【第07話-06】恋と欲と日常のあいだ-千晴・和也
「“デビルちゃん”が、そっちに行くわよ」
由美からの一本の電話。
軽い調子のはずなのに、嫌な予感しかしない。
どうやら――
花音の“色ボケ”が、本格的に問題になっているらしい。
そして美由と由美は、東京へ来ると言う。
……その日は、和也と会う予定なのに。
静かだったはずの日常が、また騒がしく動き出す。
⸻
【Scene06:2年前9月】
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あれから二週間が経った。
千晴のもとに、由美から電話がかかってくる。
『“デビルちゃん”が、そっちに行くわよ』
「なによそれ」
電話口で、由美が軽やかに歌い出す。
『はじめて知った人の愛〜
そのやさしさに目覚めた女〜』
──あまりにも有名なアニソン。
本編も原作も知らなかったが、何かにつけ耳にするこのフレーズに、千晴はすぐに事態を悟った。
「……花音の“色ボケ”、そんなに酷いの?」
『やっぱり! 千晴のせいなのね!
花音が“ああ”なったの!!』
──しまった。
美由と由美は何も知らない。
黙っていれば”知らぬ存ぜぬ”で済んでいたかもしれない。
『電話じゃ無理そうだから、来週の土日、美由と一緒にそっちに行くわね』
「えっ、その日は……和也とデートの予定なんだけど」
『え、“和也さん”と!?
いったいどうなってるのよ!』
「あっ……」
──色ボケしているのは、自分もだった。
⸻
時は、あの日へ遡る。
庄蔵氏と別れた直後。
花音は、由美を呼び出していた。
「どうしたの花音。あなたが家に来てって言うの、珍しいじゃない」
葉月は出張中。
弟・文晴は里見さんが預かり、仲居たちが交代で世話をしている。
──もうすぐ二歳の文晴くん。
勤務扱いで、こんなに可愛い子と過ごせるならと、希望者が殺到し抽選制になるほどの人気だった。
花音は切り出す。
「単刀直入に言うわね。
高倉南と会うのを、やめてほしいの。新倉南とは構わないわ」
「……それって」
「ごめんなさい。本当は、こんな言い方したくないけど……
若女将としての“命令”よ」
「……何か、あったのね?」
「詳しくは言えない。ごめんなさい」
聡い由美は、この時点で千晴が絡んでいると察していた。
後に千晴から情報を引き出すのも、また由美だった。
心の中で、由美は考える。
(新倉南とだけ会っても、“あんな関係”は無理よね……ちょっと残念)
──それを、花音は正確に見抜く。
「ねぇ……ダブル南との関係、“良かった”?」
「えっ……その……」
「代わりに、私が“して”あげようか?」
今にも舌なめずりしそうな花音に、由美はただただ呑まれるばかり。
肉食獣の前に差し出された子ウサギに違いなかった。
──しかし花音は、やはり“色ボケ”していた。
由美に口止めすらしなかった。
只でさえ「四人で“した”よね」などという武勇伝を平気で口にする由美の事
その関係は、寮内の一部──
“花音をお姉様と慕う者たち”の間で瞬く間に広まり、希望者が殺到する。
仕方なく、花音はひとりずつ、時には複数人で相手をしていく。
もちろん、望まない者は決して巻き込まず、耐性のない者も丁重に除外する。
──その見極めはお手の物だった。
こうして自然と《若女将の会》が結成され、仲居寮の結束力は爆発的に高まっていく。
筆頭はもちろん、由美。
意外なことに、美由は一度試しただけで会には加わらなかった。
──ちなみに、この時に確立された”才女でありながら自由奔放、押しが強く、一歩間違えば痴女”という花音のキャラ。
本人がいたく気に入り、
後にとある“大切な出会い”を迎えた際にも、このキャラで押し通すことになるのだった。
⸻
平日の朝、突然呼び出された千晴と和也は、指定された荷物を持って駅で待っていた。
「しかし花音さん、千晴が今、平日休みだってよく知ってたな」
千晴は夏に担当していたリフォーム現場が一段落し、今は窓口業務に戻っていた。水曜前後の休みが取れる時期だった。
来週は和也とのデートの為に土日で休みを取っていたが。
「あの子の情報網は侮れないわよ」
そんな会話をしていると、黒のロングコートに身を包み、光沢のあるキャリーを引いた女性がまっすぐ二人のもとへと歩いてくる。
