9、調査──昼(2)
振り向くとそこに男の姿があった。
眼鏡をかけた、二十歳前後の青年だった。黒髪猫っけで、顔はかなりの美形だが、いささか影のある感じの。
顔立ちは似ていないが、髪や肌の色からメリーと同郷ということがわかる。
──何故か傘を持っているのに、空から降ってくる雪を防ごうとしない……。
ミステリアスという言葉が相応しい、そんな印象だった。
「……不法侵入しようと思いまして」
ミレナはかすかに笑いながら言った。
初対面の人間に、本気とも冗談ともつかないようなことを言って茶化すのは、ミレナの昔からの悪い癖だ。
「おいおい、勘弁してくれよ!こんな可愛らしい女性を、警察になんか突き出したくない」
男は冗談と受け取ったようで、少し上を向いて「ははは」 と笑った。
「……」
ミレナは自身の肌に、鳥肌が立っているのを感じた。
あまりにも急に男が現れたように感じたのだ。
傍から見たら、急に現れたのは自分の方に違いないのに。
我ながらおかしなことを言っている。
「……失礼ですがあなたはメリーさんのお兄さんですか?」
もちろんメリーに兄がいないのは知っている。が、当たり障りのない質問をするには 無知であるふりが必要だ。
ひとまずミレナは、この男に聞き込みをすることに決めた。
「君はメリーのお友達かい?」
男は当然の疑問を口にした。
「えーと、そうですね。そうではないのですが……」
彼から情報を得るには、まず自分の身の上や事情をあらかた話さなくては ならないようだ。
ミレナはあらかじめ用意していた嘘と言い訳を男に語った。
少女が亡くなる前に、教会に来ていたこと。
「自分が来てから一週間以上経って再び来なければ家を訪ねて欲しいと」言われたこと。
もちろん自分もシスターなので、少女に不幸があったことは知っているし、葬儀も出席していたこと。
少女が亡くなっていたことを知ってもなお 家に入ろうとしたのは、少女から託されたペットのルゥの育て方がわからなかったから。
家の中に何かヒントがないかと思ってのことだと──。
「そうか──なるほどね。君はあの噴水が置いてあるところの教会の、シスターか。それはご苦労なことだ」
男はミレナの言い分をまるまる信じたようだった。
「なにぶん私は動物のことに詳しくないですので……」
ミレナはかしこまったふりをした。
「いやいや、こちらこそお礼を言わせてくれ。 ルゥのことは僕も心配だったよ。
それに葬儀も後悔があった。
君は知らないかもしれないが、今この町はとても治安が悪く、外出を控えなくてはならなくてね 。出られなかったんだよ」
男は「二、三日前から、警察の人たちが見回りしてくれるようになって、ようやく少しは外に出られるようになってきたんだけどね」 と付け加えた。
「だからメリーは 知り合いの誰もいないお葬式になってしまったと、心を痛めていたんだ。 ……生前の彼女を知る者が一人でもいたのなら、……なんだか、僕も救われた気がする」
「──……」
ミレナは顔にこそ 出さなかったが、ぎょっとしてしまった。
男は話しながら、突然ボタボタと涙を流しだしたのだ。
「僕はこの家の隣に住んでいるんだ。メリーの家に不法侵入するのは見過ごすことはできないが、僕も動物の飼育には詳しい。 よければ教えよう。 上がってきてくれ」
「はい」
なんだかまた、妙なことになってしまった。
ミレナの鳥肌はやまなかったが、ここで断る選択肢はない。
ミレナは男の家に上がることにした。
「……すまないね。今はこんな状況だから、ろくに買い物も行けなくて、あまりいいものは出せないんだ」
「 美味しいです」
男に出された茶と茶菓子は、本当に上等なものだった。 これであまりいいものが出せない とまで言うのだから 普段の生活水準はよほど高いものなのだろう。
家も少女の造りよりは簡素なものだが、なかなかに立派なものだし、家具や食器の一つ一つもなんとなく高価そうだ。
「……さて、ルゥのことだったね。彼はキメラの技術を使って作られた新しい生物さ。もちろん合法のね。 それで飼育方法について、だが──」
ミレナは男の話に耳を傾けながら、ぼんやりと二つのことを考えていた。
一つは、ミレナが彼に対してなぜ鳥肌が立ったり、本能的に警戒心が沸き立つのかということだ。
不思議に思っていたが、男の話を聞いているうちになんとなくミレナの中で答えが出てきた。
先程から男の話す調子や身振りは、何とも軽薄な雰囲気が漂っている。
特に笑った時や、こちらを見ている時に、額に手を当てる仕草は何とも気取った風だ。
これは偏見が入った味方というのは、自分でもわかるがそれでも── いかにも女を泣かせてそうな男。そんな風に ミレナには見えた。
つまりは年頃の女性特有の理不尽とも言える、”特定の異性に対する嫌悪感”だ。
何分初めての感情で今まで気づかなかったけれど、自分はどうもこういうタイプが苦手だったらしい。
ミレナは 一人の少女として、この男が嫌いなタイプだった。単に、それだけの話だったのだ。
その次に、この男こそが手紙に書いてある 『彼』であるのかどうかということだった。
状況的に考えて、それは十分にあり得る。
彼はメリーの隣に住んでいて、肌や髪の色を見る限り同郷で、それなりに親しい間柄だったようにも思う。
──しかし少なくとも彼は、少女が誰かに助けて欲しいと願うような状況にあるようには、とても見えなかった。
……そしてミレナの直感も違うと言っていた。
直感というより、彼が少女にとってそこまで大事な人であるという風に、なんだか思えない。
これではまるで少女が人生経験の浅い故に、年上の男に騙されていたみたいではないか。
……いや、凝り固まった考えは禁止だ。
今、まず間違いないことは、男は重要な情報源だということ。
もう少しこの男と親しくなる必要がある。
そうミレナは結論付けた。
「……飼育方法について話はこのぐらいだね。何か質問はあるかい?」
「質問というわけではありませんが、あなたのお名前を聞いてもよろしいでしょうか?」
「 ああそうか、失礼だったね。僕は【ライヤー =バーナード】。君の名前は?」
「……私はまだ半人前故、上の方から名前をつけて頂いていません。なので私に対しては、単にシスターとお呼びください」
「 本名は名乗ってはいけないのかい?」
「 ……まあ、そんなところです」
これは嘘だった。
ミレナ=ナノコロイドという名前は、よく人から笑われるので、よほど信用に値するものにしか教えないとミレナは決めている。
男──ライヤーは「君、もしかしてあんまり 人好きじゃなかったりする?」 なんて聞いてきたが、それ以上は追求しなかった。
「ところで──」
ミレナはルゥの飼育についての質問を二、三追加した後で、世間話を切り出した。
個人的な気持ちはさておいて、少しでも男と親しくなる必要がある。
「外出できないなんて不便ですね。 食料には限りがあるのに。 賊だなんて、なんでこんなことになったのでしょう?」
ライヤーはミレナのティーポットから二杯目の紅茶を注いだ。
「それはね、──ある噂が出回っているから、なんだよ」
「ある噂……?」
確かアラクスも言っていた。 「警察の守秘義務に反するから、お前には話しておけない」と。
「ある噂っていうのはね──
……実は、白銀の聖剣についてなんだよ」
ライヤーはミレナの対面するソファにどっかりと座って、足を組んだ。
どうやら先ほどよりも、本腰を入れて話をするつもりのようだ。