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二 好奇心が猫を殺すと言うように

 家に一人でいる時に、家電から変な音がすると不安にかられます。

 眠れない夜の、家鳴りとかも同じく。

 枯れ尾花であってくれるといいんですけど。

「よーし、到着。多分、ここだろ。その本に載ってるトンネルって」


 運転していた車を停め、サイドブレーキを引いた男は、助手席の女へと目を向けた。


「いや、私もわかんないし。国道から外れた山道の先って、アバウトすぎでしょ、これ」


 男と顔を見合わせた女は、手元で開いた雑誌に目を落とし、口をとがらせる。


 その雑誌は心霊現象だの、都市伝説だの、いわゆるオカルト系の噂を取り上げたものだった。

 表紙には、血みどろの女性が長い黒髪の間から恨めし気に読者を睨むようなイラストと、どぎつい赤のフォントで「死」やら「呪い」の文字が印刷されている。


 どこの誰が取材して文章にしたのか全くわからず、信ぴょう性は皆無。

 長時間運転の合間の休憩にでも、と、コンビニで気まぐれに手を伸ばしてしまう程度の代物だと言えるだろう。


「違っててもいいって。せっかく来たんだしよ、ちょっと中、覗いてこうぜ」

「えー、マジで言ってんの? あんただけで行きなよー」

「お前だってさっきまで乗り気だったじゃねーか。今更ビビんなよ。だいじょぶだって」

「……ほんとにちょっとだけだかんね。中見たら、すぐ帰るから」

「はいはい、わかったよ。ほら、さっさと降りろよ」


 軽薄そうな男の言葉に、女は小さく唸った後、シートベルトを外して車のドアを開けた。

 二人はどちらともなく寄り添って腕を組み、暗がりの中を進み始める。


「ぜんっぜん足元見えねえな。ちょっと待ってろよ」


 言って、男はポケットからスマートフォンを取り出し、懐中電灯代わりの明かりを灯す。


 どうにか二、三歩先まで照らすのでやっとの光を頼りに、二人はトンネルの入り口にたどり着いた。


「お、これ、トンネルの名前じゃね? どれどれ……」


 男はトンネルの入り口の脇に取り付けられたプレートを見つけ、明かりを向ける。


「ねえ、夜鳴トンネルって、さっきの本に書いてあったのと同じじゃん」

「マジで? 意外とちゃんとしてたんだな。あの雑誌」


 長い年月、雨風にさらされ、錆と苔まみれになったプレートを男はしばらく眺め、


「なあ、やっぱ中、入ってみようぜ」


 にやりと笑って半歩前に進み、女の手を軽く引いた。


「いや! マジ無理だから! ほんと、ねえ! ちょっと待ってよ!」

「いーからいーから、俺がついてっからだいじょぶだって」


 本気で怯えている女を強引に引っ張るようにして、男はトンネルの中へと足を踏み入れる。


「おおう、結構、雰囲気あんじゃん」


 トンネルに吹き込んだ風が唸っていた。

 夜闇よりさらに深い暗がりに向かって、二人が一歩踏み出すごとに足音が反響する。


「やば、これ臨場感エグくね?」


 静けさが自分たちの存在を浮き彫りにする感覚に抗うように、男は余裕ぶった声を出した。


「もういいよぉ、車にもどろ、ね?」

「あと少し、もうちょっと行ったら戻るって」


 自分を掴む女の腕に力がこもったことに気を良くしたのか、男がさらに奥へと進もうとした。


 その時だった。


 ぐしゃり、と何かが潰れる音が響く。


「ひっ! 何? 何か踏んだんだけど!」


 女は自分の足元から聞こえたその音に思わず飛び退いた。

 男は一瞬身をこわばらせた後、スマートフォンの明かりを足元へと向ける。


 そして、そこに転がっていたものを見て、息を呑んだ。


「これ、花、か?」


 それは干からびて、変色しきった花だった。


 花そのものは無残に折れ、元の姿の見る影もない。

 だが、それを包んでいる三角錐のビニールのようなものは、かろうじて原形を留めていた。


「もしかして、この花、お供えとかなんじゃない?」

「……だな」


 二人は顔を見合わせ、お互いの表情をうかがう。


 それを感じているのが自分だけではないと確かめるように。

 腹の底が浮き上がり、皮膚が泡立つその感覚。