目元には見慣れた柔らかさがある。けれど、どこか──決定的に──雰囲気が違っていた。
「会いたかったわ」
そう言って、花音は千晴に歩み寄り、軽くハグをし、頬に触れる。自然すぎるほど自然な、海外式の挨拶。
その振る舞いに迷いはなかった。けれど、つい数ヶ月前まで“ちょっとドジな妹分”だった花音のイメージとは、まるで違っていた。
「昨日、東京で会議があったの。そのついでに、どうしても会いたくなって」
微笑む花音に、千晴は曖昧に頷く。
──でも、千晴は由美から聞いて知っている。
この出張は、彼女が“無理やり作ったもの”だ。
「顔を合わせてこそ、通じるものがあるのです」
花音はそう言って、リモートで済む会議をわざわざ対面に変更した。
──もちろん本当の理由は、千晴と和也に会いたかったからにすぎない。
屁理屈は後付け。でも、それが美人の強みと重なった。
わざわざ現れた若い美人の若女将に、相手先のお偉方が悪い印象を持つはずもない。
結果として交渉は順調に進み、周囲に文句を言える者はいなかった。
「ねぇ、視察したい温泉施設があるの。……千晴姉さん、和也、今から付き合ってくれない?」
前置きもなく放たれたその一言に、千晴は目を瞬かせた。
もっとも──朝一で送られてきたあのメッセージで、すでに予想はしていた。
『水着とお泊まりセット、持ってきてね♡』
何もないわけがない。
「行き先はね……江の島アイランドスパ! もう予約済み。露天風呂付きのスイートルームよ」
花音は楽しげに告げ、二人に向かって軽くウィンクを投げた。
「行きましょ。“今しかできないこと”って、あると思うわ」
それが──再会の始まりだった。
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江の島に到着した三人は、まず腹ごしらえに向かう。向かったのは観光定番の釜揚げしらす丼の店。
「ここ、来たかったんだ。鎌倉旅行の時は行きそびれたから」
和也がそう言うと、千晴も頷く。
「あの時は、朝ごはん食べ過ぎちゃったものね」
丼を前にして、花音の顔がぱっと華やぐ。
「……美味しいわね、これ。びっくりするぐらい」
その素直な一言に、千晴と和也も笑った。
空は高く、風はどこか秋の香りを運び、陽射しだけが夏の名残を引きずっていた。
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アイランドスパに到着し、チェックインの手続きを済ませたのは、ちょうど正午を過ぎた頃だった。
列車での移動時間が長かったとはいえ、道中で昼食まで済ませてきた三人にとっては、まだまだ長い一日が始まったばかりの時間だった。
部屋の利用は15時からとのことで、自然と「先にプールへ行こう」という流れになる。
「へぇ……趣とリゾート感のバランスが良いわね。想像以上」
花音は館内をゆっくりと見渡しながら、思わず感嘆の声を漏らした。
柔らかな空気の中にも、確かに洗練された非日常の匂いが漂っている。
「じゃ、和也。着替えたらプールの入口付近で合流ね。千晴姉さん、行きましょ」
そう言って、花音は千晴の手を軽く引きながら、女子更衣室へと向かっていった。
──数分後。
着替えを終えた三人が再び合流し、館内奥の温室ドームのような室内プールへと進んだ。
洞窟のような回廊を抜け、滝つぼを模した広間を越えると──視界が一気に開ける。
「……凄い……富士山……!」
思わず、花音が小さく息を呑んだ。
「……そっか。花音、富士山見るのって……」
「初めてよ。だって、私は東北の山奥育ち。こっちの景色なんて、東京以外は知らないのよ」
風の向こう、夏の終わりを告げるように薄く漂う雲の合間から、
雄大な富士が、くっきりとその姿を現していた。
「東京でも見えるところは意外とあるけどね……今日の天気は、相当ラッキーだわ。こんなに綺麗に見えるのって、珍しいから」
千晴が穏やかにそう言うと、花音はふと振り返り──ふわりと微笑む。
その笑顔には、“観光”という言葉には到底おさまらない、少女のような無垢な喜びが、確かに宿っていた。
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花音は、目をぱちぱちさせながら二人を眺めていた和也に向き直る。
