「貧乳のステータス」
この物語は、あなた達の世界ではフィクションに該当します。
この2年で心を入れ替えられた社員の数は、900名。
回れた駅の数は、11件。
そしてこの2年の新入社員の数は、1100人。
新たに作られた駅の数は、21件。
そして残りの駅の数は9万9900。
この数字を受付嬢は「終わりの無い戦い」として語った。
しかしマールはそう捉えていない。
彼女にとってのこれは「仲間を増やす戦い」だ。
既にファン・ライン内部外部問わず、
「鉄道女王」マールを信じ、認める人々が増えている。
最初は1人から戦いはじめたマールだが、
今はかつての敵が味方となり
外からマールの信用を後押ししてくれている。
当然のものとして、絶対に話を聞かず、
考え方を変えることを拒否する人は存在する。
だがそれでも、味方の絶対数は増え続けているのだ。
故にこの戦いは、続けば続けるほど楽になる。
敵が無限湧きするとしても、
どこかで必ず現れる数と味方にできた数が逆転する。
そのグラフは指数関数曲線で効率化していく。
確かに途方もない時間はかかるだろうが、
マールには確実な勝算が見えていた。
ある程度以上のプランニング能力と、
事前に構築された高い知名度と信頼値と、
絶対に癇癪を起こさず頭を下げ続ける善性の謙虚さ。
ここに半永久的な寿命が組み合わさった時、
もはや解決できない問題はない。
では何故ほとんどの人はこの方法が使えないのか。
それこそがマールのチートである。
すなわち、エルフの寿命と、鉄道への愛と信念。
そして……
絶対に人の中に悪意を見出さない
究極的な善性が、マールの力だった。
が……
この計画には、致命的な見落としがあった。
周りの全員が気付いているのに、
マールだけが気付いておらず、
そして、気付いている全員が言い出せない。
致命的な見落としが。
(あれでは、持たないねぇ)
今その「見落とし」を悩むには、マールを一番近くで見ていたのが彼女の幼馴染。
あの日共に一号機関車と出会い人生が変わった、シオンだった。
(私達は同じ望みを見て走っていたはず。
しかし、私はまだ光に届かず。
君の声も、闇にこだまするのみ。
私達の手に輝く剣はない。
桜は咲かず、渡り鳥は帰らず、ときの翼も広がらない)
それでもシオンはマールに声をかけない。
今の自分では効果もないとわかっていたから。
もしもあの幼馴染を思うならば、今の私がするべきことは。
(ひかりを、見せてやるしかないねぇ)
スマホの電話帳を立ち上げ、その文字を選択する。
「もしもし。あぁ、どうもどうも。
いつも世話になっているねぇ。
あぁいや、今日は振替輸送の依頼ではなくてねぇ……」
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――K急、ハルパー要塞
人類神話にて、伝説のメデューサの討伐に赴いた英雄の使用したアダマスの大鎌。
戦時中、そんな鎌をモチーフに国土を守るために作られた巨大要塞が、このハルパー要塞である。
戦後、その施設はK急に買収され、現在はK急の主要駅兼整備基地となっている。
「よぉ! シオンちゃん!」
「やぁやぁ主任君! 元気そうでなによりだね!」
この世界の技術者としては殿上人であるシオン。
ノルンの研究者たちですら最大限の緊張で接する彼女を、
見た目通りの小娘のように接する主任の豪胆さは、純粋に尊敬に値する。
「あぁ、そうだ。この度はお悔やみ申し上げるよ」
「騎士の殉職なんて珍しい話じゃねぇ。
俺は何人も仲間が戦場で倒れる様を見守り、この手で楽にしてやってきたんだ。
その点でかわいい嫁さに看取られて畳の上で死ねたオオタニ=サンは幸せ者だよ。
悔やまれることなんて何もねぇ。
まぁ、コタニちゃんはかなりショックを受けてるみたいだがな……」
「それが普通の反応というやつさ。
さて、社交辞令はもういいだろう。本題に入るよ」
「おうよ」
お悔やみの言葉を社交辞令といいのけるシオンも、
それを気にせず流す主任もどうかしているのだが、
この2人の場合、人の心がわからないというよりも、機械のことにしか興味がない。
マッドエンジニア仲間なのだ。
「カナンが来ているはずだ。会わせてくれ」
「断る」
しかしその願いは取り付く島もなく却下される。
「そんなぁ~。
いいじゃないかよぉ~」
「気色悪ぃ声を出すんじゃねぇ。
とにかくカナンちゃんには会わせられねぇよ。
あの子に鍛冶屋になるつもりはねぇ。
そんなあの子がハンマーを握ってうちに協力してくれてるのは、
コタニちゃんの恩義に答えるための特例だ。
あの子に他所でハンマーを握らせるつもりはねぇし、冶金の話をさせる気もねぇ」
「そこをなんとかねぇ~~!!」
「おい! 誰かシオン様をご案内してやれ!
