三十 少女と既視感
まさか、こんなことになるとは。オレの読みが甘かった。
「ねえ、京之助……まだ、大丈夫よね?」
「う、うん。な、なんとか頑張ってみるよ」
興奮を抑えきれないように熱い息を吐き、怪しく目を光らせている真白。
それとは対照的に、京之助の表情は苦悶に歪み余裕がない。
「流石ね。大きくて、すっごいスタミナ」
「ちょ、真白ちゃん! やばいって! 俺、今、触られたら!」
「あ、ごめん。つらかった?」
真白が触れたことで京之助が情けなく悲鳴のような声をあげた。
どうやら限界が近いみてえだな。
オレも男だ。そのつらさはよーくわかってる。
だが、相手を満足させるためには歯を食いしばって耐えなきゃいけないことだってある。
それが甲斐性ってもんだろう。
「あとちょっとだから、ね? もうちょっとイッてもいい?」
「オッケーっす……俺もあとちょいなら我慢できるっす!」
「ありがと。最高よ、京之助」
真白は頷いた京之助の耳元で優しく囁き、
「よっしゃ! あと十個くらい、見て回るわよ!」
まるで戦いに挑む格闘家のような気迫で、右の拳と左の手の平を勢いよく打ち合わせた。
パシイィン、と小気味の良い音が響き渡る。
服屋の前でな。
「さ! 次はあっちの店よ! 時間は限られてるんだから、効率よく回んなきゃね!」
真白は活き活きとした様子で拳を振り上げ、その先にある店に向かって進みだした。
あれが一番行き渋ってたヤツの姿かね。
体があったら溜息の一つも吐きたくなるところだ。
あんな調子が二時間も続いてるってんだから、女ってのは手に負えねえ。
オレはこれまでに、はしごした店での真白と店員の会話を思い出すだけで、げんなりだ。
『こちらのスカートの方はブルーがかったピンク色がすっごい特徴的でぇ、淡い色なんだけどシャイニー感もあるからアクセントにもなるっていうか、そうそうそうなんです、裾のカットが独特だから動くと不規則な動きが出てとっても目を引くっていうかあ……』
だの。
『そうですね、お客様の場合……これなんてとってもいいと思います。首回りのカットがすっきりしていて着やすいですし、胸元もざっくりあいてるからとっても涼しいんですよ。薄い生地ですけど見た目ほど透けませんから軽くインナーと合わせていただいて……』
だの。
『黒はビビットな印象がありますからね。お客様の場合、お肌も髪の毛もとてもお綺麗ですっごくインパクトがありますから、それに負けないデザインとカラーが大事ですので……』
だの云々かんぬん。
早口でまくしたてられるオシャレの国の言葉に、そろそろグロッキー状態だ。
そもそも男と女とじゃあ根本的に買い物に対する感覚が違うんだよな。
男は今の自分に必要なものを探そうとする。
女は欲しいと感じられるものに巡り合おうとする。
費やした時間と迷った気持ちの果てに、手に入れたものへの価値を見出す。上乗せする。
そのことを説明できても理解はできないから、女の買い物ってのは男にとって苦痛なんじゃないかとオレは思うわけだ。
真白の買い物に付き合ってる時間、そんなことを考えて、暇をつぶしていた。
オレがちょっと哲学的なことを考えちまうくらい精神的に追い込まれたわけだからな。
肉体的な負荷もかかってる京之助のきつさといったらまあ、尋常じゃないだろうよ。
「ま、真白ちゃん、待って、欲しいんだけど」
真白が買った服やら雑貨やら家具やらを持ちに持たされ、もはや荷物持ちというよりも歩く荷物と化している京之助が、のたのたと足を進める。
筋骨隆々の大男でも、両手に無数の紙袋をぶら下げられ、その間に山ほどの荷物を積まれてるんじゃあ真っ直ぐ歩くのだっておぼつかなくもなる。
おまけに真白はまだなんか買うつもりらしい。
こりゃそろそろ、止め時だな。
『おい、真白。もういい加減にしたらどうだ? どんだけ金使ってんだよお前』
オレは京之助のシャツの胸ポケットに収まっていたサンタボールから大きめの声を出す。
ここは人通りも多いから、どこで誰が喋ってるかなんて誰も気にしねえだろ。
「ええー、だって久々なんだもん。あとちょっとくらいいいでしょー」
『十軒はな、ちょっととは言わねえんだよバカ。大体、京之助がそろそろ限界だろ』
「まあ、確かにぃ、いっぱい持ってもらってるとは思うけどさあ」
ぶうっと頬を膨らませて、真白がすすすっと京之助の方に歩み寄ってくる。
「……京之助ぇ、やっぱ、無理?」
