表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三人のヒロインとシェアハウスすることになった僕は、全員を本気で愛して呪われてしまった。 ――告白は観覧車のてっぺんで  作者: iron-bow


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

25/62

【第05話-01】四人の少女-寄り添うという選択

仙台駅、牛タンストリート。


ただの旅行のはずだった。

笑って、食べて、騒いで――それだけの時間のはずだった。


けれど、気づけば彼女たちは“見られる側”になっていた。


里の名は広まり、

役割は少しずつ変わっていく。


慰安旅行。

視察。

その言葉の裏にあるものを、まだ誰も本気では考えていない。


――この旅は、ただの思い出では終わらない。


ここから、霞の宿の次の章が動き出す。


ある9月の夕刻、仙台駅の牛タンストリートにて

美女・美少女の四人組は入店の列に並んでいた


「……このままだと、飛行機の時間ギリギリかもね」

ふと由美が呟くと


先に並んでいた男性グループが声をかけてきた

「あっ、あの、俺たち急がないので先にどうぞ……なっ、みんな?」

「「「はいっ、よろこんで!!」」」


「ありがとうございます〜!」

美由がお礼をいう


すると別の男性が恐る恐る、

「あの……芸能人の方ですか? モデルさんとか……」

「旅館で仲居やってます」

由美が名刺を手渡すと

「えっ、これ……有名な……Webサイト!!

すみません、気づかずに……。俺、会員なんです! 会員番号、二桁以内です!

会員特典の壁紙、ずっとスマホで使ってます!」

男性は一息に語った

「握手いいですか?」

「どうぞどうぞ〜!」

美由が握手に応えると

「今日、もう手洗いません!」


そんなやりとりを、花音は少し離れた場所から見ていた。

笑顔は浮かべていたが、輪の中心に入ろうとはしなかった。


千晴は、その様子を横目で見ながら、

ふと、自分が引率の教師の立場にいることを自覚した。

いなければ困るが、輪の中心にいる必要はない存在。


他の男性陣も先に譲りだし

四人は食事を終えて、空港へと向かっていった。


【Scene01:霞の里のアイドル、視察へ行く】


── 中田 美由──


私の名前は、中田 美由。

相棒の田中 由美と一緒に、「霞の里のアイドル」やってまーす!


……って、本当は仲居なんだけどね。

でも最近、逆に本当にアイドルみたいになりかけてる。


きっかけは──花音が発表した

霞の里に秘蔵されてた“源氏物語”。

詳しいことはよく分かんないけど、世界一古いらしい。チョーすごい。


それから1年前、本館が“登録有形文化財”に指定されたのも大きかったかも。

とにかく、注目が一気に集まった。


「The world’s oldest manuscript of The Tale of Genji — hidden deep in the Misty Village.」


……って、花音が英語で発表しちゃったもんだから、

本来は内輪だけの呼び名だった“霞の里”が、世界的に広まって──

今じゃもう、公式名称みたいになっちゃった。


ふふん、私だって英語くらいできるんだから!

今どき旅館スタッフは英語必須なのよ。


私と由美は、高校入学とほぼ同時に仲居になるって決めてたから、英語も人一倍頑張った。

一流大学も狙える成績だったんだからね!(ホントだよ)


……あ、話それた。


もともとこういう取材対応は、女将の仕事なんだけど──

葉月さんは出産したばかりで、1年は女将業を控えさせる方針だったの。

それはもう、里全体の総意。無理はさせられない。


そうそう、花音の弟──文晴くん!

今ちょうど1歳で、もうほんとに天使!

ぴょこぴょこ動くし、よく笑うし……ギュッてしたくなる可愛さ!


