四十一 悪霊の行く先
ガレージの外に出て、まだ日が高いところにあることに気付いた。
そりゃそうだ。
どんなにこっちの気が晴れなくっても、朝になったら日はまた昇る。
雲がなければ明るい昼が来る。
生きてる人間は動き出す。
暗い夜がいつまでも続くことはねえ。
黒実の奴は今頃何をしてんのかと考えかけて、やめた。
そんなことができるほど、オレはあいつのことを知らなかったからだ。
京之介がトラックを運転すること小一時間。
昼間だというのに周りの景色はどんどんと薄暗く、陰気なものに変わっていく。
道は細く曲がりくねって、地面のアスファルトは荒くなり、窓に映るのはろくに手入れもされていない雑木林だ。
あのトンネルが近いってことか。いよいよ帰ってきたわけだ。
嬉しさとか、懐かしさみたいなもんがまるで湧いてこないあたり、流石だと思う。
オレだって好き好んであんな場所に居たわけじゃねえ。
他に行く場所がなかったから、居た。そんだけだ。
「……ふわぁ、ふぅー」
ハンドルを握る京之介がでかい欠伸をした後、顔の上半分をくしゃくしゃにするように二、三度、目を瞬かせる。
そういやあ、コイツ、なんだかんだで昨日から一睡もしてねえわけだからな。
こんな何もない場所を黙って運転してりゃあ、眠くもなるはずだ。
『悪いな、京之介。お前も疲れてるだろうによ』
どのみちオレも暇だった。
京之介の眠気覚ましがてら話し相手になるのもいいだろう。
助手席に転がっていたサンタボールに憑りついて、スピーカーから声を出す。
『しんどいなら、少し休んだらどうだ?』
「もうすぐ着くんで、大丈夫っす。頑張ります」
『そうかよ。頼むから居眠りで事故るのだけは勘弁してくれよ』
「確かに、今だと、死んでも死に切れそうにないですからね」
眠そうな目を細めて笑い、京之介は気合を入れなおすようにグッとハンドルを握りなおした。
……死に切れない、ねえ。
今のこいつにとって思い残すことといったら、あの双子のこと以外ないだろう。
あいつらからは幼馴染、幼馴染と言われちゃいたが、京之介は黒実と真白が別れちまった状況をどう感じてるんだかな。
優しい奴だから、真白を慰めようとしてるのは分かる。
だが黒実に対して腹を立てたり、嫌ったりしているとは思えねえ。
それもやっぱり優しい奴だからだ。
『なあ、京之介。オレはあんまし小難しいことわかんねえから訊くけどもよ。ぶっちゃけお前は、黒実と真白の言ってることの、どっちが正しいと思う?』
「……わかんないっすよ、オレも」
『わかんなくても、考えてることは山ほどあるんだろ』
短い言葉ではぐらかそうとした京之介の眉根に、深いしわが寄った。
良くも悪くも波風を立てようとしない。
こいつにはそういうところがあるらしいからな。
優しさと言っちまえばそれまでだ。
だが、優しいだけじゃ、良い奴であろうとするだけじゃ、駄目なこともある。
お前はどう思うのか、ちゃんと言え。
そんなオレの意図は、どうやらちゃんと伝わったらしい。
「そりゃ、正直言えば、しんどいです」
長い沈黙の後で、京之介はその言葉を吐き出した。
「真白ちゃんたちとは、小学校に上がる前からの付き合いなんすけど、こんなのは初めてで」
『なんだ、あいつらケンカもしたことなかったのかよ』
「いや、ケンカはよくしてました。アホウドリのことで意見をぶつけあったりとか、普通の女の子みたいに些細なことでぎゃーぎゃー怒鳴り合ったりとか、しょっちゅうでした」
『真白はわかるが、黒実もってのは意外だな』
「怒らせると怖そうなのは、なんとなくわかりません?」
『ああ、たしかに』
オレの言葉に京之介はほんの少し表情を緩めた。
だが、それも一瞬だけ。
「俺は、二人が通じ合ってて、お互いに何でも理解できてるんだって思い込んでたんっす。真白ちゃんが黒実ちゃんに引け目を感じてたのには気づいてたのに、大丈夫だろうって決めつけてました」
あの双子がどんなガキだったのか、どんな育ち方をしてきたのかなんてオレにはわからねえ。
ただ、長いこと近くにいた京之介は違う。
あいつらの関係がどこで歪んじまったのか、何となく察してるんだろう。
「黒実ちゃんのこともそうです。凄い子だから、俺とは違うから、悩んでるなんて考えもしなかった」
『…………』
「だから、俺はこんなことになっても何もできない馬鹿野郎なんです。ほんと、嫌んなります」
『そうだな。お前は駄目だ。話にならねえ馬鹿野郎だ』
「すんません」
『すぐ謝んじゃねえ。気持ち悪い』
「すん……ません」
ほとんど癖みたいなものなんだろう。
自分の口から出てきた言葉に、京之介は情けない顔で俯く。
怯えたように口をつぐんで、何も言わなくなる。
言いたいことがあるくせに、人とぶつかりそうになると黙っちまう。
それが、こいつの一番駄目なところだ。
