「他人の痛みがわかる人になろう」
この物語は、あなた達の世界ではフィクションに該当します。
アナスタシアはポケットにねじ込んだ手を握りしめる。
脅迫状に残されたわずかな魔力と血の匂い。
それは、この先の廃鉱山へと繋がっている。
「枯渇した魔水晶鉱山……」
ちらりとアナスタシアの目がトロッコの軽便鉄道線を捉える。
今ではなかなか見られない軽便鉄道の3フィート6インチ軌間。
乱雑に放置させた特徴的な形をした車両。
「……萌える」
と、一瞬目的を忘れかけるアナスタシアだったが。
「いやいや」
ぶんぶんと頭を振り、気合を入れ直す。
廃線跡の写真を撮ってSNSにアップするのは仕事を終えた後。
「せっかく舞踏会への招待状をいただいたのです。
まずは王子様と踊ってからにしましょう」
美しい白いドレスのまま、廃鉱山跡へと足を進めるアナスタシア。
彼女のローファーが泥水へと踏み込むも、
跳ねた泥で純白のドレススカートが汚れることはない。
魔王の娘、アナスタシア・ノヴァ。
その2つ名は、完璧な雪結晶。
純白な雪を思わせるその白いドレスは何者にも汚されないのだ。
「ごきげんよう、王子様」
廃鉱山の最奥に待っていたのは、魔物なら知らぬ者のいないダークヒーロー。
魔王の招集に従わず、黙々と人間の脅威を排除してきたはぐれトロール。
聞いたことがある。人間は確か、彼をブッチャーと呼んでいたはずだ。
「げへへ……きれいだなぁ。
まるでお姫様みてぇだ」
「あら、ご存知ありませんの?
お姫様『みたい』ではなく、お姫様ですのよ、私は」
その美しい肢体を舐めるように視線を向けるブッチャー。
彼女を慕う魔王軍の親衛隊のエリート達ならば、
この瞬間に無礼者と叫び剣を抜いていただろう。
(そして、即座に肉塊に変えられていた)
噂には聞いていたが、本物だ。
勇者級の冒険者を次々と殺戮せしめたその強さはまさに規格外。
一部で魔王ノヴァよりも強いのではないかという話が出ていたこともある程度は頷ける。
「それで、一体私の何を知ってらっしゃると?」
「お姫様さぁ……お姫様は、おでと同じなんだな」
「同じ? あなたと? 一体どこが……」
「こいつを見るんだなぁ!」
次々に灯されていく廃鉱山内のランプ。
その光が照らす先を見て、アナスタシアの目の色が変わる。
「こ、これは……!」
そこにあったのは、様々な鉄道のパーツである!
「これは、イーダ線の213系の方向幕!?
運転台パネルとメーターまでも丸々全部!
6050系の方向幕まで!
あぁ! これは去年のNS409!?
シカグニ103系! 1000系鬼道車!
闘武オーミャの駅看板!
えっ!? これまさか、あの特急あさつゆの!?
嘘でしょう!? 私だって持ってませんのに!」
ひと目見ただけでパーツを特定していくアナスタシア。
興奮して叫ぶ甲高い声に心地よさそうに頷くブッチャー。
「やっぱりなんだな。
お姫様は、おでと同じ……
魔王の娘なのに鉄道が大好きなんだな!
魔王の娘なのに!」
「っ……!」
アナスタシアの顔が歪む。
コレクションされた最高の宝物を前に、
つい目の色を変えてしまった自分を恥じた。
「あーあ、鉄道を滅ぼすなんて言ってる魔王軍のみながこれ知ったら、
どうなっちゃうのかなぁ?」
「…………」
アナスタシアは顔を下げたまま、その表情を覗かせない。
(どこでバレましたの?)
本拠地での私は常にバレないよう気を配っている。
外部でも現状すべての魔物の行動作戦は統括管理している。
……すべての魔物?
(そういうことでしたか。これだからハグレモノは……
しかし、この部品の数々、私の記憶が確かなら……)
いや、まだ確証はない。
だがもしも私の想像通りなら……
「でも、わかるんだな。
鉄道は……鉄道はかっこいいんだな!
戦士の親指や、吟遊詩人の耳や、
シーフの目や、賢者の乳房なんかよりも!
鉄道の部品は最高の機能美なんだな!
おで達魔物にとって敵の一部なのに!
それは……こんなにも、美しいんだな!
だからこれは全部……
おでの自慢のコレクションなんだな!」
「……!」
人間達がこのトロールをブッチャーと名付けた理由。
そして彼が魔族でダークヒーローとして扱われていた理由。
さらにこのコレクションと今の言動。
(間違いない……!
