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2. 転生舞姫、堕ちた勇者と再会する(後編)

「娘、一体何をしている! 勝手な行動をするな!!」


 誰かがそう叫んだ気がしたが、私は構わずに踊りの初めの姿勢を取った。

 足を踏み出すとともに、剣を思い切り振り下ろす。

 そのまま右足を軸に三度回転して剣を上段の位置に構え、今度は左足を軸に回転して剣を中段の位置に構え……。


「これは紛れもなく、完璧なグルト公国式剣舞だ……!」


 使節団の代表が驚きとともに呟いた言葉は、あっという間に会場の中へと伝播した。


「グルト公国式剣舞だと?」

「それって、習得が非常に難しくて公国人でさえほんの数人しか出来ないっていうあの剣舞か?」

「どうしてあんな赤髪の異国人にそんな珍しい踊りが出来るんだ?」


 動揺とともにざわめく会場の空気を切り裂くように、私は勢いをつけて剣を振り上げる。会場中の人間をきっと睨めつけ、そして再び剣を振り下ろした。

 ……黙って見ていなさい! 私を、ただひたすらにこの私だけを!!

 楽団の演奏は止まっているので無音での舞踊だが、そんなものは全く気にならない。体の中に流れる音楽に身を任せ、私は勇壮な剣舞を舞い踊る。

 会場にいる者は、私の気迫に圧されたのか、いつの間にか誰も彼もが声をなくして私を見つめていた。

 ……それで良い。それで良いのよ。場の主導権は決して渡さないわ。

 宰相ごときの思惑に、一国の皇帝が――私を殺したあの憎き勇者が屈するなど、そんなことがあってたまるものですか……!

 最後にだんと足音を立てて大地を踏みしめた私は、天高く掲げていた剣を静かに下ろす。

 その瞬間、空に厚くかかっていた雲が割れた。差し込んできた幾条もの陽の光が、舞台照明のようにまっすぐ私に向かって降り注ぐ。


「何と美しい……。まるで天が味方をしているようだ……!」

「あの女人は天女なのではないか?」


 そんなことを呟いていたのは、果たして誰だったのだろうか。

 私はただ一心に正面を見据え、どこか茫洋とした眼差しでこちらを見つめている宴の主催と主賓たちに対し、深く礼の姿勢を取った。


「この剣舞を、皇帝陛下と使節団の皆様に捧げます」


 そう告げた瞬間、熱狂的な拍手と歓声の渦が私を包み込む。

 音の中心にいるのは、使節団の面々だ。中でも代表は感極まったように目元を拭い、私に優しく微笑みかけてくる。


「この剣舞は我々公国人の魂であり、誇りです。だからこそ、他国民でありながらここまで見事に舞の真髄を理解して体現してみせてくれたあなたも、そしてそんな彼女を踊り子として歓迎の宴に連れて来られた皇帝陛下も、我々に敵意などお持ちではないことが十分に伝わってきました。先程のご無礼、平にご容赦を」