 このトンネルに刻まれた、死の匂いを、今更ながらに二人は感じ取る。


「おい、もどるぞ……って、なんだよその顔?」

「……ちょっと」

「あ? どした?」

「あんた今、胸触ったでしょ。何考えてんの? こんなとこで」

「はあ? 触ってねえよ」

「嘘つかないでよ! 絶対触った! ほんと信じらんない!」

「いや、よく見ろって。俺、こっちの手でスマホ持ってんだろ! 無理だから!」


 自分を睨み付けてくる女に、男は腕を組んでいる方とは逆の手を見せる。


「じゃあ、いったい誰、が…………え?」


 なおも言い争いを続けようとする二人の言葉を遮るように、それは始まった。


 最初に二人を襲ったのは、低く、唸りをあげる風の音だった。


 生暖かい風が頬をなでると同時に、トンネルの奥から人の呻き声によく似た響きが迫ってくる。


 それに続くように、トンネル内の電灯が不自然に明滅を繰り返し始めた。


「何なのこれぇっ!」

「わかんねえよ! おい、あんま強く握んな! いてえって!」

「あ!」


 二人が半狂乱で叫んだ瞬間、今度はトンネルの明かりが完全に消えた。


 風がやみ、再び二人の周りは静寂に包まれる。


 しかし、それは終わりではなかった。


「ねえ、なに、その音」


 男が握っているスマートフォンから。


 ざりざり、と。

 じりじり、じじじ、ざざざ、ずずず、と。


 ノイズのような音が漏れ出す。


『オ……ケ……オイ……テ……』


息を呑む二人をよそに、その音は徐々に大きく、そして意味を持った言葉へと変化していく。


『オ、イテイケ……オンナヲ……オイテ、イケ』


 女を置いて行け。


 聞き間違いなどではない。

 低い低い、男の声が二人の耳に届く。


 二人は思わず顔を見合わせた。

 互いの心中を窺うように、相手の瞳を覗き込んで確かめる。

 勝手に逃げるな、とでもいうように、荒い息をしながら見つめ合う。


『オイテケオイテケオイテケオイテイケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケ』


 それをあざ笑うかのように、スマートフォンがけたたましい音を立て始めた。


「くそっ、ふざけんな!」


 先に組んだ腕を振りほどき、出口に向かって走り出したのは男の方だった。

 スマートフォンを地面に叩きつけ、振り返ることなく逃げ出す。


「ちょ、待ってよ! おいてかないで!」


 見捨てられた女も、それに続こうと走り出そうとする。

 だが、スマートフォンの明かりもなくなった暗がりの中、数歩と進まず、何かに躓いてバランスを崩した。


 そして、そのまま転んでしまった女は、感じる。


「ひ…………っ」


 足元から、何かが這い上がってきている。

 ふくらはぎを、太腿を、腰を、背中を、胸元を、首筋を。

 見えない何者かの手が撫で上げてくるような感覚。


 身の毛もよだつ不快感に襲われ続ける。


「やだっ! なに、だれなのよぉ!」


 女の悲鳴に答えたのは、男に投げ捨てられたスマートフォンだった。


『……ア……アイツヲ……ノロッタ、ノロッタ、ゾ』


 タッチパネルが無残に砕け散ってなお、はっきりと語りかけてくるスマートフォン。


『イッショニイレバ』


 そこでぶつりと、音が途切れた。


 女は立ち上がり、地面に転がるスマートフォンへ恐る恐る近づいていく。


 目に涙を浮かべた女が、スマートフォンを拾い上げたその時。


『お前も、殺すぞ』


 トンネル全体が、意志を持った何かのように一際大きな唸りをあげた。


 全身が震えるような音に飲み込まれた女は、けたたましい悲鳴をあげて逃げ出す。


 何度も何度も躓き、命からがらトンネルの外に出た女。


 彼女は、外で方向転換を始めていた男の車へと飛び込んだ。

 二言三言の怒鳴り合いの後、車は猛然と走り出す。


 エンジン音はみるみるうちに遠ざかり、夜鳴トンネルには再び静寂が訪れたのだった。

 もう主人公は出てきています。

 ずっといます。

 見えないものは描写されていないだけなんです。

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