「最初の廃線決断」
この物語は、あなた達の世界ではフィクションに該当します。
ファン・ライン本社会議室に一歩足を踏み入れた職員達はざわついていた。
10年の空白期間を経て「鉄道女王」が戻ったことは幸運だ。
彼女なら問題で山積みなこの状況を打破してくれるはず。
それだけの信頼を感じさせるだけの実績が彼女にはあった。
だが、しかし。
「おい、あの方向幕……」
「イーダ線の方向幕だが、おそらく……」
「『あさつゆ』の看板も……」
「あの魔物に奪われた……」
「いや、ギルドの冒険者に討伐されたと……」
「その後でネットオークションに出ていたらしいが……」
「そう、正当な手段。正当な手段で手に入れたものだ」
「それはわかってるんだが……」
「結構な額で落札されたという噂で……」
「それをこう堂々と飾っていいものか……?」
「いや元々はファン・ラインの備品だし……」
「しかし、闘武オーミャの駅看板もあるんだが……」
ひとつ言えることがあるとすれば、
うっかりこの会議室の写真が外に漏れてしまえば、
爆発寸前の民意にさらに油が注がれてしまうだろうということだ。
今のファン・ラインの世間から2つ名は、金食い虫の天下り企業。
鉄道女王はその悪評を理解しているのだろうか?
いや、それよりも今は。
「では、現状の赤字路線の今後についての検討会を始めましょう」
気持ちを切り替え真剣な表情になる一同。
ここに集まったのは各地方の統括役。
検討会とはいえ、事実上これは廃線の順番を決める会議。
ようは「誰が生贄になるか」を相談で決めるという、
カンビュセスの籤引き会である。
「確かにうちの路線の営業係数は高くなっています。
しかし、ここは地元の人々にとって貴重なインフラであり……」
「それはうちも同じです!
見てください地元からは存続を願う請願書がこんなにも!」
「廃線という最悪の手段を選ぶより、どう黒字化していくかを考えるべきかと」
「具体的な方策があるなら誰も困ってなどおらん!」
「ひとまずは減便と人件費の削減。
せめて一部停車駅の廃止で……」
「これ以上人件費は削減できん。
それどころか労働組合は5%の賃上げを要求している」
「やはりひとまずは、国からの予算を増やしてもらう形で……」
もはや採算の取れない路線は切り捨てるしかない。
これは全員の共通見解である。
だが自分の管轄の路線は廃線にしたくない。
これも全員の共通見解である。
こうして全員が「最善」を忖度した結果として、何も問題が解決しない。
これがファン・ラインの、失われた10年間であった。
(私だって、どこも廃線になんてしたくない……
それは今鉄道を使う人たちの足を斬るだけじゃない……
鉄道と共に育った人の、思い出までも切り捨てることになるんだから)
どこか廃線を決定しなければいけないことはわかっている。
だが今日はなぁなぁで済ませよう。今は後回しだ。
こんな息の詰まるような会議からは今すぐ逃げ出したい。
そんな思いの中でこっそりスマホに目を落とすマール。
(電車娘さん……また秘境駅の写真上げてる……)
界隈では有名人である鉄道オタク、電車娘。
最近の彼女は秘境駅巡りの第一人者になりつつある。
――みんなで乗って応援! 廃線になんてさせません!
そんな投稿にマールの表情も歪む。
(その標語は、重いんだよ)
せいぜい数千名の鉄オタが応援してくれたとして、
1日の平均乗降客数はまるで変わらない。
むしろ、私達に廃線を躊躇わせる「圧」をかけるだけ。
(ファンの期待は、重い……)
泣きそうになりながら写真をスワイプしていくマール。
(……ん?)
