京都幻想紀行 前編
ノルウェー中部の小さな町スノーサから取り寄せられた、ソファー、テーブル、デスク、書棚、カーテンなど、ノルウェーの調度で統一された西陣中学高等学校の広い理事長室。洗練された明るいデザインは部屋の主の好みを反映している。理事長は同じ学校法人の大学に居ることが多いため、この部屋は普段、応接室として使われている。
「昨年の同窓会で君が言っていた希望を叶えられる」
「ほんとうですか」
「校長も了解している。来年度から本校に移ってもらう。ただし、条件がある」
「なにか」
「さっき言ったように、宇多野を叩きのめす計画を更に一歩進めることに協力してほしい」
「それはわかっています」
「君はあそこに行って何年になる」
「七年目です」
「宇多野に少しは愛着が出てきたか」
「いえ、それ程では」
「それならいい」
「向こうがどう思っているかは知らないが、宇多野と本校の戦争状態は更に厳しくなってきている。生徒の奪い合いで、本校は一歩遅れている。これは経営にとって、大きな問題だ。理事会からも批判が出ている」
「確かに、宇多野が国際コースを成功させてから、特進もぐんぐん伸びています。それに伴って、中学のレベルも上がってきています」
「この計画は、教頭として、私の一存で進める。校長はあのように高潔な人だから、聞けば必ず反対される。しかし、この計画は本校にとって、避けて通れないものだと私は認識している。今回、君に協力してもらっていることは、計画全体の一部に過ぎないが、うまく行けばそれなりの効果は期待できる。さらに協力してくれるな」
「私のできる範囲では」
「本年度の入試の結果はそろそろ現れてくる。宇多野に今年入った京南中学のワルどもが、もう少ししたら本性を現す筈だ。荒井は今年から、京南の進路主事になった。君は今年も京南中学の担当なんだな」
「おそらく」
「今年の京南の三年には本当のボスがいる。今年、君のところに行った連中もこいつには頭が上がらない。中学三年生とは思えん、とんでもない奴らしい。荒井とよく話をして、こいつとその取り巻きは必ず宇多野に引っ張ってくれ」
宇多野中学高等学校では午後の授業が終わった後、三時五十分から総務部会が会議室で開かれていた。
会議のメインの議題は国際コースの高校二年生の留学について、準備の状況を確認することだった。
最初に副部長の杉本敏彦から国際コースのふたつのコースについて、留学の現地での受け入れ態勢が、ホームステイを含めて、ほぼ整いつつあることが説明された。
イギリス留学は現地の学校と杉本敏彦が直接、メールや電話で遣り取りをしながらプログラムを組みたてているが、アメリカへの短期留学は基本的には旅行代理店を通して、現地の学校やコーディネーターと連絡を取っている。
アメリカへの短期留学はカリフォルニア州のサンフランシスコの北東二〇〇㎞のモデストという田舎町で行われ、現地の二つの高校に分かれて授業を受ける。出発まであと二週間少し。ホストファミリーの情報も来週には生徒たちに伝えることができるということだった。すでに、ホストファミリーから手紙を貰っている生徒もいる。
真野純一は杉本敏彦の説明を聞きながら、昨年、二クラス、六十二名の生徒を連れて、三ヶ月、アメリカで生活したときの、様々な苦労を思い出していた。英語でのコミュニケーションの能力はかなり身についた生徒たちだが、それでも文化の違いや表現のまずさによる誤解などで、トラブルが起こる。初めてホストファミリーを引き受けた家庭も多かったので、些細な行き違いがトラブルに発展することもあった。
その折の経験をすでに次の学年の担任には伝えてあるが、この会議でもいくつか付け加えることがあった。
真野純一は高校の国際コース三年生の担任である。クラスは国際Aコース。アメリカへの短期留学コースである。国際コースにはもう一つのコースがある。国際Bコースで、イギリスへの長期留学コース。Aはアメリカ、Bはブリテンの略とも言われている。三年生で取得するTOEICのスコアーはどちらのコースも九〇〇点以上を目標としている。英語は出来て当たり前としか考えられていない。
Bコースは二年生の九月から七ヶ月あるいは十ヶ月のイギリス留学を行うため、どうしても、日本での教育が不足する。従って、大学入試では文系三教科型への対応しかできなくなっている。
それに比べ、Aコースは二年生の六、七、八月の夏休みを含めた三ヶ月のアメリカへの短期留学だけなので、国公立の五教科型大学受験パターンにも対応している。
今年の三年生の学年からはAコース、Bコースともに、二クラスずつある。
Aコースは二年生から、文系、理系に分かれている。Aコースに理系が出来たのはこの学年からだ。Bコースは七ヶ月の留学を終えて三月末に帰国する生徒たちのクラスと十ヶ月の留学で六月末に帰国する生徒たちのクラスとに分かれている。
真野純一が担任するクラスは、国際Aコースに設置された初めての理系クラスであり、周りの期待は大きい。
一時間半ほどで総務部会は終わり、真野純一が会議室を出て、向かいにある東職員室の総務部の席に戻ると、生徒指導部の吉本忠明が待っていた。東職員室には総務部、入試対策部、企画広報部、生徒指導部の四部が入っている。高校の国際コースの担任は総務部にも所属し、各学年でチーフになる担任だけが総務部にも席を持っている。
吉本が簡単に状況を説明した。真野純一のクラスの坂崎真吾が今、指導室に居る。学校から少し離れたコンビニで店長とトラブルを起こし、吉本がさきほど引き取りに行ってきたという。
生徒指導部の奥の、パーテーションで仕切られた指導室には坂崎真吾が一人で座っていた。
「先生、何してたんや。何で先生が来てくれへんかったんや」
純一の顔を見て、真吾が立ち上がって言った。
「どうした。お前らしくないな」
「あいつ、めちゃくちゃや」
「取り敢えず、状況を説明してくれ」
純一は真吾を座らせ、その前に座った。
坂崎真吾の説明では、コンビニで買う物があって、それを手に持っていたときにスマートフォンが鳴った。店の中で話すのは悪いと思い、そのまま外に出た。しばらく、電話で話をした後、友達が店の前を通ったので、ちょっと話をするのにそちらに歩こうとしたら腕を捕まれた。
「俺、ちゃんと説明したのに、万引きしたみたいな言い方しよったんや」
「それでお前はどうした」
「違う言うて、何回も説明したんや」
「それでも分かってもらえなかったんか」
「あいつ、頭から万引きやと決めてかかってたんや」
「お前は、謝らんかったんか」
「何で、謝らなあかんねん」
「レジを通ってない物を、店の外に持ち出したことは確かやろ」
「そら、そうやけど」
