二十二 強がりの裏腹に
きつねと酸っぱい葡萄なんて童話もありますからね。
甘くて、香ばしい匂いがする。
京之助の部屋に戻る途中、漂ってきたその良い匂いにオレは鼻をひくつかせた。
匂いも嗅ぐってのも久しぶりのことだが、これは、まずいな。
(サンタさん、俺、腹減ったっす)
頭の中に響いてきたのは京之助の声。
どうやらこの匂いのせいで目を覚ましてしまったらしい。
確かに腹の底が縮むような、口さみしいような感じがする。
そういえばコイツ、起きてから食パン食っただけだもんな。
この図体の男にたったそれだけの朝飯で何時間も耐えろってのは酷だろう。
今、体を借りてるオレとしても正直しんどいもんがある。
匂いに誘われるようにして、オレはふらふらとキッチンの方へ歩みを進めた。
「あ、京ちゃん。もしかしなくてもお腹空いたんでしょ?」
ダイニングにたどり着いた瞬間、机の上に飯の乗った皿を並べていた真白と目が合った。
しまった、と思ったが、真白はオレが京之助に憑いていることには気づかなかったらしい。
そのまま鼻歌交じりにキッチンとダイニングを行き来して配膳を続けていく。
その呑気な表情を見る限り、さっき腹を立てて出ていったことを引きずっている様子はなかった。
「さっきは出てっちゃってほんとごめんね。ま、ほとんどあのバカ幽霊のせいだけど」
片手を立てて謝ったかと思えば、口をとがらせて文句を言う真白。
ふざけんな、お前が勝手にキレ出したんだろうが。
オレはいつも通りだったっつーの。
「おい、真白、陰口をたたくのは感心しねえな」
「げ。アンタもしかしてサンタ? 何勝手に京ちゃんの体使ってんのよ」
オレが口を開くなり、真白が眉根に深い皺を刻んで舌を出す。
さっきほどの激しさはないが、オレに対する敵意は残りっぱなしってことかい。
こっちも仲良くしようとは思ってねえけどよ。
「勝手に使ってるわけじゃねえ。お前の姉ちゃんに頼まれて憑いてただけだ。お前に言われなくてもさっさと出ていくっての」
「そうしてくれる? この朝ご飯、あんたに食べさせるために作ったわけじゃないし」
誰がそんな得体の知れないもん食うか。
こっちから願い下げだ。
オレはすぐさま京之助から離れようとしたのだが、
(ちょ、ちょい待って欲しいっすサンタさん!)
「あ?」
慌てたような京之助の訴えを感じて、オレは抜け出しかけていた体に再び意識を戻す。
「その、せっかくだし、オレ、サンタさんに真白ちゃんの料理食べてみて欲しいっす」
今度は声に出して、京之助がそんなことを言い出した。
オレにこのクソ生意気な小娘が作った物を食えってのか。
冗談じゃねえ。
ただでさえ機嫌が悪いってのに、具合まで悪くされたんじゃたまらねえよ。
「いやいやいや、サンタさん、俺、真白ちゃんの料理でお腹壊したこと無いっすから! それどころかすっごく美味いんで! 騙されたと思って食べてみてくださいよ!」
「……京ちゃん、どういうつもりか知らないけど、そんな悪霊に食べさせるだけ食材の無駄じゃない?」
「真白ちゃんもそういうこと言わない! 料理の腕には自信あるでしょ! 一回食べてみたらサンタさんだって変なこと言わなくなるって!」
なんか妙に食い下がるな、京之助の奴。
そんなことしたって、お前に良いことなんて一つもないだろうによ。
「どーだか。その悪霊、性根が腐りきってるし。美味しくても認めやしないわよ」
なんだって?
それはつまり、あれか?
自分の料理の腕は確かだが、オレが意地はって難癖つけてるって言い草だな。
「生意気言ってんじゃねえよ小娘。オレがそんなことで嘘つくとでも思ってんのか? 美味いもんは美味い、まずいもんはまずい。正直に言うに決まってんだろうが」
思わず京之助に憑りついて、返事をしちまっていた。
オレの言葉に真白は、
「勝手にすれば? あたしにはどーでもいいし!」
そっぽを向いてキッチンに戻っていった。
(ほら、真白ちゃんの許可も出ましたし。サンタさんもご飯食べるのなんて久々でしょ。楽しみましょうよ)
机の前に残されたオレの頭に京之助の嬉しそうな声が響く。
今のが、許可?
