【第04話-08】宿がつなぐ、姉妹のような時間
本編は、里のひとびととの再会から始まります。
大きな出来事が起きるわけではありません。
けれど、花音にとっては――確かに意味のある時間。
十年前に置いてきたもの。
気づかないふりをしてきたもの。
それらと、静かに向き合う回です。
どうぞ、お付き合いください。
【Scene28:里のひとびと】
── 一ノ瀬 花音 ──
千晴お姉様には先に行ってもらい、私は里の皆ともう少しだけ話すことにした。
……とはいえ、皆それぞれ持ち場があるので、ゆっくり話していられる時間もなく、すぐに解散となる。
戻ってきていた里見母様を見つけて声をかけた。
「お姉様──いえ、千晴さんはどの部屋に?」
「お姉様でいいわよ。……良い人ね」
「あっ、さっきの話……私、知らなくて」
「ああ、私の子供の話ね。だって、話してないもの。知らなくて当然よ。
……いいの、もう過去のことだから。あなたが幸せになってくれれば、それで十分」
「……はい」
「千晴さんはね、離れの特別室よ」
「えっ……聞いてない」
「だって、話してないもの」
……それ、さっき私も言った!
慌てて特別室へ向かう。
「お姉様、遅くなりました」
部屋に入ると──
冬美さん!? しっかり和服に着替えてる!
「……お休みだったんじゃ」
「言ったでしょ。『こんなに心から歓迎したいお客様は初めてですよ』って」
ふと見ると、お姉様が湯呑みを持ってニヤニヤしている……
──あっ、それは!
「ねぇ、花音。『修復してくれた人はむしろ“味が出た”って言ってた、私のおかげ』だって?」
……わ、私の黒歴史が……ッ!
── 高橋 千晴 ──
冬美さんが追い打ちをかけるように続けた。
「良いですよ、湯呑みは何とかなりましたけど……問題は掛け軸ですね。
たしか、姫が小学校三年生のときでしたか。
猫をこの部屋に連れてきちゃって、掛け軸で爪とぎさせちゃったんですよね。
即・修復不可能。……あれも重要文化財レベルだったんですけどね。
さすがにあの時は女将も大激怒でしたよ」
──あっ、それは!
花音の顔がみるみるうちに暗くなる。
冬美さんは……気づいていない。というか、“なぜ”花音が落ち込んでいるのか、わかっていない。
冬美さん鋭そうなのに──何か違和感がある。
花音はそっと話題を切り替えた。
「仲居頭、私たち──着替えて、少し散歩したあとに温泉に入りたいんですけど」
「かしこまりました。お着替えはこちらに。何かございましたら、すぐお呼びください」
浴衣と草履で散策しよう。
「花音、ちゃんとブラつけるんだよ?」
「えー、良いじゃないですか。誰が見てるってわけでもないし」
「だーめ。そろそろチェックインの時間でしょ?」
「……はい」
──まあ、目の保養なんだけどねえ
「ねえ、この辺り案内してよ。どこまでが旅館の敷地なの?」
「はい、このあたり一帯全部です」
「──はい?」
「そうだ、新館、案内してもらおうよ」
「そうですね。私も、建設途中で里を出ちゃったから、完成した姿は初めてなんです」
「冬美さん、いるかな?」
「はい。お呼びでしょうか?」
──ええっ!?
腰を低くして襖をすっと開けたのは、まぎれもなく冬美さんだった。
『何かありましたらお呼びください』って言ってたのに、てっきり立ち去ったものだと……
気配ゼロだったよ!? ……やっぱり忍者屋敷なんじゃない?
