【第04話-09】宿がつなぐ、姉妹のような時間
金の湯の夜。
並んだ布団。
消えない沈黙。
そして――
花音が、口を開く。
【Scene32:沈黙の後で】
── 一ノ瀬 花音 ──
お姉様を誘って、金の湯に入る。
当然、部屋付きの個室だ。
塩化物鉄泉。湧き出た瞬間は無色透明のはずだったが、
湯船に溜まったお湯は、酸化して赤茶色に染まっている。
「こんなお湯、初めて入ったよ。
関西の有馬温泉が、たしかこんな色だったよね?」
お姉様の疑問に、私は静かに答えた。
「ええ、先ほどもご説明した通り、これは塩化物鉄泉です。
有馬の“金泉”が一番有名ですが──
それ以外となると、うちと……あと一、二ヶ所ほどでしょうか」
「そんなに珍しいんだ」
「この地下に独立した小さな断層があり、そこから湧出しているのだと聞きます。
そのため、他の場所をいくら掘っても同じ湯は湧出しないのだとか」
「貴重な湯にはいっているんだね」
「私の遠いご先祖様が、野党のような集団だった戦国時代、
この地で偶然この温泉を見つけました。
幸い、大きな集団だったらしく、この一帯を開墾して定住し、旅籠を始めたそうです。
でも──旅籠屋は、あくまで“表向きの顔”に過ぎなかったのです……」
もう、千晴姉様には嘘をつきたくない。
その結果、姉様が私の元を離れることになったとしても──
── 高橋 千晴 ──
これは……
ついに、話してくれる気になったんだ。
「ねえ花音、部屋でじっくり聞くよ。
今は、ゆっくり湯を堪能しよう」
「そうですね、姉様」
それから二人は、何かを語るでもなく──
静かに、体を伸ばして湯に身を沈めた。
⸻
湯を上がり、部屋に戻ると、すでに布団が敷かれていた。
冬美さんの姿は見当たらない。
呼べばすぐに姿を見せてくれるのだろう。
でも、今は──それではいけない気がした。
水分を取り、寝巻に着替えると、ふたりの間に静かな時間が流れる。
⸻
「ねぇ花音……修学旅行みたいに、布団の中で話そうよ」
「はい、そうしましょう」
花音の顔には笑みがなかった。
よほど思いつめているのだろう。
やがて、それぞれの布団に入ると──
「私は、私の一族は“草”──
一般的に言えば、“忍者”の末裔なんです」
花音は、ふいに何でもないことのように語り始めた。
── 一ノ瀬 花音 ──
小学校三年生で修行の道に入らされたこと。
──いいえ、小学校なんて、一度も通ったことがないこと。
小学六年生で、房中術を受け継ぐためだけに、純潔を奪われたときのこと。
その瞬間を語るとき、胸が張り裂けそうになった。
中学一年で、全ての技を完璧に引き継ぎ、
草の歴史を、自分の手で終わらせたこと。
母様さえも、道具として使ったこと。
裏稼業とはいえ、多くの人間を切り捨ててきたこと。
アメリカに移ってからすら、
草としての技術を用い続けていたこと。
──私は、すべてを包み隠さず語った。
……心が、疲弊した。
── 高橋 千晴 ──
あまりにも、衝撃的な告白だった。
まるで現実ではないような──
それでも、私は受け止めると決めていた。
花音に“姉”として寄り添うと、心に誓ったのだから。
「大変だったね……ずっと我慢していたんだね。泣いていいんだよ」
私は自然に花音を抱きしめ、そっと唇を重ねた。
それは、私の“初めてのキス”だった。
でも、その瞬間に迷いはなかった。
花音が失ってきたものに比べれば、私の“初めて”なんて本当にちっぽけだった。
それでも──
彼女に、何かを捧げたかった。
花音が、堰を切ったように泣き出す。
ふと──
部屋の外で、誰かが立ち去る気配がした。
その人も、泣いているように思えた。
……なぜか、葉月さんだと思った。
⸻
私は、花音が泣き疲れて眠りにつくまで、ずっと抱きしめて頭を撫で続けた。
やがて眠った彼女のまぶたには、涙の跡が残っていたけれど、
その寝顔は、赤子のように穏やかで──健やかだった。
⸻
私は、花音の過去を思うとなかなか寝付けなかったけれど──
それでも、彼女のぬくもりを抱きしめたまま、静かに眠りに落ちていった。
【Scene33:Intermission(微醒)】
── 高橋 千晴 ──
ちゅんちゅん、ちゅんちゅん……
鳥の声と、障子越しに差し込むやわらかな朝日で目を覚ました。
隣では、花音がまだ眠っている。
たぶん、修行を始めてから──いや、生まれて初めて──
こんなに深く、穏やかに眠れた夜だったんじゃないかな。
もう少し、寝かせておいてあげよう。
……それにしても。
これが世に名高い“朝ちゅん”ってやつなのか?