だからオレは、容赦しない。
『京之介。お前、なんもしなかったくせに、なんかできたみたいなこと言うのやめろ』
「…………っ!」
京之介が息を呑み、こっちを見る。
だんまりを決め込もうとした口が、微かに震えながら開く。
『知り合いの双子が実は仲が悪かった、そんだけの話だろ? あいつらの問題だ。お前にゃ関係ねえよ』
「そ、れはっ、そうかもしれないっすけど」
『別に双子だからって死ぬまで一緒にいるわけじゃねーんだからよ。いつまでも引っ付きべったりじゃいられないってことくらいあいつらだってわかってたさ』
「そうっすよ、そうですけど……!」
『真白に引け目があったならなおさらだ。丁度良かったんじゃねえか? 優秀な姉ちゃんから離れられたら、あいつだってきっと楽になれんだろ。だから』
「だからって!」
トラックの運転席に、京之介の怒鳴り声が響く。
オレの言葉を遮って、京之介は言った。
「こんな別れ方は、あんまりだろ! 俺は、嫌なんだよ!」
悔しさと、恥ずかしさと、息苦しさみたいなもんが混ざった言葉を京之介は吐き出す。
薄っぺらい敬語じゃない。人の考えに振り回された建前でもない。
『……それがお前の、本音だな』
やっと言いやがったか。
『これまではなんもしなかった。だったら、これからはどうなんだよ?』
「真白ちゃんにも、思ってることがたくさんあるはずなんです。黒実ちゃんに言わなきゃいけないことが、あるはずなんです。だったら俺は、それを伝えなきゃいけないと思う。伝えさせてあげたい」
『そうかよ』
確かに昨日は黒実が色々言いっぱなしで逃げた感じだったからな。
だから、ケンカにもならなかった。
真白はまだ何も言い返せてない。
なるほど、筋は通ってる。
『京之介。真白のやつ、ずーっと黒実に手を引かれてきたって言ってたな』
「え? ああ、はい。言ってましたけど」
『でもよ、これからは自分で歩いて行けるって思わなきゃいけねえわな』
「はい」
『あいつが前向いて進んでいくためには、誰かが背中を押してやらなきゃいけねえ』
「そう、思います」
『オレは、やらねえからな』
そんなのは幽霊の仕事じゃねえ。
じゃあ、誰がやるのかって話なんだが。
「……はいっ!」
それがわからないほど、京之介も馬鹿野郎じゃなかったらしい。
力強く頷く横顔は、まあ、さっきまでよりは頼りになりそうだ。
あの泣きべそかいてる生意気な女の前に立てるくらいには、なったんじゃねえかと思う。
「あ、トンネル、着きますよ」
『……そうか』
京之介の視線の先に、薄気味の悪いトンネルがぽっかりと口を開けているのが見えた。
「サンタさん、その……」
『あん?』
「ありがとうございました」
トラックのスピードを緩め、道の端に停めながら京之介がもごもごそんなことを言ってくる。
『今生の別れじゃあるまいし、大袈裟なんだよ。いいから、ちょっと体貸せ』
オレは適当に答えてサンタボールから離れ、京之介の体に憑りつく。
ここからは、オレの時間だ。
借り物の体の具合を確かめるように、目を閉じて深く息を吐く。
さあて、オレも一つ、けじめをつけとくとしようかね。
「なあ、京之介。お前には、あのトンネル、どう見える?」
(へ?)
目を開けて、トラックのフロントガラスの向こうを見つめる。
見慣れた陰気なトンネルの姿を、オレはじいっと眺め続ける。
(えっと、相変わらず、不気味なところだなあって感じですかね?)
「そうかぁ? 大したことねえだろ、あんなもん」
薄汚れた灰色の壁に、伸び放題の雑草。
中を照らすはずの蛍光管の半分以上は切れちまっていて、昼だってのにちょっと先の様子も見えやしない。
何かが出そうな場所。
何かが居そうな場所。
だけど、それだけだ。
ほんの何日か前まで、あそこがオレの世界の全てだった。
あの場所で、悪霊やってることが誇らしいとさえ思ってたんだ。
だけど、なんでだろな。
今となっちゃあ、あんなチンケなトンネルにこだわる理由が見つからねえんだよ。
帰りてえなんて、これっぽっちも思えないんだ。
「こりゃあ、トンネルの悪霊はもう、卒業かねえ」
他に、やりたいことができちまった。
たとえ幽霊のままでも、見守りたい、見届けたいと思うことができちまったから。
「世話んなったな」
あばよ、と。
精一杯の感謝を込めて、オレは夜鳴トンネルに手を振った。
「さてと、京之介。もう一か所、連れてってもらうぜ」
(え? どこにですか)
決まってんだろが。
幽霊が行く場所なんて、そんなに多くはねえ。
「オレが、くたばった場所だよ」
住めば都と言います。
住んでるときは色々不満が見えてきて、別のどこかを夢見ることもあるでしょう。
だけど、いつしか愛着も湧いてくるものでして。
引っ越すときにはほんの少しだけ寂しくなるものだよなあ、と思います。