私には、壁がくるりと回って中から冬美さんが出てくるイメージしかない。
新館の案内をしてもらう。やっぱり新しくて綺麗。
築三年だから当然か。ちなみに──
別館は築五十年、本館は百十一年。
この旅館、もう意味がわからない。
「散歩終わったら、夕食までにお湯比べしようか」
「そうですね。私も新館の湯、楽しみです」
しばらく歩くと、一軒家がいくつか並んでいた。
「一番手前の、あの古い家が私と母様の家です。代々引き継いできました」
なるほど、たしかに古そう。
「その隣が、里見母様のお宅です。最近、建て替えられたばかり」
モダンで素敵な家だった。
「で、その隣が──支配人の別宅ですね。本宅は駅近にあるんですが、こっちに居ることのほうが多いみたいです」
そういえば、今日出迎えてくれたのは本宅から来たのかも?
「……で、その隣、誰が住んでると思います?」
花音がいたずらっぽい笑みを浮かべて聞いてくる。
「順番的に言えば……冬美さん?」
花音は一瞬だけ驚いた顔をしたけど、すぐに納得したように頷いた。
「そっか、昔の冬美さん知らなかったら、そう思いますよね。
冬美さん、母様たちの一つ上なんですが、ずっと独身で──仲居寮に住んでたんです」
──母親と同い年ぐらい!?
でも確かに、あの人すっごく若く見えるけど……
「で、私もさっき知ったばかりなんですが──去年、ようやく結婚したんですって」
「へえ……お相手は?」
「覚えてます? 私がさっき挨拶したとき、胸のことで茶化した若いの」
──ああ、あの板場の子?
「彼、実は私の6つ上で、今25歳。冬美さんとは20歳差ですよ」
えっ……若造だと思ってたら結構行ってた!
「彼、高校卒業してすぐ、うちで修行を始めたんですが……そのときから、ずっと冬美さんにメロメロだったらしくて」
確かに、冬美さんは今でも若く見えるけど……実年齢からすれば、お母さん世代だよね!?
「仲居仲間に聞いた話ですが、『懐かれちゃって離れそうにないから、仕方なく引き取っちゃった』そうです」
──わあ、なんか野良犬を引き取るみたいなノリ!
「ところで、さっき冬美さん『高橋』って紹介してなかった?」
「うん、私もその時点では知らなかったんですが、彼──婿入りしたんですって」
「ふーん……って、それで?」
「面白いのはここからです」
──花音、ノリノリじゃん。
「二人、社宅に入ったんです。彼も男子寮にいたし、ちょうどよかったらしくて」
──あれが男子寮で、あれが仲居寮。そして、あそこが社宅。
花音が一つひとつ指をさす。……ていうか、この旅館の敷地、広すぎない!?
「郵便局、見えますか? あれも、うちが委託受けて運営してるんです。オリジナル消印が人気なんですよ。
あの食堂も連泊のお客様用でやってます。昼食は旅館じゃ基本出してないので」
──これもう、“旅館”じゃなくて“里”だよ。
「で、話が逸れましたけど──その社宅、冬美さんたち、すぐに追い出されちゃったんです」
「え? なんで?」
「──夜の営みの声が大きすぎて」
おーーい
「それで、今はあの一軒家に住んでるそうですよ」
──いやもう……この後、どんな顔して冬美さんに会えばいいの私!?
