【第04話-11】宿がつなぐ、姉妹のような時間
今夜、霞の宿が本気を出す。
それは、特別な客のためではない。
未来を担う者たちのための、静かな覚悟。
もてなしは、言葉ではなく、手間と時間で示される。
その一皿、その所作、その沈黙の奥に、
この宿が積み重ねてきた誇りがある。
今宵──
霞の宿の「本気」を。
【Scene38:霞の宿、本気のおもてなし】
── 高橋 千晴 ──
「それでは、参りましょうか」
そう言って先に歩き出す冬美さんに、私たちは続く。
すると、美由と由美がそわそわし始めた。
「あの……私たち、こんなところに入ってもいいんでしょうか……?」
「場違いっていうか、なんか……」
「てっきり、別館の家族風呂かと……」
「プレオープンの時も、そこに泊まらせてもらったから……」
交互に言い合うふたり。歓迎セレモニーが別館だったから、そう思い込んでいたのかもしれない。
「大丈夫よ。壁がくるっと回って、くノ一が出てくるくらいだから」
「「へ?」」
ふたりしてぽかんとする。
「冬美さんのことよ」と、花音が“仲居頭”ではなく、名前で呼んで微笑んだ。
──今日は、お客さんなんだよ。そんなメッセージが伝わる。
「ああ……冬美さん、神出鬼没ですもんね」
少しだけ緊張が解けたのか、ふたりが笑う。
そういえば歓迎セレモニーのときも、全然別の場所にいたはずの冬美さんが、いつの間にかふたりの背後に立っていたっけ……
あれは、もう忍術に違いない。
「本館、入るのは初めて?」と私が聞くと、
「はい、採用初日に全館案内してもらって以来、一度も」
「お掃除だって、まだここは任せてもらえません」
「そりゃそうね。お掃除任されても、国宝級の茶碗を割らないように気をつけてね」
「それって……」
花音をチラッと見て、ふたりが顔を見合わせて笑う。
……やっぱり、察しが早い。
部屋の前で冬美さんが立ち止まる。
「お風呂へ直行なさいますか?」
「ええ、先にお湯でゆっくりしたいです」
「では、お荷物だけ中へどうぞ。美由様と由美様も」
「えっ、あ、はいっ」
ふたりが戸惑いながらも頷く。
あっ、そうだった。
「これ、進さんと冬美さんに。今朝の……お詫びです」
少し顔を赤らめる冬美さん。
ふたりは首を傾げるけど、湯船の中で説明してあげよう。
脱衣所に入ると、タオルと手拭い、そして水分補給用のペットボトルが人数分、綺麗に並べられていた。
──いつの間に……。
「ここは“霞の宿”の特別室です。本気のおもてなしを、甘く見ないでください」
まるで心を読まれたみたい。
「お召し物は、下着類を小さな籠へ、それ以外は大きな籠へ。アクセサリー類は小箱に入れて、大きな籠にお願いします」
昨日はそこまで言われなかった。
……ああ、そうか。後で着替えが用意されるんだ。
脱衣所も広く、4人が同時に使っても余裕がある。
服を脱ぎ、ブラを外した花音を見て、ふたりが目を丸くする。
……分かるよ。私も初めて見たとき、そうだった。
「花音、それ……何カップなの?」と、美由が思わず尋ねる。
「G……です」
恥ずかしそうに答える花音。
『A、B、C、D、E、F、G……』
美由と由美が指折り数え始める。
……それ、私もやった。
さて、おっぱいマイスター千晴さんがふたりの胸も査定して差し上げましょう。
美由はDマイナス。私よりやや控えめ。
由美はCちょい下かな? ──歓迎セレモニーの時、「バストアップの秘訣とか教えてくれるかも〜」って言ってたのは、きっと由美だ。
「わ〜、すご〜い」
「ひろ〜い!」
浴室に入ってはしゃぐふたり。
体を流して、4人で湯船へ──それでも窮屈さは全くなかった。
「赤いですね」
「匂いもちょっと独特……」
「ふふ。“霞の宿”自慢の湯を、ゆっくり楽しんでね」
「巨乳って……浮くんですね……」
由美がぽつりと呟く。
「さっきの話、聞かせてください!」
身を乗り出した美由に、花音がうれしそうに頷く。
「うん、実はね……」