その時、1枚の写真でスワイプをする指が止まる。
(まさか……)
2本の指を広げる形で写真を拡大。
秘境駅の背景に映り込んでいた、その後姿は……
「葉萌本線」
ぼそりと出た一言に、全員が同時にマールに振り向く。
内1人だけが顔を真っ青にしている。
「葉萌本線を、廃線にします!」
ばたり、と椅子と同時に人ひとりが倒れる音が会議室に響いた。
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深い森の中を突っ切る葉萌線の営業係数は脅威の1万3580。
これはつまり、100円を稼ぐために1万3580円のコストがかかっているという意味である。
営業係数が4ケタになる路線は数あれども、5桁の路線はごく僅か。
葉萌線はこのデータからも、まさに不要な路線であると示されていた。
「おや、観光かい? こんな辺鄙なとこに珍しいねぇ」
ワンマン運転の車両の運転手がだらしない顔で声をかける。
愛想笑いを返すマールだが、その目は鋭く運転台へ。
(運転台の上に堂々と置かれた灰皿……
しかもまさか、酒を飲みながら運転をしているなんて。
噂には聞いてたけど、社員の中にこんな人が……)
殿様商売をしていると世間から厳しい批判を受けるファン・ライン。
だが、それを問題に感じているのは上層部の他ごく一部。
多くの社員は、公務員である自分たちの首が斬られるはずがないと慢心しており、
その仕事内容も態度も適当そのもの。
特に運転中の飲酒など、乗客の命を預かる者としてあってはならない愚行である。
(というか、まさか私の顔も知らないなんて……)
今すぐにこの運転手を魔法で焼き払い、運転を代わってやりたいと思うマール。
だがそれはできない。
今の彼女はファン・ライン総裁マール・ノーエではなく、
ただの鉄オタ、HN暴れん坊鉄ちゃんなのだから。
会議はあの後、気を失った担当者を無視しトントン拍子で進んでいった。
最悪とも言える営業係数の葉萌線を廃線にすることは、データ上でも納得のいく話だったのだ。
沿線全体での利用者は3桁で、中でも今から向かう幻森駅の1日の平均乗降客数は1人。
つまり、ただの1人が朝と夕方に乗り降りするだけという、事実上の専用駅状態にあるのだ。
にもかかわらず、列車は1日に6往復。
幻森駅にも12回停車しているのだから、まさにカネをドブに捨てる行為である。
(森のいい匂い……)
列車の窓をあけてきれいな空気をいっぱいに吸い込むマール。
やはりエルフとして、森の匂いは心が落ち着く、が。
(タバコの煙が、流れてこなければ)
運転席から流れてくるタバコの煙。
しかもそれだけにとどまらず。
(吸い殻を窓から捨てた!?
これで森に火がついたらどうするつもりなの!?)
それはあまりにあんまりである!
やはりここで始末すべきなのか!?
グッと強く握られる拳からパチリと放電が走る。
ゴスロリの下に着込んだアクセラレートスーツがセイレーンの歌のイントロを口ずさむ、が。
「幻森~。幻森駅~」
同時に目的地に到着。
マールはため息をつき、ホームへと降り立った。
「少し早く着きすぎたかな」
時刻は2時30分。
待合室のベンチに座り、途中で買った駅弁をカバンから取り出した。
たこ親爺お墨つきやわらか煮弁当(500円)
(……大人の味かも。私は苦手)
駅弁ソムリエの2つ名で有名なライトニング・ドラゴンさんが星4つをつける弁当ではあったのだが、
思えばあの人は深川めしに限界突破星10個をつける舌の人。
こういう渋く大人な味が好みなのかもしれない。
マールの大好物である松阪牛のモー太郎弁当(1800円)には星4つで
『美味いには美味いがちょっと胸焼けした』とかコメントしていたし。
まぁ、あなごめしを『うますぎて評価不能』と評することには納得なのだが。
「ごちそうさまでした」
空き容器に割り箸やお手拭きをまとめ、駅のゴミ箱に入れようとして。
「…………」
思いとどまってビニール袋にくるんでから自分の鞄にねじ込んだ。
「幻森~。幻森駅~」
1時間後、さっきの列車が戻って来る。
運転席からだらしない笑い顔で手を振ってきた運転手に愛想笑いを返し、
そこからさらに1時間半。
「幻森~。幻森駅~」
もう一度戻ってきた列車から降りてきた白い学生服のエルフの前に立つ。
学生服のエルフは一瞬驚いたような顔になるも、すぐにさっと視線を斜め下にそらす。
「この前振りだね、カナン」
「……マールさんも、変わらずお元気そうで」
それは、2人にとって100年振り再会だった。
普通 6両 9月5日10時20分 秘境駅のエルフさん「悪辣な天才、無知なる善」
普通 6両 9月5日22時20分 秘境駅のエルフさん「最後のミスリル技師」
第6号到着 9月6日22時20分
最終話到着 9月26日22時20分
駆け込み乗車は事故につながる恐れがありますのでお控えください。
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