“登録有形文化財”の申請も、庄蔵お爺ちゃんが

「この子の誕生に間に合わせる!」って言って、葉月さんの妊娠が判明した直後から動き始めたんだよね。

お爺ちゃんにとって、あの子はもう3人目の孫みたいなもので。


ちなみに、他のふたりは──私と由美ね。

花音は後継者で姫だから、「孫とはちょっと違う」んだって。笑


……また話が逸れた。


で、そんな訳で、取材の相手をするのは、私たちと花音

そうそう、花音も6月に東京から戻ってきて、今は仲居として働いてるの。

言ってみれば、私たちの“後輩”よ!


「あなたたちはWebページの広告塔でもあるし、なにより華があるし──取材もお願いね」

って、仲居頭におだてられて……今や海外メディア対応までバッチリこなしてます!


先週はフランス、今日はイギリス。

通訳なしで受け答えしたら、めっちゃ気に入られて──

「君たちを番組のメインにしたい!」とか言い出して……いや、マジ困る!


そういえばこの前は、NHKの取材も受けたの。

“老舗旅館・仲居の一日”ってやつ。花音・由美・私の“仲居三人娘”でね。


でも問題があって……

プライベートの私服姿も撮ることになったんだけど──

花音、色気がすごすぎて「これは違う取材になる」とか言われて外されちゃった。


だから結局、番組は由美と私の二人で受けることに。

……なんであれ、うちらも忙しすぎない?



── 田中 由美──


うん、確かに最近、忙しすぎる。


Webページの会員数はうなぎ登り。

その流れで、花音もWebページに入れようかって案も出たんだけど……


ダメだった。


花音って、ちゃんとさらし巻いて、体のラインが出ないようにしてるのに、

それでも、写真に写るとどこかエロい。


おまけページにあるアイドル衣装。

私と美由が着た分は大好評だったけど──

花音にも着せたら……

あれは犯罪級でした。だから即ボツ。


……まぁ、話はそれるとして。


前まで平日は空室が多かった別館も、今じゃ平日でも予約困難。

さすがに本館は値段も高いから余裕あるけど……


この前なんて、某国の王族が“お忍び”で泊まっていったのよ?

どこの国かは言えないけど──なんと王子様、私のファンだったらしくて!


お迎えの挨拶、特別に前に出されたの!


私、美由、花音って並んでたのに──

王子様、ずーっと私のこと見てた!

花音に……勝っちゃったかも♡


「……誰が、誰に勝ったって?」


……って、口に出してたらしい。

冬美さんレベルの気配の無さで、花音、登場。



── 一ノ瀬 花音 ──


……今、何か失礼なことを考えていたようね、由美?


「そんなこと言ってると、旅行に連れてってあげないわよ」


「「えっ、なになに!?」」


まったく、相変わらず息ぴったりね。


「これから葉月お母さんが、女将業に本格復帰するでしょ。

これからは取材は基本女将が対応してくれるから

今まで取材や広報で頑張ってくれたあなたたちへの“慰安旅行”を計画してるの」


「立案者は──千晴姉さんよ」


「「やったーっ!!」」

「花音様観音様っ!」

「かのん様だけに、かんのん様っ!」


「……それ、千晴姉さんも昔やってたわよ」


「名目は、温泉旅館視察。

行き先は──北海道。四泊五日よ」


「それなら、それなら──」

美由が一気にスイッチオン。


「その前日、朝番にしてもらって15時に上がれば……

夜には札幌に着ける! 翌朝から観光フル稼働できますっ!」


「私、北海道初めて!」

由美のテンションも最高潮。


「実は……私も初めてなの」


「「「──た・の・し・み!」」」


三人の声が、ぴったり揃った。


【Scene02:明日から、視察旅行!】


── 中田 美由 ──


スマホの時計をちらりと見る。

「14時57分」──もうすぐ、私たちの“旅”が始まる。


今日は旅行の前日。

シフトは早朝6時からの“朝番”にしてもらって、今やっと引き継ぎが終わったところ。

仕事終わったら速攻で寮に戻って着替えて、いざ出発!


今回の旅行は、なんと“視察扱い”!

つまり──給料が出る!!


チョーVIP待遇!!


