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第6-2話

 湯田先生は正面の椅子に手をかけてそう言う。声はいつも通り。だけど、部屋の雰囲気は硬く、糸が張っている。隣に座る母の拳は足の上で強く握られていた。強張った表情をして、高橋先生を睨んでいる。そんな高橋先生は気まずそうで、母の方を見れないのか目線を落としていた。警察は、おそらくは事件になりかけたから、事態の把握のためにいるのだろう。



「まずは水樹くんの体調についてお話しします」



 湯田先生だけが立っており、俺ではなく、母や警察を見ている。



「どこかに外出していた彼は学校前で倒れ、学校にいらしていたお母様と救急車にて当院へ受診されました。診断結果は過労と貧血。彼の体質を考慮し、輸血を行いました。朝には普段と変わらない程度まで回復が見られています」



 三人の警察が見合って頷く。

 それを見た湯田先生も頷いて、次は俺を見た。



「水樹くん」

「はい」

「君は高橋先生に「模写するため、美術室外に行く」と話した、というのは、確かですか?」

「はい……そう言いました」

「どうしてそう言ったんですか?」



 優しくも強く、厳しい視線が俺を縛る。

 その視線の意味をわからないわけではない。そして 、そうさせている意味も。

 隣から母の視線を感じる。交わすことが出来ず、正面からの視線をまっすぐ返すしかない。強く握らないようにしていた手のひらの内側が湿っていく。



「どうしても、行きたいところがあったんです」

「それは嘘をつかなければなかったのですか?」

「……」

「水樹くん」

「言ってくれればちゃんと計画を練って――」

「それはない」



 割り込んできた母の言葉を遮った。反射だった。絶対、絶対にそんなことはしてくれないだろうと確信があったから。


 素早い否定に怯んだのか、母の影が動いた。

 汗は変わらず溜まっている。指を伸ばして、ズボンに押し付けた。

 それでもやっぱり、母の方は見れない。



「ない、わけないわよ……。あなたの安全を第一に考えて、ちゃんと、計画を練ってーー」

「ないよ。母さんはそんなことしない。そんなの「必要ない」って、「今のあなたには必要ない」、「危険を犯してまで行く所じゃない」って言うよ」

「そんなこと……」

「どれだけ否定されても、俺はそう思う。だから、言えなかった」




 俺の想像だ。母さんならそうする、っていう、10年ちょっとの経験からくる予測。

 実際言っていたら変わったかもしれない。試そうと思わなかった。思えなかった。そんな希望も期待も持てなかった。砕かれるのが怖かった。

 ……俺の我儘で、余計な手間と労力をかけさせるのが、申し訳なかった。



「俺の事を大事にしているのはわかってる。安全に育ててくれてるって、しっかり伝わってる。……けど、俺はもっと、色んな所に行きたかった」

「でも……だからって……黙って行くなんて!」

「悪かったと思ってる。けど! 言ってもダメだと思ったんだ! 今までどこにも、修学旅行も! 父さんの出張先にさえ行かせてくれない! 俺はここにいていいって、ここにさえ居ればいいって、母さんの近くにいればいいって言い続けた! 俺のためって言っても、結局は母さんの安心のために縛り付けてただけじゃないか!!」



 足元、太もも、その上の拳しか視界に入らず、いつの間にか手を握っていたことに気付いた。指先がひらをエグろうとする。広い部屋で、俺の声は響いていた。自分の腹まで届いたそれは、母や、周りの人になにを与えただろうか。

 浅くなっていた呼吸は体を冷たくする。口が乾くほどに息を吸って、吐いて、吸った。

 視線を上げれば、俺の事を真剣に見つめる湯田先生。無感情に微笑むOAHE。困ったような、焦ったような顔をする高橋先生。警察の人達は怪訝な顔をしていた。



「……ごめん、母さん」



 母さんは、ショックを受けていたようだった。

 見てすぐに視線を逸らしてしまった。小さく俺の名を呼んだのが聞こえて、胸が締め付けられた。


 もう何年も呼ばれなかった。呼ぶと俺を苦しめるだろうって、変な気を遣っているらしい。苦しいのは自分だろうに。俺は、そんなこと、頼んだことがないのに。


 何も言うつもりはなかった。ずっと、永遠に、墓場まで持って行くつもりだった。絶対にそんなことをするはずが無いという確信が、母に嘘をつかせたくなかった。

 ……いや、違う。



「ごめん。俺が、『そうだ』って決めつけてたんだ。絶対無理だって。心配かけるから、俺は絶対、どこにも行けず、何も見れず、何も経験できないんだって。しょうがないんだって、思い込んでる自分を否定したくなかったんだ」



