引退放送
その生放送にたどり着いたのは、本当にただの偶然だった。
某大手動画サイト、そこで活動中のVの配信。彼はその時新人発掘中だった。
『V』というのは『バーチャル』の頭文字だ。現在、動画サイトも多様化が進み、動画のみならず、生放送で様々な配信を行える時代になった。さらにその派生形として、生身の人間の挙動をある程度マネて、動画サイトで配信を行える時代となった。
――ざっくり言うなら『アニメイラストの着ぐるみを着て、ゲームや雑談、歌ってみたなどなどの配信ができる』時代が到来したのである。
「この人は……あぁ、引退配信か……」
けれど今は、Vに限らず動画や生放送の配信者を目指す者が多い。視聴者の取り合いは日に日に激化の一途を辿り、収益化――動画や生放送などで、配信者が金を得られるまでのラインの事だ――まで視聴者が集まらず、生まれては消えていく配信者も少なくない。しかし個人が引退配信をするケースは、なかなか珍しいことかもしれない。なぜなら、このように人が集まらず辞める場合、何の予兆もなくぷっつりと、突如として音信不通になるケースが多いからだ。
定期的か、不定期に行われた動画投稿や生放送は途絶え、ちょくちょく呟いていたSNSは、更新どころかアカウント事消滅してしまい、続きは永遠に訪れなくなるのだ。まるで打ち切りを食らったマンガや小説のように……
いや、早回しで作品をまとめたりする猶予があるだけ、打ち切り作品のほうがマシかもしれない。それが最後と覚悟していなかった投稿が、唐突に最終回になってしまう悲しみは、ファンに強いショックを与えるものだ……
しかし、このV配信者はけじめをつける人種らしい。自分には一ミリも益はないだろうけど、有名になれずともファンと別れを告げる場を設けた。その性根を嫌いになれない男は、新人発掘中にふさわしくないとも思いつつ……『私の根元に来てくれた人へ』というタイトルをクリックした。
V配信者の彼女は間違いなく個人勢。全体的に動画やチャンネル登録者数が伸びなかったのだろう。今の同時視聴者数 (生で放送を見ている人間の数の事だ) も30人に届かない。
その人数に声をかけているのは、黒髪と桜色の瞳。シンプルな色合いの緑と茶色の着物を着用した、いかにも和を押し出した女性のイラストだ。これだけなら珍しくもないが、最大の特徴は頭部に生えた『桜の枝』だろう。一見すると角のようにも見えるソレは、女性のプロフィール欄にある設定を見て納得した。どうやら彼女は『桜の木の精』らしい。
Vの人々は、人間とは限らない。その姿や形がイラストである以上、鬼やら悪魔やら天使やら……ともかく『設定上人外』のキャラクターが、インターネット配信を行う時代なのである。中の人は普通の人間に違いないが、それは言わないお約束。着ぐるみのキャラクターを楽しんでいる人々の前で、わざわざ中身を暴くこともあるまい。
「配信タイトルは『桜の木の精霊』ってところと合わせたのかな。名前は……『染井 儚』……か」
『私の根元に来てくれた人へ』というタイトルは詩的だ。普通に考えればおかしい文言でも、配信者の設定を見れば通じなくもない。人気配信者となる夢破れてなお、最後までやり通す姿勢は……男は嫌いじゃない。
しかし、最後まで配信する彼女のしゃべり方は……聞いていると少し妙だ。
内容は『自分が配信を始めた理由』とか『もう少し続けられたら……』とか、比較的自然な中身だ。けれど、会話のペースが全体的に遅い。視聴者コメントで質問を待っているのか? とも最初は感じたが、会話とコメントが流れるタイミングを見ていると、そうでもない。
生放送で見れなかった人のために、ゆっくりと話している? ますますあり得ない。今はどこからでも視聴を再開できるシステムがある。むしろペースが速くても、ゆっくり後から見返せるのが利点だ。
何が起きているのか、いまいちわからない。けれどこの配信者――『染井 儚』は、誰かに向かって懸命に言葉を紡いでいる。誠実に、一つ一つ、何かを伝えようと声を発している。その感触は、通りがかりに見つけたような男にも、確かに伝わっていた。
『私は、ソメイヨシノが見る人の夢だった。本当は……もっと話したかった。本当はもっと色々な事をしてみたかった。とても残念だけど、でも神様を怨む気はないの。すごく短い間だけといい夢が見れたから……』
その言葉を最後に、染井 儚の瞳に光の粒か零れた。本人も気が付いて、すっと人差し指で涙をぬぐう。声が震えて、中の人も泣いていることが伝わるが、その時男は『何かがおかしい』と感じた。
(Vってこんな滑らかに動いたっけ……?)
バーチャルの肉体は、可動域に限界がある。
イラストで描かれている以上の動作は出来ず、用意されている差分以上の衣服はない。それは中の人の声色とかで、なんとなしに悟るしかないのだが……今『染井 儚』は極めて自然な動作で涙を流してみせた。
最後の放送一回のために、差分をわざわざ用意したのか? あまりに滑らかなアニメーションに、違和感を覚えるのも遅れるほどだった。いったい誰がこのモーションを用意したのだろう? 不思議に思う中、染井 儚は自分の頭部に手を伸ばした。
『来てくれてありがとう。見つけてくれてありがとう。これを……持って行って』
そうして手に力を入れると、生えていた桜の枝を一つ手折った。生木なのか、枯れ木の折れる音とは少しだけ違う気がする。またしても不自然さのない、滑らかな動作で枝を画面側に差し出すと、ふわりとその枝は消えてなくなった。
何が起きたのか分からないまま、けれど画面の彼女がふわりと微笑み、それを最後に放送が終わる。
――すべてを見届けた男は、すぐに染井 儚の名前を検索サイトに打ち込んでいた。
彼女をこのまま消えさせてはならない。彼女が誰で、どこにいるのかをなんとしても探し出す。放送の内容やプロフィール欄から情報を集め、一つずつ推理し、調査を進めていけば『中の人』にたどり着けるはずだ。
この技術を埋もれさせないために。自社の利益のために。そして他社に取られる前に――消えていった一人のバーチャル配信者の足取りを追う。
……どこまでが表向きの理由で、どこからが感情の動機かは、彼本人にも分からなかった。