そんなふうに、穏やかで楽しい時間が流れていった。
⸻
風呂から上がると、脱いだ服がすべて消えていて、かわりに4人分の浴衣が畳まれていた。
「あれ? 私の服がない……」
「本当だ。……浴衣に着替えなさいってこと?」
戸惑うふたり。
ああ、なるほど。
これは──サプライズだな。
「とりあえず、部屋に戻ろっか」
ドアを開けると、そこには三つ指をついた冬美さんがいた。
「お疲れ様です。それでは、お食事の用意が整っておりますので、ご案内いたします」
「えっ……?」
「どういうこと?」
ふたりが目を丸くする。
やがて着いた部屋の扉が開かれると、そこには葉月さんが待っていた。
「皆さん、お席についてください。──美由さん、由美さん、あなたたちもです」
そして、やさしい声で続けた。
「これは、私からのささやかな感謝です。花音の“初めての友達”になってくれた、あなたたちへの──母としての、ね」
冬美さんも続ける。
「あなたたちは、そう遠くない未来、この宿を背負っていくことになります。ですから今日は、この“霞の宿”の“本気”を体験していただきます。それが、きっと新たな気づきになると信じています」
「「はい!」」
ふたりはまっすぐ背筋を伸ばし、しっかりと答えた。
料理は──鉄板焼き。
大きな持ち運び式の鉄板が据えられ、4席がその前に並んでいた。
鉄板の向こうには、板長・猛さん。
「本日は、私が焼きを担当させていただきます」
ずらりと並んだ食材は、すべて4人前。
私は冬美さんに小声で尋ねた。
「……私たちが風呂に入ってる間に、こんな準備を?」
「言ったでしょ。本気のおもてなしを甘く見ないでって」
「板長にふたりのことを相談したら、『全部俺がやる』って言い出してね。里見さんが花音を本当の娘のように想ってるなら、猛さんも同じよ」
「でも、板場は……?」
「うちの旦那に任せたって。料理人は他にもいるし、直接調理するわけじゃないから。いい経験になるって張り切ってたわ。
あ……そういえば、モンブランありがとうございます
旦那の好物なの、今夜はあれで、ねぎらってあげますね
さあ、千晴さんも席について」
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目の前で焼き上げられていく料理たち。
和牛ヒレとアワビのステーキは圧巻で、ライブ感と手際の良さに目が釘付けになった。
美由と由美は、食材の美味しさに目を白黒させながらも、冬美さんの配膳の流れや動きにしっかり注目していた。
⸻
食事のあと、ふたりは寮に戻っていった。
私と花音は、もう一度だけ湯に浸かる。
「千晴姉さん……私、源氏物語の研究が終わったら、ここに戻って女将を継ぎます。──美由と由美が一緒なら、笑ってやっていけそうな気がするんです」
「うん。そうなるといいね」
──そのとき、私はどこにいるのか分からない。
けれど、花音が笑っていられるなら──それだけで、十分だった。
【Scene39:青春、取り戻すとき】
── 一ノ瀬 花音 ──
千晴姉さんは翌日、東京へ戻っていった。
私は来週の葉月母様と里見母様の誕生日を祝ってから、東京の大学へ向かうつもりだ。
冬美さんが、美由と由美の休みを調整してくれた。
なるべく私と過ごせる時間を増やせるようにと。
由美のものだと思っていた車は、実はふたりの共用だったらしい。
おかげで美由とふたりでも出かけることができた。
連れて行ってもらったランジェリーショップでは、私のサイズでも可愛いブラが買えて──びっくりした。
由美にもあちこち案内してもらった。
私の生まれ故郷なのに、知らない場所ばかり。
ふたりといると、自分が少しずつ“普通の女の子”になっていくのを実感する。
千晴姉さんといるのとは、また違う感覚。
──私にも、“普通の青春”があってもいいんだと思える。
あっという間に、三週間が過ぎていた。
東京へ向かう朝。