「……まあ、それだけ里が、あなたたちの働きを評価してるってことよ」


不意に背後から声がしてビクッと振り返ると、そこには──

気配ゼロの“くノ一”花音、登場。


「びっくりしたぁ! 出たな“くノ一”花音。一ノ瀬ってもうちょっとで“くノ一”のアナグラムだったのに、残念美人!」


「そんなこと言ってると、旅行に連れてってあげないわよ?」


……それ、先週も言ってたよね?


──さて、今日は別館の朝番だった由美と花音も、ちょうど上がってきたみたい。

じゃ、寮に戻って着替えたら──また寮前集合!


今回は視察扱いだから、なんと郡山駅まで送迎付き!


郡山駅から新幹線に乗って仙台駅へ。

仙台駅では、今回の旅の“仕掛け人”──千晴と合流!


「来た来た。ここで夕食済ませましょ」


千晴は月2回ペースで里に来てるから、久々感ゼロ。

でも再会はやっぱりちょっと嬉しい。


「せっかく仙台なんだから、牛タン食べよ!」


「そうね、駅ビルに“牛タン通り”って専門フロアがあるみたい」


しっかり事前調査済みの千晴、チョー有能!


「ここにしましょ」


彼女が選んだのは、有名チェーンで──郡山にもあるとは言わない。

“仙台で牛タン”という事実が大事なの!


けど、どの店も激混み。

この店は私たちで4組目の待ち。待合の椅子も全員分は足りない。


「……このままだと、飛行機の時間ギリギリかもね」


由美がぽつりと呟いたそのとき──

ちらちらこちらを見ていた前の男性グループのひとりが立ち上がってきた。


「あっ、あの、俺たち急がないので先にどうぞ……なっ、みんな?」


「「「はいっ、よろこんで!!」」」


え、居酒屋の店員さんか何かですか!?


「ありがとうございます〜!」


すると別の男性が恐る恐る、


「あの……芸能人の方ですか? モデルさんとか……」


「旅館で仲居やってます」


由美が名刺も渡す。

うん、営業熱心!


「えっ、これ……有名な……」


霞の宿、チョー有名だもんね


「Webサイト!!」


……そっちかー!


「すみません、気づかずに……。俺、会員なんです! 会員番号、二桁以内です!」


おぉぉ、私たちのファンだった!!


「会員特典の壁紙、ずっとスマホで使ってます!」


「握手いいですか?」


「どうぞどうぞ〜!」

握手してあげる


「今日、もう手洗いません!」


……あのセリフ、本当に言う人いるんだ。


なんだかんだで、他の男性陣も先に譲ってくれて、私たちはあっという間に入店。

旅行はまだ始まったばかりなのに、既にテンションMAX!



── 一ノ瀬 花音 ──


牛タンを食べ始めた頃、美由が声を潜めて言った。


「ねえ千晴、新館って、いつ頃できるの? 今回の視察旅行って、そのためでしょ?」


えっ、新館? そんな話、初耳なんだけど。


美由は続ける。


「造成地の“駐車場整備”、あれ絶対ウソでしょ?」


……確かに広すぎるとは思ってたけど……


由美も小声で続ける。


「仲居、去年は40人だったのに、今は55人でしょ?

ふもとの賃貸マンションを一棟借りして、“研修生受け入れ用”って言ってるけど、あれ、絶対“新館用の仲居寮”だよね?」


え、そんなことになってるの!?

私、ほんと何も知らない……


千晴姉さんが静かに告げる。


「……再来年の年末年始に正式稼働を目指してるわ。仲居は最大75人体制。うまくいけば、専用の寮も建てるつもり」


ええっ!? いつの間に!?


「でも、私が関われるのは“計画”まで。

これから“実行”していくのは──花音、あなたの役目よ」


「……え、なにそれ? 初耳なんだけど……?」


千晴姉さんの目が、冷たい。


「マジで言ってる?

