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穏やかな春を迎えたい  作者: 陽花紫


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4/9

春の次に結ばれる

 季節は過ぎ、陽の光は日増しに強くなり、爽やかな風が青葉を揺らしていた。

 町の空気は少しずつ、夏の気配を帯びていたのだ。


 その日サチは、家の手伝いを終えてよく晴れた裏庭へと出ていた。

 洗いざらしの白い布が風に舞い、陽の光を受けて透き通る。草の上では、その淡い影が揺れていた。


 「サチ、またロレンさんからお手紙よ?」

 そう知らせる母の声に、サチの胸はどきりと高鳴る。

 ここのところロレンの家は忙しく、二人は顔を合わせる機会が減っていた。

 せめて言葉のやり取りだけでもと、サチは時間を見つけてはロレンに対して手紙を送っていたのだ。そして、その返事は日を空かずして届けられる。


 サチは整った筆跡を目で追いながら、わずかに笑みを浮かべていた。


 ――あと少しで、仕事が落ち着きそうです。もしお時間が合えば、一度私の屋敷にお越しください。


 読み終えると、サチはしばらくその文章を指でなぞっていた。


***


 ロレンの屋敷はサチの家よりも少し大きく、数人の使用人が控えていた。

「サチさん、今日はありがとうございます」

「いいえ、こちらこそ。お招きいただき、ありがとうございます」

 サチは目にするものすべてに驚きつつも、努めておしとやかでいようと控えめな笑みを浮かべていた。


 そして案内された庭園は、青々とした木々に囲まれていた。

「素敵……!まるで、おとぎ話の世界に迷いこんでしまったみたい」

「ありがとうございます。母の、趣味なんです」

 その中を並んで歩くと、鳥の声と風の音がかすかに響き渡る。


 しばらくすると、小さな白いベンチへと辿りつく。二人はそこへ腰を下ろし、静かに互いの手を重ねていた。

「やっと、サチさんの顔を見ることができました」

 ロレンはサチに向けて、変わらぬ笑みを浮かべていた。

 そしてサチもまた、手のひらにわずかな力をこめながらロレンの顔を見上げる。

「私も……。ずっと、ロレンさんに会える日を楽しみに、家の手伝いを頑張っていました」

「すみません。急に仕事が立て込んでしまったせいで、サチさんには寂しい思いをさせてしまいましたね」

 そしてそのお詫びにと、ロレンは懐からある小さな包みを取り出す。

「甘いものは、お好きですか?サチさんがいらっしゃるということで、母が持たせてくれたんです」

 その包みの中には、小さな焼き菓子が入っていた。

 わずかに甘い香りが漂い、木の葉を模した形の表面には金色の砂糖がまぶされていた。

「甘いものは、大好きです。とても綺麗ですね。いただいてしまって、いいんですか?」

「はい。お口に合えばいいのですが……」

 サチは早速そのうちの一つを摘み、口の中へと運ぶ。

 ほどよい甘さが広がり、たちまちその顔には笑みが浮かびあがる。

「おいしいです、とても」

「よかった。母は、あなたのことをひどく気に入っているようで……」

「……えっ?」

 ロレンは視線をそらし、少しだけ苦い笑みを浮かべる。

「手紙の返事が丁寧だと、しきりに褒めていましたよ」

 その言葉に、サチは頬が熱くなるのを感じていた。

 手紙はいつも、何度も下書きをしてから丁寧に書いていたからだ。

 それは日々の天気のことや、家のこと、町のことや風のことなど。どのような話題なら彼が喜ぶか、言葉を選ぶたびに時間が過ぎていたものでもある。


 ――そんなふうに、読んでくださっていたのね。



 午後の陽が傾きはじめるころ、二人は並んで本を読んでいた。

 ロレンが貸し出したのは、とある旅人の手記であった。

「この人は、たくさんの国をその目で見てきたんですね……」

 しみじみとサチが呟くと、ロレンもまた深く頷いた。

「外の世界に憧れてしまうというのは……少し、子供じみた考えでしょうか」

「いいえ。私も、知らない場所を見てみたいと思うことがありますよ?」

 二人は互いに笑みを浮かべながら、ページをめくる。

 そのかすかな音だけが、静かな庭に響いていた。

 

 ふと、ロレンが小さく息をついた。

「……サチさん、」

「はい」

 ロレンは本を閉じ、しばらく黙り込んでしまう。

 その姿を、サチは心配そうな面持ちで見つめていた。


 そして、ためらいがちに言葉を探すように再びロレンは口を開いた。

「時々、不安に思うんです」

「不安?」

「このままでは、私は家の期待にも応えられない。……弟は優秀ですし、私の居場所が、いつかなくなってしまうのではないのかと」

 サチは黙って、その言葉に耳を傾けていた。

 ロレンの声は落ち着いていたが、その奥にある小さな震えをサチは感じ取っていたのだ。

 そして再びロレンの手を取って、サチは語りかける。

「……私も、似たような気持ちを抱えたことがあります」

「えっ?」

「何をしても、誰かと比べられているような気がしてしまって……。でも、ロレンさんは優しいから、きっと人の痛みに気づいてしまうんです。それは、弱さなんかじゃありません。むしろ、ロレンさんの素敵なところだと思います」

 ロレンはしばらくサチの顔を見つめ、それから静かに目を伏せた。

「……あなたは、時々怖いくらいにまっすぐな人ですね」

「……そうですか?」

「はい。そして、そのまっすぐさが……羨ましい」


 ロレンはそっと立ち上がり、ベンチの脇に落ちていた小さな白い花びらを拾い上げる。

 それは指の間でわずかに震え、あたたかな光を受けて透き通る。

「この花、好きなんです」

「どうして、ですか?」

「儚いものであるかのように、見えるからでしょうか。けれど散るまでの間は、ずっと光を追い求めているようにも思えます」

 サチはその花を見つめながら、心の内でロレンの言葉を繰り返していた。


 ――儚くても、光を追い求めるもの。


 それは、先ほどの彼の言葉そのものであるかのように思えていた。



 帰り道、並んで歩くふたりの間を柔らかな風が通り抜けていた。

 サチは小さく、呟いた。

「今日の空は、心なしかいつもより綺麗にみえますね」

「そうですね。夕暮れが、少し切ないようにも思えますが」

 ロレンは歩みを緩め、サチのほうを見つめる。

「サチさん」

「はい」

「……いつも、ありがとうございます」

 それは、短い言葉であった。

 しかしその声の奥には、何か大切なものが秘められているようでもあった。

 サチは笑顔で頷き、ただ一言だけ言葉を返す。

「こちらこそ」


 二人の間に、柔らかな沈黙が落ちる。


「あなたのことが、大好きなんです」

 その言葉と共に、ロレンは静かにサチの頬へと唇を寄せた。

 サチは驚きに目を見開くものの、次の瞬間には笑みを浮かべてロレンの手を取っていた。

「私も、大好きです。ロレンさんのことが」


 二人は互いに笑みを交わし、触れるだけの口づけを交わした。



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