二十 怒りにかまけていたとしても
自分がいつもの調子じゃないとわかっていても、つい踏み込みすぎてしまうことがあります。
黒実たちがアジトにしている京之助ん家の建物は、アホウドリやアイビスが置かれているガレージと、居間やら台所やら風呂場やらそれぞれの部屋やらがある場所に大きく分かれている。
ガレージの後始末をアイビスに任せて、黒実たちは居間の方へ移動した。
どうやら飯にするみたいだな。
オレには関係のないことだが、一応、サンタボールに憑りついて、京之助の肩に乗ってついてきた。
アホウドリと違ってこの小さい体はちゃんと動かせる。
やっぱ重さの問題なのか?
「うわ、なんだかんだでもう十時じゃん。どーりでお腹もすくわけだわ」
居間の壁にぶら下がっている丸い時計を見て真白が声を挙げ、すぐさまキッチンの方に引っ込んでいった。
ガレージと違って、居間の方は普通の家と大差ねえ。
大小二つのソファがあって、その前には脚の短い机が置いてある。
二つのソファから見える位置には薄っぺらいテレビ。
ここ何日かで真白が大きい方のソファに寝そべって、ダラダラとテレビを眺めているのはよく見かけた。
小さい方のソファに京之助が座っていることはあるが、黒実の奴がここでくつろいでるのは見た事ねえな。
居間とキッチンの間にも少し小さめの部屋がある。
そこには椅子が四つと、それに座って飯を食うのに具合が良さそうな机が置いてあるだけだ。
ダイニング? とか言うんだっけか。
こういうのは。
「えーっと、昨日の残りのご飯があるから、みそ汁と、なんか適当におかず作るけど何がいい?」
真白がキッチンの方から淡いピンク色のエプロンを着けながら戻ってくる。
そう。
驚くべきことに、この家の飯はこのケバい女が毎日作っているのだ。
人は見かけによらないとは言うが、大丈夫かよと心配になる。
「玉子焼きがいいわ。甘いやつね」
真白の問いかけに、黒実がダイニングの椅子に腰かけながら答えた。
ちなみに黒実の方がキッチンに入っていくのは一度も見たことがない。
こいつはこいつで、料理とは縁遠そうな雰囲気だもんな。
「はいはい、玉子焼きね。あとは……野菜ものの作り置き、残ってたっけかなあ」
「ほうれん草のおひたしがまだあるはずよ。冷蔵庫の一番上の段、右の端ね」
「おー、流石。じゃあ、それでいっか」
そう言って、真白がまたキッチンへと戻っていく。
その直後に、あったーという声が聞こえてきた。
『……黒実お前さらっとすげえな。まさか冷蔵庫の中身全部覚えてんのか?』
「何がすごいのかはわからないけど、ほとんど把握してるわね。右の収納スペースに入ってるわさびの賞味期限が随分前に切れているのも知ってるわ」
「げ! マジじゃん! 半年も前! 分かってんなら捨ててよーっ!」
冷蔵庫の中を確認したらしい。
真白の悲鳴がキッチンの方から聞こえてくる。
「捨て方が分からなかったのよ。中身は生ごみだけど、チューブはプラスチックでしょ? どうすればいいのよ」
「黒実ちゃん、そんなんで躓いてたら生活できないよ……」
あはは、と苦笑して、京之助が黒実の正面に腰かけた。
うん。読めたぜ。
黒実がこんな感じだから、真白がやむを得ず家事をしてるってことだわな。
オレは京之助の肩から机、その後に床と、順番に飛び降りてから、キッチンの方に移動する。
キッチンでは真白がボウルに卵を割り入れて、かき混ぜ始めていた。
卵を溶く箸のチャッチャカいう音が小気味いい。
オレはサンタボールの六本脚を駆使して、キッチン台の上に登り、料理をしている真白の姿を眺める。
ギャルっぽい女がエプロンつけてお料理って絵面はどことなくマニア向けだが、手際は悪くねえ。
『へええ、形だけならいっちょ前じゃねえか。なかなか……』
「何よ、なんか文句あんの?」
話しかけたオレを、真白はぎろり、と見下ろす。
おい、なんだそのゴキブリ見つけた時みてえな視線はよ。
まだオレのさっきの失敗を根に持ってんのかこいつ。
ちょっとでも褒めてやろうかと思ったオレが馬鹿だったぜ。
やめだ、気が変わった。
『文句なんざねえよ。ただ手際は良くても味の方はどうなのかと思ってな』
「それ、どういう意味?」
露骨にむっとした顔になった真白は、オレから視線を外し、ボウルの中に砂糖を入れる。
心なしか手つきも荒くなってきたな。
『おいおい、入れすぎじゃねえのかそれ。お前、見た目通り舌までバカになってんじゃねえだろな。ま、食えねえオレには関係ねえけどよ。いやー、こればっかりは体がなくて良かったぜ。』
「……あんたねえ、いちいちいちいちいちいち」
真白は手を止めて俯き、ボウルをキッチン台の上に置く。
初めは低い声で唸るように呟き、そして。
「いい加減にしなさいよ! 何様のつもり!?」
怒声と共に、真白は手に持っていた箸をオレに投げつけてきた。
よっぽど力を込めたらしい。
見当ちがいなところに飛んでいった箸はキッチンの壁で二度三度と跳ねて、床に転がった。
『おい、どうしたよ? 随分と怒るじゃねえか。図星だったか?』
んだよ、こいつ。
ちょっとからかっただけじゃねえか。
ここまでキレるか?