そして京之助の上着の裾を掴んで、上目遣いでのこの発言。
あ、この女やりやがった。
そう思った時にはもう遅い。
「まだ持てるよ! 任せといて!」
あーあ。京之助の馬鹿。
安易な色仕掛けに負けやがって。
「うん、京之助のそういう優しくて頼りになるとこ、大好き! かっこいいよ!」
真白は軽くウインクし、あ、次あっちね、と足を速める。
…………見た目と仕草だけは、かわいいじゃねえか。
『ったくアバズレが』
それが計算づくだとわかってりゃ、騙されることもねえ。
オレは思わず声に出して呟いたが、
「サンタさん」
『あん?』
「俺、幸せっす。マジ、ありがとうございます」
可哀想な京之助は目を閉じて、今見た光景を瞼の裏に焼き付けているようだった。
『おめーな、苦労すんぜ』
こいつと真白をくっつけようとしてるオレのセリフじゃねえかもしれねえが、言わずにはいられなかった。
女で苦労する男ってのには、いい奴が多いってのもあるしな。
その辺も色々、教えることがありそうだ。
しかし、女の買い物好きと一緒で、こういう場所の雰囲気は変わらねえもんだな。
先行きに不安だらけの京之助の恋路はさておき、オレはぐるりと周りの様子を眺めた。
流行り廃りはあっても店は店、活気のある場所の雰囲気は変わらねえってことだ。
店員が働いていて、客が大勢歩いている。
確かに人の見てくれやら、並んでいる品物は様変わりしたみたいだが、漂っている雰囲気はオレの記憶のままだ。
家族連れ、カップル、友だちと、一人で。ごちゃごちゃした雑踏の中で、それぞれが思い思いの時間を過ごしている。
楽しさとか、便利さとか、幸せとか、そういう前向きなものを追い求めて、集ってくる。
生きてるって、感じがしやがるねえ。
「……? サンタさん、なんか言いました?」
『いんや。つうかお前、ぼさっと突っ立ってていいのか? 真白のやつ、どんどん先に行ってんぞ』
「うわ! やっべ!」
ちょっとのよそ見の隙に遠くなった真白の背中を、京之助が慌てて追いかけ始めた。
げ。あの女、また服屋かよ。
十メートルくらい先にある店の中に真白が消えていくのが見えたその時。
「おっと! あっぶない!」
右側からたたっと飛び出してきた人影。
えっちらおっちら進んでいた京之助にぶつかりそうになったそいつは、急ブレーキをかけたように止まり、ギリギリのところで激突を免れた。
この声は、女か?
「ごめん! そんでお兄さん、荷物すごいね!」
こんな人通りの多いところで走るんじゃねえよ。落ち着きのねえ女だな。
全く悪びれた様子のない謝罪の言葉と共に、京之助の脇をすり抜けていくそいつの顔を、オレは見る。
そこで、オレの時間が止まった。
今しがた人にぶつかりかけたその女は、思わぬハプニングを楽しむように笑っていた。
ほどよく日に焼けた顔と、真っ直ぐ前だけを見つめる勝気そうな瞳。
赤みがかった髪にはところどころ金色の筋が混ざっていて、頭の高い位置で一つにまとめられていた。馬の尾みてえな太い毛の束が風になびいてふわりと揺れる。
黒いタンクトップの上に羽織っているのは、男物のフライトジャケット。
裾のところが大きく広がったズボンの先から覗く、赤い色のスニーカーで軽やかに地面を蹴って。
見るからに活発そうなそいつは、振り返りもせず駆けていった。
高校生くらいの年頃か?
少々派手じゃあるが、ただすれ違っただけのその女にオレの意識は全て持っていかれてしまった。
何だ、この感じは。
何であの女が離れていくだけで、こんなに揺れる?
焦る?
初めての感覚じゃねえ。知ってるぞ。
これは。思い出せ。この感じは。確かに!
繰り返し繰り返しうなされてきた、あの悪夢の終わりに似てやがるんだ。
『悪い、京之助』
「え、ちょ、サンタさん?」
『体、貸してくれ!』
急に憑かれ、驚く京之助の体の主導権を無理矢理奪い取る。
持っていた荷物も全部床に置いて、オレは叫んだ。
「おい、真白! ちょっとコイツ、借りるからな!」
「はあっ? アンタ、サンタ? ちょっ、荷物! どこ行くのよ!」
少し離れた店の中から飛び出してきた真白が叫ぶ。
周りの客やら店員やらが、突然大声をあげたオレにぎょっとした顔をしていたが、それにも構っていられない。
「いいか! 絶対戻ってくっから! この辺で待ってろ!」
今は、あの女を追うのが最優先だ。
面白い下ネタを書ける人を心の底から尊敬しています。
自分でやると、まあ、気持ち悪いので。