真吾はちょっと不服そうな顔をして純一を見た。
「そこを謝ってから、ちゃんと説明するべきやったと思うな」
「謝ったら、万引き認めるみたいやん」
「謝るのと、説明するのは別のことやろ」
「先生、あの時、居いひんかったから、分かれへんねん。あいつ、俺が万引きしたことを絶対認めさせようとしてた」
「分かった。お前がいい加減なことを言う奴でないことは分かっている」
そう言って笑いながら、真吾の腕を、何度か軽くたたいた。
真吾は肩の力を抜くように、大きく息をついた。
坂崎真吾は宇多野中学の国際コースから内部進学してきた生徒のひとりで、中学からの内申成績もトップクラスだった。今も理系の科目で、問題を解くセンスには抜群のものを持っている。
中学の国際コースの生徒はほとんど高校の国際コースに進学する。現在の高校三年生の国際コース四クラスには内部進学者が三十二名いる。Aコースに十三名、Bコースに十九名。Aコース理系の純一のクラスには男子四名、女子二名の六名。
真吾は中学の時から勉強はできるが、やんちゃな生徒だったらしく、よく喧嘩をしたり、中学の若い女性の担任からは結構、指導の難しい生徒だったと聞いていた。しかし、純一が接してきた感じから言えば、頑固だが、正義感が強く、公平な判断力を持った、むしろ、素直でかわいい生徒だ。高校生になって、成長してきたこともあるかもしれないが、おそらく、真吾は元々そんな生徒だったのだろうと思う。
一年前の、昨年五月の終わり、アメリカへの短期留学に出発する直前、真吾は同じ学年の五人の男子と喧嘩をし、もう少しで留学に一緒に出発できなくなるところだった。
坂崎真吾は中学の時からラグビーをやっていて、五人を相手にイノシシのように突っかかっていったという。
中学で三年間クラスメイトだった生徒のうち、唯一、国際コースに進学せず、進学コースに行った上村拓二が、クラスでいじめに合っていると聞いたことが喧嘩の原因だった。
「拓クンがいじめられている」
ラグビー部のマネージャーで、上村拓二と同じクラスの木下早苗が拓二へのいじめが酷くなってきたことについて真吾に相談した。真吾は拓二のことが心配で、よく早苗に様子を聞いていた。
「五人の男子が拓クンを取り囲んで、よく、嫌がらせをしている。定規で頭をたたいたり、シャーペンでからだを突いたり」
拓二は華奢な体つきの引っ込み思案な温和しい性格の生徒だった。高校の国際コースでの留学にどうしても参加できないと思い、国際コースに進学することをあきらめた。坂崎真吾も最後まで、俺が面倒見るからと説得したがだめだった。拓二は父親の仕事の関係で、小学校の三年、四年とアメリカで生活していたので、英語は良くできた。
拓二がいじめられるようになったのは、その英語が原因だった。
一年生の終わり頃、英語会話の時間に、アメリカ人教員がふたりの生徒に英語で会話をさせた。しどろもどろの奇妙な英語を聞いて、拓二が笑った。拓二は妙な時に、妙な笑い方をするクセがあり、その時も、そんな笑い方をしたらしい。会話をしていたふたりはバカにされたと感じたらしい。それ以降、何かにつけて、拓二に絡むようになった。それがいじめの発端だった。
昼休み、真吾が拓二のクラスの教室に行くと、ちょうど、木下早苗から聞いていた五人が拓二の周りに集まっていた。
「拓二をいじめんのん、やめたれや」
「ちょっと、話してるだけやろ」
「五人で取り囲んで。それがいじめやろ」
「お前、関係ないやろ」
最初は真吾も穏やかに話していたらしいが、ひとりに胸ぐらを掴まれて、気が付いた時には相手を吹っ飛ばしていた。床に尻餅をついた相手は起き上がって、殴りかかってきた。それを避けて、体を低くして、肩で相手を押し倒した。残りの四人も一斉に真吾を殴ったり、蹴ったりし始めた。真吾はひとりずつを両腕で抱え込んで投げ倒した。普段練習しているタックルが自然に出たらしい。
純一と何人かの教員が駆け付けたときには、真吾がひとりに向かって突進しているところだった。
真吾は相手を抱え込みに行ったとき、たまたま上がった膝で頬を打撲して、顔を腫れあがらせたが、それ以外は大きな怪我をした者もなかったこともあり、原因も考慮され、喧嘩については真吾は停学処分を受けることなく、生徒指導部長から厳重注意を受けるに留まった。いじめと喧嘩に加わった五人は停学一週間の処分を受けた。
仲間がいじめられているのを聞くと、ひとりで五人を相手にするとか、留学の直前だからまずいとかを一切計算することなく、真吾は行動してしまう。
「ほんとに、馬鹿な子で。お父さんにそっくり」
保護者を呼び出して、事情を説明した際、母親が笑いながら呟いた一言だった。
「ところで、お母さんの具合はどうや」
指導室で、真吾は落ち着きを取り戻していた。
「うん、二、三日で退院できると思います」
「食事なんか、どうしている」
「俺が買い物して、弟の分もちゃんと用意してます」
真吾は小学校の六年生のときに父親を亡くしている。父親は膵臓癌で亡くなったと聞いている。それ以来、親子三人で暮らしている。弟は中学二年生で公立中学に通っている。
真野純一は坂崎真吾という生徒に、何とも言えない親しみと信頼感を抱くようになっている。
ゴールデンウイークが終わり一週間が過ぎていた。さわやかに晴れ渡った五月の空は青く澄んでいた。歩いていると少し暑さを感じるものの、時折、新緑の木の間から流れてくる風の涼しさが清々しかった。遠足には絶好の日和だった。
嵐山から嵯峨野めぐりのコースに沿って、野々宮神社、落柿舎、二尊院、祇王寺を訪ねた後、化野の念仏寺に向かって歩いているところだった。
すぐ前を行く大沢香奈が五人の女子に溶け込みながら楽しそうにはしゃいでいる。西村玲子が振り返って、香奈を指さしながら何か言っている。香奈がすねたように玲子を叩く素振りをしてみせる。どっとみんなが笑う。
真野純一はほっとした想いでその光景を見ていた。
坂崎真吾も昨日のトラブルを引きずっている様子もなく、仲間と楽しそうに振る舞っている。
昨日の電話での感触では香奈が遠足に参加する可能性は少ないだろうと思っていた。ゴールデンウイークが明けてからも一度も学校に来ていなかった。
昨日の夕方、坂崎真吾を送り出した後、遠足の詳細を伝えるために大沢香奈に電話した。
「そろそろ、学校に出ておいでよ」
「うーん」
「明日の遠足なんか、いい機会なんじゃないか」
「うーん。できたら行く」
声が暗く沈んでいた。
大沢香奈が今回、学校を休み始めたのは四月の後半からだった。いつもなら、二,三日で出てくるのだが、ゴールデンウイークを入れると、三週間近く学校に出て来ていない。