殿上人の技術屋のお帰りだ! 塩も横綱級でな!」
主任もまた義理に厚い男。
それも尊敬に値する技術力と、娘のような可愛らしさを併せ持つカナンだ。
絶対にあわせるつもりがないという決意が塩の量にも現れている。
だがしかし、それで素直に引き下がるシオンでもない。
「主任、ひかりを見たくはないかね?」
「光だぁ?」
突拍子もない言葉に首を傾ける主任。
ちらりと見えたシオンのメガネの下の目には、確かに光が宿って見えた。
「最高速度210km/h。
最終的には300km/hにすら至るような。
夢の超特急を見たくはないかね?」
「見たくないと言えば嘘になる。
だが、夢物語の話をしてる暇はねぇ。
うちの新型ですら160km/hがやっと。
180km/hならまだしも、210km/h。
さらには言うに事欠いて300km/hだぁ?
そんな速度を出せるエンジンがあるわけ……」
「ノルンでの研究で、既に完成させているよ」
ちらりとシオンが見せた設計図に目が奪われる主任。
その手が設計図を奪い取ろうと伸びる、が。
直前にすっと手が持ち上げられる。
「いやぁ、ドワーフの血とは残念な呪いだねぇ。
まるで身長が伸びないのだから!」
「てめぇが言うな純血種!
色気づいたブーツでの底上げはノーカンだろ!」
上から目線でにやりと笑いつつ、改めて製図板に設計図を広げる。
「電車だからこそ許される動力分散方式。
1435mmの専用幅の、カーブのない直線線路」
「ちっ、これだから税金泥棒の殿様商売は……」
「はっはっはっ、そう僻まないでくれたまえ。
だが、これは未完成だ」
「台車の強度……は、十分に見える。
なら問題は……先頭車両にかかる風圧か」
「そのとおり」
技術者としてこの主任は超一流。
一瞬でシオンが直面している問題を理解してみせた。
「それで、車体にミスリルを使いたいってことか」
「あぁ。ノルンから新素材、アルミニウム合金を提供されているんだがねぇ。
それでもまだ強度が足りないのさ」
「なるほど。確かにこれはアルミニウムではダメでしょうね」
「だが鋼鉄を使えば重さで速度が……って、カナンちゃん!?」
後ろから製図板に顔を突っ込み話題に参加していたカナン。
計画通りとばかりにニヤリと笑うシオンに舌打ちを打ってからカナンの身を隠すように前に出る。
「カナンちゃん。こんなやつと話をする必要はねぇ。
お前さんがミスリルを打つ必要も……」
「はい。私はもう二度とミスリルを打つつもりはありません。
ミスリルは私の……」
「罪の象徴ですから」
やれやれとため息をつくシオン。
一人だけ生き残ってしまったことが、罪であるものか。
一体何を考えどんな命の背負い方をしているのか。
「そう言わないでさぁ~。頼むよぉ~。
ミスリルを打っておくれよぉ~」
「打ちません」
「しつけぇぞてめぇ! 帰れ帰れ!」
歯をむき出しにして威嚇する主任をまぁまぁと後ろからなだめるカナン。
「冶金の話も……」
「しねぇでいい!」
「ですよね。なら、少し私達エルフの歴史の話をさせてください」
そう言って鞄の中から取り出したのは、世界樹大の赤本だ。
「3年前の賢者科試験に、歴代のエルフの英雄達の写真が掲載されています」
紙の上では白黒の写真。
そこにカナンが手をかざして魔力を流すと、カラーの立体映像として浮かび上がる。
「へぇ。エルフはみんなべっぴんさんだ。
そりゃコタニちゃんも綺麗になる」
「ドワーフはみんなむさ苦しいのにねぇ。
背も伸びないしねぇ」
「このハンマーでブーツの上げ底を達磨落とししてから頭のネジメを潰してやろうか?」
とても仲が良いらしいことはよくわかる。
