繋がった連絡先は
染井 儚を探し出す。そう意気込んで、V配信者を束ねる企業に属する男は電話をしたはずだった。
聞き出すのに難儀したが、インターネットへのログインには必ず電話番号かメールアドレスか……ともかく、何らかの連絡先の登録が必須。まどろっこしく、相手が見るまでの時間に不安定さがあるメールより、直接連絡の取れる電話番号を発見し、染井 儚に向けてダイアルを回した。そのはずだ。
「あのー? もしもーし?」
聞こえてきたのは男性の声。明らかに『染井 儚』とは異なる。一瞬怯んだものの、Vの事情を考えれば――この相手が『染井 儚』の可能性もあったりする。
イラストで構成されたV配信者は、実体の人間との性別に関係性がない。男性が女性に、女性が男性のVに化けることも思うままなのだ。声だけは苦労するかもしれないが、近年は『ボイスチェンジャー』も発展している。音声を加工するパソコンソフトで、これを使えば完全に化ける事も出来てしまうのだ。
まさかと思いつつも、電話をかけた男は尋ねる。
「あの……あなたが『染井 儚』さんですか?」
「は? あ、いえ、すいません。違います。……女性ですか?」
「いえまぁ……そうなのですが……」
Vに疎い人なのだろう。明らかに野太い男性の声の主に、女性めいた名前の人物か? と質問されれば、少々空気が読めない人種に見えるかもしれない。これはハズレか……と内心ため息をつきながら、丁寧に男は事情を説明した。
「実は、ある方の連絡先がこちらの電話番号になっていまして。連絡を取ろうとお電話させていただきました」
「はぁ……それが染井何とかさん? うちにはそんな人いないですが……」
「えぇと……何と言えば良いのでしょう? 芸名のようなものです。本名とは異なります」
「芸名? だったら事務所か自分の電話番号を登録するんじゃ……」
「普通はそうですよね……私もそのつもりでお掛けしたのですが」
公共施設の電話番号を、本登録に使うか普通? 非常識に頭を悩ませていると、電話越しに地響きのような音が聞こえてくる。慌てて事務員がマイクを塞ぎ、音が落ち着くまでしばしの時を要した。まだ少し音が残る中、申し訳なさそうに職員が言う。
「申し訳ない。実は少し前に、公園で工事が始まって。大きな桜の木を一本、引っこ抜くって話なのです。重機が派手にやっているので……そちらの声量を上げてもらえると助かります」
「いえ、仕方ないですよ」
指示通り喉に力を籠め、V事務所に属する男は、改めて要件を伝えた。
「では、そうですね……『染井 儚 へ取り次いでくれないか』という連絡があったと、事務所全体に通知して頂けないでしょうか? 素直に名乗り出るとは思えないので、私の電話番号をお伝えしておきます」
「すると、どうなるんです?」
「『染井 儚』の中の人が、プライベートに連絡を取ってくるかもしれません。もし彼女と話が出来れば、今回の電話番号の件について、こちらから強く言っておきますよ」
「はぁ……よろしくお願いします?」
わかったような、わからないような返事だった。バーチャル配信者界隈は、知っている者とそうでない者とで、認知の落差が激しい。この反応もやむなし、あとはゆっくり『染井 儚』からの折り返しを待とう。やかましく鳴り響く工事音の中、突然相手が「あ!」と声を上げた。
「どうかしましたか?」
「あぁいえ、突然失礼しました……お名前『染井 儚』さんでしたか? 何か覚えがあるなと思ったのですが、どうやら以前、同じような電話があったようです」
「本当ですか」
「えぇ。事務所のホワイトボードに名前が有ります。間違いありません。日付は――」
事務所の人間が告げた日にちは、染井 儚 の最終放送の直前の日だ。すべてを聞いた男の胸の中に、ジワリと焦りが滲む。自分以外に『染井 儚』を探している誰かがいる? このタイミングで活動しているとすれば――自分と同じV事務所のライバル企業か? 彼女とコンタクトを取り、事務所に引き入れようとする誰かがいる?
黙り込んだV企業の男に、電話越しに戸惑う事務員。思わぬ長電話に疲れた男は、そろそろ潮時かもしれないが、最後に一つ質問した。
「電話をかけてきた方は、どのような人でしたか?」
「えーと……申し訳ありません。そこまでは……」
「あぁいぇ、大丈夫です。お手数かけてすいません。工事中でお忙しいのに」
「いえいえ、こちらも暇でしたので……それでは」
「はい、失礼します」
かちゃりと受話器が置かれ、男は腕を組み考え込む。『染井 儚』の電話番号にかけてみれば、思わぬ展開になった。
何故か繋がった『吉野公園事務所』に、Vに疎い事務員。非常識と思いきや……『以前にも同じ名前の人物を探す、誰かからの電話』の事実……
もし、もし自分と同じ『染井 儚』を探しているV企業がいるとすれば、ここから先は『染井 儚』を探す競争になる。先に彼女を発見し、声をかけ、契約を結んだ方が勝ち……
出来るだけ急いで『染井儚の中の人』を見つけ出して、この競争に勝利しなければならない。彼女に目をかけたのは向こうが先でも、契約を取り付けた方がイニチアチブを握れるのだ。
だが、知っているのは男だけ。相手側は自分の存在を知らない。
別にフェアプレイ精神は持っていないが……プレッシャーはかけたい。情報収集も兼ねた次の一手を、男はネット上で投じた。