昨年のクリスマスから始まる一連の事件が、香奈が学校を休むようになった原因の発端になっている。
香奈はハンドボール部に所属していた。その部活で二年生の一部がクリスマスパーティーを企画した。場所は清水康弘という部員の家ではあったが、普段は使われていない別宅だった。
集まったのは男子四名に女子二名。もうひとりの女子は香奈がよく一緒に行動していた仲の良い金沢理恵だった。パーティーそのものは楽しい雰囲気だったという。
パーティーが一応お開きになって、金沢理恵はボーイフレンドの安井良太に誘われて帰って行った。その後、香奈にとって、思いがけないことが起こった。
残った男子三人とソファーに座って話していたが、香奈の隣に座った鈴木直樹のことが話題になった。直樹は香奈のことが好きで、一度でいいから抱きしめたいと言っていると清水康弘が笑いながら言った。香奈は冗談だと思ったが、その後すぐに、直樹が香奈に抱きついてきた。ふたりの男子はそれを囃し立てるようにして見ていたという。直樹はかなりしつっこく抱きついてきて、香奈の顔に顔をくっつけてきた。
その間に、もうひとりの友永隆がスマートフォンで写真を撮った。
友永隆のフェイスブックに、パーティーの写真と共に、その写真が四枚掲載された。
一月八日に授業が開始されてしばらくした時には、清水康弘や友永隆が言いふらしていて、噂はすでに広まっていた。香奈は妙な雰囲気は感じてはいたものの、その日の夜にかかってきた金沢理恵からの電話で話を聞くまで、友永隆のフェイスブックのことは知らずにいた。香奈は電話の後、すぐにパソコンの画面を見て、愕然とした。しばらくして友永隆に電話して、写真の削除を頼んだが、笑いながら「そのうちに」としか言わなかったらしい。
香奈はその翌日、ショックで学校を休んでいたが、昼過ぎに生徒指導部に呼び出された。生徒から話を聞いた教員がフェイスブックの写真を見て、生徒指導部に報告していた。パーティーの写真の一枚にワインのボトルが写っていたこともあり、パーティーに参加した全員が呼び出された。
先に帰った安井良太以外の男子はワインを飲んだことは認めたが、大沢香奈に対する行為やフェイスブックへの掲載は遊びだったとしか言わなかった。三人は重い停学処分を受けることになって初めて、事の重大さに気が付いたようだった。
真野純一が金沢理恵と話をしたとき、香奈が部活の中で一番信頼して、密かに慕っていた清水康弘が、鈴木直樹にあんなことをさせ、写真をフェイスブックに載せるように言った張本人だったことが分かったのが、一番ショックだったと思うと、理恵が呟くように言った。
それ以来、香奈はハンドボール部をやめ、学校もよく休むようになった。
ゴールデンウイークが終わってすぐに家庭訪問をしたのだが、会って話をすると、比較的元気そうに見えた。
今回、学校を休み始めた理由をそれとなく聞いてみた。
香奈はいつも、四人の女子と一緒に弁当を食べているのだが、そのうちのひとり、玉木涼子がたまたま弁当を持ってきていなくて、食堂に行くというので、みんなで食堂に行くことになった。香奈が弁当を食べ終わったとき、前にいた玉木涼子の視線が気になって、何気なく後ろを振り向いた。そこに、例の三人の男子がいて、こちらを見ながら、意味ありげに笑っていた。それを見た途端、からだが震えだし、気が付いたらその場から走るように逃げ出していた。
大沢香奈の言葉を聞きながら、真野純一が想像していた以上に、香奈の心が傷ついたままでいることに気付かされた。香奈に話をさせてしまったことを後悔した。
五月十五日は学校の創立記念日である。四、五日先に京都府高等学校総合体育大会が行われるため、体育系の部活動はどこも、熱の入った練習を行っている。
真野純一が顧問をするサッカー部は午前中に練習が組まれていた。
八時半から十二時半までの四時間、基礎から試合形式まで、様々なパターンの練習を行った。
サッカー部には顧問がふたり居るが、もう一人の顧問は教務部長をやっていて、たまにしかグラウンドに現れない。
以前、宇多野高校のサッカー部は何度か全国大会に出場するような部活動だったが、今はその面影もない。真野純一も高校生の頃、昼休みなどに好きでサッカーをやっていた程度で、サッカー部の経験もなく、本格的にサッカーを指導できる立場ではない。
それでも、部員たちは純一のことを信頼してくれているとともに、よく自分たちで工夫しながら自発的に練習を組み立てていた。
「先生、今度の総体の先発メンバーを考えたんですが」
キャプテンの植田俊夫が練習の後のグラウンドでのミーティングの最後に、メンバー表を純一に手渡した。
現在、一年生八人、二年生六人、三年生四人の十八人が現役で練習に参加している。人数の少ないチームなので、ひとりで幾つかのポジションをこなせるようにしている。
「三年生はみんな、了解しているのか」
「はい。二年生もだいたい、これでいいと」
二年生もみんな頷いている。
「それなら、これで」
そう言いかけて、二年生の高木幸助の顔を改めて見た。
高木の名前がメンバー表になかった。ミッドフィルダーとディフェンダーに一年生がひとりずつ入っている。
「いいのか」
「俺より、こいつらの方がうまいし」
高木が一年生をちょっと見て、複雑な笑顔を浮かべる。
一年生のふたりがすみませんと言うように、高木に軽く頭を下げる。
確かに、ふたりの一年生はこの一ヶ月少しの練習の中だけで見ても、サッカーの技量がずば抜けていることが誰の目にも明らかだった。京南中学のサッカー部の顧問からも、優秀な選手を二人送るからよろしくと、純一に連絡があった。ふたりは小学生の時から京都の南部にあるクラブチームで共に練習してきたと聞いている。それに、ふたりとも、国際Aコースの生徒で、学業でも成績がずば抜けている。
「途中で、俺が高木と交代します」
三年生の上杉大地が、最初からそうするつもりだったというように言った。
「上杉にとっては総体が最後の試合だろ。それに、ミッドフィルダーの要を途中からでも抜く訳には」
「俺はもう、本当はサッカーなんてやってられる時期じゃあないんです。部活やってた奴も、秋の大会でみんな引退しています」
上杉は特進Aコースの三年生だから、国公立の大学を目指して、すでに猛勉強を始めているのが当たり前で、確かにこの時期まで部活動を続けているのはめずらしい。
「だから、逆に、ここまで練習してきたのやから、最後の試合は」
上杉はちょっと首を傾げるような仕種をしたが、そのまま、口をつぐんだ。
「先生、俺が代わります。上杉先輩が抜けるのは痛いです」
二年生の大北信也が言う。キーパー以外はどのポジションでもこなす器用な選手だ。
「いいよ。信也が抜けるのも痛いし」