美由と由美はそろって駅まで見送りに来てくれた。
「花音、アメリカでも頑張ってね!」
「美由、それ9月からよ。東京で研究の準備をするけれど、それまでにもう一度くらい帰ってくるわ」
「花音、アメリカの研究ってどれくらいなの?」
「由美、うーん……最低でも一年から二年かしら」
「寂しくなるな。でも、それまでには私たちも一人前になってるね」
「うん、それじゃあ──行ってきます」
⸻
東京に着いた私は、その足で高橋教授のもとを訪ねた。
教授からの問いに、きちんと答えを返すために。
研究室には事前にアポイントを取っていたので、すぐに通された。
「高橋教授、ご無沙汰しております」
教授は鋭い眼差しのまま、私を真っすぐに見た。
「何、ご無沙汰と言っても、まだ一月半ほどだろう。着いたばかりで申し訳ないが、さっそく合同研究の準備を始めよう」
「え? あのときの答えを……」
そう言いかける私に、教授は何でもないように言った。
「君の眼差しを見れば、それだけで充分だ」
──やっぱりこの方は、千晴姉さんの父親だ。
たった一目で、何もかもお見通し。
「まずは、君の大学の“陣形”を教えてもらおうか。研究の方向性、得意・不得意──洗いざらい、だ」
「ふふっ。そういうの、得意なんです。お任せを」
⸻
しばし悪だくみ──いえ、打ち合わせを進めていると、研究室の外から元気な声が響いた。
「お父さん、いるー!?」
──この声は、千晴姉さん。
高橋教授は、なぜか私にウィンクをしてみせた。
意外と、お茶目なところもある方だ。
私は気配を消して、ドアの横にそっと身を潜める。
重たいドアが勢いよく開き、千晴姉さんが飛び込んでくる。
教授は仕事中のふりをして、書類に目を落としたまま答えた。
「大学では“教授”と呼べと言っているだろう」
「呼び方なんてどうでもいいの!」
千晴姉さんは相当切羽詰まっているらしく、私に気づく様子もない。
いつもの鋭い観察眼なら、気配を消した私にも気づくはずなのに。
「私……今の成績だと、単位どころか補講すら届かないの! “遊び倒せ”ってお父さんが言うから本気で遊んだのに、試験勉強が全っ然追いつかなくて……! このままだと進級ヤバいってば!」
教授は大げさにため息をついて、ようやく顔を上げた。
「出席日数については便宜を図るとは言ったが、学問まで肩代わりはできん。勉強は自分でやるものだ」
「そんな殺生なぁ……」
机に突っ伏してうなだれる姉さん。
──そろそろ頃合いか。
「千晴姉さん、勉強くらいなら私が教えてあげるわ」
「えっ、花音? こっちに来てたの!?」
「ええ、ついさっき着いたばかりよ。それと……勉強だったら任せて。千晴姉さんのこと、ちゃんと仕上げてあげる」
「ほんと!? 花音様、観音様っ!
かのん様だけに──かんのん様ってね!」
「まだ余裕、あるわね」
教授が小さく咳払いをしつつ、茶目っ気を含んだ口調で言った。
「才女の君が見てくれるなら大丈夫だろう。“地獄の特訓”でもなんでもやってくれたまえ」
「ええ、この一ヶ月厳しくしごかれましたから。
その分──仕返し……いえ、お礼参り……いえ、借りは返します。
……どんな表現にしても、物騒ですね」
「任せる」
千晴姉さんは再び机に突っ伏し、拳で軽くトントンと叩く。
「もう……お父さんも花音も、容赦なさすぎ……!」
──でも、その声には、不思議と安堵が混じっていた。
── 高橋 千晴 ──
その日から、花音による“地獄のしごき”が始まった。
結果、成績は──なんとかなった。
人って、死ぬ気になれば、なんとかなるものなのね……
次回、最終話。
少女は、千年の物語に答えを出す。
孤独だと思っていた背中には、
いつのまにか、たくさんの手があった。
AIが導いた結論。
科学が裏付けた真実。
そして──彼女自身が選ぶ未来。
里に新しい命が生まれるその日、
一冊の写本が世界へ解き放たれる。
祈りは、証明へ。
執念は、祝福へ。
第4話、完結。