【Scene29:霞の湯、銀の湯、そして再会】
── 高橋 千晴 ──
そろそろ帰ってお風呂にしようか──
私がそう言ったとき、目の前をブチ猫が通り過ぎた。
「あっ」
花音が一瞬だけ声を上げる。
けれどその猫はまだ若く見えた。
小学校三年生のときに拾ったという子猫なら、いまは十歳のはず。
「みいちゃん、あんな感じのブチ猫だったの」
「可愛いね」
「顔のブチ模様が特徴的だったわ」
その後も何匹かブチ猫を見かけたけれど、どれも少しずつ模様が違う。
「ううん、ブチ模様が違う、みいちゃんじゃない」
そう答える花音に、そっかと返すしかなかった。
新館に着くころには、ちらほらとチェックインの客も見えていた。
担当の仲居さんに挨拶し、タオルを借りて大浴場へ向かう。
──一緒に風呂に入るのは、あのスーパー銭湯の日以来か。
今日はのんびり、ゆっくり浸かれそうだな。
── 一ノ瀬 花音 ──
お姉様に「うちの温泉」について説明することにした。
「本館の温泉は『金の湯』って呼んでいます。
ここは、先祖代々──戦国時代から受け継がれてきた自然湧出の湯で、
泉質は塩化物鉄泉。湧き出た瞬間は無色透明なんですけど、酸化すると赤茶色に染まります。
この辺りで塩化物鉄泉が出ているのは、うちだけなんですよ」
「えっ? 《霞の宿》って江戸中期からって聞いてたけど?」
その疑問は当然だった。
「はい。今の名前になってからは、そうですね。
母が十二代目にあたります。
干支が一巡して、私が後を継げば──十三代目。新しい世代です」
ふふ。かつて高橋教授に初めて会ったときと、同じセリフ。
「でもそれは、《霞の宿》と名乗るようになってからの話。
名を変える前を含めれば、もっと昔から。
……場所を移してでもよければ、戦国以前にまで遡れるかもしれません」
あのときの教授の目の色を思い出し、私はふと笑った。
「……いったい、何代目になるんでしょうね? 想像もつきません」
「すごすぎて、全然イメージ湧かないよ……」
「別館の温泉は『銀の湯』って呼んでいます。ラドン泉です。
この周辺では珍しい泉質で、先々代──霞の宿が全盛期だった頃に、
執念で莫大な予算を注ぎ込み、深さ1,200メートルまで掘り下げて、ようやく湧出したそうです」
「千メートル超え!? それって……」
「近隣の一般的な源泉の、およそ5倍の深さですね」
「……世の中、お金があればなんとかなるってこと?」
「極端な話、“里”に秘蔵されていた骨董品をいくつか売れば、いくらでも資金は作れたでしょうね」
──少しだけ、真実を隠す。
旅館に秘蔵されていたわけじゃない。“草”として隠していた品々。
私が草を切り捨てる決断をしたとき、すべて売却した──誰にも知られぬように。
「新館の温泉は、炭酸水素塩泉です」
「これって……花音が、新しい温泉を掘るって提案したんだよね?
よく出たよね、温泉なんて」
お姉様、ちょっとだけ勘違いしてる。
「金泉・銀泉が特殊なだけで、この辺り自体は温泉地帯なんです。
単純泉、硫酸塩泉、塩化物泉が出やすい土地柄なので、掘れば何かは出ると踏んでました。
問題は、“どの泉質が・どの深さで出るか”です。予算に直結しますから。
……幸いにも、300メートルで湧出しました。炭酸泉だったのも、運が良かったですね」
「やっぱり花音、山師だよね」
「ふふっ、そうかもですね」
「でも──名前は花音じゃなくて、葉月母様がつけたんだっけ?」
「はい。“霞の湯”という名は、私がアメリカ留学中に母様が決めました。
“一番新しい湯こそ、これからの霞の宿を象徴する”って」
「そうなんだ……」
しばし、静かに風が通り抜ける。
「話が長くなりましたね。……新しい時代の“霞の湯”、入りましょうか」
── 高橋 千晴 ──
霞の湯と銀の湯を、順に入って比べてみた。
霞の湯はアルカリ性で、少しぬるっとした肌触りが気持ちよかった。
若い世代に人気なのも納得できる。
銀の湯──ラドン泉は、肌ざわりは普通のお湯に近くて、効能も実感しづらい。
けれど、身体の奥にじんわり沁みるような感覚があった。
通好み、という言葉がぴったりだった。
別館と新館、それぞれの顧客層にもよく合っているんだろうなと思った。
しかも別館に泊まるお客は新館の霞の湯に入れるけれども、新館に泊まるお客は銀の湯には入れない。
別館の高い宿泊代にプレミア感を付ける、良い戦略だ。
そんな感想を持ちながら花音に声を掛けた。
「さあ、金の湯は食事のあとにして、部屋に戻ろうか」
── 一ノ瀬 花音 ──
お姉様と部屋に戻るのは裏手を通って帰ることにした。
ふと、懐かしい思い出がこみ上げてくる。
「ここでね、短い間だったけれど……みいちゃんと遊んだの」
そのときだった。
また、ブチ猫が一匹──目の前を横切った。
でもそれは、先ほどまで見たどの子とも違う。
……この模様、見覚えがある。
「えっ、みいちゃん!? お前、みいちゃんなの?」
思わず声をかけてしまった。
振り返ったブチ猫は、それがどうした? とでも言いたげな顔をしている。
「えっ、どうしたの?」
戸惑うお姉様を置いて、私はしばし呆然としたまま立ち尽くした。
──これって、奇跡?