高木が大北に向かっていう。
「わかった。必要に応じて、俺の方で適当に交代をさせるから。それでいいな」
純一が言った言葉に、みんなが頷いている。
グラウンドから引き揚げて、真野純一は三年生の教員室に向かった。宇多野中学高等学校では、以前から、教員室は教科単位にはなっていない。学年や各部ごとに教員が集まるようになっている。
教員室に入り、席に着くとすぐに、生徒委員の緒方義男がやってきた。
「先生、ちょっと、教室に来てもらえませんか」
「どうした」
「あいつらの説明では、誰も解らないんです」
「物理の問題か」
「はい。問題集の三十二番をやっているんですけど」
「よし、すぐ行く」
放課後と休みの日の補習講座がない時には、教室で自習する生徒が多くなっている。真野純一もできるだけ教室にいて、英単語のテスト問題を作ったり、生徒の質問に答えたり、自分の仕事をこなしたりしている。
単語帳で英単語を覚える作業をしている生徒は、何ページかを覚えると、純一が作った、そのページに対応したテストを受ける。テストができると、純一がその場で採点する。それを何度も繰り返して、生徒たちは英語の語彙を増やしていっている。覚えた言葉を生徒たちは授業の中でどんどん使っていくように意識しているので、定着も早い。
時々、他の教科の教員も教室に顔を出してくれる。教員に聞きたいことが出てくれば、すぐに教員室に聞きに行くこともできる。
純一はこのクラスでは物理と化学を教えている。
この日、純一は午前中はサッカー部の練習に参加すると言ってあったが、練習の途中で、一度教室を覗くと、クラスの半数の生徒が教室で自習をしていた。
教室に行くと、坂崎真吾と谷口昭雄が黒板の真ん中を使って説明している。教卓の周りで七人の生徒がそれを取り囲んでいる。
純一はしばらく、その説明を聞く。説明が直観的で、丁寧な理由の説明がないので、確かに分かりづらいだろうと思えたが、説明している彼ら自身は理解しながら話していることはわかる。
「こいつら、なんぼ言うても、わかりよれへん」
坂崎真吾が純一に目を向けて言う。
「お前らの説明が悪いからや。先生、ちょっと代わりに説明してください」
教卓の周りで、その真ん中に居た大庭孝之がそう言って純一に顔を向ける。
「坂崎が今言うてた通りのことなんやけど」
純一はごく基本的なところをもう一度説明し直しながら、何故そうなるのかの理由を丁寧に説明した。
「ああ。そうなんや。わかった。お前らも、こんなふうに説明してくれたらええねん」
大庭孝之が言いた。
「おんなじこと、言うてるやんけ」
「先生の説明と全然違う」
「もう、お前らには教えへんわ」
坂崎真吾がすねたような素振りで言った後、にんまりと笑う。
「いや、いや、真吾先生、これからもよろしく」
みんながどっと笑う。
五月の遠足も終わり、生徒たちは本格的な受験体制に入っている。
真野純一は短期留学が終わった二年生の九月から、生徒たちに様々に進学指導をしてきた。ただ、英語に関してはカリキュラムに沿った授業で、かなりハイレベルな語学力を身につけるので、純一がやる必要のある指導は語彙力を増強することだけだ。英単語を覚えさせる作業だけは毎日続けている。むしろ、本当に必要なのは、数学、物理、化学などの理系科目を演習形式で徹底的にトレーニングさせることで、理系クラスでも世界史と古典を含む国語の指導も欠かすことができない。
英語について言えば、これまでの指導により成果をあげてきた実績がある。二年生の六月から三ヶ月間の留学だけで英語力が大きく伸びることはないが、国際コースは英語に興味を持つ生徒たちの集団で、入学時点から学力の高い生徒が多い。その生徒たちに一年生の初めから、徹底的に実践的な英語を指導する。
例えば、コミュニケーション英語の授業では一クラスが十五名前後の二講座に分かれる。日本人一人と外国人二人の教員が担当し、授業中の日本語の使用は禁止されている。毎回、あるテーマについて書かれた英文を読み、補足説明を聞き、それについて三人一組で議論する。議論の結果は各自が英語の文章にまとめる。生徒の書いた英文は二人の外国人教員が丁寧にチェックし、その後、三人一組で発表する。こういった、授業展開で単なるお喋りだけの会話ではない、アカデミックな会話力と文章力が身につく。英語の文法は日本人教員が徹底的に叩き込む。
一年生の現代社会および世界史と、二年生の地理および世界史は、留学経験があり、自由に英語を話す教員が英語で授業する。音楽や情報などの授業でも日本人のサポートを受けた外国人教員が授業を担当する。
授業の展開についても、いろいろ工夫がなされている。
例えば、二年生の世界史では、日本の教科書を使うが、ひとつの小単元の教科書の内容について、生徒は三人一組になって、基本的には英語で議論し、興味を持った人物や事柄をインターネットの英語サイトで詳しく調べ、英語でレポートを作成して、発表する。
この作業で、英語の語彙力や表現力が増すだけではなく、教科書を超えたレベルで歴史について理解を深め、歴史に対して興味・関心を強く持つようになる。結果的に大学入試での大幅な得点力アップにもつながることになる。
こういった、英語の学習環境を経験した後、二年生での三ヶ月のアメリカ留学はそれなりの英語力習得になる。二年生の九月からも、再び徹底的に実践的な英語指導がなされる。その結果、Aコースの生徒はBコースのように長期の留学は経験しないが、Bコースの生徒に負けない英語力を身に着けることになる。
真野純一は七時半頃に下宿に戻ってきた。学校から下宿のあるJRの駅前まで、自転車を使って移動している。
普段は八時まで生徒たちと一緒に教室に残っている。土日・祝日は七時まで。最後まで残っていた生徒たちと一緒に校門を出るようにしている。
短期留学が終わった昨年九月から、部活動を続けている生徒たちが、放課後の英単語テストを受けるため、部活動が終わってから教室に戻ってくるようになり、それに合わせて他の生徒も八時まで残るようになった。平日、八時まで、土日・祝日は七時までというのは学校の規則で決められている。
最初は五、六人の生徒が残るだけだったが、今では、クラスの半数以上の生徒が放課後、教室に残って勉強するようになった。今年に入ってから、土日にも平日と同じように朝早く教室にやってきて、夜まで勉強を続けるようになった。放課後と土曜日には補習講座が組まれているので、自分が受ける講座の時間帯だけ、教室から抜けていく。
真野純一のクラスだけではなく、隣の教室の国際Aコースの文系クラスの生徒も同じように、放課後は教室で勉強するようになってきた。担任の茂山紀子という若い国語の女性教員も純一と歩調を合わせるように動いてくれている。