こいつは、鉄道を襲った……
いや、それだけでなく……!)
ぎり、とアナスタシアが歯を噛みしめる。
ぽたり、ぽたりと、数滴の血が流れ落ちた。
「ファン・ラインの邪魔をしながら、最高のコレクションを増やす……
これが今のおでの目的なんだな!
鉄道が大好きなお姫様なら、わかるはずなんだな!
だから、おでといっしょに……」
「黙れ」
洞窟内の温度が、一気に下がっていく。
アナスタシアを中心につむじ風が巻き上がり、
それに触れた土に霜柱が立っていく。
「なんのつもりなんだな?
別に奪おうとしなくても、少し分けてあげるんだな。
おで達は同じ鉄道が大好きな鉄オ……」
「違う!」
キッと上げられた顔が浮かべていたのは、とてつもない憎悪。
ただ口封じをするだけなら、出す必要性もなかった感情。
「私は確かに魔王の娘でありながら鉄オタです。
許されざる恋に焦がれています。
えぇ、あなたの言う通り。それは認めましょうとも!
しかし、恋ならばこそ!
いかなる手段が許されるなど言えない……
略奪愛のような行為を許してはならない!
乗り鉄、撮り鉄、収集鉄、それぞれにはそれぞれの愛があろうとも……
あなたのような『盗り鉄』に!
鉄道への愛など、ないっ!」
パキパキの氷の柱が地面から伸び、
廃鉱山の色を変えていく。
これこそが魔王の血の為せる技!
世界最強の、圧倒的な魔力の暴走!
「私はここに口止めに来ました。
苦しませることなく、一瞬で永久凍土に封印しよう……
そう考えていました、が」
「ひっ!」
「気が変わりました。
鉄オタのよしみです。あなたは殺しも封印もしない。
これから行うのは処刑でも、粛清でもありません」
「やめっ! やめるんだなっ!」
ブッチャーが手を伸ばそうとするも、既に手は動かない。
おそるおそる手元に視線を落とすと、その手は凍りついていた。
「『教育』です。あなたが善良な鉄オタになれるよう祈って。
あなたの行為でどれだけの鉄道ファンが、鉄道事業者達が、
そしてなにより鉄道車両の心が傷んだのか、知って貰いましょう」
「あ……あ……!」
ゆっくりとこちらに近寄る純白の恐怖。
それは、雪の女王というよりも……
オーメ線沿線地域に伝わる妖怪、雪女。
この時のアナスタシアは、最高の表情を見せていた。
笑顔。それは、攻撃性が最大限の高まった証左である。
「戦士の親指」
「!?」
氷の刃が、ブッチャーの親指を斬り落とす。
刺すような痛みが腕を駆け上がるも、叫び声は上げられない。
その喉は既に、氷点下で乾き果て、
音を出す機能を失っていた。
「吟遊詩人の耳」
「!!!!」
それはかつてのブッチャーがしていたのと同じ蒐集作業。
彼は、死体からパーツを奪っていたわけではない。
まだ息がある冒険者の体をえぐり、その甘美な断末魔に酔いしれていた。
「シーフの目」
「!?!?」
しかしアナスタシアは違う。
ブッチャーにとっての甘美なメロディは、
アナスタシアにとっては整備不良の鉄が軋む異音に等しい。
彼女は決してそんな音を、許しはしない。
故にまず、喉を凍結させてからこの解体作業を進めている。
「賢者の乳房……あぁ。
あなたには乳房などありませんか。
では、代わりに……おや」
その視線を湿った黄色い腰巻きに向けようとしたところで、気付く。
「まだ死んで良いと許可していなかったのに。
最後まで魔王の指示を守らないはぐれものでしたか」
はぁ、と吐かれたため息が氷点下の坑道の中で即座に凍りつく。
振り返った先にあったのは、喉から手が出そうな宝物の山。
「…………」
アナスタシアの細く美しい手が、それに向かって伸びるも。
「……くぅぅぅぅうううう!!」
最後の良心が、己の腕を凍りつかせる。
「でも……これで。これで、少しだけ。
不心得者に犯される鉄道車両が減る。
そのささやかな幸せだけで、今は」
こうしてアナスタシアは手ぶらで廃鉱山を出る。
そのまま軽便鉄道の廃線跡を写メで撮影。
こんなことならいつもの一眼レフを持ってくるべきだったなと後悔。
ひとしきり満足したところで最寄り駅へ。
「……クソみたいな名前の駅ですわね」
採算が取れない地方の路線に人を呼び込むため、
この地域のファン・ラインの管轄者が考えた観光支援計画。