別にこのくらいのこと、今に始まった事じゃねえだろ。
「ざけんな! このっ、態度ばっかでかい、役立たずのくせに!」
『……なんだと?』
この小娘。
オレに向かって、今、なんつった?
ぞわり、と自分の中から黒く、熱を帯びた何かが這い上がってくるのを感じる。
役立たず、だと?
オレがあのアホウドリとかいうガラクタを動かせなかったからか?
勝手なこと抜かしてんじゃねえよ。
そんなもん全部、お前らの都合だろうが。
オレはあんなもんこれっぽっちも動かしたかねえんだよ。
無理矢理こんなわけのわからねえところに連れてこられて、意味わかんねえことさせられて、迷惑してんのはこっちだ。
それを言うに事欠いて役立たず、だあ?
『おい、あんましオレになめた口きくんじゃねえぞクソガキ』
「あんたこそちょっとは黙ってなさいよ! 幽霊ってのは悪口言わないと消えるわけ?」
オレを真っ向から睨み付けて、真白が怒鳴る。
「やめなさい、真白」
その声はダイニングの方にも当然聞こえていたらしい。
キッチンに入ってきた黒実が、荒い息を繰り返す真白をなだめるように肩に手を置いた。
しかし、真白はその手を払いのけ、
「だって事実じゃん! アホウドリを動かせないならこいつがここにいる意味ないでしょ!」
『ああ? てめえ、いい加減に……』
「はっ、本当のこと言ってるだけでしょ! 役立たずのくせに口は悪くて、嫌がらせばっか! それならいっそこんなクソ幽霊なんかいないほうが……」
「駄目だ! 真白ちゃん!」
真白が言いかけた言葉を遮って、京之助の声が響いた。
こいつに会ってから今までで、一番でかい声だった。
部屋全体の壁が震えるようなその声の迫力に、叫んでいたはずの真白も思わず息を呑む。
「ごめん、怒鳴って。でも、それ以上は、言っちゃ駄目だ。いる意味がないなんて、絶対に言っちゃ駄目だ」
黒実の後に続いて、キッチンに入ってきた京之助は真っ直ぐに真白を見つめていた。
申し訳なさそうに眉が下がってるのはいつも通りだが、目は反らさない。
妙な敬語も使わずに続ける。
「確かに、アホウドリを動かすためにはサンタさんが必要だよ。でも、サンタさんは機械でも道具でもない。正体が何なのかはわかんないけど、俺たちとは形は違うけど、心がある、誰かなんだ。役に立つとか、そういうことじゃなくて、一緒に頑張るって気持ちは忘れちゃ駄目だと、思うんだ」
「それは……」
京之助の言葉に、真白はサンタボールに憑りついてるオレを見下ろし、唇を嚙みしめる。
きつく握った手の先が震えてんのは、煮えくり返った感情をどこにぶつけたらいいのかわかんねえとか、そういうことか。
「そんなの、あたしだってわかってるわよ!」
最後に真白が絞り出したのは、そんな言葉だった。
「そうだよね、ごめん、偉そうなこと言って」
「うっさい! 謝んなバカ!」
さっきまでとは別人のようにもにょもにょと呟く京之助の胸を右手でどついて、真白がキッチンから出ていった。
ドスドスドス、という聞こえよがしに不機嫌そうな足音が遠ざかっていく。
多分、自分の部屋にでも戻るんだろな。
「いてて……あーあ、駄目だなあ、俺」
殴られた胸をさすりながら、京之助がぼやく。
そして、ちらりとオレの方を見ると、
「すんません、サンタさん。勝手っすけど、真白ちゃんの気持ちもくんでやってください」
やっぱりいつも通りの気弱な表情で、それだけ言ってきた。
はあ。まあこれ以上腹を立てても仕方ねえしな。
真白の奴も焦って気が立ってたってのはわかってる。
頭に血がのぼると、何言うかわかんねえってこともだ。
こいつに免じて、今のやり取りは忘れてやることにするか。
オレは悪くねえし、謝らねえ。
そこは譲らねえけどな。
「あーあ、これじゃ玉子焼きはおあずけよねえ」
黒実は残念そうな顔で床に転がっていた箸をひろい、流しに放り込んだ。
箸の先についていた卵のせいで床が汚れていることに気付いた京之助が、すぐさま雑巾を絞り始める。
「食パンでも焼こうかしら」
それを手伝う様子は微塵も見せずに、呑気に欠伸をする黒実。
ころころ気分が変わる妹と違って、こいつはほんとに、何考えてるかわかりづれえな。
お互いに虫の居所が悪いと、こういうことも起きますよね。




