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三十九 躊躇いは湯と共に洗い流して

 降り注いだお湯が肌を伝って、流れ落ちていく。

 いつまでもこの時間が続けばいいのに、という心地よさと一緒に湧き上がってくるのは、水を無駄使いしてしまっていることへの後ろめたさ。


 あと少し、もう少しだけ、と思っている間に、どれだけの時間が過ぎただろうか。

 ま、いいか。

 ここの光熱費は、私には関係ないのだし。


 そんな無責任なことを考えていると。


「だはー、生き返るぅ」


 シャワールームに昴の声が反響した。

 ただでさえ声が大きいのだから、もう少し自重してもらえないだろうか。


 これじゃおちおち、考え事もできない。


「あれ? シャンプーないじゃん。ねーねー、黒実ちゃん、そっちに置いてない?」

「……普通に覗き込んでくるの、やめてくれる?」

「わっぷ!」


 シャワーとシャワーを区切っているついたてを無視するな。

 こっちに向かって顔を出した昴の顔には、とりあえず湯をかけておくことにした。


「ちょっとぉ! なに? 黒実ちゃんて、結構そういうの気になる感じ?」

「…………シャワールームがこうして区切られているのは、そう感じる人間が一般的だからじゃないのかしら」

「まあねえ……てか、嘘、黒実ちゃん、おっぱいでか……」

「怒るわよ」


 今度は冷水を浴びせてやろうかと、温度調節のつまみに手をかける。


「ごめんて。その、さ……わざとふざけました。嫌な気持ちにさせるつもりはなかったんだけど」

「……なんで?」

「ほら、やっぱ、落ち込んでるのかなあって、思ってさ」

「そういうこと」


 少し、様子がおかしいとは思ったのだ。

 昴は自由奔放だが、空気の読めない子ではない。

 もちろん、人の嫌がることをわざわざする子でもない。


 今のがこの子なりの気遣いだった、ということらしい。

 なんだろう。

 今の感じ、最近であったばかりの彼を思い起こしてしまった。


「大丈夫よ。もう、ずっと前から決めていたことだったから。いつか踏ん切りをつけなきゃならなかったの」

「なら、いいんだ。ほら、責任の一端は私にもあるからさ」

「そうかしら?」

「だって、私、この手足を黒実ちゃんにもらったわけだし」

「そこは、ただのギブアンドテイクよ」


 明山昴。十六歳。

 TIRエキスポで起きた事故によって、左の手足を失った少女。

 彼女はネクストアースが支払う予定だった多額の賠償金の代わりに、人造義肢を装着するプログラムの被検体に立候補したのだと聞いている。

 初期の義肢による地獄のようなリハビリを乗り越え、オーバーリムプロジェクトの被検体に選ばれたことも、知っている。

 私が作り出した義肢の最初の被検体にして、成功例の一人。


 今のところ、彼女が私の最高傑作だと言っても良いだろう。


 そして、私は、あくまで彼女を利用する側の立場でしかない。

 変な引け目を感じられる必要はないのだ。


「あ。今、私のこと、利用してるだけ、とか考えてるでしょ?」

「……いいえ」

「嘘ばっかり。もう長い付き合いじゃん。ちゃんとわかるんだかんね」


 そして、もう一つ。

 この子は、勉強はできないけれど、妙なところで勘が鋭いのだ。

 雄弁は銀。沈黙は金。とも言うし。

 これ以上は語るに落ちそうだから、黙っておこう。


「あんまり自分を責めちゃー……駄目だ、よっと!」

「……っ!」


 つるん、と冷たい感覚が尻の表面にはしった。

 喉まで出かかった悲鳴をどうにか呑み込んで、恨み言をぶつけてやろうと思った時にはもう、壁一枚挟んだ向こう側から昴の姿は消えていた。


 ひた、カシャン、ひた、カシャン、という足音と共に、昴の後ろ姿がシャワー室の出入り口の方へと遠ざかっていく。


 その背中は、とても年頃の少女のものではない。


 左の肩口と、大腿部の付け根から先は鉛色の金属製。

 それだけではなく、脊椎の神経と接続するための回路が肌の下に走っているのが薄っすらと見て取れる。

 おびただしい数の手術痕と、未だに残る火傷の痕。


 彼女自身の均整の取れた体付きや年相応の柔肌との対比で、それらは一層歪な存在感を放っていた。


 体付きだって、そうだ。

 オーバーリムプロジェクトは、いわゆる軍事目的に開発された義肢。

 それを使用する昴には、過酷な戦闘訓練が課せられている。

 贅肉をそぎ落とし、絞り込まれた筋肉によって支えられた体もまた、彼女が特別だという証である。


 私の目的のせいで、彼女はああなったのだと思うと、尻の一つ触られた怒りなど一瞬で消し飛んでしまった。


「昴、ちょっと待って」

「…………お、お尻はやりすぎでした?」

「そうじゃなくて」


 怯えたような顔で振り返った昴に、私は問いかけた。


「もしかして、あなたも、何かあったの?」

「どうしてそう思うの?」

「長い付き合いなんでしょう」

「あー、そうきますか」


 私の意趣返しに、昴は赤みがかった髪をかき上げて、天井を仰いだ。


 図星だったみたいね。


「自分でもよくわかんないんだけどさ」


 形のいい胸の前で腕を組んで、昴は一度唸り、呟く。


「懐かしい人に会っちゃった、みたいな?」


 それは悲しみなのか、躊躇いなのか、それとも、喜びなのか。

 彼女が浮かべた苦い笑みの意図を、私は読み解くことができなかった。


「私のことは、お気になさらず。明山昴は強い子だから、だいじょーぶ」


 しかし、そんな物憂げな表情はすぐに引っ込めて、昴は鼻歌交じりにシャワールームを出て行ってしまった。


 残された私の前髪から、ぽつり、ぽつりと水の雫が滴り落ちる。

 その雫は、濡れたシャワールームの床に小さな波紋を生み出して。

 そこに薄っすらと映し出された私の輪郭を、歪ませ続けていた。


 わかっている。

 もう、後戻りをするつもりはない。

 真白は必ず、立ち直って私の前に現れるはずだ。

 そして、そんなあの子に、私は負けるわけにはいかない。


「準備を、しなくちゃね」


 猶予は一週間。

 私はありったけに熱くしたシャワーをもう一度だけ浴びて、シャワールームを後にした。

 一緒にお風呂って、相当、心を許せる相手じゃないと無理だと思うんですよね。

 黒実と昴はそれだけの間柄だと思っていただければ。

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