 怒りを鎮めるきっかけになればと思っての舞だったが、想定以上に彼らの心を打ったらしい。

 舞手の私はもちろん、宴の主催者たる皇帝の評価も上げることが出来たようで、さっきまで使節団の中にあった苛立ちはきれいさっぱり消え去っていた。

 私がもう一度頭を下げて彼らの賛辞を受けると同時に、皇帝・朱雀も代表へと向かい合う。


「いや。こちらも知識が足りず、非礼を働いてしまったことを詫びる。以後はこのようなことがないように気をつけよう」


 やはり朱雀の関知しないところで物事が動かされていて、彼は嵌められ、貶められようとしていたようだ。

 その事実に、私はぎりりと歯を食いしばる。

 宴はそのままお開きになり、使節団は機嫌良く宿泊所として提供されている離宮へと戻っていった。

 その一方で、私はといえば――。


「……」

「……」


 ――なぜか、無言で朱雀と向き合っていた。

 使節団との仲が険悪になりそうなところを救った功績がある以上、為政者として功労者を褒める必要があることは理解できる。

 だから宴の場に残り、おとなしく皇帝の御前に進み出て言葉を賜った。ここまでは良いのだ。

 だが、その後無言のにらめっこを続けている意味は分からない。

 用がないならば他の踊り子たちのいる待機場所に帰してくれないかしらと思っても、所詮今の私はしがない踊り子。皇帝が何も言わない以上、こちらから動くことは出来ない。

 私に出来ることといえば、とにかく朱雀の顔を見つめることだけである。

 そこに浮かんでいるのは、喜びとも悲しみともつかない複雑な表情だ。魔王城で臨終の間際に見た苦悶の表情にもどこか近いものがあるかもしれない。

 いつまでこんな不毛な時間が続くのかしらと嘆息しそうになった時、不意に朱雀が側近を手招きした。

 何事かを耳打ちされた側近は、一つ頷くと私のもとまで足早にやって来てこそりと囁く。


「皇帝陛下が二人でお話になりたいと仰せです。何でも、十五年前のことを話したい、と……」


 それを聞いて、私は瞠目した。


「十五年前……?」


 その一言で理解出来てしまったのだ。目の前の男の中にも前世の記憶があり、そして私が何者なのかも認識しているということを。

 ……勇者として、魔王に会ったからには討伐せねばという気になったのかしら?

 ともかく、向こうが会いたがっているならばこちらに断る理由はない。

 私は気持ちを落ち着けるように一つ息を吐くと、側近に向かって笑みを浮かべた。


「分かりました。全て皇帝陛下の仰せのままに」


***


「まるで、十五年前を立場を逆にして再現するようだわ」


 豪奢な扉を前にして、私はぽつりとひとりごちる。

 ここは皇帝の側近に連れられるがままに訪れた皇帝宮の一室。この扉を開けば、その先に朱雀がいるはずだ。


「十五年前は王の間にいた魔王(わたし)のもとに勇者がやって来たけれど、今度は勇者のいる部屋に私が足を踏み入れるのね。全く、何の因果なのかしら?」


 言いながら、私は扉にそっと手をかける。重厚な見た目に反して軽い力で動いた、その扉の先には――。


「来たか、魔王」


 ――わずかに口角を上げて微笑む、一人の男の姿。他でもない、朱雀だ。

 転生してから十五年。自分が何者かを自覚してから十年。

 ついにこの日が来たのだ。自分を殺した敵に復讐出来る日が……!


「呼んだのはあなたでしょうに。まあ良いわ。とにかく、私がどうしてここにいるか、分からないとは言わせないわよ。十五年前の雪辱を果たすために、私は勇者(あなた)を殺す!」


 もう踊り子らしい態度を取り繕う必要はないと、私は口調を崩して敵愾心をあらわにして叫ぶ。

 皇帝との対面ということで厳重な身体検査をされたため、剣は持ち込めていない。だが徒手格闘になるなら別にそれでも構わないと、私は朱雀に飛びかかっていったのだが……。


「ねえ、どうして動かないのよ」


 私は何の苦もなく朱雀の首元に手をかけることに成功していた。朱雀が一つも抵抗してこなかったからだ。


「何をしているの? 私はあなたを殺すって言っているのよ」

「……て、構わない」

「えっ、何?」

「殺してくれて、構わない。ああ、剣がないならそこの壁にかけてあるものをどれでも好きに使っても良いぞ」


 言われた言葉に、私は唖然として立ち尽くす。悪い冗談かと思ったが、朱雀は本気であるようだ。

 その瞬間、私ははっきりと理解した。

 ……この人、宰相の手腕で陥れられようとしていたんじゃない。自分から陥れられにいったんだわ、と。


「さっきから思っていたけれど、あなたには破滅願望があるの? 宰相の横暴をわざと放置して陥れられようとしていたわよね。そして今度は、殺してくれですって? 私を殺したあの威勢の良い少年はどこに行ったの? この状況で殺してくれと言われても、そんなのお断りよ。私はあなたの破滅願望を満たす道具ではないの。今のあなたには殺す価値などないわ!!」


 壁に飾られた剣を指差していた朱雀の手を、怒りに任せて思い切り叩く。

 私はここに勇者を討つために来た。その思いは変わっていない。だが、今ここで殺すのは違う。私が求める復讐の形は、こんなものではない。


「私は魔王――魔界の頂点だったのよ。そんな私を討った人間が自殺願望を持つ情けない皇帝だなんて、絶対にあってはならないの! そんなの、私自身はもちろん魔界全体の矜持が許さない! 魔王を殺したのは最強の勇者でなくてはならないし、私が復讐を果たす相手も最強の勇者でなくてはならないのよ!!」