あなたが帰国したとき、私こう言ったわよね?

“もちろん、それも含めての課題だったから。経済学部の教授への受けも、すごく良かったのよ”って」


……うん、確かに言ってた。


「それともうひとつ。

“単体でも黒字にできたのに、今は宣伝費として割り切ってるわ。経費って便利よね”って」


……つまり、私が“経営の全体像”に気づくよう、ずっと仕込まれてた?


千晴姉さん、さらに冷たく言い放つ。


「……Webページ開設したくらいで、経済学部の教授の受けがいいなんて思ってたの?」


「うーん、たしかに。

千晴姉さんが2週に1回、定期で里に来てたの、“頻繁すぎる”とは思ってたけど……」


「花音ってさ、学問以外は、けっこうポンコツなところあるのね」


美由 & 由美

「「残念美人」」


やっ、やめて……

私の“才女”イメージが……!


「そんなもの、とっくに無いわ」


……千晴姉さん、やっぱコワい。



【Scene03:Intermission(分析)】


── 高橋 千晴 ──


仙台空港を発ち、千歳空港へと向かう機内。

座席に身を沈めながら、私はこの数年の出来事を静かに整理していた。



事の始まりは、三年前の初夏に花音と出会ったあの日──。

霞の宿の話を聞き、入学間もない経済学部生だった私は、こんな幼稚な分析をしていた。


▼ 経営分析(by 千晴)


■本館

・築111年/5室構成(4部屋+特別室)

・1泊 20〜30万円

・年間100泊ほどの稼働


■別館

・築50年/12室構成

・1泊 15万〜20万円

・平日は空きもあるが、週末は常に満室


■新館

・築3年/20室構成

・1泊 3万円前後

・半年前の予約開始で平日も含め即満室



売上規模としても申し分ない。

格式を維持するため原価は高そうだけれど、しっかり利益も出ている。


なんだったら──

「築50年の別館の改装計画を提案してもいいかも」なんて、軽々しく考えていた。


『ちーん。姉の面目、維持できませんでした。』


……そう結んだ、あの日の分析。

でも、それがすべての始まりだった。



翌年の今から二年前の4月。

花音がアメリカ留学中のある日、私は思いもよらぬ再会を果たす。


「お久しぶりです、“爺や”。」


東京まで訪ねてきたのは、霞の宿の支配人──林庄蔵さん。

なぜ“林さん”ではなく“爺や”と呼んだのか。自分でもわからなかったけれど、その呼び名が一番しっくりきた。


「お久しぶりです千晴様、ますますお美しくなって」


今回の彼は、さすがに手を握ってこない。

だから私も、あの日のセリフをそのまま返してやった。


「『この爺や、眼福でございまする』──ですよね?」


すると、目を細めて笑う。


「流石でございます、千晴様。わたくしのことを“爺や”と呼ばれたのも、計算のうちですね」


……これで状況が掴めてきた。


「庄蔵さんは支配人を引退されたのでは?

