春に再開を果たした兄弟
次のリアンの外交の任期は、一年後であった。
それまでの間、彼は久方ぶりの実家暮らしに懐かしさを覚えながら、日々の仕事に取り組んでいた。
しかしその瞳は、常に屋敷の中のどこかを探していた。
まるで心が求めるかのように、リアンの目は自然とある一人の姿を追い求めていたのだ。
兄ロレンの妻である、サチのことを。
間もなく挙式を迎えるその女性は、控えめで優しい気立ての持ち主でもあった。
ロレンの様子を見に来るときの柔らかな微笑み。廊下ですれ違うたびに交わす小さな挨拶のひととき、食卓で見せる穏やかな横顔。そのどれもが、リアンの胸の奥深くに焼きついては離れなかった。
「リアン、駄目だ。駄目だぞ?彼女は、兄さんの妻なんだから」
そう何度自らに言い聞かせても、彼女を見つめる瞳の熱は決して冷めはしなかった。
サチの微笑みに宿る清らかな温もりが、彼の心を惹きつけてやまなかったのである。
リアンは商談の場においては、相手を追い詰めるかのような執念深さで知られていた。
一度目をつけた獲物は、逃さない。
その性分が今は、愛という形で自らの身を蝕んでいるようでもあったのだ。
兄が留守の折、彼は幾度かそれとなくアプローチを試みていた。
ほんのわずかに手が触れるような距離で話しかけてみたり、庭先で一緒に季節の花を眺めたり。
しかしそのたびにサチは控えめな笑みで答え、柔らかくいなし、何事もなかったかのように去っていく。
その可憐な笑みに、リアンは何度も心を掴まれ、そして突き放されるような思いをしていた。
彼女の中に、リアンの居場所はない。それを痛いほど理解していながらも、なおもサチの姿を見つめてしまう。それが、恋の残酷さでもあったのだ。
やがてロレンにも、その気配は悟られてしまう。
穏やかで静かな兄が、珍しく険しい顔をしてリアンのことを見つめたとき、屋敷の空気は張りつめていた。
「リアン、話がある」
「なんだい?兄さん」
「明日の夜、あの丘で会おう」
その言葉に、リアンは覚悟を決めて頷いた。
「わかったよ」
***
そして来る夜、兄弟は言葉を交わすよりも先に、その拳で語り合っていたのだ。
サチはその日、花嫁衣装の最終の仕立てをしており、一日中部屋から出ることはなかった。
二人はその隙に屋敷を抜け出して、町の外れにある小高い丘へと向かっていた。
それは幼いころ、兄弟が何度も喧嘩をしていた場所でもあった。
泥だらけになりながらも、ともに泣き、ともに笑ったあの丘の上へと。
いま再び、彼らはその場所に立ち思いのたけを打ち明けていた。
「……リアン。サチのことを、どう思っているんだい?」
「好きだよ、好きになっちゃったんだ!この想いは、もう止められないんだ」
「そうか……」
ロレンは深く息を吐きながら、弟の姿をまじまじと見つめた。
数年前よりも逞しくなった体格に、日に焼けた肌。
南方の影響を受けたせいか、さらに快活な話し方になりその笑みも太陽のように明るくあった。
情熱的にサチを求めるその姿に、ロレンは羨ましく思いながらも拳を握った。
サチの夫として、負けるわけにはいかなかったのだ。
「兄さんに勝ったら、サチさんと一度だけでいい。デートをさせてくれ!」
リアンの声は、冗談のようでいて本気でもあった。
「そのようなこと、私が許すわけがないだろう?」
二人は言葉を超えて、その想いをぶつけあう。
最初は、リアンが優勢であった。
彼には若さと、勢いがあったのだ。
しかしロレンの拳には、理屈ではないような強い力が宿っていた。
それは、愛する者を守る力でもあったのだ。
サチを傷つけまいとする、誠実な決意がその拳には込められていたのだ。
いつしか互いの息は切れ、頬が赤く腫れ。
冷ややかな風が二人の間を吹き抜けるころに、勝敗は決した。
ロレンが立ち、リアンが地に手をつく。
「……兄さん、何をしているんだろうな、俺たち」
そうリアンが、息を吐く。
ロレンは無言のまま膝をつき、弟の肩を掴んだ。
その手には、怒りも恨みもなかった。ただ兄弟としての愛情と理解が、含まれていたのだ。
「ははっ、……兄さん、血がついてる」
リアンは懐から布を取り出し、ぐいとロレンの頬を拭ってみせた。
「お前のほうこそ、……」
ロレンもまた、乱れた弟の髪を優しく撫でつけた。
幼いころと何ひとつ変わらない仕草に、二人は思わず声をあげて笑ってしまう。
***
帰り道、ロレンはふと小さくこぼした。
「先ほどの件だが、私を含めた三人でなら……サチとの外出を許そう」
「兄さん!」
途端に、リアンの声は弾む。
「近頃は、屋敷にこもりきりになってしまっていたからな。サチの気分転換にもなるだろう」
「で、いつ行く?」
「……そうだな、次の週にでも行くとしよう」
二人は、夕焼けの丘を並んで歩いた。
その横顔には、どちらにも小さな笑みが浮かんでいた。