「マールも今の道を進まなければ、ここに写真が乗っていたことでしょう」
「まぁ、こうして遺影を残されたくないから勇者パーティに加わらない道を探したんだろうけどねぇ」
「でしょうね。それでも間違いなく、マールには彼女たちと並ぶ資質がありました。
それが何かわかりますか?」
「そりゃ生まれ持った魔力が強ぇえんだろう?」
「違いますね。写真を見て考えてみてください」
そう言われて立体映像となった写真をまじまじと見つめるシオンと主任。
「いや、そうは言うがねぇ。
英雄の資質は写真を見てわかるものなのかい?」
「別に英雄は顔が美人じゃないといけねぇなんてことはないだろ?」
「当たらずとも遠からずですね。
せっかくここにもう1人エルフが居るのですから、写真と見比べてください。
そして、この写真のみなさんとマールの共通点を考えてください」
写真とカナンを交互に眺めたり、
3Dモデルのスカートの下を覗こうとしたりしつつ、首をかしげる2人。
一体どこに共通点があるというのか。
「あっ! わかったぜ!」
「む、なんだね主任君。言ってみたまえ」
「全員胸が平らだな!」
「なんとデリカシーのない発言だ! 「正解です」 まじでぇ?」
自慢げに胸を張って乳を揺らしカナンは答える。
「英雄の才能は高い魔力と平らな胸です。
魔力の量だけなら1000人に1人が十分なポテンシャルを持って生まれます。
しかし、その上でさらに胸がないというのは、
美人が生まれやすいエルフの中では希少価値の塊。
まさにステータスなんですよ」
「いやいや待ちたまえよ。
何故貧乳が英雄の条件になるんだい?」
まるでわけがわからない。
元々どうかしている感はある世界ではあるのだが、本当にどうかしている。
「エルフの魔道士の強みは空を高速で飛べることにあります。
ソニックブームを撒き散らしながらの超音速飛行。
そんな速度で飛ぶエルフの胸が大きいと……」
「乳房がもげます」
「「ちぶさがもげる」」
思わず宇宙猫顔にあるシオンと主任。
気持ちは痛いほどわかる。
「長くその原因は不明でした。
しかし、胸が大きいともげるということだけはわかっていたため、
先天的に強い魔力資質を持つエルフは幼い頃からきつくさらしを巻いて胸が小さくなるよう矯正します」
「なんだいそのグンマの部族のような風習は」
「どんな天才魔道士や賢者でもわからなかったこの謎ですが……
私は理由に気付きました。
それは言うならば……空気抵抗です」
「「くうきていこう」」
製図板の上に空を飛ぶマールの絵を書いて、
そこに空気の流れを模式図的に書き加えていくカナン。
「ここに大きな凹凸があると、このあたりで風が渦を巻き、
猛烈なエネルギーが蓄えられてしまう。
それがエルフの胸をもぎます。
しかし、貧乳の場合、風が素直に後ろに流れていき、加速を阻害しない。
すなわち『巨乳型』でも『安全型』でもなく『流線型』であること。
それが、超高速の条件です」
ここでシオンと主任が同時に問題とその解法に気付く。
そう、風圧に耐えるためより強固で軽い金属であるミスリルを使う必要はない。
重要なのは、空気抵抗を逃すための流線型のデザインである!
これを計算してデザインし直せば……
「アルミニウム合金で、『ひかり』は完成する!」
シオンが追い求めた光。
その答えは、ずっと隣にいた幼馴染の胸にあったのだ。
☆☆☆主信号、赤! 自動列車停止装置起動!☆☆☆
「はっはっはっ!
流石にこの秘密はマールには解説させられないからねぇ!
安心したまえ、後で見せる本編映像は今の部分が完全に差し替えられているよ!
一人のために映像を取り直すなんて贅沢な話だよねぇ!