下宿に戻って、しばらく机の前に座り、パソコンのメールをチェックしていた。
純一の部屋は二階の八畳間。二階には四畳半と六畳の部屋が他にある。古い造りの大きな家で、一階の台所は土間になっていて、裏には広い庭がある。その一軒の家を今は純一がひとりで使っている。
以前には夫婦にその母親と幼い娘がひとりの家族が住んでいて、一階と二階の六畳の間を使っていたが、一年ほど前に引っ越していた。二階の四畳半にも下宿人がいたが、同じころに出て行っていた。
玄関の戸がガラガラと音を立てたので、部屋を出て降りていくと、階段の下に貴子が立っていた。白いシャツにクリーム色のカーディガンを着けて、黒っぽいジーンズのタイトスカートを穿いている。
「遅なったんやな」
「うん。今、着いたところ」
「何時頃、向こうを出た」
「五時頃」
靴を脱いで、一段高くなった階段の上がり口に足を乗せながら言った。
夜の八時過ぎに着くから、直接そっちに行くと、昼ごろに電話があった。
貴子の実家は兵庫県の日本海に近い城崎温泉の中にあり、小さな旅館を経営している。貴子は二人姉妹の妹で、五歳違いの姉の良子は婿をとって、旅館の若女将になっている。
三日前から、貴子は実家に帰っていた。
階段を上がり、部屋に入ると、純一は貴子の肩をそっと抱き寄せた。貴子は純一の胸に顔を埋めるように、体を寄せてきた。貴子はショルダーバックを肩に掛けたまま、しばらくじっとしていた。
「晩御飯は食べた?」
貴子の体を離しながら言った。
「ううん。まだ」
「俺も、さっき帰ってきたとこなんや」
「今日も勉強会?」
「うん。今日は創立記念日で休みやのに、十人ちょっとがさっきまで教室で勉強してた」
「ふーん。よう、勉強すんねんね」
「貴子も高三のときには勉強したやろ」
「ちょっとはしたけど、学校に残ったりなんかしなかったよ。私らは田舎の公立高校やったし」
貴子は京都の私立大学文学部の四回生。
純一が貴子と知り合って、まだ、一年にならない。貴子は夷川通りにある、インテリアや家具を扱う店で土日を中心にアルバイトをしている。純一の先輩教員の奥さんがその店で働いていて、貴子を夕食に招待した。純一はよく先輩に誘われて夕食をご馳走になっていたが、たまたまその日、学校を出るときにその先輩と一緒になり、ひとり客がいるが、良かったら一緒に来ないかと誘われた。短期留学が終わってすぐの、九月初めのことだった。
子供がいない先輩夫妻との四人の食事は純一には楽しいものだった。
小柄な、かわいい女の子というのが貴子の最初の印象だった。
「今日は泊まっていってもええんやろ」
「うーん」
「そしたら、前で食事をして、そのあと、風呂に行こ!」
以前の住人が使っていた風呂場はあるが、今は使用できる状態にはなかった。純一は毎日か二日に一度は近辺の銭湯に行っている。
JRの駅前なので、下宿の周りには食事のできる店が結構ある。ふたりは下宿のすぐ近くにある、丸太町通りに面した食堂に入った。日替わりの定食が安くて美味しいので純一は良く利用している。
「城崎はどうやった」
「みんな、元気にしてる。旅館の方も忙しいみたい」
「連休も終わって、今はオフシーズンになったんじゃないの」
「うん、そう。でも、うちは新鮮な魚料理が自慢の旅館だから、カニの季節以外でも、結構お客さんが来るみた。大きな水槽にいつも魚が泳いでる。魚以外の料理も美味しいって、料理を楽しみに来るお客さんが多いの」
「腕のいい板前さんがいるのかな」
「料理は父さんとお兄さんが作ってる」
「お兄さんは板前さんなのか」
「私が中学生の頃に、うちの板場にやってきた人なの」
そう言えば、これまで、貴子の実家のことはあまり詳しく聞かなかった。
トレイに載った定食が運ばれてきた。いつも品数が多くて、それぞれが美味しい。今日のメインは白身魚とエビのフライ。
最近は貴子とも時々この店に来る。今年になってから、週に一、二度、貴子は純一の下宿にやって来るようになった。
貴子は河原町今出川の東、鴨川に架かる賀茂大橋の北にある叡山電鉄の出町柳駅の近くに下宿をしている。女性ばかり、四人を下宿させている、大きな民家で、貴子の部屋は押し入れの付いた、四畳半一間。大学まで少し遠いが歩いて通える。純一も何度か部屋に上がったことがある。
食事が終わると、食堂を出て、銭湯に向かう。丸太町通りの交差点を渡って、少し行くと、JRの踏切がある。それを越えてしばらく歩くと、銭湯が見えてくる。
貴子は純一と歩くとき、よく純一の右腕にからだを絡みつかせる。今も、純一の右腕に腕を絡ませて、顔をくっつけるようにして歩いている。小さな子供が親に甘えるような仕草で、何とも言えずかわいい。
銭湯から出たところに貴子が待っていた。そんなにゆっくり風呂に浸かっているわけではないのに、いつも貴子が先に出て待っている。貴子とこの銭湯に来るのは久しぶりだった。
平日は八時まで生徒たちと一緒に教室に居るので、八時過ぎに学校を出る。そのあと、食事をして、別の銭湯に寄ってから帰ることが多い。
「今晩、行っていい」
貴子は来る前に、電話をしてくる。そんな日はどこにも寄らずに帰ってくる。
早い時間に大学の授業やゼミが終わると、貴子は純一の部屋に来て、卒業論文を書くための資料作成をしていることがある。帰ったら、貴子が純一の机に本や資料をたくさん広げていることがよくあった。
「図書館の方が勉強するのに便利なんじゃあないの」
いつか、言ったことがある。
「純クンの机で調べものをしていると、すごく落ち着くの。ここは静かだし」
貴子がちょっと照れくさそうに答えた。
机の前の窓からは裏庭が見える。あまり、手入れがされた庭ではないが、広くて開放感がある。
部屋に戻ってきて、冷蔵庫から缶ビールを出した。貴子もアルコールは苦手ではなく、純一に付き合ってくれる。
「卒論の構想はだいたいできた?」
「うーん。大枠は頭の中にあるんだけど、資料が手に入るかどうか」
幼い少年の頃、人質として東ローマ帝国の首都であったコンスタンチノープルに送られ、東ローマで宮廷生活をしながら少年時代を過ごし、後に東ゴートの大王と称されるようになったテオドリックについて研究することが貴子の卒業論文のテーマになっている。コンスタンチノープルはビザンチウムとも言われ、現在のトルコのイスタンブールである。
純一も世界史には興味があり、教科書レベルの知識はある。高校生のとき、世界史を習った教師が非常に興味深い教え方をしてくれたので、世界史に面白みを感じるようになっていた。大学入試の社会の科目にも世界史を選択し、その当時は分厚い参考書一冊を頭の中に入れていたと思っている。