「あら和也? さっきからずっと無言だけど……私たちの水着に見とれちゃった?」
──黒のビキニ。花音も、千晴も。
「……ああ、声も出ないくらい、エロいよ!」
和也は即答だった。
「ちょっと〜! そこは“可愛い”とか“綺麗”とか言うとこでしょ!?」
千晴がぷくっと頬を膨らませるが、和也の答えはブレなかった。
「二人揃って……”エロい、エロすぎ、エロまみれ”だ!」
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その瞬間、花音の空気が変わる。
口元には笑みを残しながらも、どこか艶めいた光を帯び始める。
千晴が、ごくりと喉を鳴らした。
──平日昼間のリゾート。しかも今は昼食時。
見通しの効かない室内プールには、彼ら三人のほかに誰の姿もなかった。
その静けさを“舞台”と見たのか、花音の動きが変わる。
肩に寄りかかり、腕を絡め、胸元の谷間に和也の腕を自然に導く──
「ちょ、ちょっと花音! 何してんのよ!」
千晴の声が跳ねた時、もう距離感という概念は霧散していた。
──どこ行った、さっきまでの知的美人。
「痴女なの!? 私の彼氏に何してんのよっ!」
そう叫んでしまった瞬間、ハッとする。
──違う。私と和也は、付き合ってなんかいない。
その冷たい事実が、胸の奥に小さく突き刺さった瞬間──
ふたりの姿が、ぱたりと見えなくなっていた。
「……は? え、ちょ、消えた? ドロンって……まさか……忍者!?
いや正真正銘、本物の忍者だったわ!!」
セルフツッコミが虚しく響く中、千晴は慌てて視線を泳がせた。
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洞窟風呂の奥、誰の視線もない静寂の空間。
「……ねえ和也」
濡れた髪をくるりと指に絡めながら、花音が囁く。
「もう、我慢できないの……」
唇が重なる。深く、息が詰まるほど激しくなった時
「……あんたたち、何やってるのよ!!!」
岩間に響き渡った怒号は、まさに雷鳴だった。
突如として現れた千晴が、花音を睨みつける。
「花音、ちょっと頭冷やしてきなさいっ!」
──次の瞬間、花音は女湯送り。
そして和也は、プールサイドの縁に正座させられていた。
千晴の説教は、本当に冷水シャワーで頭を冷やした花音が戻ってくるまで、きっちりと続いたのだった──。
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こんな人気のない場所で、水着姿の花音と和也を二人きりにしておくなんて──
いつまた、あの“スイッチ”が入ってしまうとも限らない。
かと言って、外のプールは日差しが強すぎる。
肌が焼けるほどの陽光は、今日の二人には少々刺激が過ぎる。
「部屋に入れるのは、まだちょっと先ね。……それまで、内風呂や休憩ルームでゆっくりしましょ。
十五時になったら、客室フロアに繋がるエレベーターの前に来て」
そう告げて、千晴は和也と別れた。
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女湯に移動し、水着を脱いで湯船へと身を沈める。
全面ガラス張りの大浴場からは、富士山と相模湾が一望できた。
「……山奥のうちじゃ、こうはいかないわね」
視察らしいコメントを必死に繕おうとする花音が、どこかいじらしくて可愛らしかった。
「ふふ、無理しなくていいのに。……私と和也に会いたかったんでしょ?」
「……うん。会いたかったの、すごく」
少しだけ赤くなって、しおらしく頷く花音の姿は──
先ほどの痴女モードからはかけ離れた、愛らしさすら感じさせるものだった。
知的美人 → 痴女 → 可憐な少女。
この落差。このギャップ。
──少し先の未来。
彼女にとって最も大切になる“あの人”も、きっとこのギャップに射抜かれる。
そして花音がこのキャラを続けたことは、大正解になる。
……でも、それはまだ少し先の話だ。
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湯気の中で、ぽつりと花音が言った。
「私ね、あの日から……スイッチが入ると、止まらなくなっちゃうの」
──それは、和也を救った代償。
