春の日差しのなかの三人
約束の日、屋敷の門を出た三人は春の日差しのなかを並んで歩いていた。
サチは普段の簡素な装いとは異なり、淡い桃色の外着をその身にまとっていた。
光の加減で、その上質な金糸の刺繍はきらりと揺れる。
小さな手はロレンの腕にそっと添えられ、ロレンは穏やかにその手を包みこむようにして歩いていた。
後方から、リアンが軽く笑いながら二人に向けて声をかけた。
「兄さん、昔よく食べていたあのおいしいお菓子屋さん……。あそこ、まだあるかな?」
「ああ、あの店か……。店主が生きていれば、きっとまだあるはずだと思うが」
その言葉に、サチは小さく笑みを浮かべた。
「どんな、お店なんですか?」
「兄弟でよく行った場所なんだ。嬉しいことがあった時も、喧嘩をした時でも、その店の甘い焼き菓子を食べればすぐに笑顔になっていた」
ロレンは、懐かしそうにそう答えた。
三人は石畳を抜け、やがて町の小さな路地に入る。
木製の看板が軒先で風に揺れ、店先からは焼きたての甘い香りが漂っていた。
老いた店主は、ドアを開けて入ってきたロレンを見て目を細めた。
「おや、誰かと思えば商家ところの坊ちゃんじゃないか。珍しいもんだなあ」
そしてリアンをの方を見て、わずかに顔を明るくする。
「おお!弟さんも、一緒かね」
リアンが笑顔で頷いた。
「お久しぶりです、おじさん」
そして店主の目は、最後にサチへと向けられた。
「はて……?確か、妹はいなかったはずだが……」
ロレンは苦い笑みを浮かべながら、穏やかな声で伝えた。
「彼女は、私の妻です」
「初めまして」
サチが軽く会釈をすると、店主は目を細めて微笑んだ。
「そうかそうか……、坊ちゃんもついに嫁をとったか。めでたいことだ!」
そうしみじみと呟いて、名物であるという焼き菓子を山ほど包んで手渡した。
三人は店の奥の広間で、湯気の立つ茶と焼き菓子を並べていた。
「近頃は客足も減ってな、好きなように過ごすといいよ」
そう店主は、店先へと戻っていく。
あたたかな焼き菓子は素朴で甘く、口の中でほろりとほどける。
「これは私とリアンの思い出の味でね。君にも、食べてもらいたかったんだ」
そうロレンは、微笑んだ。
「とても、優しい味ですね」
サチは頬を緩めながら、湯気の向こうでにこやかに笑い合う兄弟の姿を見つめていた。
その時、リアンがサチの口元へと手を伸ばす。
「サチさん、ついていましたよ?」
そう指先で取った欠片を、何気ない仕草でぺろりと舐め取る。
サチの頬が、ほんのりと染まっていく。
ロレンはそのやり取りを気に留めることもなく、ただ微笑ましく見守るだけであった。そこにはあの夜の勝者の笑みが、滲み出ていたのだ。
リアンは静かに茶を飲むものの、その胸には小さな棘のような痛みが残っていた。
それは、許されぬ恋の最後の余韻でもあったのだ。
***
帰り際、急用の報せが入り、ロレンは途中で別れることとなってしまう。
「すまないね、サチ。あとはリアンが責任を持って、君のことを送るから……」
「大丈夫ですよ。どうか、お気をつけて」
互いに抱きしめあった後に、サチは笑顔でロレンの姿を送り出した。
二人きりになった帰り道。
春風が柔らかく吹き抜け、街路樹の若葉がざわめいた。
サチの横顔に揺れる髪の香りが、ふわりとリアンの胸を掠める。
そして、静かに歩きながら口を開く。
「サチさん……。これからも兄を、よろしくお願いします」
その言葉に、サチは力強く頷いた。
「はい、任せてください」
「……兄のことを、愛しているんですね?」
「ええ、心から」
その言葉の確かさに、リアンはすべてを悟った。
サチの中に、リアンが付け入る隙はないのだと。
彼女の瞳は、いつも兄だけを映しているのだと。
「もう少し早く、こちらに戻ってくるべきだったな」
「……どうして?」
「貴女に、もっと早く出会いたかった」
その言葉にサチは、穏やかな笑みを浮かべていた。
「きっと私なんかより、貴方はもっといい人に出会えるわ」
その声は優しく、けれど確かに幕を下ろすような響きも持っていたのだ。
リアンは深く息をついたあと、寂しげに微笑んだ。
「ありがとう。……頑張ってみるよ、義姉さん」
その言葉を口にした瞬間、ようやく彼は恋を手放せたような気がしていた。
それは苦くも、清らかな終わりでもあったのだ。
屋敷に戻ると、夕暮れの光が西の空を染めていた。
ロレンは仕事から戻るなり、サチの姿を見て安堵の表情を浮かべていた。
そして、その頬に音をたてて口づけをした。
「……今日は、楽しかったかい?」
「ええ、とても」
「リアンが、何か変なことをしなかったかい?」
その問いにサチは、そっとロレンの頬へ唇を返した。
「とても兄思いな、弟さんだったわ。私のことも、義姉さんって呼んでくれたのよ?」
ロレンは心からの安堵の息を漏らし、サチを強く抱きしめた。
二人の間には、灯りのような静かな幸せが満ちていた。
リアンは遠くからその光景を見つめて、胸の奥でそっと呟いた。
「兄さん、お幸せに」




