一 夜鳴きトンネルは待っている
心霊スポットって、行ったことありますか?
私は、一度だけあります。
その時のことを思い出しながら、書きました。
世の中には、人が、本能的に近づくことを躊躇うような場所がある。
それは例えば、夜中の墓場。
いつ潰れたのかもわからない廃病院。
経営者が居なくなり、誰も後始末をしなかった工場の跡地。
住人がこの世を呪い、自ら命を絶った後の住居。
この手の場所の例を挙げれば、きりがない。
物理的な危険はないはずなのに、なぜか脳が「近づくな」と訴えかけてくる場所。
それらは総じて、こう呼ばれる。
心霊スポット、と。
夜鳴トンネル。
そこもまた、人々から心霊スポットと呼ばれる場所の一つだった。
鬱蒼と葉を茂らせた木々に挟まれ、対向車とすれ違うのにもヒヤリとするような、細くて曲がりくねった道の先。
車で行くなら気休め程度に設置されたガードレールをいくつも眺め、車体を容赦なく揺らす粗悪なコンクリートの道路に小一時間は耐えなければたどり着けない。
そんな場所に、そのトンネルはぽっかりと口を開けていた。
最後に人の手による整備が入ったのはいつなのか。
入り口から壁面にかけて、植物の蔓が、複雑な模様のように絡み合いながらへばりついている。
視界を確保するはずの電灯は光を失っているものの方が圧倒的に多い。
ところどころひび割れたコンクリートの壁には、どうやってついたのかもわからない染みのようなものが無数に浮いている。
まともな感覚の持ち主なら、一秒たりとも長居はしたくないと思うはずだ。
可能な限り時間をかけずに通過したい。
そんな気味の悪さが、夜鳴トンネルには漂っていた。
しかし、そんな場所へ好き好んで近づこうとする人間もいる。
危険かもしれない。
何か起こるかもしれない。
それを理解していながら、あえて踏み込む。
怖いもの見たさ。
肝試し。
暇つぶし。
理由はそれぞれにあるだろう。
物好きな彼らの共通点は一つ。
それは、心のどこかで「どうせ何も起こらないさ」とたかをくくっているということ。
噂はしょせん噂だろう、と。
自分の身が脅かされることはないだろう、と。
信じて、疑うこともない。
今夜もまた、一台の車がやってきた。
車に乗っているのは、一組の男女。
二人は、これから先に待ち受けているはずのスリルに期待して、楽しそうに言葉を交わしている。
そのトンネルが、自分たちのような間抜けを待っているとは思いもせずに。
三人称視点って、書こうとするとちょっと気合い入れなきゃなりません。
名詞の語彙の豊かさとか、風景描写の巧みさとか。
私はそのへんに自信がないので、基本は一人称です。