封印していた房中術の解放、その副作用。
あの日、千晴は止めなかった。
止めなかったのは、花音に“愛のある初めて”を存分に経験させたかったから。
……それに、千晴自身も──楽しんでしまったから。
ダブル南との時も、同じだった。
千晴は、その時間を、心のどこかで受け入れていた。
もしもあの夜が、花音のスイッチを壊してしまった原因だとしたら──
千晴にも、責任の一端はある。
だったらせめて、今夜は。
部屋に入ったら、和也としっかり時間を作らせてあげよう。
キャラがどう変わろうと、花音の幸せを祈ってしまうのは……たぶん、姉のような視点で見てしまっているからだ。
和也の気持ち?
──いや、巨乳好き(梨子談)の和也だ。拒否する理由なんて、たぶんない。
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ちなみに──
あの由美が言っていた「“ああ”なった」は、まだ未確認である。
……本音を言えば、聞きたい。非常に気になる。
でも、こんな場所で掘り下げたら危険だ。
その判断だけは、冷静だった。
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湯から上がり、休憩ルームに移動すると──
そこには、リクライニングチェアで気持ちよさそうに眠っている和也の姿があった。
隣の椅子が空いていた。
……瞬間、花音がそっとそこに座る。
椅子の間隔は、恋人向けかと思うほどにぴたりと寄り添っている。
花音は、そっと和也の手に、自分の手を重ねる。
すると、和也は眠ったまま、無意識のまま──ぎゅっと、握り返してきた。
(あれは誰の手だと思っているの……? 私、花音? それとも……南?)
嫉妬の炎が、ちらりと胸の奥で燻る。
……でも、ふと思い返す。
今、自分は和也の部屋に入り浸っている。
和也が四年前、「そのために」借りた部屋に。
去年、南から花音に届いた写真──
あれは、あの部屋だった。
自分がその部屋に入り浸っていることを南が知ったら……彼女も嫉妬するだろうか?
だとしたら。
今の自分に、誰かが和也の手を握って嫉妬する資格なんて、あるのだろうか。
思考が、ぐるぐると回る。
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千晴は、近くのチェアに腰を下ろした。
そして、和也の隣で安らかな寝息を立てる花音の表情を眺めながら──
約束の時間まで、まんじりともせずにその場所で過ごした。
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客室に入ると、
「わぁ〜……」と歓声が上がった。
壁一面がガラス張りで、相模湾を一望できる。
その外には、こぢんまりとした露天風呂までついていた。
ベッドはセミダブルが二つ並んでいて、三人目はソファーベッドとのことだったけれど──
「……使うまでもないか」
そう思ったのも束の間、千晴は考えを改めた。
(あの二人、きっと朝までやってる。……私はソファーベッドで寝よう)
小さくため息をついたが、それは微笑にも近かった。
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「ねぇ、露天風呂入りましょ」
花音が和也を誘う。
「いや、まだ明るすぎないか?」
確かに、ここは5階。周囲の建物よりも高い位置にあって、覗かれる心配はない。
けれど、その開放感がかえって和也をためらわせていた。
「じゃあ、水着を着ればいいわ」
「……まあ、それなら」
和也は渋々了承したが、千晴は断った。
「日に焼けちゃいそうだもの。私は日が暮れてからにするわ」
もちろん、それは建前だった。
無理やり仕事を作ってまで和也に会いに来た花音。
そんな彼女の時間を、せめて今だけは独り占めさせてあげたかった。
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バスルームで、あの黒のビキニに着替える花音。
続いて和也も着替え、手をつなぎながら露天風呂へ。
千晴はベッドに横たわり、その様子を静かに見つめていた。
⸻
──それから、1時間後。
(……いくらなんでも、長すぎじゃない?)
