「終点前夜」
この物語は、あなた達の世界ではフィクションに該当します。
「さぁ、いっしょに全般点検しましょう」
「う、うん……」
総合整備車庫に入った2人は、お互いの車体のパーツを1つ1つ外していく。
「アナスタシアさん、そこは!」
「VVVFインバータまわりは機構上外気に触れる部分。
必然、走行中に傷がついてしまう部分でもありますから。
念入りに点検していきますよ」
「待って……今は……待って! ダメっ!
やめてっ! 見ないでぇっ!」
コンプレッサーがバシュッと鈍い音をたてた。
霜を取る目的の装置が自動的に水分を排出したのだ。
「マールの冷却水……美味しい……」
「やめて……そんなの飲まないで……
恥ずかしいよぉ……」
恥じらう姿を見ているとこちらの車内温度も上がってしまう。
適温に保つために自動運転している車内冷房が出力を上げ、
結果的にこちらの除湿水が雨トヨに溜まってしまう。
「アナスタシアさんも、ぐちゃぐちゃだよ」
「それは、マールが……」
「うん、わかってる」
――私が鉄道女王で、魔王の敵だからだよね。
「……え?」
魔力で強化された細腕が右足首を鷲掴み、無詠唱の風魔法で足首から先を切断した。
「ぐぅっ……!」
「あはっ、かわいい声。
魔王なのに、そんな声あげちゃうんだぁ……」
「やめっ……どうし、て……!」
「言ったじゃない。全般点検って」
手の中で切断した足をくるりと回転させ、つま先を蟲惑的に舐める。
そのまま続いて左足、右手、左手と四肢が順に切断。
もう抵抗をしようにも出来ない体にされてしまった。
「ぐっ! あっ、ああああああっ!」
「いい動力音……でも、少し五月蝿いよ、アナスタシアさん。
鉄輪式リニアの帝都12号線じゃないんだか、さっ!」
「ああああああああ!!」
整備器具が強引に雨トヨにねじ込まれる。
とめどなく流れ出る冷却水には鉄錆びが混じってのか、赤く染まっていた。
「これ、経年劣化じゃないよね?
どうしてアナスタシアさんのここは新品なのに欠陥品なの?」
「ま、マール……やめてっ……
せめてもっと、優しく……」
「優しく……?」
マールはその美しく空虚な瞳のまま、奇妙に感じるほど首を大きく傾けて。
「駆除対象である魔王に優しくするわけないじゃん」
「駆除……駆除って……同じ女の子に使う言葉じゃ……」
「同じ女の子じゃないでしょ?
魔族種と人類種は絶対にわかりあえない別の生き物で、あなたは私の敵。
それに、そっちも私のことをこうするつもりで近づいたんでしょう?」
「違っ……!」
「あぁもう、うるさいなぁ」
「っっぅ……!!」
コンプレッサーに直結されたパイプが切断され、圧縮された空気が一気に吹き出る。
一度大きくカヒューと空気が流れ出る音が響いてからは、もう、か細い音しか出せなくなる。
「大丈夫、貴重な魔王種のサンプルだもん。
後でちゃんと組み立て直して、博物館で動態保存するよ。
もう二度と、走れることはないけどね」
もう声も出せない。
抵抗するために腕を伸ばすこともできない。
私は……
――さようなら、アナスタシアさん。
ここが、終点駅だ。
「マールっ!」
跳ねるように体を起こしてまず目に入ってのは、壁に飾られた特急の愛称板。
間違いなく、そこは自分の部屋の中だ。
「手も、足も、まだ……ある」
怯えるように両手両足を確認し、指を動かしてみる。
震える手が喉を撫でるも、傷1つないハリのある肌が反発を返した。
「ひどい夢……」
喉を撫でていた手が無意識に下がっていく。
その夢は、彼女の罪悪感で、願望だったのかもしれない。
「ぐうっ……!」
並の魔物ならリンゴジュースにされるような握力で自分の胸を鷲掴む。
そのまま爪をたて、乱暴に自らを嬲り始めた。
「痛い……痛いよ……
だから、そのまま……
今の夢みたいに、どうしようもなく蹂躙して……
私を……私を、壊してよ、鉄道女王……!」
魔族の本能は破壊以外を望まない。
その本能から紡がれてしまう愛は、どうしようもないほどに倒錯していた。
「……最悪ですね、私は」
昂ってしまった感情を落ち着かせてから、アナスタシアは頭を抱えた。
私は酷いことをした。
「期待させて……裏切って……突き放して……」
たった2日の新婚生活。
こちらの支配はほぼ完全にレジストされていたはず。
ならば何故あそこまで自分を受け入れてくれたのだろう。
……そういえば、聞いたことがある。
どうしようもなく追い詰められた人間に愛を囁くと、簡単に落ちてしまうと。
あの時のマールは追い詰められていた。
だから……
「それでも私は、あなたを愛していた……
いえ、今もまだ愛している……
愛してしまっている……」
魔王だから、英雄を愛せない。
そんなシェイクスピアめいた悲劇ではない。
もっと現実的な問題。
「為すべき責務がある長は、孤独でなければならない。
依存は決断力を鈍らせ、愛は判断基準を狂わせる」
お互いに今が一番大切な時だ。
愚かな魔族を最短ルートで人類殲滅まで導く私。
愚かな民衆の心を掌握しこの先も鉄道路線を維持拡張していくマール。
これらが軌道に乗るまでは、動力集中で走らねばならない。
「わかって……ください……」
祈るように目を閉じた、その時。
――魔王様、よろしいでしょうか?
トントンと扉が叩かれ、びくりと体が跳ねる。
「待ちなさい! ドアを開けてはなりません!」
慌てて部屋の灯りを消し、シーツを整える。
枕元の時刻表をベッドの下に隠して咳払いを1つ。
「ドアを開けます! 三歩下がって回れ右です!」
魔王らしい威厳を作ってドアを開けたところで。
「え?」
3つの目と、合ってしまう。
髪に隠れていない片目と、首に巻き付いた蛇の両目。
ゾロゲ直属の諜報部員のメデューサ。
確か名前は……なんだったか。
「ええと、あなたは……」
「パルテムです。偽名ですが」
「魔王を相手に偽名を使うんですか!?」
いや、どうして従者でもない彼女がここに?
(……魔王様から、雌の匂いがします)
すんすんと鼻を鳴らしてフェロモンを堪能してから。
「な、ななっ! なんですか!
まさか、見ましたか!? 部屋の中を見ましたか!?
もし見られたのなら……」
「あぁ、申し訳ありません。
どうか落ち着いて、問題ありませんので。
それより、冷静に話を聞いて下さい、魔王様」
下手をすればその場で粛清されてもおかしくない状況でなお彼女は落ち着きを払ったまま。
「明朝10時、魔将軍達が謀反を起こします。
脱出は私が案内しますので、こちらへ。
荷物をまとめてください。
必要でしたら手伝います。
貴重なモデルを傷つけないためのプチプチも用意してありますが、できるだけ持ち出す量は最低限に。
JTB時刻表も最新年度版以外は諦めてください」
「えっ?」
呆然とするアナスタシアの横を抜け部屋に侵入するメデューサ。
壁にかかる特急の愛称板の中から的確にレプリカでない本物、かつ、
同名の特急が残っていないものだけを選び、
鉄道模型も横浜の原鉄に飾られていてしかるべき物だけをチョイスしプチプチでくるんでいく。
その鑑定眼は、あまりにも正確がすぎるほどだった。




