8、調査──昼(1)
そして二日後。
早朝、ミレナはせせこましい個室の中で、いそいそと着替えをしていた。
個室といってもそこは寮や教会堂の小部屋、ましてやどこかの家屋でもない。薄汚れた公衆トイレの個室だ。
さすがにミレナも年頃の娘として不快感を覚えないわけではなかったが、これも仕方のない事情があった。
あの日アラクスにあった時、初手で失敗したと思ったのは修道服のまま警察署に来てしまったことだ。
半年もあの服ばかり着ていたから麻痺していたが、あれは確かに警察署に着ていくには、目立つものだ。
しかしアラクスに話した通り、聖職者は休日であっても、私服で出歩くのを良しとされない。
なので 私服で教会度の敷地内にある寮から外に出て行ってしまうと、今度は教会内で目立ってしまうのだ。
特に先輩シスター や神父に見られ、事情を聞かれでもしたら面倒だ。
なので 一度修道服で外に出てから、どこか 目立たないところで私服に着替えなくてはならなかった。
(面倒だけど、四番地は兄さんの仕事仲間もパトロールしているかもしれないしね)
アラクスのことだから「街でシスターの格好をした女がいたらとりあえず連行しておけ!」と周りに通達していてもおかしくはない。
ミレナはどちらの服も汚さないよう気をつけながら着替えを終え、修道服を丁寧に畳んで荷物入れにいれた。
「うん。これでよし、と」
太めの毛糸で編まれた栗色のニットワンピースに黒いタイツ、そしてフードの付いたキャラメル色のコート。
どれも学生時代によく着ていた服だ。 まだ着ていてそこまで違和感はなかった
フードを被ると、ザリ……と頭飾りが引っかかった。
シスターになった時に教会から支給された、金のヘッドドレス型の頭飾り。二日前、アラクスから頭に金ぴかのと散々な言われようだったものだ。
せっかく私服に着替えていても、これを見られたら、すぐに身元がバレてしまうだろう。
……だがこれだけは、何時も肌身はなさず着けておかなくてはならない。
ミレナは深く深くフードを被り、額が見えないようにした。
街に着いてから最初の十五分は、聞き込みをしようと、住宅の呼び鈴を押して回った。
しかし住民の用心深さは予想以上に本格的で、窓を覗きミレナが警察や聖騎士団でないと確認すると、みんな居留守使った。
そのうち「警察に通報するぞ!」と怒りだす人がでてきたので、ミレナは早々に諦めた。
警察もいないことが分かったことが、収穫といえば収穫か。
そしてミレナは今、メリーの生前の自宅の前にいた。
メリーの自宅には迷うことなく行けた。
実はこの二日間に間に、やはり必要性を感じ資料室に忍び込み、メリーさんの情報の乗った資料を見つけたのだ。
ちょうどよく人気の少ない時間があったのは幸運だった。
細かい住所もそれでわかった。
二階建ての、小さいがお洒落な雰囲気の家屋だった。
外壁、ドアや窓枠のデザインから、どちらかというと少女趣味であることが伺えた。
家の周りには細かな魔法細工がしてあって、 雪が降ったそばから溶けて、屋根や庭に積もらないようになっている。
おそらくこの造りなら中もとても暖かいのだろう。少女が一人で住むには立派すぎるくらいの 住宅だった。
メリーの資料には、住所以外に以下のことが書いてあった。
本名メリー =ロナイン。 未婚。無職。行方不明の父あり。
父の名前【レイ=ロナイン】。
レイ=ロナイン。
わざわざ行方不明 と書いてあるということは、行方不明になってから、まだ五年以内ということだ。
通常五年以上行方不明になると亡くなったこととされ、遺体がなくても葬儀が行われる。
彼が行方不明になってから、あと何年で五年となるかわからないが、そうなってから この家は、国のものとなるのだろう。
つまり現在この家は、行方不明者レイ=ロナインの所有物ということだ。
なので無人で、そのまま残されている。
ミレナは その資料を見てから、 一つの可能性として、手紙に書かれている『彼』は、少女の実の父──レイ=ロナインなのではないかと考えていた。
例えば──これも妄想を交えた想像だが……
レイ=ロナインが賊とトラブルになり、それが彼女の耳に入った、なんてこともありえる。
もちろん、それ以外の可能性についてもミレナは考えていた。
少女の家は明らかに小金持ちなものが持つ家だ。
レイ=ロナインよほどの資産家だったのかもしれない。
それはいい。ただ、そんな状況の少女が数年間、何のトラブルに見舞われることなく無事に生きていた、ということが、かえって不思議なのだ。
普通こんなにお金を持っている子供が 一人で暮らしているなんて状況、用心棒の一人でも雇わないと一年と無事で 暮らせない。
もしくは 少女にとって行方不明になった父親代わりの保護者のような存在が いたのではないだろうか?
その人物こそが『彼』じゃないか?とも考えているのだ。
もしその『彼』が賊に誘拐されたとしたら── わざわざあの日、一人で教会に来たことも、お葬式に誰も来なかったことも、 一応の筋が通る。
しかし、その『彼』がどちらなのかにせよ、まだ想像の域を出ないのが現状だ。
想像するだけで終わっては解決には至らない。
ミレナの目的は『彼』の身に何か起きる前に、助けることにある。
とりあえずは家捜しをして情報を集めよう。
もし少女が日記でも書いていてくれていれば、少女にとって誰が大切だったのかが、きっと分かるだろう。
仮にそれがなくとも、食器は普段から一人分と二人分どちらを使っていたかや、実の父親の写真は今も大切に飾ってあるのか、などで当時の少女の気持ちを暮らしを垣間見ることができるだろう。
ミレナは頭につけていたヘアピンで、ドアの鍵穴をねじる。
ピッキングという違法行為だが、子供の頃アラクスから教わって、いたずらで使っていた。
あのころは無邪気な遊び程度に思っていたが、まさかこんなところで役に立つとは……。
鍵穴から、カチャリと音がする。
(……開いた……)
ミレナは、ドアノブに手をかけ回そうとする。
──瞬間、少しだけ躊躇した。
いくら 亡くなった人の空き家だとしても、家捜しなんて シスター どころか、一般人としても一線を超えている。
だが、すぐそのようなことを悩む自分に鼻で笑った。
──そんなの、もうすでに今更ではないか。
もとより自分には、そのようなことを悩む資格はないのだ。
ミレナはドアノブを回し、ドアを開ける。
……開けるところだったのだ。
後ろから 声さえかけられなければ──。
「……こんな所で何のようだ?お嬢さん」
……男性の、声だった。