ノリス大臣【声】
王城を出発して一日が過ぎようとしていた。王との会話を終えると、すぐに伝令兵が待機している部屋へ向かい、自分も一緒にウスベ村へ向かうことを伝えた。そして準備を整えると、昼食も摂らず出発した。
早ければ今日の夜遅くには到着できるだろう。それまで気が気ではないが、焦っても仕方無い。今、ウスベ村に滞在しているのはギルスの隊だ。彼は私の計画の一部始終を知っている。何か不都合なことがあっても、うまく対処してくれるだろう。
「ノリス様、ここからしばらく馬車が揺れます。しっかりとお座りください」
馬車の外からジンダが声を掛けてきた。この伝令兵は長くギルス隊に所属しているらしかった。村への準備もかなり手際良くこなし、馬の扱いにも長けている。優秀な兵士であるのだろう。
「分かった。中のことは気にしなくて良い。なるだけ早く村へ戻ってくれ」
そう伝えると、膝の上で両手を組み目を瞑った。
この計画には長い年月を掛けて力を注いできた。初めは荒唐無稽な夢物語のように思えたものだ。しかし、今その夢は現実のものとなりつつある。今までと同じように、これから先も失敗は許されない。
『黒耳の童 最愛のものなくすとき 我ら 遠く及ばぬ力にて 宵闇 暁天とならん』
この一文を初めて目にした時のことを思い出す。
その時の私は妻と娘を失ったばかりだった。彼女たちは貴族に対する民たちの暴動に巻き込まれ命を落としてしまったのだ。
まだ、先王の時代であり、彼は貴族や商人を国の発展のための礎だと言い、大いに甘やかしていた。そのため、民の反発は強く度々暴動が起こっていた。妻と娘は弱き立場にある民たちのため、可能な限り困っている人を助けて回っていた。
その日はよく晴れた暑い日だった。「情勢が悪いから」と言う私の言葉に妻は「だからこそ、誰かが力にならなくちゃ」と言い、娘は「それがお父さんの家族として、私たちができることなの」と言うと二人揃って笑顔で腕まくりしながら市民街へ向かって行ってしまった。
そこで暴動に巻き込まれ殺されてしまったのだ。
まだ暑い日が続いていたにも関わらず、翌日帰ってきた彼女たちの体はとても冷たかった。頭を潰され、最期にその顔を見ることは叶わなかった。
それ以降、腐り切った貴族や商人どもをどうにか排除してやりたいという気持ちを抑えることが難しくなっていった。
涙が枯れ果ててしまったと思うほど泣いた。しばらく誰とも顔を合わせたくないと思い、城の書庫に籠ることが多くなった。私のことを心配した幼いサージ様が食事を運んでくる時以外、人と会うことはなかった。
書庫には古い時代の書物がたくさんある。しかしその全てが今では失われた古ルタス語で書かれている。それを読めるのは私だけだった。古い書物の匂いや書庫の閉塞感が好きだった私は若い頃から時間を見つけては足を運び、なんとかその言語を理解できるまでになったのだ。書物は大量に残されており、その全てに目を通すのは自分の生涯を掛けても不可能そうだった。
サージ様が運んでくれた昼食を食べ終わり手洗いに行こうとした時、ふと一冊の書物が目に留まった。それは他の書物とは見た目から異なっていた。他の書物にはほとんど表紙がついていなかったが、それには真っ黒の表紙が施されていた。その見た目に興味を惹かれた私は手洗いに行くのも忘れ、それを手にしていた。
表紙を捲ると大きく、禁書と現在の言葉で書かれていた。
ルータンス王家の誰かがわざわざ装丁し禁書と断じたものだろう。
(禁書とするくらいなら、なぜ廃棄してしまわなかったのだろうか?)
黒い表紙も禁書という注意書きも私の興味を引く効果しかなかった。
私は注意書きを無視してそれを読み始めた。
それには『メス・ルタスの惨劇』と呼ばれる、ルータンス王国が成立するきっかけとなったとされる事件について書かれていた。
『メス・ルタスの惨劇』というのは、この地の先住民である「メスの民」と山を越え谷を越えこの地にやってきた「ルタス王家」の間に起きた争いのことである。両者は初めのうちはとても良好な関係を築いていた。現在のルータンス城も彼らが協力して築いたと言われている。
しかし、バウリットという若い「メスの民」が王国に反旗を翻した。彼は王家の人間が良い顔をしているのは、自分たちの父祖伝来の地を征服するためだと主張し「メスの民」を煽ると、命を投げ捨て戦いを挑んだ。
その結果、あまりに多くの民の血が流れたと言われている。時の王は王城にてバウリットに殺されてしまった。しかしそれでも「メスの民」の長と初代ルータンス王国国王となる若きカリウス・ルタス様によりバウリットをはじめ多くの「メスの民」が討たれることになった。
そうして戦いは終結し「メスの民」の長は自分の命を差し出し許しを請うた。首を切られる直前に、一族が二度と過ちを犯さないよう、永遠に森の奥深くにお互い監視しながら隠れ住むことを提案したといわれている。
その後カリウス様は性を「ルータンス」と変えルータンス王国を開いたのであった。
(『惨劇』についてはこの国の立場ある人間なら誰でも知っていることだ。まだ幼いサージ様ですら知っておられる。それが禁書だと?)