 衝動的に、私は部屋をばっと飛び出した。土地勘がない場所なので、どこへ向かっているかも分からぬままに闇雲に走っていく。

 私を突き動かしていたのは、言いようもない怒りだ。


「あれが誇り高き魔王(わたし)を倒した勇者ですって? 私はあんな人間に殺されたの? そんな馬鹿なことがあってたまるものですか!」


 前世、この命がもうすぐ尽きるのだと悟った時、私は悔しかったし悲しかった。あんなところで死ぬ気などなかったから、自分の未来を奪った勇者を憎らしく思った。

 しかし同時に、少しばかりの喜びも芽生えたのだ。自覚はなかったが、私は心のどこかで自分と対等以上に渡り合える存在がいない生に倦んでいたらしい。

 そこに彗星のごとく現れ、眩いばかりの希望と覚悟を全身に滾らせ、臆することなく自分に立ち向かってきた少年。彼との戦闘はぞくぞくとするほど刺激的で、どうしようもなく楽しかった。

 だからだろうか。両者の剣ががきんと重なった刹那、こんな人間になら倒されても仕方ないのかもしれないと、少しだけ……本当に少しだけだけれど、心を動かされたことは否定できない。

 そう。肯定するのは癪だけれど、私は勇者を――朱雀の力を、確かに認めていたのだ。

 それなのに、今の勇者の体たらくは私の思いを裏切るものだ。私の命を刈ってまでして手に入れたのが「今」であるはずなのに、彼はそれをみすみす手放そうとしている。


「どうしてこんなふうになってしまったのよ。ひどく不愉快で気に入らないわ」


 ――と、その時。


「まさか魔王と意見が合うことがあるとはね」


 どこからともなく聞こえてきた声に、ぐるりと視線を巡らせる。正面にある柱にもたれかかるように黒尽くめの衣服に身を包んだ一人の男が立っていた。

 驚きはなかった。皇帝宮に立ち入ってからというもの、何者かの気配がつきまとっていることにはずっと気付いていたからだ。


「どこの誰だか知らないけれど、私が魔王だって知っているのね」

「まあね。僕は唯一、朱雀様とともに魔王城へと行った人間だから」


 こともなげにそう言う男は、自らを朱雀の護衛であると名乗った。名はなく、ただ「影」とのみ呼ばれているのだとも。


「それで、そんな人が私に何の用? 分かっていると思うけれど、朱雀は殺していないわよ。殺意はあっても実行していない以上、私を捕縛する理由はないのではないかしら?」

「ずっと見ていたから知っている。そうではなくて、ここは共闘できると思ったから声をかけたんだ。魔王は最強の皇帝に復讐したいけれど腑抜けているから困っているんだろう? 僕も朱雀様にはかつての覇気に満ちた姿を取り戻してほしい。朱雀様があの程度だと思われるのは嫌だし、最強の皇帝になっていただきたい。つまり、最終目標は殺害と守護という対極に位置する僕たちだけれど、朱雀様を最強の皇帝にしたいという中間目標は一緒なわけだ。だからそこまでは協力出来ると思うけれど、どうかな?」


 考えること数瞬、私はこくりと頷く。


「悪くない提案ね」


 だって私は、復讐を諦めたわけではないのだから。今の朱雀が殺すに値しないと思っただけで、彼が立ち直って立派な君主として立ってくれるならそれに越したことはない。


「そうでしょう? だから、しばらく皇宮(ここ)にいなよ」

「でも私には皇宮にいる理由がないわ」

「朱雀様から後宮入りの許可を得た。だから、朱雀様の妃の一人としていれば良いよ」

「妃……?」


 驚く私に、彼はそっと手を差し伸べてくる。


「さあ、どうする?」


 ――それから間もなくして、皇帝・朱雀の後宮に一人の女が入った。

 踊り子出身ということで侮られていた彼女は完璧な作法で入宮し、周囲の度肝を抜いたという。

 その赤い髪と青い瞳の胡姫には皇帝直々に「杏花」という名が授けられ、上級妃の待遇までもが与えられた。


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