高校の世界史の教科書では、テオドリックに関する記載は数行。だから、貴子から聞く、テオドリックについての話は、純一には目新しいことばかりだし、面白い。純一が興味深そうに聞くので、貴子もその時々に興味を持って調べている内容についてよく話をする。
「うちの大学にはビザンツの専門家もいないし、東ゴートに詳しい先生もいないから、資料は全部、自分で捜さなあかん」
「日本語の資料も在るのん」
「ほとんど、英語やと思う」
「東ローマの言葉は何語やったん」
「ユスティニアヌスの頃、六世紀の中頃くらいまでは公用語はラテン語だったらしいけど、その後はギリシャ語」
「貴子はラテン語やギリシャ語は少しはわかるの」
「ううん。全然。私らが直接、東ローマの文献を見る訳じゃないから、ラテン語やギリシャ語は必要ない。研究者が書いた論文を見るだけやから」
「そりゃ、そうやな。日本にも、テオドリックとか五世紀後半の東ローマについて詳しい人はいるんやろ」
「日本ビザンツ学会というのがあるから」
貴子は四回生になるまでに、テオドリックとか彼が宮廷生活を送っていた五世紀中頃以降の東ローマについて、すでに資料集めをしていたと聞いている。
「貴子がテオドリックに興味を持ちだしたのいつ頃からなん」
「うーん、高校生のとき。世界史の時間に、コンピュータ教室でインターネットを使った調べ学習をしていたとき、たぶん、西ヨーロッパ世界の成立の辺りをテーマにしていたと思うんだけど、たまたま開いていた教科書のページに、西ローマ帝国をほろぼしたオドアケルの王国も東ゴート王国のテオドリックにほろぼされたということが書いてあって、それが気になって、テオドリックで検索してみたの。そしたら、幼年時代、人質として東ローマ帝国の宮廷で生活していたって書いてあったの。へー、どんな人だろうと思って、いろいろ検索している間に、レポートのアウトラインが出来てしまった。後で、図書館に行ったら、東ゴート興亡史という本があって、それを見ながらレポートを完成させたの。提出したレポートを返すとき、先生が、女の先生だったんだけど、私のレポートを私に読ませて、褒めてくれた。それ以来、テオドリックのことが気になって」
貴子は遠くを見つめるように話した。単純な動機ではあるが、確かに分かるような気がした。
六時間目は授業が空いているので、三年生の教員室でコンピュータに向かって、化学の練習問題を作っていた。
手を休めて、コーヒーカップに手を伸ばしたとき、左隣の席の高松昭彦の視線を感じたて、目を向けた。何か話したそうに純一を見ていた。純一よりふたつ年下の地歴・公民の教員だ。
「ちょっと、いいですか」
改めて何だろうと思って頷いた。
「真野先生も一年六組に行ってはりますよね。あのクラスの北川と木下、ちょっとおかしくないですか」
まだ、クラス全員の名前は覚えられていないが、北川と木下の顔はすぐに思い浮かんだ。確かに、目につく存在ではあった。服装がだらしなくて、目つきがあまり良くない。
「集中力がないし、ノートをとらへんことがあったり、何度か注意したことがある」
「やっぱりそうですか」
「入学してまだ、二ヶ月も経たへんのにな」
「さっきの五時間目の初めに、あいつら、やらしいことを言いよって」
純一は高松の顔を見た。
「この前の時間、何でけえへんかったんやと言うて、俺を責めよって。それはいいねんけど、授業一時間に一人千円くらいの費用が掛かっているて聞いたことがある。このクラスは四十二人やから、四万二千円を無駄にした。どうしてくれんねんと言いよった。冗談ちごて、マジな顔で」
「授業に穴が空いたん?」
「教務から連絡がなかって、変更で授業が入ったのが分からなかったんで」
「そらしゃあないやろ」
「ちょっと、ムカッとしたんで、お前らにそんなこと言われる筋合いはないと言うたら、差別やって言いやがって」
高松のまだ腹が立っているという言い方がおかしくて、笑いをこらえた。
「それから、みんなに謝るのが先やろと言いよった」
「謝ったん?」
「いいえ。授業時間が始まっても、先生が来なかったら、教員室に連絡をとらなあかんことは分かってるやろと言ったら、自分が悪かったことを棚に上げて、俺らのせえにするのんかって。それでも先生かって言いやがった」
「北川と木下、どっちが言うたん」
「喋ってたんは木下やけど、北川も後ろ向いて一緒になって。北川は木下の前の席でしょ」
「あれははよ席替えした方がええな」
「それに、あいつらの近くに行ったんやけど、タバコの匂いがしたんですよ。あいつら、昼休みに絶対どっかでタバコ吸うとおる」
「えー!」
純一はちょっと信じられない気がした。入学して二ヶ月も経たない生徒が校内でタバコを吸うとは思わなかった。
「あいつら、ふたりとも京南中学ですね」
「あ、そうなん」
「五組の荒川、安本、七組の大橋もよく似た雰囲気でしょ。あいつら、みんな、京南中学ですよ」
純一は一年生の四クラスで化学を教えている。五組から八組までの進学コース。八組は部活動クラスで、部活動推薦で入学してきた生徒はほとんどこのクラスに入っている。
高松が言った、三人の生徒もすぐに顔が浮かんだ。服装がだらしなくて、目つきが良くないところは北川や木下に似ていて、目につく存在だった。
「そう言えば、五人とも雰囲気が似てる」
「あれでも、まだ、猫を被った状態かもしれないですし、これから先が」
高松はそう言って、複雑な笑いを浮かべた。
「うちのサッカー部に京南中学から来た一年生がふたり居るから、それとなく聞いてみるわ。あのふたりは国際Aコースで、サッカーの技量も内申成績も抜群やし、何の問題もないからな」
「京南中学は問題を持った生徒だけを送ってきたわけではないんですね」
「トップと問題を持った生徒を抱き合わせに送ってきたんかもしれんな」
六時間目が終わると、七時間目があるコース以外では、どのクラスでも終礼をすることになっている。朝のショートホームルームで朝読書をすることになってから、朝に連絡をしておかなければいけないこと以外の連絡・確認事項は終礼で行うことが多くなった。
終礼が終わって、掃除をした後、純一はグラウンドに上がった。グラウンドは校舎のある敷地から道路を挟んで北側にある。
サッカー部が平日にグラウンドを広く使えるのは週に三回で、今日は三時四十分から四時四十分までの一時間だけ。部員には出来るだけ早く出てきて、各自、ウオーミングアップを行うよう言ってある。グラウンドを使える日には純一もできるだけ、練習に参加するようにしている。
教室に残っているクラスの生徒たちには、五時過ぎには教室に戻ってくるからと告げてある。
