7、思案
ミレナはある日の大雪の日をことを思い出していた。
──降り積もっていた雪が重くて、足が痛くてしょうがなかったことを。
──霧がかっていて、目の前がよく見えなかったこと。
──途中、どこかから知らない何者かが現れて、 あっという間に両親が捕まって、……思い出したくもないほどに……ひどい手段で、殺されて しまったことを。
あの頃ただの少年だった兄アラクスは、なすすべがなく、ただただ 棒立ちで俯いていた。
「……ミレナ仕方がない。俺たちには神様がいなかったんだよ」
全てが終わった後、アラクスをミレナの手を引きながら、言った。
……確かその後にも、何か言っていた気がするけど……。
ミレナはあれから寮に戻り、急いで湯浴みをし、犬(仮)のルゥに猫じゃらしを使ってパタパタとじゃらしていた。
そんな風にしながら、なんとはなくミレナは古い記憶を呼び起こす。
思えばあんなに普通の少年だったアラクスが、よくまあこんな立派な警察になったものだ。
十年も経てば人はかわるものか。
兄は、警吏として優秀とは聞いていた。
けれど、まさかここまで頭が回るとは……。
ミレナにとっては、アラクスは直情的で、良くも悪くもシンプルな人間というイメージだった。
だからこそ少し表情を観察して問答すれば、事件のヒントを得られるとすら思っていたのに。
……今にしておもえば、とんだ思い上がりだ。
人は、案外身内のことは過小評価してしまうもの。それが今回の敗因か。
(でも、さすがに「俺の助手になれ」にはびっくりしたなぁ……)
あの時──何か言われるであろうことは、ミレナも重々覚悟していた。
けれど、何事も想定外というものはあるものなんだなぁ、とミレナは驚嘆せずにはいられなかった。 考えが読めないにもほどがある。
これまでのアラクスは少々窮屈にも感じるほど、ミレナが少しでも危ないことをしようとしたら諌めるのが常だった。
それが自分の側にとはいえ、警吏なんて危険と隣合わせの職を勧めるなんて。
それでもアラクスにとっては シスターをさせるより、なんぼかマシということなのだろうか?
まったくこの宗教色の強い国で、兄の教会嫌い──いや神様嫌いかは筋金入りだな、とミレナはため息をはいた。
アラクスの発言には驚かされたし、結果は散々ではあった。
けれど、今日警察署に行ったのが失敗かと言うと、そうではない。
結局アラクスは強制的にミレナの行動を制限するつもりはないようだったし、それなりに満足がいくほどには、収穫があったからだ。
アラクスに誘いを受けた後、当然ミレナは断った。
てっきり、また機嫌を悪くして嫌味のひとつでも言われるかと思ったが、案外アラクスはミレナの答えがはじめからわかっていたかのようにすんなり受け入れたのだ。
そして帰ろうとするミレナの背に向けて、アラクスはこう言い残した。
『現在四番地は、近隣住民すら外出を避けているような状態だ。 俺の仕事を増やす ような真似するんじゃねえぞ!
……死体回収 なんか特にめんどくせーんだ』
( 四番地。メリーさんの生前の住居 ……)
アラクスとしては、まさかミレナがメリーの自宅すら知らないとは、思いも寄らなかったのだろう。
これで、わざわざリスクを負って、教会の資料室に忍び込む必要がなくなったわけだ。
ミレナはアラクスとの会話の中で、メリーの件について警察もまだ本当には捜査を終えていないということを悟った。
その際理由について、①②③と三つほどの仮説を考えた。
が、さっきのアラクスの言葉によって、
①─メリーを自殺と判断した後、何らかの理由で事件性に気がついた。
③─すでに犯人は死罪相当の余罪が大量にあるため、わざわざメリーの殺人を立証する必要がない。
の2つで当たっていたことが判明したわけだ。
改めて手に入った情報をもとに、あの日に有った出来事を想像してみる。
まず最もシンプルに考えるならば、──メリーはあの後、賊に殺され自殺に見えるよう細工を施されたのだろう。
たとえ一時でも警察を欺くなんて至難の技だと思っていたが、相手が賊なら話は別だ。
奴らは集まると強大だ。一般人では知ることすら叶わない魔法を違法な手段で手にし、使用しているものもいるという。
奴らの中に、死体を細工する力が持つものもいないとは言い切れない。
おそらくアラクス達警察も、その線で捜査しているのだろう。
問題はなぜメリーが賊とトラブルになってしまったか。そして『彼』についてだ。
それらについては想像力どころか、もはや妄想も交えてつぎはぎしていかないと一つとしてストーリー すら浮かばなそうだ。
例えば少女が賊に借金をしていたとする。『彼』はその借金のかたの人質だ。
もしくはもっと単純に。彼は誘拐されて、身代金を要求されていた──でもいい。
警察に行かなかった理由は、口止めをされていたからだ。
少女は自分が娼婦となることと引き換えに、『彼』を返してもらう取引になっていた。
だが、賊が真に狙っていたのは少女の命、少女の命だったのだ。
──あるいは、そもそもメリーは賊を出し抜くつもりで逃げる計画を立てていて、それが 失敗して殺されてしまった?
いずれにしても何とも胸糞の悪い、不快な想像だろうか。
考えるだけで 陰鬱な気分になってしまうが、 終わってしまったことはどうしようもない。
重要なのは、もしこれらの想像があっているとするなら『彼』が今どんな状況にあるのか?ということだ。
実はミレナは『彼』が生きている可能性は高いと思っていた。
ミレナの教会は隣町の葬儀も担当している。
隣町ではメリー以来、事件や事故で亡くなった人間は 、一人たりともまだ来ていなかった。
だからこそ 警察に保護されていることもあるんじゃないかと期待していた。
しかしアラクスは、『彼』について全く心当たりはないようだった。
足が悪いだの心臓が悪いだの言っていたそれは、単にミレナが予想外の事態に動揺するのを見て、楽しみたいがために色々設定 を付け加えていただけだろうと思う。
……やはり『彼』のことをもっと調べるには、四番地で聞き込みをする必要がある。
もちろん、それは危ない行為だ。
何せ、町は 近隣住民すら外出を控えている状況なのだから。
アラクスばったり出くわしてしまうことだって、まずい。
でもいい。とミレナは思った。いざとなれば奥の手がある。
四番地に行って、メリーの顔見知りだった人を、探そう。
とても人当たりの良かった少女だ。
友達はいないと言ってはいたが、知り合いすら全くいないということはないだろう。
そこで 少女と仲の良かった男性について片っ端から聞いてまわる。
自分はもともと、特に洞察力、思考力に秀でているでもない。
もっと足を使って情報を仕入れなければ、きっと真実にはたどり着けないだろう。
(えぇと、確か……)
ミレナは壁に貼ってあるカレンダーの方に歩き、仕事の予定の確認をした。
(確か、次の休み……は……)
──『彼』を、助けるのだ。
カレンダーを見ると、次の休みは二日後、とあった。