普段ならそれ以上読み進まず、他の書物に手を伸ばしていただろう。しかし、その時の私には時間だけは手に余るほどだった。
初めはやはり知っている内容のみだった。かなり詳細に記されているため、細かな点については、新たな知見を得られたと言ってもいいかもしれない。それでも私たちが知っている内容と大きく異なることはなかった。
しかし、読み進めていくうちに徐々におかしな記述が目につくようになっていった。特に「メスの民」の長とカリウス様が協力しバウリットに立ち向かうことを決めた場面には「力」がどうのこうのと書かれている。
『若き王よ、どうかこの老いぼれの言葉に耳をお傾けください。我ら「メスの民」の中には、およそ人の身には似つかわしくない力を持つものがおります』
『この期に及んで戯言を申すか』
『決してそのようなことはありませぬ。それに王家の方々も困惑されているはずです。我らが拙い武と粗末な装備で、戦術にも武にも長けたあなた方を打ち倒しておりますことを』
『…申してみよ』
『我ら〈メス〉の中には未来を見ることのできるものが、ごく少数ですが存在します。中でもバウリットはその力に長け、また奴の周りにも力を有する若者が集まっております。それ故、正面から真っ当にぶつかっても勝てぬのです』
その後も「力」について長が説明する記述が続いている。
(私はいつから作り話を読んでいたのだろうか)
馬鹿馬鹿しくはあったが、ここまで読んだのだ。結末はもう直訪れる。最後まで読んでしまい、そして書庫の片隅に投げ捨ててやろうと思い、読み続けた。
物語は戦いが終結し「メスの民」の長が処刑される場面となった。
長はカリウス様に三つのことを誓った。一族は永劫の時を森に隠れ住むこと、そして二度と力を使えないようにしたこと。そして三つ目は「ルータンス王国が危機に瀕した時には黒耳の童が王国の力になる」といったようなものだった。黒耳の童とはおそらく「メスの民」の子孫のことであろう。彼らはルタス王家の人々よりも耳が黒いという記述が、この書物にはこれでもかと登場していたからである。
(これが事実だとしたら、このじいさんもなかなかの食わせものだな。死ぬ間際に自分たちの子孫が国で力を持つ機会を作ったわけだ)
書物の最後には長が処刑された後、死んだはずの長の声で『黒耳の童 最愛のものなくすとき 我ら 遠く及ばぬ力にて 宵闇 暁天とならん』とその場にいた者全てが耳にしたと書かれていた。
(馬鹿馬鹿しい。死んだ人間が喋るはずないだろう。それを私がどれだけ…)
そう思い、書物を閉じた時だった。
急に激しい頭痛が襲い、目の前がチカチカと光り出した。まるで目の中で色とりどりの大量の花火が炸裂しているようだった。頭を押さえて倒れると、どこからともなく若い男の声が聞こえてきた。
『黒耳の童 最愛のものなくすとき 我ら 遠く及ばぬ力にて 宵闇 暁天とならん』
『力を欲するならば 声に従え 然すれば 暁天 訪れん』
『黒耳の童 最愛のものなくすとき 我ら 遠く及ばぬ力にて 宵闇 暁天とならん』
『力を欲するならば 声に従え 然すれば 暁天 訪れん』
……………
繰り返し繰り返し、頭の中で声が響く。
「やめてくれ、消えろ!」
そう言うとスッと静かになった。
「はあ…はあ……今のは…?」
再度書物を開いたが、もう声はしなかった。それでも、それを手放すことはできそうになかった。
その後、私はそれを家に持ち帰ると〈メス〉について調査を始めた。
はじめのうちは到底、特別な力など信じる気持ちにはなれなかった。それでも自分自身で体験したことは疑いようがない。この体験以降、夢の中で頻繁に若い男の声がするようになった。彼は夢の中でも同じことを繰り返していた。
その後先王が病に倒れ、サージ様が即位した。彼は弱き民のため貴族や商人を甘やかすことをやめた。私は大臣として表立って対立することはよしたほうが良いと助言しながら、王の姿勢に、妻や娘の姿を重ね、心を打たれていた。
その一方で貴族や商人たちは強硬な姿勢を示す王に対して不満を隠そうともしない。若くして即位した王を揶揄し、それが長く続いている。また近年は森の動物が減り、村からの税収入が激減している。
今や私だけのためだけではない。
この国やサージ様、そして民のためにも計画を成さなければならない。
心優しきサージ様に圧倒的な力をもたらすのだ。そのためであれば、私はこの手を血に染めても構わない。
「………様。…リス様。ノリス様」
ジンダが自分を呼ぶ声で目が覚めた。いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
「おはようございます、ノリス様。かなり朝早いですがウスべ村に着きました」
「おお、そうか。そなたは馬を操るのが本当に上手だな。気持ちよく眠ってしまっておったわ」