 居たたまれない。この場にいたくない。逃げたい。消えたい。肩を上げて、頭を下げて、縮こまって、いなくなってしまいたかった。

 誰かここから連れ出してくれないか。そんな期待と裏腹に、誰も、何も言わない。話が進まずに悩んでいる人がどれだけいるだろうか。

 そこで、肩に誰かが触れた。



「あなたのためなのよ。あなたが、立派に大人になって、同時に医学も機械技術もより進歩すれば、あなたは自由なのよ。だから、もう少しだけ待ってほしかった」

「……それはいつ?」

「わからない。けれど、きっと、あなたも生きやすい世界になるわ」

「そんな曖昧な未来に何を期待するんだよ!!」



 机に叩きつけた掌がヒリヒリと痛む。同時に、椅子が後ろにひっくり返った。カーペットに叩きつけられた椅子がグラグラと揺れて足に触れる。

 母は驚いていた。そんな母の顔はいつぶりに見ただろうか。そんなことは、頭に血が登った俺には些細なことだ。



「俺はなんでこんなに不自由なのか! そんなの聞いたところでどうしようもないし、理由なんて俺が一番よくわかってる!! けど! だけどさぁ! 俺は行きたいんだ!! 色々な場所に! 色んなものを見て、触れて、感じたい! それが本物なんだって! 現実にあるものなんだって!! 実際にその場に行かないとわからないものを確かめに行きたいんだ!! もう幻想(ファンタジー)に逃げたくないんだよ!!!」



 唾液が飛ぶのもお構いなしに叫んだ。人前なのに。そもそもこんな話をしに来たわけではないはずだ。

 上がった脈拍と呼吸が止まらない。いつの間にか後ろにいた湯田先生が、俺の肩に手を当ててリズムをとってくる。釣られていく心臓。座らされると同時に、母の腕が伸びてくる。



「そんな、そんなこと言わないで……。私たちがどれだけあなたを大事にしてきたか……」

「わかってる。わかってるから苦しいんだよ」



 頭を抱えた。母を見たくなかった。だから、言いたくなかった。



「俺はなんで生まれてきたの?」



 呼吸とともに消えてほしかった言葉は、嫌に部屋中に響いて、耳に残った。

 母の手は俺に触れることを躊躇った。湯田先生は俺の肩に手を置き続ける。温かくて、重い。

 息を飲む音が聞こえた。鼻をすする音も聞こえる。音の方向からその人物と、原因を理解して、より深く、後悔する。



「ごめんなさい」



 生まれてきたことに、その言葉を捧げるしかできない。

 肩の上の手に力が籠った。

 その時だった。



「いやーすまない! 遅くなってしまった!」



 勢いよく開け放たれた部屋の扉。反射的に全員がそちらを向く。俺も、母も、湯田先生も高橋先生も警察も。OAHE(オーへ)だけは変わらぬ表情でゆっくりと向きを変えた。

 視線の先には車椅子を使用した、ボサボサの長い髪を適当に一つにまとめた若く見える男性。。一見患者が迷い込んだかと思いきや、白衣を着ていた。背もたれの高い電動車椅子でスケートの様に軽やかに入室してくる。今までの空気なんてお構いなしだ。




「アメリカから直で来ようと思ったんだが、ヘリポートは使ってはダメだというし、近くのヘリポートもないから時間がかかってしまった! けどRe:aru(リアル)を連れて来れたから結果オーライだろう! 先に調査したが異常はなかったぞ!」

「アル……?」



 反応すると、男は俺を見た。眼鏡越しの輝かしい丸い瞳はより大きく開かれる。



「君か!? もしや君がRe:aru(リアル)の契約者なのか!?」



 答えに戸惑う横で、母は不審者に出会(でくわ)したかのように身構える。

 俺たちの心情はお構いなしに、男は扉の方に声をかける。



Re:aru(リアル)ー! 早く来なさい!」

「失礼いたします」

「あ……」



 一日程度しか開いていないのに、ひどく懐かしい。

 無機質で、寄り添う温度のない声。黄緑色の長い髪がお辞儀とともに揺れる。長い耳が見えて、その横で水色の瞳が光った。


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