「走れ! 心臓が張り裂け、足が折れるまで」
この物語は、あなた達の世界ではフィクションに該当します。
「カナンちゃんおつかれー」
「ありがとうございました!」
今日のライブを終え、ファン・ラインのスタッフさんに頭を下げる。
もうすっかり秘境駅アイドル業に慣れてしまった。
先日は首都の芸能事務所からスカウトがあったのだがきっぱりお断り。
これはきっとマールがくれたチャンスだから、義理は通す。
鍛冶屋にはならず、マールのように自分の生き方を見つける……!
「……それでもまだ、世界樹大は諦めません。
まだ時間はある。エルフなんですから」
参考書を開きつつ1人獣道を進むカナン。
そこでふと違和感に気付く。
ぴくりと動く長い耳。
一度参考書のページを閉じて、周りを見渡して。
「気の所為ですか」
改めて道を進もうとして。
――ぱきり
自分の足が地につくよりも早く聞こえてきた枝を折る音に背筋が震え、
本能のままに走り出した。
「ちっ、気付かれたか……!」
ロケット銛を大きく振りかぶる張氏。
が、深い森の木々に遮られ、再度舌打ち。
自慢の方天画戟が使えれば木ごとなぎ倒せるのに!
「だが、逃がすかよ!」
たとえ森の中ではエルフに分があるとはいえ、
向こうはまともに戦う方法も知らないガキで、こちらは百戦錬磨のプロだ。
すぐ追いつける。
追いついたらその体をロケット銛でシャケの脇腹みたいに抉って、
証拠のために首を切り落として……
「姫様の元へ、戻る!」
二人の間の距離が縮まっていく。
先発したのがカナンとはいえ、表定速度は張氏が上。
時刻表を確認するまでもなく、追いつくまでは一瞬だ。
「やだっ……来ないで!」
カナンの頭に110年前のトラウマが蘇る。
視界の先で次々と『森に還って逝く』仲間たち。
怖くて、怖くて、怖くて。
木のうろに隠れて震えることしかできなかった私。
あの時は、森が守ってくれたのかもしれない。
しかし、今はもう……
「森は私を……守ってくれない……!」
嫌だ、まだ何にも。
私は何者にもなれていない。
「お願い……」
賢者にもなれていない。
アイドルにもなれていない。
「誰か……!」
何も、残せていない!
「助けて……!」
「死に貫けぇぇぇぇええええ!!」
銛のロケットブースターが火を拭いた。
だが、そんな銛よりも速く走り、
片手でカナンをとらえたのは。
「K急心得、ひとぉつ……」
赤い閃光だった。
「お客様は動かさず。
こちらから、迎えに行くべし!」
彼女こそ山ごもり修行中だった女騎士
「あなたは……」
「シーナ・オオタニ・ヴィクトリア。
K急の、快速特急です!」
両手で抱えなおしたカナンにウィンクを返す。
たとえどんな人身事故の時でも!
お客様には、笑顔で!
「女騎士だとぉ!?」
「魔物ですか……」
ちらりと敵の姿を一瞥し、腰の剣を抜こうとして、直感する。
(私では勝てないな)
騎士としての修行を怠ったわけではない。
いやむしろ、修行を続けたからこそわかる事実。
あの魔物の強さは、別格だ。
剣から手を離し、すっと腰を落とす。
(しかし……)
ちらりと抱きかかえたお客様に微笑んで。
「私の方が加速い!」
「きゃぁっ!」
「は、速っ……いや、なんだあの加速!?
本当に人類種なのか!?」
その圧倒的な加速に一瞬驚くも、張氏はすぐに追跡をはじめた。
先発はヴィクトリア。
その加速度は圧倒的。
一瞬で距離が開いてしまった。
しかし……!
「最高速はこちらが上だ。
人類種が魔物に勝てるかよ!」
次第に2人の距離が縮んでいく。
ヴィクトリアの耳は、後ろから聞こえる足音から
的確に現状のダイヤを計算していた。
(ダメですね、追いつかれます。
こうなってはお客様に走っていただき、
死を前提の上で足止めをするべきか)
ちらりとカナンに目をやる。
明らかに、怯えている。
「ご安心ください、お客様」
「え?」
「私達はK急。
そのモットーは、安心と、安全と……
安心と安全です!」
最速、とは言えない。
悔しいが今の私は、加速いだけで、
最速いわけではない。
それでも安心と安全を宣言した以上……
「行けるところまで行く!
それがK急のダイヤです!」
沈む太陽の位置を確認し、だいたいの方向を認識。
目指すは最寄りの城塞都市。
今のダイヤでは終点にまでたどり着けないとしても!
「逝っとけぇ!」
ヴィクトリアは、さらに加速した。
「くそがっ! 騎士なら騎士らしく!
正々堂々戦わんかぁ!」
叫びつつ距離を詰める張氏。
逃がすわけにはいかない!
あのエルフの首をとれなければ、シャケの川に逆戻りだ!
「はぁっ……はぁっ……!」
マッチレースが始まって既に20分。
人ひとりを抱えて全速力で走るヴィクトリアの体力は限界に近づいていた。
(足が……重い……)
後ろから魔物の声が響く。
止まれ、戦え、それでも騎士かと。
(うるさい……!)
確かに騎士ならそうするかもしれない。
己の命を捨てて1分1秒でも時間を稼ぎ、
牙なき人の盾となって朽ちるのが騎士の本懐だろう。
だが、今の私が目指すのは騎士ではない!
「私は……運転主任になるんだぁ!」
最後の力を振り絞って最終加速をかけた、その瞬間。
音が、遠くなる。
(諦めて、くれた……?)
だが聞こえる音に違和感がある。
確かに距離は離れているようだが、聞こえる音が変わらない。
一体何が起きているのか……
(いや、私はただ……終点へ!)
限界を越えた快速特急が終点へ向け走る中。
「な……なな……!」
空気が一瞬で凍りつき、澄み切っていた。
空気中のチリが氷の結晶となり地に落ちた世界では。
より遠くまで音が届く。
「流石、人類が誇る文化の1つですね」
「な、何故!? 何故ここに……
何故アナスタシア様が、ここに!?」
「何故? だから言ったじゃないですか。
人類が誇る文化の1つ、
時刻表トリックですよ!」
そこから先は、一瞬だった。
それは『戦い』でもなく。
『遊び』でもなく。
『教育』でもなく。
――粛清
「ありがとうございます、ミセスアガサ、ミスター西村。
人類の文化に、敬意を」
今回アナスタシアが使った時刻表トリックの鍵は2つ。
1つはファン・ラインが誇る高速列車を利用した貨物運送、はこビューン。
そしてもう1つは……
「圧倒的加速の快速特急と限界まで走る特別ダイヤ。
K急の心意気……覚えましたよ」
普通 7両 9月9日22時20分 時刻表の隠しイベント「本物の天才」
普通 7両 9月10日10時20分 時刻表の隠しイベント「処女と騎士」
第7号到着 9月10日10時20分
最終話到着 9月26日22時20分
駆け込み乗車は事故につながる恐れがありますのでお控えください。
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