茶葉と共に悪役令嬢を沈めてしまったようです
噴水の前にばらまかれた教科書だったものを、ため息交じりに拾う。
果たしてどういうつもりか、と主犯に尋ねようにも、近付こうとすれば取り巻きに取り囲まれ、糾弾される。
『あなたが王太子殿下と仲良くするから、リュシア様が悲しまれている』
『幼少の頃から関係を育まれてきたリュシア様と王太子殿下の関係を、お前がぶち壊した』
『ぽっと出の伯爵令嬢のくせに!』
伯爵令嬢ではなく、伯爵家の娘、だろう。
この国の貴族が通う学校の中で最高峰と言われているこの学園でこれか……とため息を吐いた。
確かに私はこの国では伯爵家の人間だ。しかも養女。養女になったのは三ヶ月ほど前。
伯爵家の方々には、学園での具体的な出来事については私からは伝えていない。あまりにも馬鹿らしすぎて。
『学校はどう?』と聞かれれば『立場相応の扱いをしていただいております』とは答えている。
伯爵家では私が快適に過ごせるように心を砕いてくださっている。砕いた心をさらに粉砕してくださるのが、学生たち。
「国の未来を担うと言われている人たちがこれでは、世も末ね……」
ビリビリに破かれた教科書を黙々と拾っていると、視界に細い手が見えた。
「お手伝いします」
どこから現れたのか、女子学生が教科書だった紙片を拾い始めた。
「ありがとう。でも、大丈夫?」
「問題ありません」
私を助けたら、立場が悪くならないかしら。それが気にかかって尋ねたけれど、返答が端的で迷いがなかった。この人なら大丈夫そう。
それになぜか……とても手際がいい。むしろ良すぎる。まるで破かれた教科書を拾い集めるプロのようだ。
そうして二人で黙々と教科書を拾った。風がない日で良かった。風があったら、回収できないもの。
十五分ほどかけて拾えるものを拾い切り、立ち上がってスカートの裾を払う。細かくなった紙片が飛ばないように必死で抱えている女子生徒に、紙袋を差し出す。教科書だったものをそこに入れると、彼女も立ち上がった。
「紙片を入れる袋をお持ちとは、随分と準備がよろしいのですね」
小柄な女子生徒が私を見上げた。ベリーショートの髪は栗色。まん丸なチャコールグレーの瞳がまっすぐにこちらを捉える。
「回数が片手で収まらなくなってしまったの。恥ずかしいわよね」
「……ええ、本当に」
蔑みが混じった声に、肩をすくめながら苦笑を返した。
「本当に、ね」
「やあラヴィニア嬢」
「おはようございます、王太子殿下」
狙ったわけではない。しかし、教室の移動があれば週に一度は遭遇する機会があるだろう。
「不便はない?言葉も違うから大変でしょう」
「お気遣いありがとう存じます。こちらに参ります前に、友人がたっぷりと稽古をつけてくれたので、会話は不自由なくできております」
「そうか、それは良かった。それではまた」
「はい、失礼いたします」
しばらく頭を下げ続け、遠ざかった足音を聞きながらゆっくりと頭を上げる。廊下の向こう、小さくなっていく王太子殿下の後ろ姿を見送る。
相変わらず息災でいらっしゃるようで何よりだ、と考えていると、
「泥棒猫」
誰かが背後で言った。
ゆっくりと振り返る。誰もいない。まあ、当然いないだろうとは思っていたから、別に驚きもない。
「……どちらかというと犬顔だといわれるのだけれど」
そういう問題じゃないでしょう、とどこからか聞こえた気がする。
「ふふっ、泥棒猫ね。でも、盗む以前の問題のようよ?」
***
そんな波乱しかない学園生活を送って数ヶ月。学生を対象とした特別なお茶会が、王城で開かれた。
学園にはティーサロンがあり、将来に向けた練習として各学年のうちに最低一回は主催するという必修課目がある。
そしてデビュタントを迎える前に、社交の一環として、講師が推薦した四年次の生徒が王城のティーサロンでお茶会を主催する……というこの国の伝統行事のひとつらしい。
要するに──『王城でお茶を淹れる権利』をかけた競争だ。
四半期に一度しかないその機会のために、生徒たちはしのぎを削る。
王城のリストに名が残れば、女官や侍女として取り立てられる道が開けるのだから。
……今回、私はイレギュラーとしてその主催者に選ばれた。
ゲストは、これからこの国を夫人という立場で支えていく可能性がある女子生徒たち。通常ゲスト役は抽選らしいけれど、今回に限っては王城と学園で選定したという。
今回のお茶会は様々な意味を持ち、それぞれの思惑がある。