そのとき、里見母様が通りかかった。
「あら? 姫様、こんなところにいらっしゃったんですね」
「ねえ、里見母様。あれ──みいちゃんなの? 十年前に、私が拾った……」
「そうですよ。ずっと、うちで飼っていましたよ。
姫様だって、見てたはずですけれど?」
「えっ……?」
なにそれ?
「そうそう、先代が亡くなった直後に、
裏庭に迷い込んだお客様のお子様がみいちゃんと遊んでいるのを見て──
『こういうのを“幸せな日常”って言うのよね』って言われてましたけれど……覚えていません?」
……覚えてる。そんな話を確かにした。
はは、なんだか笑えてきた。
“幸せな日常”って、私の周りにもちゃんとあったんだ。
私が、それを見ようとしていなかっただけで。
遠ざかるでもなく、近寄るでもなく、ただそこにいた──みいちゃんの顔は、
まるでこう言っているようだった。
──「お帰り」。
【Scene30:Intermission(種明)】
── 高橋 千晴 ──
なんとか、話の全貌が見えてきた。
あのブチ猫は、本当に花音が拾った子猫で、
花音が――何かの理由で、周りが見えなくなっていただけ。
ずっと、そばにいたのだ。
……その「理由」は、まだ聞けそうにない。
ちょっとだけ、寂しい。
「里見母様、みいちゃんって子ども産んだの?」
花音がそう聞いていた。
そういえばこの辺り、ブチ猫だらけだったね。
「産んでいませんよ。でもこのあたり、みいちゃんの子孫だらけですね」
……ん? なんだその言い回し。
あっ、察した。
でも花音は、まだ気づいていない。
「え? 産んでないのに子孫だらけってどういうこと?」
里見さんは、なぜか誇らしげに言った。
「だって、“みいちゃん”はオスですから!」
……やっぱりね。
「じゃあ、“みい君”でしょ」
花音が呟いていたけれど、きっとそれは――
間髪入れずに、里見さんが得意げに言う。
「姫様が『“みいちゃん”までが名前よ。みんな“みいちゃん”って呼ぶように』って、ご命令だったんです!」
……思ったとおり。
私は笑いながら、振り返った。
「ねえ花音。『私が育てる。妹にする』って、言わなかった?」
── 一ノ瀬 花音 ──
……えっ。
列車の中でみいちゃんの話をしたとき、そこは触れなかったのに……
今の会話だけで、そこまで見抜くの!?