そう思いはしたが、京之助は京之助で躍起になってやがる。
ここで断り続けるのもいい加減面倒だ。
一口だけだ。一口食えば、満足すんだろ。
「……京之助、お前の箸、これでいいんだよな」
オレは溜息を吐いて、机の上に揃えておかれていた青色の箸を手に取った。
手の動かし方はちゃんと覚えている。
二、三度、箸の先を開閉させつつ、オレは目の前に並ぶ料理に目を向けた。
三人分、きちんと用意された皿の上には、黒実の奴が食いたがっていた玉子焼きとウインナーが載っていた。
玉子焼きの形はまるで箱にでも詰めて焼いたみてえに四角く整っていて、黄色い表面にはほどよく焼き色がついている。
ウインナーには丁寧に切れ目が入れてあり、内側から滲み出る油が光っていた。
付け合わせのほうれん草の色も鮮やかな緑色。
茶碗に盛られた米も硬すぎず柔らかすぎずって感じで、横に置いていある汁椀の中のみそ汁からも、きちんと出汁が取られているのがわかる匂いがする。
認めたくはないが、見てくれも匂いも、悪くない。
京之助の空きっ腹のせいだと誤魔化せないくらいには、ちゃんとした飯の形をしている。
「……いただきます」
キッチンの中にいる真白に聞こえないよう、オレは小さく言って手を合わせた。
そして、とりあえず玉子焼きに箸をのばす。
物を口に運ぶのは、一体どれくらいぶりなんだろうな。
そんなことをしみじみと考えながら、オレは玉子焼きを半分だけかじった。
「………………」
温かい。
最初に感じたのはそれだけだった。
そしてこれは、そうだ。
甘い、でいいんだよな。
一回、二回と噛みしめるたびに、舌の上にじんわりと広がっていく感覚。
これは玉子焼きの味だ。
その感覚を言葉で表すのは難しいが、オレにもちゃんとわかる。
覚えている。
どこかで食ったことがある味だ。
どうしようもなく懐かしくて、幸せな感覚だ。
ひょいっと、オレは玉子焼きの残りの半分も口に放り込んだ。
甘いだけじゃない。
ほのかにしょっぱい。口の中の塩気が消える前に、茶碗に盛られた白飯を頬張る。
みそ汁をすする。
ウインナーもかじって、また飯を食って、玉子焼きに戻る。
目の前にある飯を誰が作ったのかも忘れて、オレはただ黙々と箸を進め続けた。
ずっと、忘れていた。
この先、二度と何かを味わうなんてことないと思っていたんだ。
気がつくとオレは、目の前の皿にあった物を全て平らげてしまっていた。
「おい、真白!」
箸をおいたオレが呼ぶなり、
「何よ! 文句なら受け付け、ない、わ、よ?」
ケンカ腰でキッチンから顔だけをのぞかせた真白。
そのつり上がった目が、オレを見るなり丸く見開かれていく。
「サンタ、あんた、それ……」
「ああ? 何だこりゃ」
ぽかんと口を開けている真白に言われて、気が付いた。
京之助の目尻からこぼれた何かが、顎に向かって伝っていく。
じんわりと熱を持った、一筋の何か。
「あー、ちくしょ、お前のせいで思い出しちまったじゃねえか。食い物って、あったかかったんだよなあ」
言いながらオレは勝手に滲んできた涙を拭う。
隠そうとしても隠しきれない嬉しさを、わざと雑な言葉で吐き捨てる。
駄目だな、抑えようがねえ。
堪え切れねえよ。
「え? ちょ、なんで泣いてるわけ」
「大したことじゃない、気にすんな」
幽霊になってから、ずっと自分に言い聞かせてきたんだ。
体がなくたって、困らねえって。
誰かと話さなくても、構わねえって。
触れ合うことなんて、必要ねえって。
死んじまったけど、幽霊は幽霊で悪くねえって。
そう思ってたんだ。
ただ、やっぱりな、どうしても誤魔化しきれねえもんだな。