私は会話が成り立つ相手と事前に情報を交換し合い、あとは静かに準備を整えた。最終確認のため前日にも王城に入った。
このお茶会を滞りなく始め、終わらせるために働く、それが私の役割。それ以外には『何もしない』。
花は少し無理をお願いして取り寄せていただき、茶器類は実家から送ってもらった。これは今後も使う機会があるので、当面はこのまま王城に置いていただくことになっている。
開始予定時刻を前に、ゲストが順番に訪れる。
一番初めにいらしたのは、王太子殿下の婚約者であり、公爵家のご令嬢であるリュシア様。
私は静かに一礼して視線を交わし、
『ようこそおいでくださいました、リュシア=ヴァレーヌ様』
と静かに告げる。
『こちらこそ、お招きくださりありがとう存じます』
リュシア様が私に応じてにこやかに微笑まれた。
次の順番でいらした侯爵家ご出身のフローラ様は、わずかに目を見開き一歩前に出ると、その手の扇を半ばまでゆるりと開き、胸の前で軽く傾けた。
……理解しておられる。わずかに交わった視線で、それが伝わった。
『ようこそおいでくださいました』
そうご挨拶すると、たおやかに微笑まれた。今後お話する機会も多そうだ。
その後も続々とゲストがお入りになる。ゲストの選定には関わっていないため、同じ学園に在籍しながら初めて言葉を交わす方もわずかにいた。
ただし、事前にゲストの一覧はいただいており、お姿の特徴と入場順による家格の違いから、入口で誰の助けを借りずとも名前と顔を一致させることはできるようにしていたので、問題はない。
ゲストの中には、挨拶の際、こう添えてくださる方もいた。
「貴重な機会をいただきありがとうございます」
「楽しみにして参りました」
この方々はしっかりと調べた上でここにいらっしゃる。予期せず、私にとっても見極める場になった。
そして。
「ようこそおいでくださいました、マルセラ=ハーグレイヴ様」
当初の順番と前後して、最後に近いタイミングでいらしたリュシア様のそばにいつもいらっしゃるマルセラ様に一礼すると、マルセラ様は扇子越しに軽く鼻を鳴らしてこちらを一瞥した。
「あなたがリュシア様に危害を加えないかしっかり見張ってやるわ」
「大変心強いお言葉、ありがとう存じます」
そう返すと、不満を隠しきれない足取りで、サロンの中へ進まれた。
サロン内に目をやると、リュシア様の冷ややかな視線と絡み合う。
わずかに首をかしげ曖昧に微笑むと、私は次のゲストを迎えるべく身体の向きを戻した。
ゲストが全員揃い、お茶会が始まる。
ティーワゴンの上から茶葉が入った缶を取る。茶葉をポットに入れお湯を注ぐと、上からカバーを被せ、蒸らす。
「色味の明るい入れ物ですのね」と侯爵家のご令嬢であるフローラ様がおっしゃった。
「はい、セイランディア王国は鮮やかな色彩を好むためこうした小物の装飾も明るい色味となります。茶器も本国より取り寄せました」
蒸らしが終わり、リュシア様のカップから注ぎ始める。ゲスト全員と自分のカップにお茶を注ぎ終えると、自席に腰を下ろしゲストの方々のご様子を見渡した。概ねどなたも好意的だ。
「本日の茶葉はセイランディア王国でポピュラーな茶葉なのですが、香りを損なわぬよう、沸かしたてのお湯を使い、短時間で抽出しております。柑橘の香りがついておりますので、どうぞ香りも楽しんでいただけますと幸いです」
「それにしても変わった香りね。ワタシの口には合わないわ」
マルセラ様が早々に火種を投げ込んできた。お茶会を成立させないつもりなのだろうか。リュシア様は黙って口につけたカップを傾けていらっしゃる。
「まあ、そうでしょうか。わたくしは好きですわ」
フローラ様がおっとりと微笑んでくださった。フローラ様に同調するように、数名の方が「ええ」「私も」と相槌をうつ。
「ありがとう存じます。本国では、香りの立ち上がりを重んじます。茶葉が湯に触れた瞬間の香りが最も華やかとされているのです」
マルセラ様がすがるようにリュシア様をご覧になる。リュシア様はソーサーにカップを置き、こちらを見て微笑まれた。
「セイランディア王国の鮮やかな街並みを思い出しますわ。以前送っていただいた時に淹れ方を教わってはおりますが、同じように淹れることができなかったので、久しぶりに本場の味を楽しめて嬉しゅう存じます」
「本日のために練習してきた甲斐がございました。ありがとう存じます」
その瞬間、サロンに流れる茶会のリズムが一拍、遅れた。