いや、ちょっと違うか。
二人とも寝巻き着たままだし、キス以上のことはしてないし。
でも──
左腕が、痺れてる。
腕枕って……世の男の人たちは、こんな苦行を毎回乗り越えてるの?
これはこれで、尊敬に値する……!
そっと、花音を起こさないように、慎重に腕を抜いた。
ごめんね、花音。
あんな重たい夜を過ごした翌朝に、こんなノリで。
ほんとにごめん。
でも、私もいっぱいいっぱいで、
こうやって少しふざけないと、心がパンクしそうだったの。
だから──本当にごめん。
私は静かに部屋を出て、廊下を抜け、
誰もいないのを確認してから──
思いっきり、叫んだ。
「やっぱり忍者の里だったじゃないかーーーっ!!」
ふぅ……すっきりした。
……ふと中庭を見ると、
「何言ってんの?」って顔の“みいちゃん”が、こっちを見ていた。
【Scene34:朝の約束】
── 高橋 千晴 ──
みいちゃんに別れを告げて部屋へ戻る。
廊下に仕掛けでもあるんじゃないかと思って、コンコン叩いたりしてしまった。
何も見つからなかったけど、そんなことしてたせいで、気づくのが遅れた。
廊下の先に、三つ指をついて頭を垂れる和服姿の女性がいた。
顔を上げたその人は、当然──冬美さんだった。
「おはようございます。本日もお世話をさせていただきます」
出たな忍者。
さっき部屋を出たときは絶対、誰もいなかったぞ。
どの壁から出てきたんだ、どこが開いたんだ。
「葉月から聞きました。全てをお知りになったと」
って冬美さん!?
いきなりシリアスな話を振らないでください!!
シリアスに戻りきれないんですけどっ!
なんとか気持ちを立て直して答える。
「はい、私まで胸が張り裂けそうでした……」
もしこの場に冬美さんだけでなく、後に出会うちょっと可愛いライバルがいたら──
キャラ被りすぎ!!って怒ったかもしれない。
そして私の“切り換えの速さ”に驚いたかもしれない。
でも、私はそうやって生きてきた。
「不躾ながら、先ほど──姫、いえ、花音の寝顔を見させていただきました。
あんな安らかな顔の花音なんて、見たことがありません。
すべて貴女のおかげです」
冬美さんの目にも、涙が浮かんでいる。
こっちも、もらい泣きしそうになった、その瞬間。
「もうこれは保存するしかないと、激写しまくりました」
おい、雰囲気台無しじゃないか。
そのスマホ、いつどこから出した?
暗器を構えるくノ一の姿しか連想できないんですけど!
「私たちのすべてを知った上で、それでも花音の傍にいてくださいますか?」
畜生、切り替え早ぇ!
でもこちらも負けない。昨晩の衝撃で、正直キャラが崩壊しかけてるけど──
持ち直すんだ、私!
「大変そうですね」
わかっててやってるよね!?
冬美さん、絶対にわかっててやってるよね!!