まぁ、ずっと隣に居るアナスタシア君も『絶対にこのシーンは見せません』と約束してくれたので安心したまえ!」
幸せならオッケーです。
「さて、いかにもトンチキなエピソードだが、ここにもしっかりと元ネタがあるよ。
解説していこうじゃぁないか。
まず、私、シオン・マヒデの元となったのが新幹線の父、島秀雄というのは以前にマールが話していたかと思うが、
実は新幹線開発にはもう1人、偉人の影が伸びているんだよ」
「その人物の名は、堀越二郎。
映画『風立ちぬ』でも取り上げられた技術者で、飛行機開発者。
あの世界一の名機『零戦』をはじめ、『雷電』『烈風』
そして戦後には国産ジェット旅客機の名機『YS-11』を開発した天才さ」
「島秀雄は、新幹線を開発する中で大きな問題にぶつかっていた。
それは、超高速で走る車体が大きく揺れ、
乗り心地が最悪を通り越した状態になってしまうこと。
つまり、風圧に耐える車体デザインができなかったのだよ」
「そんな彼が相談に向かったのが、海軍の飛行機研究所。
そこで彼は、堀越二郎が零戦に至る途中の試作機の失敗を知るのさ。
この失敗は、映画『風立ちぬ』の中でも語られているねぇ。
高速でバレルロールした際、風圧で翼がもげ、墜落してしまうのさ」
「堀越二郎はその原因が空気抵抗にあると気付く。
そして風の流れを計算し、流線型のボディと翼をデザイン。
後にアメリカの技術者が腰を抜かした耐久力ゼロの木造ボディで、
当時誰も追いつけない世界一の運動性能を誇る零戦を実現させたのさ」
「と、これが胸のもげるエルフということさ。
はっはっはっ! なんという因果だろうか!
実際に見るとかなりグロい気はするが、一度見てみたい気もしてしまうねぇ!」
「さぁ、私のひかり、雷幹線が完成する目処は立ったよ。
鉄オタの君にこれ以上のニュースはないだろう!
だから……」
ふぅ、と息を吐きだし、寂しそうな顔で。
「だから……笑っておくれよ、マール。
もう君の作り笑顔は、見たくないんだよ」
☆☆☆主信号、青! 運転再開!☆☆☆
アルミニウム製の車体はまもなく完成し、
試験車両による試験運転は急ピッチで進んだ。
懸念材料だったトンネル・ドンの影響も問題なく、
あとは全線の開通を待つのみだ。
既にニューブリッジ―グランサカーツ間の線路は完成し、
試験運転も済んでいる。
先んじて、この通称『本街道』の雷幹線が開業し、
グランサカーツ‐ハータッカの残り半分は
綿密な試験運転で安全を確認した後に来年度の開業を目指していた。
「当初の計画では、大陸との間にトンネルを作る予定だったんだけどねぇ」
「ドワーフの技術力では不可能だったんですか?」
「技術力というか、これはもう信仰だねぇ」
「信仰?」
シオンの言葉に首をかしげるカナン。
何故ここで信仰が?
「地底暮らしが長いドワーフは、海を恐れるのさ。
技術的に可能だろうが、海底にトンネルを掘るなんて
考えるだけで恐ろしいというのが父親君達の言葉さ」
「なるほど……私達エルフが火山を恐れるようなものですね」
「そんなもの、技術への自信で乗り越えて欲しいもんだよ。
それで私は、グランサカーツ‐ハータッカの最後、
神門海峡の地下を通る全長3kmの神門トンネルの工事で
自信をつけてくれと主張したんだが、
あろうことか父親君達はここに橋をかけるつもりでねぇ。
まぁ、それはそれで未曾有の大工事ではあるんだが、
そこまで海の下を恐れるのかと呆れてしまったよ」
「海の上を渡る3kmの吊り橋ですか……
それはそれで大工事ですね……」
この橋は奥大井湖上駅のレインボーブリッジをモデルにしており、
橋桁から下が覗ける作りになっている。
計算上、耐久性能は十分ということだが、
そこを通るのが時速210kmの超特急雷幹線というのが問題。
ここの試験運転で完璧な安全が確約されていないというのが
全線開通にあたっての最後の問題だった。
「それで、君はそろそろ北に帰るのかい?」
「そのつもりですけど、その前にマールの顔を見ていこうかなと」
と、ここまで技術者仲間同士でシンパシーを感じつつ
楽しく会話してきた2人だったのだが。
「……マールの顔、ねぇ」
シオンの顔が、露骨に歪んだ。