……やっぱり相変わらずの観察眼。
さらに、里見母様のさらなる追い打ちが飛んでくる。
「十年越しで、ようやく言えましたよ」
……その日、私の黒歴史がひとつ、増えまし
【Scene31:もてなしのかたち】
── 高橋 千晴 ──
部屋に戻ってひと息ついたころ、ほどなくして宴が始まった。
女将として葉月さんが簡潔な挨拶をして席を外し、取り仕切りは仲居頭の冬美さん一人。
けれど、その内容は思わず息を呑むほどだった。
運ばれてきたのは──
薄紅に透ける和牛の刺身、きらきらと輝く海の幸、山から採れたての山菜。
さらに、煮物や椀物に至るまで、ひと皿ひと皿が完成された芸術のようで、
ここが山奥の宿であることを一瞬忘れそうになる。
「牛の刺身って、今はもう出せないんじゃなかったっけ?」
思わず誰にともなくつぶやくと、冬美さんがやわらかく答えてくれた。
「食品衛生法上、全面的に禁止されているわけではありませんよ。
ただし、厳しい規格基準をクリアしていなければなりません」
「どんな基準なんですか?」
冬美さんはにっこり微笑みながら説明を続ける。
「まず、厳重な衛生管理が前提です。そして中心部まで一度加熱した上で、外側の数センチを切り落とさなければなりません」
「……つまり、ローストビーフの真ん中の赤いとこだけを出してる感じ?」
「はい、そのイメージでほぼ合ってます。
うちは食品衛生法の基準以上に余裕を持って処理していますし……なによりコストがかかるので、滅多に出されるものではありませんけれども」
「基準以上に切り落とすって、もったいないんじゃない?」
「見た目重視ですね、こういう席ですので。
それに、基準以上に切り落とした部分は捨てませんよ。
仲居にまかないとして、丼にして出されます。
忙しい中でパッと食べられて、何より美味なので大人気です。
……ご興味があれば、締めのご飯としてお出ししますが?」
花音も口を挟んできた。
「あれはすごく楽しみでしたね。滅多に出ないですから」
いやいや、仲居さんたちの楽しみを奪うなんてできないよ……
ふと、同い年の二人の仲居さんの顔が浮かぶ。
「あの若い二人は、食べたことある?」
──私のファンになっちゃった、なんて言ってくれたし。
冬美さんは、ほんの少しいたずらっぽい顔をして言った。
「あんな下っ端に回るわけがありません」
思わず私は声を上げた。
「じゃあ……今回特別に、あの子たちに食べさせてあげてくれないかな」
「ふふっ。そう言っていただけると思って、板場にはすでに準備させてあります」
……あぶない。
興味があるから自分が食べる、なんて言ったら、冬美さんのご厚意を台無しにするところだった。
冬美さんと花音が、まるで打ち合わせでもしたかのように、ぴたりと声を合わせた。
「「──あの二人、飛んで喜びます」」
── 宴は続く。
生きたウニなんて、初めて見た。
板長さんがわざわざその場にやってきて、
言葉少なげに、手際よく処理を始める。
氷の台座の上に、半分に割ったウニの殻が器代わりに置かれ、
とろりと黄金色の身が盛り付けられていく。
……これも、演出の一つなのだろう。
「こんな山里で、海の幸なんて……」
思わずつぶやいた私に、花音が静かに答えた。
「だからこそ、なんです。
今でこそ当たり前ですけど、昔は──
こんな山奥で海の幸なんて、絶対に口にできなかった。
だからこそ、すごく贅沢で、とてつもないお金をかけて出されたんです」
……うん。今だって、生きたウニなんて滅多に食べられないけどね。
メインは黒毛和牛のしゃぶしゃぶだった。
箸を入れるとさっと赤みが薄くなり、口に含むと、とろけるように消えていく。
……幸せって、こういうのを言うのかも。
締めの御飯は、季節の炊き込みご飯だった。
出汁の香りがほんのりと鼻に抜け、噛むたびに素材の旨みが広がっていく。
上にあしらわれた三つ葉と柚子の皮が、食後にふさわしいやさしい余韻を残してくれる。
最後に運ばれたのは、柚子シャーベットと黒蜜きな粉のわらび餅。
ほてった体にすっと染みる、冷たく上品な甘さが心地よかった。
食後、少し部屋で腹ごなしをしていると、
ふと、花音がぽつりと呟いた。
「……私も、こんな豪勢なの、初めてです」
その様子を見に来ていた里見さんが、にこやかに口を挟んだ。
「旦那が言うには『いつもなら高級酒分の予算を回せた。足りない分は俺の給料から引いといてくれ』って。
……女将が『そんな必要ありませんよ』って言ってましたけれどもね」
……やっぱり、すごかったんだ。
ありがたいなと思う。心から。
その夜、
金の湯の色は、いつもより深く見えた。
次回、
沈黙の後で
花音が語る、すべて。