そして今は“爺や”として、里の未来を憂いている……違いますか?」


「全くもって感服です。やはり私の目に狂いはなかった」


「いえ、たまたまですよ」


その瞬間、庄蔵さんの目が鋭くなる。


「たまたまで、ここまで状況を正確に読み切ったりできませんよ」


そして、ふと優しい目つきになった。


「──あの時の私の言葉を、覚えておられますか?」


「はい。昨日のことのように、覚えています」


あの夜、霞の宿でそっと囁かれた言葉。


『貴女のその力は、人を幸せにできる。もっと……磨きなさい』


「それは、人の心を掴む力だけではありません」

「その場の空気を読み、即座に自分に求められる役割を把握し、ためらいなく実行できる──」

「……その“覚悟”と“行動力”こそが、人を動かし、幸せにできるのです」


「私は……ただ、誰にも嫌われたくないだけなんです。みんなに好かれたいから、そうしているだけ」


「それでもです。貴女には──人を正しく導く力がある」


……そんな大層なものじゃない。

でも──心の奥にある何かが、確かに震えた。


「そんなあなたの力を、私に……いえ、“里”に貸していただきたいのです」


私の脳裏に浮かんだのは、

あの、霞の宿で迎えられたときの──人の温もりに満ちた出迎えだった。


「……分かりました。こんな私でよければ、微力ながら力になります」


「ありがとうございます。──さっそくですが、今の霞の宿について、どうお考えでしょうか?」


「別館のこと、ですね」


「今の霞の宿は、利益の多くを別館に依存しています。

新館はフル稼働で、これ以上の伸びしろはありません。

ですが、築50年の別館に何かトラブルが起きれば……12室という小さなパイがさらに減り、経営が一気に傾く恐れがあります」


「……やはり、見通しておられた」


「いえ、素人でも思いつくような話です」


「いいえ、普通は“好調な今”にばかり目がいってしまうものです。危機を察する力こそが、経営の才というものでしょう」


それは──少し、嬉しかった。


「私は、新別館建設の計画を立ち上げ、それに注力するために支配人を直人くんに引き継ぎ、引退いたしました」


直人くん。葉月さんの夫、花音の父。庄蔵さんにとっては「娘婿のような存在」だ。


「用地は、かつて里で稲作をしていた休耕地。

土地利用転用の許可を取得しなければいけませんが」


「資金は銀行から融資を受ける予定です。設計さえ整えば、すぐにでも動き始められます」


「……“設計さえ”?」


「……いや、お恥ずかしい話ながら、設計事務所の選定がまだでしてな。つい、後回しに……」


そのとき、私はふと思い出した。

大学のフィールドワークで耳にした、“空間の魔術師”の異名を持つ設計士の話を。


「実は、“空間の魔術師”と呼ばれる設計士の事務所を存じ上げています──」


そう語る私の言葉に、庄蔵さんの目が深まる。


「実際に、彼が設計したシェアハウスを拝見する機会がありましたが、

面積以上に広く感じました。

設計事務所のご紹介、私からさせていただきましょうか?」


「……どこが“微力ながら”ですか。さっそく、里の未来を動かしている」


「いえ、たまたまですよ」


「だからこそ先程も申し上げたのです。“たまたまで、ここまで状況は動きません”──それが、貴女の力なのです」



その後、私は庄蔵さんと週に一度、打ち合わせを重ねるようになった。

だが、経済学部で1年学んだだけの私には限界もあった。


6月下旬。

行き詰まりを感じた私は、ある人物に助言を求めることにした。


──あの准教授。


『この計画には、死線を潜り抜けた者だけが持つ、ある種の“狂気”を感じる。』


そう語った、あの言葉が忘れられなかった。


名は大杉達也。経済学部の演習担当。私の指導教員である。


今回も、旅館の話として持ち込むことにした。

ただし、連れて行ったのは巨乳美人ではなく、庄蔵さんである。

しかし乗り気にならない心配はなかった。


なぜなら彼の目に、私への好意が宿っていることに、私は薄々気づいていたから。

けれど、それを否定するでも、肯定するでもなく──私はそれを“利用”した。

ずるい女だと思う。でも、そうするしかなかった。



私が人との距離を正確に測って生きてきたのは、嫌われたくなかったから。

好かれたいと願うあまり、つい一歩手前で立ち止まる。


だから、私は恋をしない。


「好き」はわかる。けれど、その先にある“踏み込む感覚”がわからないのだ。


