吉野公園
通勤方向と反対の駅に降りた立った男は、スマホ片手に『吉野公園』を目指して歩き始めた。
普段と違う景色、近いのに始めてくる場所。暖かい春の陽気もあって、年甲斐もなく少しだけ浮ついた気分になる。GPSのおかげで迷う心配は不要。案内用のアプリに従い、道順に歩けば『吉野公園』に到着できるだろう。
「調べた所……規模はそこそこか?」
桜並木に、野球やサッカー用のグラウンド、テニスコートやバスケットコートまで完備している。子供向けの砂場と遊具もあれば、スケートボード用のちょっとした広間まで完璧だ。事務所が設立されているだけあって、なかなか大きい。これだけ公共施設があるなら、管理用の事務所も必要だろう。
ここに来るまでに、集合住宅やアパートも点在していた。住人が使うには丁度良い距離感である。現に今も人で賑わっているが、少々うるさいのは工事の音だ。
「今は四月下旬か……工事の時期を遅らせたのだろう」
答える相手もなしに、男は呟く。散ってしまった桜を見るに、花見の期間とずらしたのかもしれない。こんな工事音がしていては無粋もいいところだろう。事情を加味しつつも、男はここに来た目的をもう一度頭に浮かべた。
なんでもいいから『染井 儚』の手がかりを探すこと。それが男の目的だ。
そしてこれでも、何にも進展がなければ……男はもう、彼女を諦めることにする。さんざん時間を使ってしまった。いくら執着しているとはいえ、休日まで使って探すのはやりすぎだと思う。
(あのあと掲示板は、雑談の場になってしまったけど……)
この公園を知るきっかけを与えた、ネット掲示板の有識者たち。彼らを持ってしても発見できなかった『染井 儚』は、だからこそ少しの間話のタネになった。
チョイスが渋すぎるとか、数字が伸びなかったとか、ありきたりな意見が多かった。けれどその普遍的な言葉の中に、いくつか『消えるにはちょっと惜しい人だった』という意見も見受けられたのだ。
その言葉を見て――あぁ良かった。なんて男は思えない。
ならどうして、消える前に言葉をかけなかった? 直接スーパーチャットー――要は投げ銭、直接的な配信者への贈与の事だ――は出来なくても、チャンネル登録や、ちょっとした話題にするなど、出来る事はあったのではないか? 好みの配信者が消えてから後悔するのではなく、消える前に何故応援しなかった? 何かの拍子に、明日がなくなってしまうかもしれないのに。そうして多くの配信者が、声援を受けられない、無関心に過ごす大勢に押しつぶされるというのに。
そこから救うために行動している……と言えるほど、男は綺麗な人間ではない。やはり消えるには惜しい人間だった。再起の機会を与えれば、ある程度相手に貸しを作りつつ、こちらの事務所も恩恵を受けれる。あくまで現実に即して計算を巡らせて、男は公園の事務所付近を通り過ぎた。
もしかしたらあの『染井 儚』のキャラクターが、公園の案内役として使われているかもしれない。事務所内のみならず、看板なども注意深く観察する。彼女本人でなくとも、イラストの雰囲気やタッチが似てないかも注意しながら。
けれど、これまたハズレ。精神的な疲れもあるが、デスクワークに慣れた身体が、すぐに悲鳴を上げてしまう。これを機にジョギングでもするかな……と思うばかりで、三日後ぐらいには忘れている。底辺配信者なんて存在も、多くの人にとってはそんなものだろう。
頭を振り、最後に工事現場の付近にも近づく。白い壁と看板、未来に立つ建造物の絵はあれど、『染井 儚』の影さえ見当たらない。重機の音だけが作業中と物語る中、偶然目にした工期日程にぎょっとした。
つい最近と、公園の事務員は話していたが、本当にその通りだった。工事開始の日づけは『染井 儚』が最後の配信を終えた翌日……
馬鹿な。それが何の因果だと言うのだ? 意識しすぎと頭を振り、もうこれで終わりにしようと背を向けた時だ。
一人の老婆が見えた。かなりの年を召している老婆。なぜ注目してしまったかと言えば、その手に『桜の枝』を、後生大事に握りしめていたからだろう。ふいにその枝が、最後の瞬間に『染井儚が手折った桜の枝』と重なった。
やはり意識しすぎている。否定的な自分と裏腹に、老婆の歩くさまを見つめてしまう男。ゆったりとした歩みの中に、何か……反感と言うか怒りと言うか、ともかく負の情熱が見受けられる。工事現場に近づいて、酷く悲しげに見つめていた。
と、その時現場の出入り口から、一人作業員が外に出てきた。老婆を見つめると、面倒くさいと顔を背ける。何かトラブルだろうか? 聞き耳を立てていると、老婆は確かに、はっきりとこう口にした。
「儚ちゃんは……生きたがっていたのに」
「!?」
戦慄した。あるいは晴天の霹靂か。天意を得たりと背が伸びる男。何がどうとか、細かい所に気は回らない。ともかくこれが最後のチャンスだ。早まる鼓動に合わせて足を動かし、工事の人間が離れた所で……男は「あの!」と、老婆に突如として話しかけていた。
「あの……! 突然すいません。あなた今『儚』と言いましたね? それってまさか……『染井 儚』の事でしょうか?」
「……!!」
老婆の目が見開かれた。手ごたえあり。やっと重要な証言を得られる。名刺を出そうとポケットをまさぐる間に、老婆は目元をハンカチで拭い、桜の枝を見つめてこう言った。
「よかったねぇ、儚ちゃん。私以外に、あなたを探してくれる人が……見つけてくれる人がいたよ……」