【第08話-05】それぞれの“一番”-和也・美由
――優しさは、時に残酷だ。
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【Scene01.5:1年前4月】
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ふと千晴は目を覚ました
千晴は、まだ余韻で重い身体を起こし、周囲を見渡した。
ふと、冷静になった。
そして頭を抱える。
──今日は、自分の誕生日。
それなのに今、目の前に広がっている光景は、想像の遥か斜め上を行っていた。
全裸の和也。
着崩れたメイド服の梨子。
そして──自分。
さらに──花音の胸元ははだけ、
美由は何も着ていなかった
そしてさっきまで処女だった和美までもが、満ち足りた顔をしていた。
──記憶はある。
だが、“なぜそうしようと思ったのか”──その動機だけが霞の中だった。
──どうして、こうなったのか。
しかし、みんな、幸せそうな顔をしていた。
(うん! みんな幸せが一番!)
あの梨子の台詞が、何度目かに頭をよぎる。
「うん、そうよね。みんな幸せそうだもの。これで──良かったのよ」
それは自分に言い聞かせるための言葉ではなかった。
心の底から、自然に湧き上がってきた想いだった。
これはきっと、愛の一つの形。
──和也を、梨子を、花音を、美由を、そして今日出会ったばかりの和美までも。
千晴はきっと、全員を愛していた。
ただし、彼女はまだそれに気づいていない。
「そう求められたから、そうした」と思い込んでいる。
自発的な愛ではない、と──決めつけている。
千晴が、自分から“愛してる”と思える誰かと出会うまで、それは変わらないのかもしれない。
けれど、その出会いは──刻一刻と、近づいている。
千晴よ──その時までは、今の関係を、存分に楽しむがいい。
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女たちはそれぞれの想いを胸に、余韻に浸っていた。
やがて、襖の向こうから声がかかった。
「お客様、あと少しで夕食の時間です。身支度をお願いできないでしょうか?」
冬美の声だった。
──きっと、ずっと待機していたのだろう。
全てを把握しているに違いない。
(冬美さん、こういうの苦手だったはずなのに……かわいそう)
千晴はそう思った。が──
もはや、取り繕う余地などどこにもなかった。
千晴は肝を据え、答えようとした。
「わかりました。すみませんが、入浴セットを──」
言い終わる前に、襖がそっと開かれた。
差し出されたのは、“6人分”の入浴セット。
そして──
中の様子を見渡した冬美は、真っ赤になって俯いてしまう。
その惨状は、彼女の想像を遥かに超えていた。
いつもの冷静沈着な冬美からは考えられない、少女のような小さな声が漏れる。
「……わたしだって、今晩は進さんに可愛がってもらうんだから……」
そして、下半身をもじもじとさせた。
その様子に気づいた梨子が、千晴に近づいて問う。
「進さんって?」
「冬美さんの旦那様。二十歳年下なの」
「え〜っ、冬美さんって、や〜ら〜し〜い〜!」
梨子がケラケラと笑った。
完全に──
”お前が言うな! 今の自分の姿、鏡で見てこい!”
である。
しかし、冬美は俯いたまま、上目づかいで呟いた。
「……千晴様の、ばか……」
千晴は声をあげる。
「萌えるわ!」
──いつものお約束だった。
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女たちがようやく身だしなみを整え始めた。
そんな中、ただ一人──和也だけがまだ動けないでいた。
「ふふ、仕方ないわね」
花音が怪しく(妖しく、ではない)微笑み、和也にそっとキスをする。
そして──“ふっ”と、何か気のようなものを吹き込んだ。
ビクッと身体を震わせた和也が、ふいに目を覚まし、上体を起こした。
「さあ、風呂に入ろうか」
(あれ、大丈夫なの? 後遺症とか出ない……?)
千晴は冷や汗を流すのだった。
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女たちの身支度が整ったのを確認し、冬美が再び声をかけてくる。
「六人同時に金の湯に入るのは無理ね。
和美は千晴さんたちと一緒に入りなさい。浴衣に着替えて、夕食に同行なさい。
あなたは、初めてだから特別よ」
「えっ、そんな……」
和美は戸惑ったが、冬美の声は優しかった。
千晴は思う。
(初めて私たちと交流したから?
初めて特別室に入ったから?
それとも──初めて“そういう経験”をしたから?)