そう思った千晴が露天風呂の様子を覗きに行くと──
二人は激しく絡み合っていた。
「ちょっとあなたたち!! いくらなんでも長すぎるでしょ、この色ボケ忍者がっ!!」
思わずツッコミを入れる千晴。
すると──
「ツッコむんじゃなくて、突っ込んでほしいの♡」
……あまりにも下品すぎる返しに、千晴は呆れ果てた。
── だがこのセリフは少し先の未来。
彼女にとって最も大切になる“あの人”の前で頻発されることになる。
呆れられながらも、確実に愛されていくのだから、不思議なものだ。
⸻
部屋に戻り、ようやく落ち着きを取り戻したふたりに、千晴は呆れ気味に言う。
「……いくら外から見えないからって、やりすぎよ」
すると花音は、唇に指を当てながら、可愛らしく首をかしげて言った。
「あれ? でもこの前、千晴姉さんが
”ペンションに泊まった時、隣に音が漏れそうだったのに”って自慢してたわよね?」
「ちっ、千晴!?
そんなことまで自慢してたのか……!?」
和也が、全力で引いている。
──結論。色ボケは、千晴も一緒だったらしい。
⸻
『やっぱり……千晴のせいだったのね、花音が“ああ”なったのは』
そんな由美の言葉がずっと引っかかっていた千晴は、ついに本人に問い詰めた。
「ねぇ、“ああ”ってどういう意味? はっきり聞かせてもらうわ」
「うーん、説明するにはね──“高倉南”の話をしなきゃいけないのよ」
花音が口を開いた瞬間、和也は何かを察して静かにトイレへ消えていった。
──空気を読める男だった
⸻
「高倉南は、ただの“色ボケ女”よ」
「えっ?」
千晴は意外そうな顔をする。
「色恋のことしか頭にないの。志も、野心も、なーんにもない。ただ愛したい、繋がりたい。それだけ」
「恋愛以外の行動を起こさないなら、それは“術”じゃなくて“色仕掛け”。しかも自覚も志もない。容姿がいいだけの女が男を惑わしてるだけ。──本当に、色ボケって嫌よね」
その言葉に、千晴は耐えきれず叫んだ。
「お前が言うな!! この色ボケ忍者がっ!!」
「え?」
どうやら本人に自覚はないらしい。
「さっき言ってたでしょ?『スイッチが入ると止まらなくなっちゃうの』って。あの時の花音、どう見ても“色ボケ忍者”だったわよ?」
千晴は完全に呆れ顔。今、戻ってきた和也も「……何の話?」と困惑している。
⸻
「で、話は戻るけど──それが由美の発言とどう関係あるの?」
「うん、実はね……いくら無害でも、高倉南みたいなのが里に出入りするのは困るなって思って。だから、由美に“もう会うな”って命令したの」
「まあ、それは仕方ない……かな」
「でもね、由美は“ダブル南”との妖しい関係、意外と気に入ってたみたいなのよ」
──千晴は心の中で冷や汗をかいていた。
(それって、私が和也を“奪い返した”ことで、由美の密かな楽しみを壊したってこと……?)
