掲示板
吉野公園に電話をかけて、数日が経過した。
あれから折り返しの連絡は来ない。淡い期待を寄せていたのだが……取られたのか、それとも『染井 儚』はもう事務所と手を切っているのか。他の仕事や必要な作業をこなしつつ、隙間時間で彼女を探す。しかしそのすべてが、ことごとく空振りに終わっていた。
競合相手もいるようだし、既にそちらで話が進んでいるのかもしれない。せっかく『染井 儚』を見つけ出したとしても、先客がいては意味がない。徒労に終わりリスクを抱えるぐらいなら、別の配信者に目を向けるべきとも、頭では分かっている。星の数ほど生まれてくる新人配信者から、新しく見繕う方が効率的だ。
だというのに……男は諦めきれない自分がいる事を自覚した。周囲の人間には言えないが、気が付けば何かにつけて、染井儚を追っている。
しかし……直接彼女とコンタクトを取るのは難しい。今までの感触から感じた男は、アプローチの方向性を変えてみる事にした。
Vは中の人だけが要素ではない。その肉体を想像する者……いわば着ぐるみを作る側の人間も存在する。イラストレーターを探せば、そのまま納入先の『染井儚』を追う事が出来るはずだ。一度はそう考えた。
なのに……検索に入れても、それらしき人物がヒットしない。検索欄に出てくるのはファンアートばかりで、公式に彼女を描いた人物が見つけられない……
「まさか、自前で用意していたのか……?」
Vの配信だけでなく、イラスト創作まで自前でやるか? 一瞬疑念が浮かんだが、配信の一場面を思い出すと、それはそれで道理の筋が立ってしまう。
たったの一度、しかも最後の放送の為だけに……新しいイラスト差分を外注するとは思えない。そんな事をしても一銭にもなりはしないし、割とシャレにならない金額がかかる。いくらサービス精神があったとしても、身銭まで切るか?
わからない事だらけだが、こういう時に有識な暇人が集う場は使える。ライバルに情報を与えるリスクもあるが、仕方ない。男は匿名の掲示板サイトにアクセスし、すぐさまスレットを立てた。
≪引退放送のコレすごくね? 染井儚について語るスレ≫
古くから続くネット掲示板。火が付くかどうかは運が絡む。だがうまくいけば有識者諸君から、なにか有益な情報を得られるかもしれない。既に何日か消費し、本当なら別の配信者を探すべき立場の男は、なりふり構う事をやめた。
ライバル企業の人員に見られれば、全く同等の情報を与える事になってしまうが……このままでは『染井 儚』の中の人から、復帰するモチベーションが消えてしまうかもしれない。じれったく画面越しに待っていると、ぽつぽつと人が集まり始めた。
貼り付けたURLは、染井儚の最終放送回。枝を手折るシーンのタイム・スタンプも忘れない。やがて何名か閲覧したのか、ぽつぽつと火がついていく手ごたえを感じた。
頃合いを見て、質問を投げかける。
『このVのイラストレーターに、心当たりがないか?』
暇人の集うこの場所なら、絵のタッチや特徴から割り出してくれるかもしれない。期待を込めて投下した一文は議論を呼んだが……誰も『これだ』と断言できる人物はいないようだ。
『個人勢みたいだし、自前で用意したんじゃね?』『それならそれでSNSに、イラストかなんか上げてるだろ?』『いやいや素人の仕事には見えない』――男が考えたパターンの議論が繰り広げられ、天を仰ぎ目を覆った。
これは……空振りだ。そう考えるしかない。彼らを持ってしても特定は不可能。少なくても有名どころのイラストレーターに、外注されたVではない……得た成果はそれだけだ。
濁った議論が掲示板を停滞させる。熱しやすく冷めやすい彼らの間で、釈然としない空気が流れ……予想外の物が特定されてしまった。
『この電話番号、吉野公園ってところの事務所番号なんだけど……』
見つけてほしくなかった情報に、掲示板住人たちが食いついてしまう。もはや議論は男が望むような方向にはいくまい。事務所周りでゴタゴタと騒いで、なんだよ馬鹿馬鹿しいと白けて、あとは誰も書き込まずに自然消滅……
これも空振りか。もう諦めてしまった方がいいのだろうか。そう思いかけた刹那、住人の一人がある物を特定する。
――吉野公園の住所。その一部の単語は、男に見覚えがあった。
試しに調べてみると、隣町の駅から歩いて十分と少しの距離。直接赴くことも、不可能ではない。諦めかけていた男は、どうしようもなく『染井 儚』に注目している自分を軽く笑った。
公園に直接出向いたからって『染井 儚』に会える訳がない。ネット上の偶像と、中の人の実態は絶対に違う。声を変えている可能性もあれば、見た目だって全然違う。何より、あの公園と『染井 儚』に、因果律があるかどうかも怪しい。
だというのに……男はスクショを取って、その住所を保存し、プライベート用のスマホに移し替えていた。
今度こそこれで最後……往生際の悪いギャンブラーのように呟く男は、次の休日の日に『吉野公園』に足を運ぶことに決めていた。