それは、駅名を世界一長い名前に変えることだった。
元々の駅名は、勇者駅。
由来はこの地域でかつて勇者が修行していたという伝承が残っていたためだ。
ただ、世界的に同じような伝承が残ることは珍しくない。
現実で言うならば「~~寺駅」とか「~~院駅」レベルにはありふれた名前だった。
そこでつけられた新たな名前は。
「雷鳴勇気勝利流動聖大銀河水雲風来女神豊穣自然王妃超級超助寿限無寿限無駅」
漢字にして30文字。
読みで言えばライトニングブレイブエクスペリエンスハイモビリティグランクルスギャラクティックスプラッシュクラウドトルネードゴッデスジーカップダイスキバイシューリングーリンハイパーハイバーライフセイヴエンドレスエターナルで102文字。
絶対に抜かれるはずのない長さである。
「ほんとクソみたいな名前の駅だよなぁ」
そう声をかけてきたのは身長2mを超える竜人の大男。
しかしアナスタシアの視線の先は上に向かず。
すんすんと鼻を鳴らしてから。
(酢飯のいい匂い……ますのすし弁当、おいしそう……)
彼が食べていた駅弁へと向いた。
帰りはぶりかまめし弁当(1350円)を買うつもりだったのだが。
やはりますのすし弁当(2000円)も定番で良い。
「しっかし、地元の子? すげぇ綺麗じゃねぇの」
「ナンパですか?」
「だったら犯罪だろうよ。
地元の子ならちょっと聞きたい話があったんだけどさ。
こう、でかい魔物が隠れて暮らせるような場所、知らね?」
「地元ではないのでわかりません。
私はただ、日本一長い名前の駅の看板の写真を撮りに来ただけですので」
あしらいつつ駅看板を写メで撮る。
「だが、クソみてぇな名前だな」
「えぇ、クソみてぇな名前ですわ」
そこで改めて切符を買い忘れていたことを気付き券売機に向かうのだが。
「ん? お嬢ちゃん、写真撮りに来たのに切符ねぇの?
秘境探索スタンプラリーフリーパスって知ってる?
あれ、始発以外は平均乗降人数10人以下の駅でしか乗り降りできないが、安いぞ。
この駅ならそれが使えたはずだが……」
「その切符は1人1枚、コンプリートまでのルールですので」
観光支援とはいえ驚異的な安さの特別切符。
それ故に1人1枚という制限販売がされていたのだが。
(……え? もしかして、この嬢ちゃん……
あのクソ切符の駅全部制覇してんの?)
自分以外にそんなもの好きが居たとは。
それもこんな綺麗な女の子だとは。
(とても信じられねぇな……
いや、この子が見た目通りの『普通の女の子なら』の話だが……)
すんすんと鼻を鳴らすジュダ。
その後、アナスタシアのロングスカートへと下がっていく。
「ん」
そこでふと気付いて、手元にあったますのすし弁当の容器の蓋に手が伸び。
「スカートのすそ、泥で汚れてるぜ」
お手拭きを差し出す。
アナスタシアは渋い顔をしつつもそれを受け取り、スカートの汚れを拭った。
まもなくやってきた上り電車の到着で、2人の駅待合の時間は終わりを告げる。
(だよなぁ……
只者じゃないことは間違いないんだろうが……
もしもそうなら、スカートを汚すはずがねぇ。
そもそもだが、まさかこんなところにあの魔王のガキが。
フローレス・フローズンが居るはずがねぇ。
一瞬血の匂いに反応して、こいつを抜いちまうところだったぜ)
やれやれ、と首を振って列車を見送るジュダ。
他に誰も乗客のいない車両の肘置きに頬杖をつくアナスタシア。
「あの嬢ちゃん……」「あのお方……」
2人の距離は開いていき。
「命拾いしたな」「命拾いしましたわね」
それは、推理小説マニアが時刻表を目を皿にして総チェックしなければ見つからないような、
勇者と魔王の一瞬の交錯であった。
普通 5両 9月3日22時20分 鉄道狂のバーサーカー「魔王の娘VS鉄道女王 ~1st Round~」
普通 6両 9月4日10時20分 秘境駅のエルフさん「魔族のお菓子工場」
第6号到着 9月6日22時20分
最終話到着 9月26日22時20分
駆け込み乗車は事故につながる恐れがありますのでお控えください。
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