終末時計
「終末時計が百秒を切りました」
通学途中、駅と駅を繋ぐ歩道橋を歩いていると、雑踏と蝉の鳴き声に混じって、そんな声が聞こえてきた。季節外れのブレザーのボタンを外しながら声の主を探すと、前方の欄干に若い女性から年配の男性が若干名、なにか書かれたプレートを掲げていた。
わざわざ足を止める気はなく、その団体を一瞥して通り過ぎた。その一瞬に満ちゆく通行人と肩がぶつかり、ひどく傷んだ。相手は特に謝る事なく、去っていった。
顔を上げると白のプレートには目を引く赤い文字で「人類滅亡まで残り100秒」と書かれている。
同じことを繰り返す団体を蔑むように、けれども聞こえないように小さく鼻を鳴らした。
何が人類滅亡だ、馬鹿馬鹿しい、くだらない。
心の中でそう唱えるうちに、すっかり距離ができていた。
——でも、本当に滅んだら?
自問する心の声に応えるかのように後ろから何か叫ぶ声が耳に届いたが、聞こえないフリをして、今日の小テストはなんだったかと考えながら階段を急ぎ足で降りた。
* * *
「はよざいます」
「お、ケンジおはよう!」
教室の扉を開けると、窓際の一番端に座る友人のタツキに手を振られた。
サッカー部の彼らしい日焼けした手に、おう、と帰宅部の白い手を振り返した。
カバンを肩から下ろしながら自分の席に着くやいなや、タツキが食い気味に話しかけてきた。
「なあなあケンジ、人類滅亡まであと百秒らしいな」
隣の席からやや神妙な面持ちのタツキが手を口の横に当てて、ひそひそ話をするように小さな声を投げかけてきた。
どこかで聞いた話。タツキの机には、既視感のあるビラが水筒の下に置かれていた。
「……お前まさか、あの変なオカルト団体の影響受けてんのか」
呆れたため息を吐きながら、カバンの中から教科書を取り出した。一時間目は現国の漢字テストがあったはず。A5サイズの問題集を開きながら、興味がないことを示すような態度を取った。
「いやいや、それが結構ガチっぽい」
「何を根拠に」
ページをめくると「懐疑」という単語が出てきた。それを指でなぞりながら、タツキの話を話半分に聞き流した。
「朝、ニュースで見たんだよ。速報でさ。残念ですが人類滅亡まで残り100秒になりましたって」
にわかには信じたいが、朝のニュース番組でアナウンサーがそう言い伝えたらしい。
あいにく、今日の朝はテレビなど見る余裕もなく、行きの電車の中でも惰性で続けているソシャゲの周回でSNSをチェックする余裕もなかった。それでも、見た、見ていないの判断はできないものの、その情報だけでは信じるに値しなかった。
「で、具体的に何が原因でどう滅ぶんだよ」
くだらない。いくら友人の言うことでも、あまりにも非現実的すぎて嘲笑もしたくなった。
問題集に目を落としたまま、さらにページをめくった。
「それは俺にもわからん。隕石が降ってくるのか、太陽が近づいて燃え滅ぶのか、はたまた地球が爆発するのか……ただ、滅ぶことは確定らしい」
からかっているのだろうかと、やっと視線を向けてみたが、タツキの表情は至って真面目で、真剣な眼差しをしていた。そのまま数秒間タツキを見つめ続けたが、表情を変えることはなかった。
タツキは嘘をつけない。冗談を言っても、こうしてまじまじと見つめてやると、すぐ吹き出す。それは中学からの仲だからこそわかる彼の性格だった。
それなのに、いくら待っても確信があるように、頷くだけで、彼の口角が上がることはなかった。
「何、お前、そんなにオカルト好きだったっけ」
問題集を閉じて、タツキに向き直った。
「俺だって普段信じねぇよ。オバケとかいるわけないと思ってるし。でも今回ばかりはどうも、な」
いつもと違う友人の様子に首を傾げながら、意味深な言葉の先を聞こうとして、甲高い声に遮られた。
「ねー聞いた? 終末時計の話」
「聞いた聞いた。マジさ、ウチら今週末祭り行くのに、そこまで持たないっぽいのガチ鬱〜」
「最悪すぎ、浴衣買ったばっかなんですけど」
クラスの陽キャ女子たちまでそんな話で盛り上がっていた。
気になってカバンからスマホを取り出して、SNSのトレンドを開いた。
そこには、「速報」の文字と共に「人類滅亡に関する情報について」と、複数人が発信した投稿がまとめられていた。
画面をタップすると、一番ホットな投稿が表示された。
『人類滅亡まで、残り100秒』
ユーザーアイコンは真っ黒な上、アカウント名も初期IDのままだった。
それなのに、その何の根拠もない呟きは、五百万いいねを超えている。
そのユーザーの過去の投稿を遡ると、過去日本を、世界を脅かした事件や災害を示唆するようなセンテンスが並んでいた。
「こんな根も葉もない予言に何みんな本気になって、」
言いかけて、投稿日時が気になった。
ただ事実を陳列しているだけなら、俺のように馬鹿馬鹿しいと流す人間がほとんどなのだろう。
ただ、どれもこれも日付を見ると《《その事件や災害より前に》》投稿されていた。
記憶に新しいコロナなんかは、二〇二〇年になる前に「パンデミック」と呟かれていた。
言葉にしがたい気持ち悪さが背中を伝った。
そうこうしているうちに予鈴が鳴り、勢いよく扉を開けた担任が教室に入ってきた。
スマホをいじっていたのをバレないように、カバンへ放り込むと、そのまま机横のフックに引っ掛けた。
「えー、みなさん、ニュースで見た方もいると思いますが、国から発表があったように、人類滅亡まで百秒を切ったようです。いつからカウントが始まるかわかりませんが、とりあえず今日はこの後、速やかに下校してください」
真面目で、いつも毅然としている担任が、七三に分けた髪を乱している。
数学を担当する彼が、ここまで根拠のない噂を本気になって信じることがあったかと問われれば、思い出せなかった。
クラスメイトは口々に囁き、それが不安を煽った。いよいよ只事じゃない雰囲気を感じて、机に置いてあった問題集をゆっくりとカバンにしまった。その冊子がやけに重く感じて、変な緊張感を抱いた。