──なんて、聞けるわけもなかった。
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千晴たちが風呂を上がり、食事処へと向かう頃。
花音と美由は、二人きりで金の湯に浸かっていた。
やがて美由が口を開く。
「花音は……これからどうするの?」
「何を」とは聞かずに。
花音は、肩まで湯に沈みながら静かに言った。
「そろそろ潮時かな。和也のことは、確かに好きだけれど──
“愛してるか?”って訊かれたら……“うん”とは言えないの。
美由、あなたとは違ってね。
それにね、はじめての男性で、舞い上がってた部分は、確かにあると思うの」
花音の顔には、自嘲と笑みが同時に浮かんでいた。
「あと、そろそろ新別館の準備を本格的に始めなきゃだからね」
そう言って、ため息を一つ。
「美由、あなたは……あなたなりの愛を貫くのね」
「うん。和也さんが新倉南と付き合っても、彼女と結婚しても──
許される限り、続けていくわ」
その表情に、一点の迷いもなかった。
「……強いのね、私は弱いわ」
二人の間に、湯気のように静かな時間が流れていった。
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一方、千晴たちについていった和美は、ただただその宴に圧倒されていた。
別館での給仕経験は何度もある。
しかし、今回のそれは、まったくの別物だった。
メインは季節の天ぷら。
5年前、美由や由美と初めて会った初夏と同じ構成──
けれど、今回はあの時のような急拵えではない。
もともと、誰か一人を迎える予定だったのだろうか?
和美は酒に弱く、ほんの少し飲んだだけで頬が真っ赤になってしまう。
──それが、反則レベルに可愛かった。
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部屋に戻ると、布団が四つ敷かれていた。
(ちゃんとシーツは取り替えられていた)
そして、寝間着も男性用が一つ、女性用が三つ。
「これは……泊まっていけってことかしら?」
千晴が首をかしげる。
「いいんですか……?」
和美は不安げに問いかけた。
「明日、仕事は?」
「遅番なので……昼前までに寮に戻れれば……」
恐る恐る答える和美。その様子は、あまりにも可愛くて。
「じゃあ、ゆっくりできるねっ!」
梨子は即決だった。
(……俺の意見は、やっぱり今回も聞かれない)
だが和也とて、こんな可愛い子と夜を過ごすのが、嫌なわけがなかった。
──
布団に入る。
並び順は、千晴、和也、梨子、和美。
「ねえねえ、和也お兄ちゃんのどんなところが好きになったの?」
「わかりません……でも、一目見た瞬間、きゅんって胸がなって──気づいたら、好きになってました……」
「ねぇ、和也お兄ちゃん。これが“恋慕特異点”の力なのかな?」
梨子の無邪気な一言が、和也を絶望の淵へ突き落とす。
「なっ、なんで、それを……!?」
「さっき自分で言ってたよ〜」
どこまでも、梨子は無敵だった。
──
その傍らで、千晴は一人、思索に沈んでいた。
(……これから、私たちはどうすればいいのか)
いくら考えても、決着のつく問いではなかった。
ただ、まんじりともしない夜が、静かに更けていくのだった──。
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和也が目を覚ましたとき
隣には和美がいた
「……あの、和也さん。最後に、もう一度だけ……いいですか?」
和美の瞳が潤みながら訴えかけてくる。
「和美ちゃんったら、だ・い・た・ん♡」
梨子の声には、茶化しよりも優しさが滲んでいた。
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そのとき、千晴はすでに目を覚ましていた。
けれど、寝たふりを続けていた。
(……最後に)
その言葉が、胸に突き刺さる。
和美は若く、行動力も、経済力もない。
美由のように、東京まで会いに来ることは難しいだろう。
──今日を最後に、もう二度と会えないかもしれない。
そう思うと、止めるきっかけを失ってしまった。
それは和也も同じだった。
だからこそ、彼はそっと和美に覆いかぶさり、優しいキスから始めた。
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やがて和美の声に、喜びの吐息が混じる。
その響きを聴きながら、千晴は思う。
(私は弱い……本当は止めたかった。でも、止められなかった)
この可愛い子の願いを断ち切りたくない──嫌われたくない。
そう思っていた。
でも、それは本当に“弱さ”だろうか?
