晴は、何も知らなかった。
覚えていなかった。
気づいていなかった。
ここが、今回の核心です。
“過去に出会っていた”ことが強いのではなく、
それが心に刻まれていることこそが、運命になる。
和也は覚えていた。
千晴は覚えていなかった。
この非対称が、すべてでした。
あなたはどう感じましたか?
「それでも運命だ」と思いましたか?
それとも、「やっぱり違う」と感じましたか?
ぜひ、率直な感想を聞かせてもらえたら嬉しいです。




