五 天才姉妹が幽霊に求めること
二年ほど前でしょうか。
私がスマホに話しかけて、道を訊いていた時のことです。
「気取ってんじゃねえ」
と、小馬鹿にされました。
それ以降、私は人前でスマホに話しかけるのをやめました。
「いやいやいや! これなに? そこに浮いてんのなに? こんなん見たことないんだけど、どういう原理? 出力は? 媒体はどうなってんのよ!」
「このゴーグルで可視化できているのだから、電磁波と似た性質を持っているのは間違いないわね。ただ、複雑で、不規則に浮遊している電子が互いに干渉しあってる。これじゃ、まるで」
「ニューロンじゃん! 脳の仕組みにそっくり! これがあれ、エクトプラズムとか、アストラル体とかいうやつってこと?」
「見ただけじゃ断定できない。安直だけれど、意志を持った電磁波とか、そんなところかしら」
「ほえええ、しゅっげえー、マジテンション上がるんですけど」
「確かにこれは、滾るものがあるわね。色々と」
何喋ってんだか全然わかんねえよこいつら。
もしかして、オレのこと言ってんのか?
素直に幽霊って言えばいいだろ。
わざわざ回りくどい言い方するんじゃねえっての。
「京ちゃん、あなたにはどう見えてるの?」
「どうって……」
冷静女の言葉に、男が困ったような表情でオレを見上げてくる。
コイツ、気の弱そうな顔立ちのわりに良いガタイしてんのな。
身長は、百九十はあるんじゃねえか?
首や腕も太けりゃ、胸板も分厚い。
髪も短く刈り込んでるところを見ると、スポーツか、それともガテン系の仕事でもやってそうだ。
「さっきも言ったけど、青白いモヤみたいなのが浮いてる感じっす。今は、人の形っぽいかも」
「なるほど。ゴーグルほど精密に見えているわけではないけれど、大きな差はないわね。京ちゃんだけがこれを認識できているのは、何の違いなのかしらね。目? それとも脳?」
「あたしは目だと思うけどなあ。つか、京之助、あんた霊感とか強いほうだっけ」
「……あんまり意識したことはないっすけど」
おい、こいつら人のことほったらかしで何勝手に盛り上がり出してんだ。
値踏みするみたいにじろじろ見やがって。
オレ様は動物園のパンダじゃねえんだっつうの。
「私たちの会話に反応して、電磁波がところどころ活性化してるわね。もしかして、コミュニケーションを取れるかも。ねえ、幽霊さん、さっきみたいに私たちに話しかけてみてくれない?」
冗談じゃねえ。
トンネル全体に意識を張り巡らせるのは疲れるんだよ。
おしゃべりのために何度もやってたんじゃ、割に合わん。
もっと小さいもんなら、まだ考えてやってもいいが。
「反応なし、と。困ったわね」
「まー、所詮は電磁波ってことじゃん。会話できるほどの知能はないんじゃない?」
ああ?
このパツキン女。頭悪そうな見た目のくせになめた口利きやがって。
このままだんまりでもよかったんだが、気が変わった。
ちっとばかし相手してやる。
(おい、そこのゴツい男。聞こえるか)
「うえっ?」
よしよし、上手くいったな。
この手の見える連中は、オレの声も聞こえることが多いのは知ってた。
こいつに女どもとの通訳をしてもらうとしよう。
「どうしたの? 京ちゃん」
「な、なんか頭に声が聞こえてきた気がして……一瞬だったから、気のせいかも」
(気のせいじゃねえよ。オレ様が、お前に話しかけてんだよ)
「うわあっ! また聞こえた!」
(男のくせにピーピー騒ぐんじゃねえ。いいか、オレと話がしたいんなら言う通りにしろ)
「えええ、そんな、一体何を……」
(そんな大したことじゃねえ。お前、つるつるした画面しかついてない機械、持ってるか?)
「つるつるした画面? えーと、スマホのことっすか?」
(名前なんかオレが知るわけねえだろ。持ってるならさっさと出しな)
「わ、わかったっす」
頷いて、ゴツい兄ちゃんはポケットから薄っぺらい画面だけがついた機械を取り出した。
そうだよ、それそれ。
近頃の人間はみんなこの機械をもってやがる。
すまほ、だっけか?