彼女の幸せを願って、譲ってしまっただけではなかったか。
けれど千晴は、まだそのことに気づけなかった。
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和美は、和也のすべてをその身に迎え入れ、
そして、歓喜の涙を流した。
行為のあと、二人で金の湯へと向かう。
「……また、逢えますか?」
和美は分かっていながら、それでも問いかけた。
「……霞の宿に来ることは、もう無いと思う」
和也は誤魔化さず、ただ事実を静かに告げた。
「……そうですか……」
和美の瞳に、ふたたび涙があふれる。
たった一夜の恋。
けれど、それは彼女の心に深く、確かに刻み込まれていた。
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ちなみに、和也はちょうど2年後に、仕事として再び霞の宿を訪れることになる。
けれど──出会った当時19歳だった和美にとって、2年は長すぎた。
その時すでに彼女の想いは過去となり、
和也の「恋慕特異点」も、効力を失っていた。
だから、この二人の物語は──ここで終わりを迎えたのだ。
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千晴は、その頃ようやく「寝たふり」をやめた。
けれど、梨子はお見通しだったように声をかける。
「千晴お姉ちゃんってさ、優しすぎるよ。
もっと、自分にわがままになってもいいのに」
「これが私。必要とされれば、私はそうするの」
千晴は静かに、そう返す。
『私は、そうやって生きてきた。』
口には出さずともそう確信していた
──それは、ちょうど5年前。
花音に初めて出会った日に、母・幸恵に語った言葉と、まったく同じだった。
千晴は──成長していないのだろうか。
その答えが出るのは、まだ少し先のことだった。
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やがて、和也と和美が戻ってきた。
皆で朝食を済ませると、和美は仲居寮へと戻っていった。
──彼女が、この物語に再び登場することは、もうなかった。
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遅めの時間に荷物をまとめた千晴たちは、チェックアウトのために別館のカウンターへと向かった。
他の宿泊客の姿はすでになく、静けさが辺りを包んでいた。
カウンターの前には、葉月が優しい微笑みで立っていた。
その傍らには花音、そしてその手を引かれるようにして立つ小さな男の子──文晴くん。
今は二歳半、まさに可愛さの真っ盛りである。
けれど、千晴が会うのは実に一年ぶりのことだった。
「ちーち?」
幼い頃から、文晴くんは千晴のことをそう呼んでいた。
花音が、どこか誇らしげにお姉ちゃんらしい口調で答える。
「そう、千晴お姉ちゃんだよ」
その瞬間、文晴くんはぱっと目を輝かせて駆け出した。
「ちーち、ちーち!」
「文晴くん……覚えててくれたの!?」
「うん、ちーち大好き!!」
「なっ、なにこの可愛い生き物……」
隣で梨子がぷるぷると震えながら悶絶している。
「梨子もこのくらいの頃は可愛かったよなぁ」
和也がしみじみとした声で呟いたが、誰にも拾われなかった。
千晴は文晴くんを優しく抱き上げ、しばしの再会を心から楽しんだ。
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チェックアウトの手続きを前に、千晴は改まって葉月に声をかけた。
「葉月さん、三人で二泊もお世話になって……私に払わせてください」
けれど、霞の里はまたしても一円も受け取ろうとしなかった。
「千晴さん、今回のことは──霞の里からの感謝の気持ちを込めた、あなたへの誕生日プレゼントなんです」
葉月の笑顔は、底知れぬ温かさをたたえていた。
「あなたは、お友達から高価な誕生日プレゼントをもらったとき、“高すぎるから”って現金を返しますか?」
「……いえ、そういうわけでは」
「だったら、受け取ってくださいな」
「……わかりました」
大波乱に満ちた誕生日旅行は、こうして穏やかな形で幕を閉じようとしていた。
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駅までは、大きめの車を借りて美由が運転してくれた。
由美は前夜に宿泊した客の見送りがあり、早番に入っている。
そのため、今回は宿での見送りだけだった。
駅での別れ際、美由と和也のあいだに、どこかあたたかな空気が流れていた。
「千晴先輩、あの二人……いい雰囲気ですね」
梨子がそっと囁いてくる。
「そうね。そっとしておいてあげようね」
「やっぱり千晴お姉ちゃんは優しい」
「そう? ──でもね、東京に戻ったら、しばらく私が独占よ」
「えー、私も一緒がいい〜!」
「ふふ……そうね」
千晴は笑って答えたが、その言葉とは裏腹に、和也と会う機会はこれからぐっと減っていく。
和也は大学生活が本格化し、千晴も社会人二年目を迎えて、任される仕事の幅も量もぐっと増えていく。
──それでも、梨子と会う頻度は変わらないのだから、きっと千晴の中で、心の整理は少しずつ進んでいたのだろう。
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そして別れ際、千晴は美由にひとつ約束をさせる。
「誕生日当日、必ず東京に来てね。今回のお礼、させてもらうんだから」
「それ、私ひとりで受け取っていいの? 由美は彼氏のところ行くらしいよ」
──由美の誕生日は、美由の三日前。
「ふふ、大丈夫。和也も予定空けておきなさい」
「……ああ、そうだね」
和也は何かを決心したように、ゆっくりと頷いた。
──ゴールデンウィークが明けてすぐの美由の誕生日。今年は日曜だった。
「それじゃあ、また来月ね」
そう言い残して、千晴たちは列車に乗り込む。
こうして、さまざまなことが少しずつ変わり始めた──春の旅が静かに終わりを告げた。
――これで、霞の里の旅は終わりです。
楽しくて、少し切なくて、にぎやかで。
でもこの終わりは、ただの旅行の終わりではありません。
千晴と和也の関係もまた、
静かに形を変えはじめました。
それが何を意味するのかは――
もう、言わなくても伝わるはず。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。