「え……あ……」
マルセラ様が不安そうに視線を漂わせる。
「リュシア様、ラヴィニア様とは……その……」
「十年来の知己ですわ。バケーションでセイランディア国へ訪問した際にあちらの国王陛下よりご紹介いただきました。筆頭侯爵家の御息女でいらっしゃいます。もっとも、そんなことはどうでもよろしいのですけれど」
「!?」
反応を見ると、知っている方と今知った方が半々といったところか。
「リュシア様の御父上でいらっしゃる公爵閣下と、私の伯父がかつて帝国で勉学を共にしたご縁でございますの」
「国王陛下と父の話がいつまで経っても終わらずに、二人で庭園から星を眺めましたわね。良い思い出でございます」
ワゴンを押してサロンに入ってきたメイドと一瞬目が合う。髪の短いそのメイドは表情を変えずに、一瞬口元を緩ませてみせた。
「本日のお菓子はこのお茶に合う我が国の茶菓子を再現しております。どうしても再現が難しいものは本国より取り寄せました」
王城の菓子職人の方々は大変意欲的に母国の伝統菓子について学んでくださった。材料や仕上げに工夫をこらし、かなり高い再現度となっている。
「本日は、皆様が目指される名誉ある茶会とは別に、異文化を知る機会として王太子殿下よりご提案いただきました特別な茶会でございます。
海の向こう、距離はございますが、どうぞ異国の雰囲気だけでも味わってお帰りくださいませ。ご質問があれば、わかることは全てお答えいたしますわ」
***
「ラヴィニア様はこちらの言葉がお上手でいらっしゃいますが、どうやってお勉強なさったのですか?」
「リュシア様と魔道具で話しておりました。初めて会った時は言葉が通じず、二人で黙って星を見るしかできなかったのが、歯がゆくて」
「そのお陰で私もセイランディアの言葉をだいぶ覚えることができましたわ。言語習得には実践が一番だと身を以て経験いたしましたの」
「本日のお茶会がラヴィニア様ご主催と伺っておりましたので、本当に楽しみにしておりましたのよ」
入口で温かい言葉をくださった子爵家のご令嬢が興奮冷めやらぬ表情でわずかに身を乗り出した。
「ありがとう存じます。こちらに来てまだ日が浅く、友人がほとんどいないものですから、どうぞこれから仲良くしてくださいませ」
「ああ、そういえば、ラヴィニア様がいじめられているという噂を耳にいたしましたわ」
「私も。教科書を破られたと伺いました」
何名か、びくりと身を硬くした方が視界に入る。
「あら、ラヴィニア。どうして教えてくださらなかったの?知っていたら犯人をひっ捕まえて問い詰めましたのに」
「リュシアったら、ひっ捕まえるだなんて!」
ホホホホホ、とサロンに笑い声が響く。サロンに面した中庭の噴水の水しぶきが、陽の光に照らされて星のように輝いた。
「そのような物語が流行っていると知っておりましたので。ちょうど良いモデルだと見なされたのでしょう。いずれにせよすぐ飽きるでしょうから、相手にするまでもないと思っておりましたの……今思えば失礼でしたかしら?」
「失礼だなんてそんな、本当に失礼なのはどちらなのかというお話ですわ」
「この国の方に我が国の文化をお伝えするご縁をいただけたので、逆に私もこちらの文化を学ぶべく参りましたが……縁戚の養女になったのが良くなかったのでしょうか」
「養女になると言っても色々事情があるでしょうに、養女だから生まれが卑しいとでも思ったのかしら。浅はかにもほどがございますわ」
「物語というのはよくできておりますからね」
話は大いに盛り上がり、高らかな笑いが絶えないお茶会は瞬く間にお開きとなった。
一部の方々がまるで生気のない顔をなさっていたけれど、体調を崩されたのかもしれないわね。それとも、私の国の食べ物が合わなかったかしら。
***
『……マルセラ嬢の始末、あれで良かったの?リュシア』
他のゲストを帰したサロンで。周りでメイドたちが片付けをしている中、リュシアとふたり、この国の紅茶で喉を潤す。
『十分よ。あの子、私のことが大切だから心配だからなんて言いながら、結局自分が大事なご自愛様だもの。父にも伝えるわ。父親もあまりいい印象ではないの、あの子の家。思った以上に陰湿だったからこれをきっかけに関係を切ると思うわ』
『まあ、厳しい』
ポットに注いだ紅茶の香りが優しくただよう。