「だからね、かわいそうだから──私が代わりに“して”あげたの」
「ぶふぅっっ!!」
和也が飲んでたミネラルウォーターを、豪快に吹いた。律儀すぎる“お約束の男”である。
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「それだけじゃなかったのよね?」
「うん。口止めし忘れちゃって……仲居寮でウワサが広まっちゃって」
「希望者、殺到しちゃった♡ てへ」
「てへ、じゃないでしょうが!!」
「大丈夫大丈夫。望まない子は絶対に巻き込まないし、そういうのに耐性ない子には気をつけたわよ?」
「……それ、そういう問題じゃないから」
「でもね、私、そういう“見極め”は得意なのよ」
花音はその見極め方を説明し始めた。
「誰がそんな情報求めたっ!!
って言うか、知っても何の役にもたたないから!」
千晴のツッコミも、もはや手遅れだった。
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そんな話をしている内に時は過ぎ
「……日も落ちてきたし、野外プール行きましょうか」
館内着に着替えながら、花音が明るく提案する。
⸻
再び黒ビキニ姿の二人が、和也の両腕にぴったりと密着してプールサイドに現れると、場の空気が変わった。
注がれる視線は好奇心と羨望と、そしてわずかな敵意。
舌打ちを隠さない者すらいたが──
花音が冷ややかな眼差しで睨みつけると、不思議なほど静かに引いていった。
「ふふ、下手な術より効くでしょ?」
「いや、それ忍術じゃなくて……女の圧ってやつよ」
⸻
空は朱に染まり、江ノ島の海へと夕陽が沈んでいく。
初めて見る光景に、山育ちの花音は目を丸くしていた。
「すごい……こんな世界があるなんて……」
その余韻を壊したくなかったのだろう。三人はプールに入らず、静かに立ち去った。
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夕食を済ませ、部屋に戻ると──
少し休んでから、今度は千晴と和也が露天風呂へ。
「なんで私の真似するのよ」
「あなたはもう十分楽しんだでしょ、今度は私の番よ」
水着姿のまま、静かな夜風のなか、二人は密やかに時間を楽しんだ。
花音ほど長くはなかったが、それでも十分に──熱かった。
⸻
その後の夜はさすがに三人も大人しく過ごし
翌朝、チェックアウトを済ませた三人は駅に向かって歩き出す。
すでに江ノ島の景色も、少しだけ夏の終わりの気配を帯びていた。
「……また来てもいい?」
花音がぽつりと呟く。
千晴は一瞬、何かを考えるように空を見上げて──
それから笑った。
「当たり前でしょ」
それは、恋とも友情とも違う──
だけど確かに、かけがえのない時間だった。
⸻
週末、千晴と和也は八景島シーパラダイスを訪れていた。
これは和也の希望だった──沖縄での一件を経て、彼が“千晴との関係を再構築したい”と願って選んだ場所だった。
だが、到着して千晴はため息を付いた
「……なんで、こうなったかな?」
千晴と和也の隣には美由と由美がいた
宣言どおり東京に来たのだ
彼女達の定番、前泊してまで
朝一呼び出された千晴が今日は和也と八景島シーパラダイスに行くと伝えると
二人はそのまま付いてきてしまったのだ
「まあまあ。せっかくだし、今日は一緒に楽しもうよ?」
由美はあっけらかんと笑い、美由はちらちらと和也を見ながら、どこかバツが悪そうにしていた。
(やな予感しかしない……)
千晴はため息をついた。──呆れと、ほんの少しの嬉しさと。
⸻
だが、水族館に入ってしまえば、雰囲気は一変した。
白くまがガラス越しに突進してきたときは、思わず4人とも悲鳴を上げて逃げた。
ペンギンの群れには歓声が上がり、イワシの大群には全員が息をのんだ。