それでも──一度だけ、恋人というものを経験した。

花音が旅立ち、心にぽっかりと空いた穴を、誰かで埋めようとしたのかもしれない。


学部は違うが、同じ大学の先輩に強引に口説かれた。

戸惑いながらも、その勢いに流された。


初体験も済ませたが──“こんなものか”としか思えなかった。

彼は、私の心が開かないと気づいたとき、静かに去っていった。


誠実な人だった。

最初の約束、「交際のことは誰にも言わない」を最後まで守ってくれた。


──それ以来、私は再び人との距離を取り戻していた。



「また、あの旅館の件ですか。……言ったはずですよ、私は“一般人”だと」


大杉准教授は、前と変わらぬ口調で言った。

私はあらかじめ、庄蔵さんに彼のこと──評価・性格・癖──すべて伝えてあった。


庄蔵さんの目が、一瞬鋭さを帯びる。


准教授は黙って、現在の霞の宿の経営状況を記録した書類を受け取り、数ページを無言でめくっていく。

そして数分後、静かに口を開いた。


「なるほど……“それを成し遂げた”ご本人というわけですか」


そう言って、軽く頷いた。


「この資料を見ていただきたいのです。未公開段階のものですが──ご意見をいただければと」


新別館を立ち上げる計画書の草案を渡すと、准教授の目つきがわずかに変わった。

数ページ読み進め、静かに息を吐く。


「……これは、なんとも着実な計画ですね。

前回が“跳躍”だったとすれば、今回は“構築”だ。

しかし──荒削りすぎる。前と同じ方の案とは思えません」


「お恥ずかしい話ですが、この計画の必要性に気付ける人材が、里にはおりませんで……」


“里”という言い回しに准教授がわずかに首をかしげたが、すぐに庄蔵さんの目をじっと見つめた。


「つまり私は、彼女を教育しながらこの計画を立ち上げる助力をすればいい──そういうことですね」


そして、今度は私の目をまっすぐに見て言った。


「ならばこれは、私の領分だ」


その眼差しには、静かだが確かな熱が宿っていた。


「学問としても、教育者としても──こういうテーマには、きちんと向き合わねばならない。

任せてください。私にできる限りの助言をいたします」


「ありがとうございます……」


「まず、方向性から決めていきましょう。

現在の経営状況では、これだけの融資を得るのは難しいかもしれません。

銀行としては、大きなリスクを負って新館を新築するよりも、現状の建屋を修繕・改装する案を優先するでしょう」


それは、庄蔵さんも私も、うすうす感じていたことだった。


「まずは、現在の別館の回転率を上げることに注力しましょうか。

他学部──たとえば商学部に助力を依頼する手もありますが……」


大杉准教授は庄蔵さんへと視線を移す。


「そちらは、この話をあまりオープンにしたくないようだ」


庄蔵さんは、ゆっくりと頷いた。


そして、大杉准教授は私に目を戻して言った。


「これは私の授業だ。責任をもって、指導しますよ」



やがて活動は大学から正式に承認され、私は“実地演習”として支援を受けるようになった。

庄蔵さんとの実務──役所対応・資金計画・法的手続き──を進めつつ、

小さな観点からの提案を一つずつ拾い上げて、地に足のついた計画を形にしていく。


准教授とのマンツーマン指導、それは私にとって思いのほか心地よい時間だった。


そして7月下旬。

ようやくアポイントの取れた氷室設計事務所との初めての面談に、私は同席する。


社長はまだ若く、口数も少なかったけれど──

その目に宿る情熱は、疑いようのない本物だった。


そのとき私は、まだ知らなかった。

この出会いが、花音の運命を大きく変えていくことになる──ということを。


北海道へ向かう機内。


眠る三人の仲居娘。

その隣で、ひとりだけ目を閉じない少女。


始まりは、二年前の八月。


空間の魔術師との出会い。

有形文化財登録への決断。

そして――新別館構想。


だが理想の裏で、稼働率は静かに落ち始めていた。


「なんとかしなければいけませんね」


その一言から動き出す、Web戦略。

アイドル仲居。

割引施策。

ロイヤリティ。


そして、クリスマスイブ。


計画と感情が交差した夜。

「愛してる」と言われても、返せなかった言葉。


宿の未来。

里の再建。

そして、千晴の心。


次回、

静かに回り始めた歯車は、もう止まらない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