攻撃と守備の基本的な練習をした後、総体の直前なのでゲーム形式の練習を行った。全員で十八人しかいないので、二チームが作れない。一チーム九人ずつのミニゲーム。
すぐに一時間が過ぎてしまった。この後はウエートトレーニングや走り込みをグランドの片隅で続ける。
簡単なミーティングを行って、後はキャプテンの植田俊夫に任せ、一年生のふたりをその場に残した。
「どうや、だいぶ馴れたか」
「はい。楽しく練習しています」
山下尚幸がにこにこして言った。
「中学の練習とは違うか」
「高校の練習はやっぱりきついです。中学の部活は遊びみたいなもんやったんで」
高村庸介が言う。
「先輩はどうや」
「みんな優しいし、いい人ばっかりです」
「いい部活に入ったと思っています」
山下と高村が交代で言う。
「君らの技量やったら、うちのサッカー部では物足りないんじゃないのか」
「いえ。僕ら、サッカーをするためにこの学校に入ったんと違いますから」
「そうか。それなら、ええ。クラスの方はどうや」
「みんな、英語がうまいし、クラスの中にすごく活気があって、毎日、楽しいです」
「中学とは違うか」
「全然違います。中学の時は、クラスにあんな奴らも居たんで」
「あんな奴らって?」
ふたりは顔を見合わせて、下を向いた。
「先生、もう分かってはるでしょ。五組から七組まで教えてはりますよね」
「あの五人か」
ふたりは下を向いたまま、頷いた。
「あいつら、中学の時はどんなんやった」
「めちゃめちゃでした」
「隠れてタバコは吸うし、先生には食ってかかるし、いじめはするし、女子にはやらしいことをするし、すぐに暴力をふるう」
「そんなに酷かったのか。まだ、そこまでの感じはしないけどな」
「授業中に先生にボールペンを投げつけたこともあるし、消火器を投げて、廊下を泡だらけにしたこともあります」
「それはえげつないな」
「先生、気をつけな、また同じようなことをしだしますよ」
「中学の先生はそれを知ってはったん?」
「知ってたと思うけど、ほとんど、見て見ぬふりを」
「そんな奴らと同じ高校になるのはイヤじゃなかった?」
「僕ら以外は、誰もここに来なかったんです。みんな、あいつらとおんなじ学校になるのを厭がってたから。僕らも、だいぶ、考えたんです。そやけど、ここの国際コースはやっぱり、魅力的やったし」
「本当は、担任の先生も、僕らがここへ来ることに反対やったんです。あいつらが厭がらせしいひんかって、心配してはったんです」
「結果的に、コースも違うから、大丈夫やろうっということになって。今のところ、僕らには何もしてこないんで」
ふたりはまた顔を見合わせて、苦笑いを浮かべた。
純一はふたりを練習に戻らせて、その足で一年生の教員室に行った。一年生の学年主任の平林幸三にふたりから聞いた話と高松昭彦が言っていた話の内容をすぐに伝えた方が良いと思ったからだ。今から部活動の練習を見に行こうとしていたところだと言い、平林はパーテーションで仕切られた談話スペースに純一を誘った。
「うーん。目につくなとは思っていたけど、そうなんか。分かった。有り難う。充分、気をつけて見ていくわ」
平林は柔道部の顧問をしている保健体育の教員だ。年齢は三十四歳。純一より六歳上だ。宇多野高校の卒業生で、部活動奨学生という柔道の技量と学力が高い特待生として高校に入学してきた生徒だった。高校卒業後は柔道では名門の大学の柔道部で活躍し、大学を卒業した後、大阪の私立高校で教員をしていたが、前任の柔道部の顧問が急逝したため、跡を継ぐために宇多野高校に呼び寄せられたと聞いている。宇多野高校で教員を始めたのは純一と同じ年だったので、同期のような親しさを感じている。
柔道の練習での指導は厳しいが、普段は柔道部の生徒にも優しく、生徒思いのいい先生として、生徒に慕われている。問題を起こした生徒を指導しながら、どうして解ってくれないとのかと、生徒の前で涙を流すこともあり、大きなからだの泣き虫先生と親しみを込めて呼ぶ生徒もいる。生徒がきっちり理解できるまで根気強く指導するので、生徒たちはよく言うことを聞く。
三十四歳というのは学年主任としては若い年齢だが、教員の間でも結構、信頼感は大きい。
純一がコンピュータと英単語のテスト用紙を持って教室に戻ると、和田豊と川口悟が待っていたように純一の傍にやって来た。
「先生、信二、熱だしてるみたいやねん。帰れと言うてるのに帰りよらへんねん」
純一は終礼の時、冨永信二の様子が気になったまま、声も掛けなかったのを思い出した。すぐに近寄って、額に掌をあてがった。確かに少し熱があるようで、表情にだるさを感じさせるものがあった。こんな時には、無理をさせてはいけないと聞いている。
「ちょっと、熱がありそうやな」
「大丈夫です。これくらいは我慢せなあかんねん」
「無理したらあかん。無理したら、あとが酷くなるやろ」
「俺らもそう言うてんのに、今日は聞きよれへん」
「今日、無理して、明日休んだら、何にもなれへん。すぐに、帰れ」
冨永信二は下を向いて、うん、とは言わなかった。
昨年のアメリカ短期留学でも、何度か熱を出した。小さな頃から虚弱な体質で、以前にはもっと頻繁に発熱していたらしい。扁桃腺を腫らしたり、腸炎を患ったり、肺炎で死にかけたこともあるらしい。本人はそんな自分が嫌で、無理をすることが多い。
短期留学では和田豊と川口悟が一緒にホームステイをしてくれた。ホストファミリーを決める前に、冨永信二の身体的な状況を詳しく報告してあったので、ホストマザーが元看護師の家庭にホームステイすることができた。出発の前には、冨永信二の母親の話を和田豊と川口悟と一緒に、純一も改めて聞いた。
留学中、何度か熱を出して、学校を休んだので、その都度、純一は冨永信二のホストファミリーを訪問した。幸い、大した病気にもならずに、留学を終えることが出来た。
「お母さんに迎えに来てもらおか」
「そんなん、ええって、先生」
「ほんなら、すぐに帰るか」
「英単テストだけ受けたら帰ります」
「うーん。まあ、ええやろ」
純一は冨永信二が受けるページのテスト用紙を持ってきて、信二の机の上に置いた。
英単語帳の四ページ分が一枚のテスト用紙になっていて、生徒がどのページのテストでも受けられるように、これまで作ったテスト問題をすべて持ってきている。
純一がいつものように、一番前の席の机と椅子を逆に向けて座ると、三人の生徒が英単語のテスト用紙を取りに来た。
ひとりは物理の問題の質問をしに来た。黒板を使って、簡単に説明しただけで、解ったと言って席に戻った。
しばらくして、冨永信二がテスト用紙を持って来た。採点すると、ほぼ完璧だった。