そんなことをやっているうちに、花音が起きてきた。
「おはようございます」
顔を伏せて、頬をぽっと赤らめる。
……かわいすぎだろ、反則か。
「姫様、ついに姉様と結ばれたのですね」
ちょっと待って!
私、なにもしてませんからね!?
……いや、キスはしたけども。
「千晴様には、責任を取っていただかないと」
「姉様は、ずっと一緒です」
胸のもやもやが、ふっと晴れた気がした。
「そんなこと言わなくても、ずっと一緒だよ」
「「──よかった」」
二人は声を揃えてそう言った。
冬美さんは続ける。
「胸のもやもやは、晴れましたか?」
……気を遣われたな、私。
「さあ、食事の準備ができますので、着がえて顔を洗ってきてください」
冬美さんの声に、私と花音は声を揃えて『はい』と返事をして、また浴衣に着替えて洗面所へ向かった。
顔を洗って戻ってくると、布団はきれいに片付けられていて、昨晩の夕食をいただいた部屋には、すでに朝食の準備が整っていた。
「今日の朝食は、板長がうちの旦那に任せてくれたんですよ。良い経験になるって」
── 旦那って言うんだ。
なんだか意外。
でも、ちょっと嬉しそうな言い方だった。
朝食は、まさに「これぞ和朝食」という内容だった。
炊きたての土鍋ごはん
焼きたての鮭の西京焼き
出汁の香り豊かな玉子焼き
小鉢には、ほうれん草のおひたしと山菜の煮浸し
香の物は、浅漬けと梅干し
味噌汁は、なめこと豆腐に細かく刻んだ三つ葉
そして、炊きたての白米がとにかく美味しかった。
お米一粒一粒に、丁寧な手間がこもっているのが伝わってくる。
「……なんかすごく、ちゃんとしてる味がする」
そんな感想が、自然と口をついて出た。
最後のお茶を啜りながら、思わず言ってしまった。
「旦那さんに、美味しかったですって……伝えてください」
冬美さんは少し照れたように笑い、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。旦那も喜びます」
その声には、誇らしげな響きがあった。
「花音、朝風呂にしよっか」
「そうですね千晴姉さん。今の時間、別館も新館も大風呂は混んでいそうですから……金の湯にしましょう」
また、あの個室の湯へ。
── 湯船の中で、花音があらたまった口調で言った。
「千晴姉さん。
私、アメリカへ行って──”源氏物語”の研究をします」
「初めからその予定だったんじゃないの?」
「声は掛けられていたんですが、踏ん切りがつかなくて。
それもあって、日本に帰ってきたんです」
「そうだったんだ」
「日本の進教授のもとでも研究はできるかなって、そう思ってたんです。
でも、先月の教授の問いかけに──答えられなかった」
あの時の、進教授の問いが蘇る。
『花音くん。──君は”源氏物語”を研究して、いったい何を得たいのかね?』
私も心を揺さぶられたあの言葉。
でも今の花音の顔には、迷いがなかった。
「千晴姉さんが思い出させてくれました
私は“源氏物語”を、世界で一番理解する者になりたいんです。
私は、私のために研究したいんです。
得られるものなんて……ただの自己満足かもしれません
でも私はアメリカへ行きます」
そう・・・
「私は、こんなにたくさんの人に支えられてるって、わかったから。
三年前、誰の手も借りず、ひとりきりだと思い込んでた私とは、もう違います」
その表情は明るくて、まっすぐで。
私は思わず、見とれてしまった。
「みんなに支えられているから、行けるんです」
そう言った花音が、まぶしかった。
うらやましかった。
だから──支えたいって、思った。
花音は、最高の笑顔で言った。
「だから千晴姉さん。私を、ずっと支えていてください」
「うん。──当然よ」
明るい朝日が、ふたりの背中に、あたたかく降りそそいでいた。
次回、
新しい風が、里に吹く。
双子みたいなふたりの少女。
同じ五月生まれ、似た名前、似た笑顔。
偶然みたいな出会いは、
やがて霞の宿の未来を変えていく。
美由と由美、初登場。