「お疲れなのでしょう。少しでも休んでいただけて良かったです。ノリス様がお眠りの間、ギルス隊長に到着を知らせておきました」
「そうか」
「ギルス隊長は、一刻も早くノリス様に会いたいと言っています。どうされますか?」
「ギルスが?分かった、すぐ向かおう。案内してくれ」
ジンダは「はい」と返事するときびきびした足取りでギルスの元まで案内してくれた。一昼夜休まず馬車の操縦をしたにも関わらず大したものだ。
馬車を降りると酷い臭いが鼻をついた。
(たくさんの人が死に、そして燃やされたと言っていたか…)
かつてウスべ村だった場所にはいくつか天幕が張られ簡易的な基地と変わっていた。
ジンダは一つの天幕の前で止まると「こちらです、お入りください。自分は少し休んできます」と言い去って行った。
天幕の中に入ると、やたら体格の良い丸刈りの耳の大きな男が、長方形の机に地図を広げ睨み合っていた。私が中に入ったことには気づいていないようだ。
頭も耳も特徴的だが、なにより目を引くのは、右目の眼帯と額から右頬にかけて大きな傷跡だろう。幼い時の訓練で上官に切られたらしい。
生意気なギルスに腹を立てた上官が折檻と称して体罰を加えたそうだ。それは日常的に行われており、その日とうとうギルスの忍耐が限界を迎えた。顔から大量に血を流したままその上官を切り殺してしまったのだ。その後、その上官の行いについて非難の声が多数あったこと、まだ子どもであったことから、二年の謹慎を言い渡されただけだった。謹慎を終え隊に復帰すると幼くしてメキメキと力を付けていった。
その謹慎期間の間は我が家で暮らしていた。もともとギルスは市民街で一人で生きていた子どもだった。それを憐れんだ妻が引き取り、隊舎に入れたという縁があった。そのため妻に大層懐いており、よく手伝いをしていた。娘とも姉弟のような関係で一緒に勉学に励み、私もまた我が子のように接していた。今でも二人になると私のことを親父と呼ぶ。
「ギルス、えらく熱心に考え事をしているようだな」
正面に立ち声を掛けたことで、ようやく私に気づいたようだ。
「親父いつの間に!すいません、全く気づきませんで」
そう言い膝を着こうとした。それを手で制する。
「良い良い、それより何をそんなに真剣に考えていたのだ?」
ギルスは何やら困った表情をしている。そして懐から黒い石のようなものを取り出した。
「俺はね、親父。親父のやることはいつでも正しいと感じてますよ。それでもね、この村の様子を見た時は涙が止まりませんでした。俺たちがやってることは間違ってないんですよね?」
黒い石のようなものを手で遊ばせながら、こちらをまっすぐ見つめ尋ねてきた。
「良いか、何度も言っているがな、俺たちではない。これは私がやっていることだ。お前は親子の情に絆され、黙って見ているだけだ。今回のこともお前は何も関係ない」
「…分かりました。これを見てください」
そう言って黒い石のようなものをこちらに渡した。
「これは…」
「そうです。それは『黒狼団』のやつが着けている耳飾りです。俺が一番に見つけたから良かったものの、危ないところでした。こんな身分を明かすようなもの落としていくやつに、親父の長年の計画を任せて良いんですか?」
「まあ、お前が拾ってくれて不幸中の幸いだった。カシムには強く言っておこう」
「カシム…元は国の兵士で、今は『黒狼団』の頭か。あいつも信頼できないやつですよ。かなり評判も態度も悪かったらしいですね」
「まあ、奴の人となりは信頼はしておらんよ。ただ、人を探し攫うのが天職みたいなやつだ。それに金もたんまり払っておる。仕事をこなすという一点のみは信頼できると考えておる」
「そうですか。で、これからどうするんですか?」
「そうだな…私がここへ来たのは王のお言葉をお前たちに伝えるためということになっておる。それを終えたら一日休んで、明朝にも王都へ戻ろうと考えておる」
「そうですか、ならちょうど良かったです。昨夜、黒狼団の奴が訪れて来ましてね。カシムが親父に会いたいと言っていると伝えてきたんですよ」
「明日の朝ここを発てば、明後日の昼には着くか。またジンダ君に頼むのは気が引けるが…」
「それには及びませんよ。俺が一緒に戻りますよ。ここはジンダに任せておけばどうにかなります。カシムの野郎に文句言わせてもらいますよ」
「そうか…分かった。では頼むぞ」
そう言い、天幕の前に兵たちを集めさせた。兵たちの士気を高められるよう、王の言葉を伝えた。
そしてウスべ村の惨状を見て回り、その光景を目に焼き付けた。
私が描いた絵だ。それを忘れてはならぬ。彼らの屍の上に、私は王の理想の国を築き上げる。私はそのための力を手に入れ、王にお渡しするのだ。
次の日の朝早く、ギルスがジンダに指示を与えるの待ち、私たちは王都へ向けて出発した。