レモンスライスを紅茶に浮かべ、スプーンを一周させてすぐに取り出すと、ソーサーの端に乗せた。母国ではこういうレモンを浮かべる飲み方はしないけれど、私は結構気に入っている。
『協力してもらって悪かったわね。卒業したらすぐに結婚式だから、そろそろ近くに置く子を見極める最終段階だという話を殿下ともしていたの。……逆に良さそうな人が見つかって助かったわ』
『それは何よりだわ。私も楽しくお付き合い出来そうな方がわかって良いお茶会だった』
「ラヴィニア様」
突然気配もなく後ろから声をかけられ、『きゃっ!』と声を出してしまう。
振り返ると、お茶会の最中に目が合った栗色の髪のメイドだった。
「間もなく片付けが終わります。大変恐れ入りますが、そろそろご退出をお願いいたします」
「え、ええ。わかったわ。今日は助かりました、ありがとう」
「問題ありません」
とメイドが小さく微笑み、耳元に口を寄せてきた。
『本国には、滞りなく解決したと報告しておきます』
『!!……ありがとう、任せるわ』
「ミリィ!こっち!!」
私の顔を見てこくりとうなずくと、ミリィと呼ばれたそのメイドは「はい、ただ今」とサロンを出て行った。
「どうしたの?ラヴィニア」
「……いいえ、過保護な家族を持ったなと思っただけ」
サロンを出ると、そこには王太子殿下と、もう一人の小さな王子が待っていた。
「ラヴィニア!!」
「まあ、エドモン殿下。いらしていたのですね」
「今日はラヴィニアのお茶会だって聞いて、本当は参加したかったんだけど」
「さすがに止めたよ。ラヴィニア嬢の晴れの舞台だからね」
王太子殿下がエドモン殿下の腕を掴んだ。
「エドモン、近すぎる。もっと距離感をわきまえなさい」
「だって兄上、せっかくラヴィニアがきれいなのに」
「エドモン殿下、お顔を出されず正解です。女の戦いとは恐ろしいものですの。殿下がご覧になったら夜眠れなくなってしまうところでしたわ」
「そ、そんなことないやい!!」
むきになるエドモン殿下を見てリュシアと王太子殿下が口を隠して笑っている。
「良かったなエドモン。せっかくだから夕暮れの庭園を案内してはどうだ」
「うん、そうする!行こうラヴィニア」
「はい、参りましょう。では王太子殿下、リュシア様、失礼いたします。どうぞごゆっくり」
王太子殿下がリュシアをエスコートして城の奥へ消えて行くのを眺める。嬉しさが後ろ姿からも伝わってくるくらいに想いあっている二人を、なぜ私が邪魔すると思えるのか、理解に苦しむわ。
第一、私にだって婚約者がいる。私と同じように、他国に留学中だけれど、毎日通話はしているから、浮気はない、と、思いたい。……なんでだろう、自信がなくなってきた。
「早く行こうよラヴィニア!日が沈んじゃう!」
「自習は捗っていらっしゃいますか、殿下」
「う、ラヴィニアの国の言葉は発音がむずかしいんだ」
「今日はレッスンではないですからこのままでよろしいですが、明後日はレッスンです。復習をなさってくださいね」
「わかったよ……」
まだ十歳に満たない第二王子エドモン殿下の婚約者は、我が国セイランディア王国の王女殿下だ。お二人は同い年。あと数年でエドモン殿下はセイランディアへ留学して、王女殿下と結婚、ゆくゆくは王配となられる。
セイランディアへいらっしゃるまでに、言葉や文化をお教えするのが、私がここに来た目的のひとつ。あとは。
『……まあ、見つかりそうで良かったわ』
「??ラヴィニア、何か言った?」
「いいえ、ひとりごとです」
有事に備えて取り込める家を探せ、とは、なかなか学生時分に命じるには酷な任務だと思うのですけれど。
先ほどのメイドは、おそらくサポートで入ってくれたのでしょう。
『本当に、世界はなかなかひとつにはなりませんわね』
中庭から見る夕暮れは柔らかなグラデーションを織り上げている。
平穏無事な日常が一日でも長く続くことを、無邪気に今日の出来事を報告してくれるエドモン殿下の手を握りながら願った。噴水の水音だけが、遠くで続いている。
「良いですか殿下、私たちのセイランディア王国では直接的な表現が好まれます。こちらの国の男性は素直になれない男子の物語に共感を抱きやすいそうですが、それを実際にセイランディアでやると、確実に詰みますよ」
「素直にならなきゃダメなのはわかるけど……つむ、って何?」
前作が日間の総合1位をいただきました、本当にありがとうございます。
今作でも実はあの子がさらっと出ています、たぶんさりげない登場の裏で別の仕事をやっているはず……。