正体を知る老婆
感極まって涙を流し、しばらく話にならなかった。老婆が落ち着くのを待つ間、男は自分の行動を反省する。
初対面なのに、つい興奮して老婆に話しかけてしまった。非常識だったかもしれない……とも思ったが、アタリを引いたし良しとしよう。
冷静になるついでに男は考える。どうして老婆はこのような反応を見せたのだろう? と。
老婆が『染井 儚』について、何らかの手がかりを握っている。それは間違いない。されど……引退してしまったV一人に、この反応は過剰ではないだろうか? 年を取ると人は涙もろくなるらしいが、ちょっと大げさな気もする。黙考する男へ、老婆は「ごめんなさいねぇ……」と、ハンカチを懐にしまいつつ男へ問うた。
「あなた、儚ちゃんのリスナーさん?」
「え? いや……まぁ、その……たまたま最後の放送を見た者です。ただ、彼女の事が気になってしまって」
「あら、そうなの? でもこの公園に来たのだから……きっと真剣に探しに来てくれたのね……」
老婆の口から飛び出た単語に、一瞬硬直してしまう男。素性を明かし損ねたが、それよりも『染井 儚』についての喜びが大きいのか、追及は避けれた。皴の深い表情だが、影はない。そのまま彼女は男を誘う。
「どう? このままどこかでお茶でも……あの子について、ゆっくり話さない?」
「是非お願いします」
まるで孫の話をするかのよう。もしやとは思うが、彼女が『染井儚』か? ……いや、さすがにそれは信じられないが、Vの性質を考えると……0%と断言できぬ所が怖ろしい。
老婆が先に道を歩く。老けた肌に対し、足取りはかなりしっかりしている。歩みは遅いし、段差にも注意しているが、ふらついたりする事もない。迷いなく歩いて辿り着く先は、チェーン店のありふれたカフェ。変に凝った店より話しやすい。適当に二人分注文して、外の席に男と老婆は座った。
よいしょ、と掛け声をかけて腰を下ろす。じっと見てはいないのだが、あらやだと老婆は恥じらった。
「ごめんなさいねぇ……もう年だから、何かするたびにこう、一人で掛け声かけちゃうのよ。でないと言うこと聞いてくれなくて」
「大変ですね……けど、かなりしっかりしていると思いますよ。耳も遠くないし、ネットにだって詳しい」
「頭の方はそうかもねぇ……儚ちゃんと一緒に、短歌とか俳句とか詠んでいたから……なかなかああ言う子はいなくてねぇ。落ち着きがあって、良い子だったよ、本当に……」
思い出を語る老婆は、ちらりと公園の方に瞳を向けた。丁度良いので、このまま彼女周りの話を掘り下げてみよう。
「どれぐらい放送は見ていたのですか?」
「そうだねぇ……四か月前にチャンネル登録したけど、もう少し前からお邪魔してたから、だいたい半年前かしら。確かあなたは……」
「はい、彼女のリスナーではありません。ですが、V配信者で……誰か新しい人を発掘していた時に、最後の放送が目に留まりまして、それで……すいません、隠すつもりはなかったのですが、私はこういう者でして」
今更ながら名刺を取り出し、老婆へ差し出す。「あらま、ご丁寧に……」と見つめた老婆は、見慣れない社名に目を白黒させていた。
「私は……バーチャル配信者グループを、形成する会社の社員でして」
「は、はぁ……それで?」
「『染井 儚』さんを、何とか復活させたいと思っています。彼女はこのまま消えるには、少々惜しい。あの最後の放送を見て、そう感じたのです。どうにかコンタクトを取りたいのですが……連絡先、ご存じありませんか?」
自分の想像より、三倍は綺麗な言葉が出てきた。利権と打算まみれの腹の内にも『染井 儚』を案じる心は、少なからずあったらしい。今日、こうして足を運んだ以上、熱意は本物だったと自覚した。
突然に過ぎたのか、戸惑ってしまう老婆。気まずい空気を遮るかのように、注文のコーヒーが運ばれてくる。一礼して去る店員。去っても黒い液体を見つめる老婆。粘っこい唇が嫌になり、男は湯気と香りを啜る。苦味が広がる口と裏腹に、次の言葉に棘はなかった。
「そうだったの……いやね? 儚ちゃんのリスナーとしては、ちょっと若すぎるなぁって思ってたのよ」
「やっぱり、年を召した方が多く集まっていたので?」
「そうねぇ。若い子向けの内容じゃなかったでしょ? 和歌や短歌や俳句なんて……でも居心地は良かったわ。まるでネットでの老人会みたいで、あの子はその中の中心、花だったのよ」
彼女の放送内容には、ゲーム配信などは含まれていない。過去放送を確認した所、雑談や短歌、俳句などの『渋い』内容が非常に多かった。これでは伸びない……と言う事も事実なら、ネットを扱える老人にとって、集まる事の出来る『場』を作れていたのだろう。
男は、少し考えを改めた。最初こそ「こんなお婆さんがネットを?」と感じたけれど、それこそ偏見だったのかもしれない。ネットは万人に開かれている。小学生であろうが、百歳近い大老だろうが、ネットリテラシーを守っていれば平等である。
ならば……『染井 儚』の中身もまた、老人なのではなかろうか? デジタル式の着ぐるみなら、年老いた者が若い人間の着ぐるみを着用する事も、難しくはない。改めて男は、老婆に問う。
「彼女を復活させたい。そう思いませんか?」
「……」
「彼女は……ネット上での立ち回りを間違えただけです。ポテンシャルは感じます。私の会社の事務所でバックアップすれば、配信者として伸びるかもしれない。ですが……私は探して回ったのですが、彼女と連絡が取れない。ご存じ、ありませんか?」
プライベートまで踏み込むとなると、長期戦も覚悟せねば。絶対にこの老婆を口説き落として、『染井 儚』を特定する。そう意気込んでいたのに、老婆はあっさりと、そして衝撃の事実を告げた。
「あの子は……儚ちゃんはもう、この世にいない」