──自然と笑顔がこぼれる。
千晴も、少しずつ肩の力を抜いていった。
「……ああ、やっぱり水族館っていい」
⸻
問題は、その後だった。
イルカショーの会場で、4人は並んで座ったが──
千晴の右隣、和也と美由の距離が近い。
肩と肩が触れ合う、というよりも……もはや寄りかかっている。
(……あの距離感。絶対に“男女の関係”)
千晴は冷静に見えるよう努めたが、内心では心拍数が跳ね上がっていた。
疑念と、嫉妬と、そして──言い知れぬ劣等感。
(和也は、南と付き合ってるってことになってる。大学では、私は“裏の女”)
それでも、今ここにいるのは自分だ。和也の隣にいるのは──私なのだ。
⸻
「ねえ和也さん、あれ乗りましょうよ」
美由が指差したのは、垂直落下型の絶叫アトラクションだった。
和也はちょっと困ったように笑う。「……あれ苦手なんだよなあ」
「ええー、手をつないであげる、それなら大丈夫でしょ♡」
その瞬間、千晴の堪忍袋の緒が切れた。
「ちょっと、美由! 私の和也にちょっかい出さないでくれる?」
きつめの声に、美由は目を細める。
「……“南ちゃんの”じゃないの? まあいいわ、夜にゆっくり話しましょ」
そう言って、当然のように和也の腕を取って歩き出した。
「……っ!」
(こいつ、絶対に確信犯だ……)
⸻
「まあまあ、落ち着いて。美由だっていろいろ思うところがあるのよ」
由美がささやきながら千晴の腕を引く。
「それで、今晩じっくり話を聞かせて欲しいのは、私も一緒かな」
その言葉に、千晴は肩を落とした。
⸻
ドーム型のイルカ水槽──水中トンネルの中に入ると、全員が黙り込んだ。
青い光に包まれて、イルカが優雅に泳ぐ姿は、どこか神聖で、言葉をなくす。
和也が隣にいた。自然と千晴は彼に寄り添うように肩を寄せ、そっと手を握った。
一瞬、和也が驚いたように目を見開いたが、すぐに優しく握り返してくれた。
(……ああ、やっぱり、私はこの人が好きだ)
⸻
「ねえねえ、やっぱりあの二人って付き合ってるんじゃないの?」
出口近くで、美由が由美に耳打ちする。
「うーん、それは“夜のミッション”で確認でしょ。いまは楽しもうよ」
由美はウィンクして、先に進んでいった。
⸻
夜になり、横浜駅近くの高級ホテルにチェックイン。
4人で泊まれるスイートルームを取ったのは、美由と由美だった。
Webサイトのロイヤリティで潤っている2人にとって、急な東京旅行も、スイート宿泊も“たしなみ”レベルの出費だった。
「ねえ千晴、ちゃんと話してね?」
部屋の鍵を受け取った美由が、意味深に笑った。
千晴は、内心でつぶやいた。
(……うん、逃げない。ちゃんと話そう。全部)
⸻
「まずは私ね、花音に“高倉南にはもう会うな”って言われたの。……一体、何があったの?」
千晴は、言葉を選びながらも、草の末裔としての花音という存在を除いて、これまでの出来事をすべて説明した。
和也の中途半端な関係性──
南との付き合い、未練、そして千晴との“再接近”。
その裏で動いていた花音と南たちの静かな“戦い”。
話が終わると、静寂が部屋を満たした。
「はぁ……普通なら信じられないような話だけど……花音なら、あり得そうね」
美由が笑う。どこかあきらめと納得を滲ませて。
「でもさ、それって──結局、私たちが高倉南と会えなくなったのは、千晴が和也を“取り戻した”からってことじゃない?」
由美に核心を突かれ、千晴は視線を落とした。気まずそうに、けれど否定できずに頷く。
その空気を、和也が破る。
「……俺が悪い。全部、俺のせいなんだ。
南とちゃんと向き合うって決めたのに、千晴のこと……忘れられなかった。
だから、彼女たちは強引な手を使った。それだけのことなんだよ」
一呼吸置いて──彼は、はっきりと言った。