何に使う機械か分からねえが、これにはスピーカーみたいなもんが入ってるみたいだからな。
こいつに憑りつけば、オレも喋れるってわけ。
「ねえ、京之助、あんた一人でぶつぶつ何言ってんの? 気味悪いからやめてくんない?」
「いや、独り言じゃなくて、幽霊に話しかけられてて」
『ア……アア……アー、オー』
「ひいいっ! 何?」
すまほ、とやらの中に憑りついて声を出してみる。
驚いたパツキン女が尻もちをつきやがったが、ざまーみろだ。
人を馬鹿にするからそうなるんだ。
どういう理屈なのか、とか難しく考える必要はねえ。
喋りたいと思って、機械を動かす。
自分の体のように、大切なのは意識を張り巡らせるイメージだ。
「電磁波が、京ちゃんのスマートフォンに干渉してるの? この声、もしかして電磁波の……」
『そうだよ、不愛想なお嬢ちゃん』
「!」
興味津々、といった様子でゴーグル越しにすまほを覗き込んでいた女が息を呑む。
驚いたみてえだな。
ま、そういう反応をされると幽霊としちゃ悪い気はしねえ。
もちっとサービスしてやってもいいかって気分だ。
「今、返事をしたのは、誰? あなた、私たちのことが、わかるの?」
『わかるか、だあ? 誰に向かって言ってんだ、お嬢ちゃん。オレ様をなめるんじゃねえよ』
「どうやら、そのようね……あなたには私たちがどう見えているのかしら?」
『そうさなあ、顔はきれいなんだが死んだ魚みてえな目をした女に、金髪でばいんばいんのチャラチャラした女、ゴリゴリのマッチョマンのくせにえらく気の弱そうな男ってとこか? どれが誰のことかわかるな、おい』
「…………」
まくしたてたオレの言葉に黙り込む三人。
見たところ、幽霊がここまで流暢にしゃべるとは思ってませんでしたってツラだな。
『おいおいおい、口なしなのはオレみたいな死人の特権だろ? そろいもそろって黙ってんじゃねえよ』
「……いえ、ごめんなさい。これは、その、想像以上というか、想定外ね」
「この幽霊、なんか、しゃべりすぎじゃない?」
『ああん? 幽霊だからって辛気臭く、ウラメシヤー、とか言うとでも思ってたか? あんなもんここに来る客に対するサービスだよ。お約束っていえばわかるか?』
「喋るってか、こいつ……」
「人間臭すぎるっす」
金髪と、ゴツイ男が顔を見合わせて呟いている。
オレは幽霊だが、もともとは人間なんだ。
そんな相手に人間臭いとは、失礼な奴らめ。
『あのなあ、オレ様は今でこそ幽霊になっちまったが、元々は人間だからな。喋りもするし、色々物を考えるのも当然だろが』
「元々は、人間? 自我だけじゃなく、記憶もあるのね……幽霊くん、あなた、名前は?」
「あほか。幽霊に名前なんざ、あるわけねえだろ。オレはオレだ、それで十分だろ」
不愛想な女の言葉にそう答えたものの、実はその辺、自分でもよく分かってねえ。
どうせこいつらにも分かりっこねえんだ。
勢いで適当なこと言ってごまかしておくとしよう。
『オレが誰なのか、とか、なんなのか、とか、いつからここにいるのかとか、そういう細かいことはどうでもいいんだよ! オレ様はな、このトンネルに憑りついた悪霊で、言ってしまえばここの支配者様なんだよ! わかるかお嬢ちゃんたち!』
言って、オレは近場の空気を揺らしてみせる。
金髪女と筋肉男はそれで短く悲鳴をあげたが、やはり黒髪の女だけは動じない。
ぐるりと辺りを見渡した後、またオレに向き直る。
『オレのことを知りたいって言ったのは、そこの生気のないツラした女だったな、おい』
「生気がないって、それ、私のこと? ま、確かに言ったわね、幽霊さん」
『お望み通り、答えてやったぜ。オレ様が何者なのかってやつをよ。今度は、お前の番だぜ、お嬢ちゃん』
「……私の番、というと?」
『名乗れってんだよ。お前さんは何者だ? 何でオレを見てもビビらねえ? こちとら人間と話すのも久しぶりでなあ。折角だ、楽しませてくれや』
「それもそうね。失礼したわ。いくら幽霊相手でも、自己紹介くらいしないといけないわよね」
ふっと女はオレが憑りついているすまほに笑いかけてくる。
「私は、鵜飼黒実。あなたには理解してもらえないかもしれないけれど、科学者とか、研究者とか、博士とか、そんな呼び方をされる仕事をしている人間よ。残りの二人のことも知りたい?」
『ああ、続けな』
「そ。じゃあ、そっちの派手な女の子が私の双子の妹で、もう一人の大きい男の子はお友達。二人とも、自分のことくらい自分で話せると思うわ」
黒実、と名乗った女は、ビビりつつ事の成り行きを見守っていた二人に水を向ける。
二人は揃って肩をすくめたが、やがて男の方が意を決したように口を開いた。
「俺の名前は、要京之助って言うっす。この、二人の手伝いみたいなことをしてるっす、はい」
段々と声が小さくなっていくあたり、やっぱり気の小さい奴らしい。
怪しいゴーグルをつけずに、ちらちらとオレの動きを目で追っている。
やっぱ、本当に、それも結構はっきりと見えてやがるみたいだな。
そして、最後は金髪の女なんだが。
「鵜飼真白よ。あたしもお姉ちゃんと同じで、機械工学全般の研究をやってるわ」
『嘘つくなよ』