「生きてるってのは、やっぱ良いもんだ。そう思っただけだからよ。ほんと、大したことじゃねえ」
呟いて、オレは胸の前で両手を合わせて目を閉じる。
「美味かったぜ。ごちそうさん。あとな、真白」
「な、何よ」
「オレの負けだ。さっきは悪かったな」
京之助の言う通り、真白の料理の腕は確かだった。
文句のつけようがない。
ここで頭を下げられないほど、オレの性根は曲がってねえ。
真白は既に丸くなっていた目をさらに大きく広げ、呆気にとられたように何度か口を開閉させた後、
「ばっかじゃないの! 謝れば許すとでも思ってるわけ!」
勢いよく、そっぽを向いた。
「つーか、そんなん大した料理じゃないし! 玉子もウインナーも焼いただけじゃん! みそ汁とかも残り物だし! それがあたしの実力とか思われるの逆に心外なんですけど!」
そのまま早口でまくし立ててくる真白。
いや、素直に謝ってもキレられんのかい。
どうすりゃいいのか見当もつかねーよ。と、オレは途方にくれていたのだが、
(まー、真白ちゃんも大概素直じゃないですからねえ)
頭の中で京之助がしみじみ呟くような声がした。
なんじゃそりゃ。
「ほんと大げさ! あり得ないから!」
「わかった、わかったから。オレも久々に飯食って、ちょいとおセンチになってただけだからよ。もう、お前の飯のことでとやかく言わねーから、な? それでいいだろ」
「よくないわよっ。その、まあ、あんたが態度をあらためるっていうんだったら……」
もにょもにょ言いながら、真白の顔がだんだん赤くなってくる。
……なんだ、今度はどうした。
「き、気が向いた時に、もっと美味しいもの作ってあげるわよ……」
「お、おお。ありがとよ」
それ言うためにこんだけ照れてんのかコイツ。
まあ、気持ちは嬉しいっちゃあ嬉しいが。
「誤解するんじゃないわよ。あたしの実力がこんなもんじゃないって教えるためだからね。あと、あんたがあまりにも哀れだから」
「オイ、誰が哀れだ小娘。あんまし調子に乗るんじゃねえぞ」
「ぷっ、涙目で言われても全然怖くないんですけど!」
「このクソガキっ」
ほんっと可愛くねえなこいつ。
オレはそう思ったのだが、
(そうですかね?)
頭の中で京之助の声が響く。
呆れ半分、安心半分ってところか。
……いや? これはそれだけじゃねえな。
なるほど。何となく、読めたぜオイ。
ただまあ、それはちょいと後回しだ。
「真白、京之助、今からガレージに行くぞ」
オレは立ち上がって、言う。
飯を食ってなんとなくわかったことがあった。
腹が膨れただけじゃねえ。
黒実が言っていたオレが忘れてたこと。
それが何だったのか、今ので掴めた気がする。
「はあ? いや、あたしまだご飯食べてないんだけど」
「うるせえ、後にしろ。いいもん見せてやるからよ」
そっちのほうが、お前も気分良く美味いもん食えるはずだ。
なぜなら。
「飯の礼だ。アホウドリ、今度こそ動かしてやるよ」
ドラゴンクエストというRPGには、はぐれメタルというモンスターが登場します。
このモンスターは、もともとはメタルスライムだったのだけれど、群れからはぐれてしまったことで、仲間の姿も、自分の姿も思い出せなくなってドロドロに溶けた姿になってしまったのだそうで。
この話は、私がどこかで耳にしただけで、公式の情報ではないのかもしれません。
ただ、これを聞いて私はひどく感心させられてしまいました。
サンタ、という幽霊もまた、孤独の中で自分を見失っていました。
これから彼は人との関わりの中で、本来の自分の在り方を思い出していくのでしょう。
そんな成長が描けたらな、と思います。