「俺は、千晴を愛してる。……今は、南を愛せない。
千晴と付き合いたいわけじゃない。
ただ、そばにいたいんだ。
千晴が、もし──俺以外の誰かを本当に愛せたときは……そのとき、俺は南を受け入れるよ」
その言葉に、美由が小さく呟いた。
「……かっこよすぎ」
目には、ほんのりとハートマークが浮かんで見える気がした。
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「なるほどね、私は別にいいわよ?」
由美が肩をすくめて言う。
「おかげで仲居寮で“若女将の会”なんて立ち上げられたし。
……まあ、あれは癖になっちゃいそうで、危ないんだけれどもさ」
「う……」
千晴はあの夜、花音が語った**“霞の宿・夜の裏話”**を思い出し、思わず赤面した。
だが──問題は、美由だった。
「でも、私は……納得いかない!」
美由が叫ぶように声を上げる。
「私、高倉南と**和也さんと達也さんと一緒にするのが好きだったの!!」
「えっ、達也って……」千晴が言いかけると、美由は口を噤む。
かわりに、和也が静かに説明する。
「ああ……高倉南の彼氏、“あの達也さん”のことだよ。……俺も、何度か混ざった」
「な、何度か……!?」
千晴は目を見開いた。怒り、嫉妬、驚き……そして少しの呆れ。
(……なんで、この人たちは、こんなに“自由”なんだろう)
けれど、それでも──今の自分は、和也の“彼女”ではない。
そう、自分に言い聞かせるように、千晴は目を伏せた。
「だから、千晴……責任取ってくれる?」
美由の一言が、決定打だった。
千晴の“嫌われたくない”性分が、その場で発動する。
和也を独占したいという想いと、ここで断ったら美由に嫌われるかもしれないという不安。
せめぎ合う心の中で、千晴は──後者を選んでしまった。
「……いいわよ。みんなでしましょ
そのために、わざわざスイートルーム取ったんでしょ?」
「マジで?」
「本当に?嬉しい!」
「……俺の意思って、確認すらされないんだね」
和也の小さな呟きは、3人の女たちに見事にスルーされる。
こうして──妖しくも甘美な夜が、幕を開けた。
⸻
翌朝。
スイートルームの朝日が差し込む中、お肌つるつるの3人娘と──
完全に出がらしになった和也がいた。
「ねぇ千晴、また来てもいい?」
美由の無邪気な問いに、千晴は苦笑いしながら答える。
「……たまにならね」
そして、ベッドに沈み込むように倒れ込んだ和也が一言。
「毎回こんななら……俺、体もたないよ……」
けれど、それでも──こんな美少女たちに囲まれての夜を、
本気で“嫌”だと思ってるわけではなかった。
今回のエピソードで改めて浮き彫りになったのは、和也という男の“体質”でした。
自分から奪いにいくわけでもない。
強引に主張するわけでもない。
けれど、気づけば周囲の女性たちが彼の周りに集まっている。
拒絶せず、見捨てず、否定もしない。
その「受け止め方」が、結果としてハーレム構造を生み出してしまう。
本人は振り回されているつもりでも、
実際には、その中心に立っている。
優しさは、ときに罪深い。
そんな和也が、この先どんな選択を重ねていくのか。
引き続き見守っていただければ嬉しいです。
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次回、
舞台は高校二年の秋。
ぎこちなくなった三人の距離。
それでも、笑い合えた日々は確かにあった。
ダブルデート。
水族館。
回転寿司。
そして夕焼けの展望台。
少しずつ、少しずつ。
こじれた糸をほどいていく時間。
恋はまだ不器用で、
想いはまだ真っ直ぐで、
未来なんて誰も知らない。
けれど確かに――
それは、まぶしい青春だった。