「嘘じゃないわよ! なんであたしのことだけ疑うわけ!」
『だってお前、頭悪そうだから』
「なんですって!」
「わああっ! 真白ちゃん、これ俺のスマホだから! 地面に叩きつけたら画面割れるって!」
オレの言葉に腹を立てたらしい真白が、京之助からすまほを奪い取ろうとつかみかかっている。
そういうところが馬鹿っぽいってんだよ。見たまんまじゃねえか。
しかし、黒実に真白ねえ。肌の色だけ見れば逆だろうと思う。
双子の名前に反対の意味の言葉を使うってのはありがちな話。
ただ、それぞれがこういう育ち方をするとは名付けの親も予想外だったってことなんだろう。
「確かに落ち着きはないけれど、妹の言ってることは本当よ。こんな見た目でも、天才なんて呼ばれてるわ」
『こんなんがねえ。世も末だわなあ』
「どういう意味よ、クソ幽霊」
聞いたまんまだよ。
頭の良い奴ってのはどっかおかしい場合もある。
ただ、オレにはこの真白とかいうケバい女が真面目に机の前に座っているところさえ想像できねえ。
『それで? その科学者様が、オレみたいな幽霊に何の用だよ?』
この女どもが嘘を吐いているかどうかは置いておくとして、オレに会いに来たってことだけは間違いない。
妙なゴーグルまで準備してきたところを見る限り、普通の肝試しってことはないだろう。
目的があってこのトンネルにやって来たはずだ。
その目的には、興味がある。
「単刀直入に言うわ。私達は、あなたのような存在を探して心霊スポットと呼ばれる場所を巡ってたの」
「廃病院やら、自殺の名所やら、墓場なんかをね。ま、全部はずれだったんだけど」
『毎度毎度あんなにビビってたのか、お前』
「うっさいわね。アンタに関係ないでしょ」
真白は先ほどまでの自分の様子を思い出したのか、バツが悪そうにそっぽを向く。
『それで? 幽霊なんて眉唾なもん探して、お前たちは何がしたいんだ?』
「あるものの代わりを探してたのよ。言ってしまえば苦肉の策。藁にもすがる思いだったの」
『なんだそりゃ? はっきり言わなきゃわかんねえよ』
「幽霊さん、あなたロボットって知ってるかしら?」
黒実は確かめるように訊いてくる。
まあ、幽霊の知識の幅なんて分からねえわな。
『ああ、わかるぜ。覚えてる。アレだろ、鉄でできたでっけえ人間みたいなやつ。人が乗り込んで操縦して、目からビーム出して、手をロケットみたいに飛ばして怪獣と戦うんだよな』
「ぷーっ、何その昭和の子どもみたいな発想! だっさ! うけりゅうはぁぁぁっ!」
小馬鹿にしたように吹き出しやがったので、お仕置きに真白の脇腹をくすぐってやる。
悲鳴をあげて身をよじっているが、逃がさねえ。
まとわりつくように肌の表面を撫でる刑に処してやる。
「真白、どんな感じなのそれ」
「なんか体の表面を静電気でなぞられてるみたいなひゃ! ちょ、見てないで助けてえ!」
『口には気をつけな』
ひとしきり遊んだ後、オレは再びすまほに憑りついた。
真白は、すけべ幽霊がーとこっちを睨んでいたが知ったこっちゃない。
幽霊を怒らせると恐ろしいってことが身に染みただろ。
「幽霊さんのイメージは、厳密に言うとロボットの定義からは外れるんだけどね。人間の代わりに人間がする仕事を行う機械。そんなロボットを作ることについて、私たち姉妹は研究しているの」
『それが本当なら大したもんだ。だけどよ、ますますわからなくなったぜ。ロボット作りと幽霊探しに何の関係があるってんだ?』
「大ありよ。特に、あなたみたいな幽霊が私たちの研究には欠かせないの」
『ああ? 何だそりゃ』
「私たちは既に、いつでも動かせる人型のロボットの開発には成功してる。そのロボットのボディの性能は、現存する物の中でも優秀な方だという自信があるわ」
胸を張ってそう言った後、黒実は悔しそうに目を伏せる。
なんだ? 自信があるんじゃないのかよ。
「だけど、残念ながら、今のままでは私たちが開発したロボットは動かないの。無理なのよ」
『なんでだ? 優秀だって、自分で言ったんだろが』
「体は、ね。だけど、何よりも大切な心を持っていないのよ。意味わかる? エロ幽霊」
オレを見下したように鼻を鳴らす真白。
ほんと懲りないな、こいつ。
黒実の言っていることはオレにも理解できた。
つまり、どんなにすげえ体があったとしても、自分で考えて動ける頭がなければ人形と同じってことか。
そりゃ、確かに?
人間と同じように怒ったり、泣いたり、笑ったりする機械、なんてものを作るのは難しいだろうさ。
「何年も何年も研究してきたけれど、ロボットの心、納得のいく人工知能は作れなかったわ。妹はロボットの体を完成させたけれど、心を任された私が行き詰ったの。そして、どうしようもなくなった私たちは、幽霊というオカルトな存在に目をつけた」
なるほどな。
足りないのは、心。
こいつらが捜しているのは幽霊。
読めてきたぜ。
つまり、こいつらは。
「幽霊さん、あなたには私たちのロボットに憑りついてもらいたいの」
ようやくタイトルを回収できて、一区切りです。
ここまでは似非ホラーみたいだったと自分でも思います。
この先はちょっとずつ、ロボットというものに焦点を当てていく予定です。
よろしくお願いします。