「ケンタウル露をふらせ」
この物語は、あなた達の世界ではフィクションに該当します。
――13時40分、ゴタノノ駅
「このあたりにラブ……
ごほん。旅館はありませんか?」
――14時、チェックイン。
「涼しいですね。
お茶を一杯いただけますか?」
「あの、宿帳にお名前を……」
「あぁ、それはちょっと許してください」
ここまでずっと借りてきた猫のように顔を真っ赤にして黙っていたマール。
その前で結局正体がわからなかった犯人から剥ぎ取ったコートを脱ぐアナスタシア。
改めて純白のドレスを染めた赤に口元を歪め。
「っ!? わ、わわっ! 待って! 待って!」
しゅるりと服を脱ぎ、白い肌を晒す。
「いや、流石にこのままは嫌ですから」
ごく自然な表情を装って全裸になり、そのまま部屋備え付けの浴衣に袖を通す。
顔を手で覆いながらも目元に隙間を作るマールに
優しい流し目に向けたアナスタシアだが、その心中は。
(仏説摩訶般若波羅蜜多心経観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無罜礙無罜礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶般若心経)
うーん、煩悩まみれ。
「ふぅ……」
お茶を飲んで一服。
マールもようやく落ち着きを取り戻し。
「お父様が亡くなられた理由でしたね」
「あ……そ、そう! そう!」
マールは己の経験から、確実に強者を倒す方法が戦力の飽和投入からの消耗戦だと理解していた。
ようは肉体や精神の疲労、MP切れまで戦力を投入し続け、弱ったところを叩く。
たとえ魔王といえども必ずその方法で倒せるはずと考え、鉄道で世界の戦力を集中させた。
そして実際に魔王は死亡したわけだが。
「お父様は、魔王は。
人間風情に殺されることはありません。
しかし、簡単に人間を殺せる方でもない」
「え? いや、圧倒的に強いなら別に……」
「あなたと同じなんですよ、マール」
「私と同じ?」
アナスタシアは優しい表情で微笑みかけ。
「あなたは私のお願いを聞き、その無尽蔵の時間を使って、
ファン・ラインの路線を残すため頑張ってくれました。
あなたほどの方なら、誰が相手も話せば必ずわかってくれる。
その通りだったでしょう?」
「そうですね。アナスタシアさんの言う通りでした。
ありがとうございます。
私、これからも頑張って……」
「その必要はもうありません」
はっと驚いた顔を見せるマール。
「ど、どうしてですか!?
だってまだ、全然ファン・ラインは!」
「しかしこのままでは、あなたはお父様と同じ終わりを迎えてしまう。
お父様もあなたと同様人類種に勝ち続けた。
しかし、勝っても勝っても現れる敵。
終わりの見えない戦い。
心に積み重なっていく疲労、罪悪感と焦燥感。
そしてお父様は、自ら最悪の決断を下しました」
一瞬だけ悲しげな顔を見せたアナスタシアに
マールは思わず口元を覆った。
「それって……
魔王を倒したのは私でもなく、人類種でもなく……
魔王自身だった……と……?」
「そうとも言えるかもしれないけど、あなたと人類種が倒したとも言えてしまう。
いかにお父様が無敵の魔王だとしても、
終わりのない愚かさに疲れてしまえば、自ら終わりを選んでしまう。
まぁ、言ってしまえばどうしようもなかったんでしょうね。
前の戦争は51年間の戦争ではない。
5000年の戦争だったという話です。
魔王を継いだ私も今は、その疲れを……覚えていますから」
アナスタシアは大きくため息をつく。
「最期のお父様は、弱かった。
無限の戦いが強かったお父様を弱くした。
私はそれを知っていたはずなのに、
あなたに……鉄道女王に、期待してしまった。
お父様に変わって、これから永遠に戦い続けてくれると。
あなたこそが、新たな『魔王』になれると」
「私が……魔王……?」
「そう。魔王とは、どうしようもなく愚かな相手を圧倒的な力で抑え続ける存在のこと。
お父様は魔王としてこの星を守り、あなたは総裁として鉄道を守る。
そのための、生贄となる。
何の違いもないでしょう?」
確かにそう言われるとそうなのかもしれない。
魔王が星を守るというのも、大きな視点なら頷けてしまう話ではある。
魔物は人類種の敵だが、人類種はすべての生命の敵だ。
「でも、もう限界でしたでしょう?」
「まだ私は!」
「まだ? では、『いつまで』?」
「それは……」
マールは声を詰まらせて。
「……もう少し、先までは」
その『もう少し』がエルフの基準でどれだけのことなのかは、考える意味があまりない。
「私も、疲れましたので。
魔王の娘であることに。
人間も魔物も、等しくどうしようもないのですから」
「そうだね……そうだよね……
私はずっと魔物は駆除の対象だと思ってた……
その思いは、今も同じ。
でも、人類種が魔物種に比べて勝っているとは思わない。
合理で考えるなら、本当に駆除すべきは……でもさ!」
「えぇ。あえて駆除する必要もない。
『そんなどうでもいいこと』に時間を使う必要はなかった。
だって、駆除しても駆除しても湧いてきますから」
「お互いにね」
物騒な話をしながらも楽しそうに笑い合う2人。
とても楽しい話ではないように聞こえるが、
それでも話相手が愛する者なら、話の内容はなんでもいいらしい。
「でも、私は魔王の娘をやめられませんし、あなたもファン・ライン総裁をやめられない。
世界とはそういうものです」
「そう、なんだろうね。
どうすれば……いいんだろう」
「簡単なことです」
衣擦れの音が部屋に響く。
もう、目はそらさなかった。
真摯な彼女の瞳を正面から見て、軽く頷いてその先を促す。
「私と、死んでください」
今も昔も、ちょっと頭のいい人間が最後に至る結論は2つに1つしかない。
世界を壊すか、自分を壊すか。
それが原罪を背負って生まれ、
生きることこそが最上の苦しみであると理解してしまった生命の必然。
そのどちらに傾いてしまうかは、多分些細な偶然と小さな力だけ。
とても小さな、小さな力。
たとえば……愛とか。そういうものなんだろう。
――10月1日、午前8時
死霊術師達の判断が二転三転していた不思議。
ようやく雨があがり、日が出たことで現場検証が進んでいく中で、
その理由に気付くことができた。
線路の脇の土手の草むらの中から、3本目4本目と手と足が発見されたのだ。
そう、身を投げたのはファン・ライン総裁マール・ノーエだけではない。
もう1人いたのだ。
だが、そのもう1人の身元を示すものは何もなく、
その正体不明の遺体が何者なのか、
しばし調査にあたるギルドを悩ませることになるのだった。