「帰ったら、ちゃんと寝とくんやぞ」
「はい」
「いやに素直やな」
「みんなが、俺のことを心配してくれてるのが分かるし」
「そうか」
「先生。本当は悔しいねんけど、俺なんか、まだ学校に来れるだけマシやと思うようにしてる」
「そら、そうや。もっと、大変な人はいっぱい居るからな。からだのことだけやなくて。そやけど、そんなふうに思うようになったんは、お前が成長したからや」
「うん」
冨永信二はにっこりと笑って頷いた。席に戻ると、すぐに帰り支度をし、教室を出て行った。教室を出るとき、和田豊と川口悟に声を掛けて、純一にはまたにっこりと笑顔を浮かべて、会釈をした。
七時三十分を少し過ぎて、生徒たちと一緒に校門を出た。今日は三十分早く終わるからと言ってあった。先輩の家での夕食に誘われていた。貴子も来るということだった。八時までには来てくれと言われていた。
先輩の家は学校から北の方向に、自転車で五分ほどのところにあった。
玄関の横に自転車を駐めて、インターホンを押す。
「はい」
奥さんの声がした。
「真野です」
「空いてるから、入って、上がって」
玄関を上がり、リビングのドアを開けると、柴犬のゴンが尻尾を振って、吠えながら足下にまつわり付いてくる。腰を屈めて、首筋を撫でまわす。嬉しそうに、飛びついてくる。
リビングには大きなテーブルがあり、奥の席に座っていた先輩の辻坂章は読んでいた新聞を畳みながら、顔を頷かせた。
辻坂は地歴・公民の教師で、世界史を中心に教えている。貴子の卒業論文のテーマにも興味を持っていて、貴子と一緒の時にはよくそれが話題になる。
純一が辻坂と親しくなったのは、宇多野高校に赴任した最初の年だった。教務部の配属になった純一の席の前が辻坂だった。仕事の合間に、よく世界史の話をした。
「早かったな」
「ええ。いつもより、三十分早く終わらせたので」
キッチンに目をやると、貴子が奥さんを手伝うように動いていた。
「生徒もよお頑張るな。何人くらい残ってんねん」
「放課後すぐには二十人近く残っているんですが、最後まで残るのは、いつも、十人くらいです。英単テストだけ受けたら、すぐ帰るのもいます」
「それにしても、よう頑張ってる」
「そうですね。そやけど、ほんとに頑張れる子は残ってないんです。八時まで残っていても、帰って、食事して、テレビ見て、風呂に入って、そのまま寝てしまうというのが多いみたいで。ほんとに頑張ってるのは、英単テストだけ受けたら、すぐ帰って、夜中まで勉強してます。反対に、ほとんどまだ、勉強が手についていない生徒もいます。勉強せなあかんことは分かっているんでしょうけど」
「まあ、クラス全体がいい雰囲気になってることは間違いなさそうやな」
「短期留学が終わって、英語には自信を持ったみたいで、それがいいように影響しているみたいです」
「この間、君のクラスの、コンピュータ教室でやってた世界史の授業を見たけど、あれは確かに面白い。全部、英語で授業をやってるとは聞いてたけど、英語で調べさせて、英語でレポート書かせて、英語で発表させる。あんなことができるとは思ってなかった。教科書だけは日本語やというのもいいのかもしれん」
「英語でキーワードさえ打ち込んだら、結構、いろんな英語サイトを参照できますからね。ただ、コンピュータだったら、レポートを作成するのに、貼り付けたらお終いになるんで、コピーアンドペーストを禁止しているのが、一番のヒットですよ」
「そう言うたら、生徒が一生懸命タイプしてるから、なんでコピーせえへんねんて聞いたら、コピーを使ったらあかんことになっているんですと言うてたな」
「短期留学が終わった後で、金井さんが英語をタイプしながら書く大事さを説明して、コピーアンドペーストを禁止する言うたら、誰も文句言わなかったらしいですよ」
純一のクラスの世界史を担当する金井千春は若いが良く気がつく女性で、アメリカ短期留学で行動を共にしたが、非常に心強い相棒だった。普段は穏やかで陽気な、生徒には優しい先生だが、怒らせると恐いと生徒たちが言うように、気の強い、しっかりとした面も持ち合わせており、生徒から信頼されている。何よりも、英語の教師でもないのに、英語に非常に堪能なことが、国際Aコースの生徒たちにとっては、ちょっとした憧れになっている。
「金井も授業では、いろいろ工夫しているみたいやな。それに、よう勉強してる」
辻坂は世界史を担当する先輩として、金井千春とよく話をしているようで、授業についても頻繁に意見交換をしているらしい。
辻坂自身も、世界史に関する専門書に類するものから、小説に至るまで、いつも幅広く読んでいて、膨大な知識を頭の中に詰め込んでいる。純一も何度か辻坂の授業を見せてもらったことがあるが、授業という堅苦しさはなく、物語を聞いているような面白さがあった。歴史のそれぞれの場面に対する豊富な知識が、自然と物語を紡ぎださせているのだと思った。板書も丁寧で、非常に解り易かった。
純一はキッチンの方に向いた席に座ったので、辻坂と話している間、奥さんと貴子が小声で話しながら、忙しく動いている様子を見ていた。
しばらくして、テーブルに料理が運ばれて来た。
今日は貴子さんの要望でイタリアンにしましたと言いながら、奥さんの章子が席に着く間に、辻坂がみんなのグラスにワインを注いだ。
メニューはサラダを添えた平目のカルパッチョ、バジルを使った剣先イカのトマトソース煮込み、豚肩ロースのハーブロースト、鱈の香草焼き。
純一はこれまで何度も夕食をご馳走になっているが、いつも料理は素晴らしく美味しい。
「今日はお仕事は休みだったんですか」
純一が章子に聞いた。
「ええ。水曜日が定休日なんだけど、それ以外に、もう一日、休みを貰えることになってるの」
「その代わり、土日は休みじゃないんでしょ」
「そうやね。土日にはお客さんがたくさん来られるから。貴子さんが土日には来てくれるから助かってるわ」
章子が働くインテリアや家具を扱う店タニカは夷川通りにある。貴子も土日にはアルバイトとして働いている。夷川通りは丸太町通りの二本下になる東西の通りで、寺町通りから烏丸通りの間は建具・家具屋街として有名である。ただ、家具店の数はそんなに多い訳ではなく、あまり賑やかな通りでもない。タニカはイタリアと北欧の家具を中心に、ヨーロッパからの輸入家具やインテリアを扱っている。
「この前、平日の夜だったんだけど、イタリアの輸入元の人たちが京都に来られて、タニカでパーティーをやるから私も来るようにと言われたの。章子さんが料理を作るよう頼まれたので、私も手伝って、イタリアからの人たちだからイタリア料理を日本風に作ることになったの。あのとき、美味しかったけど、ゆっくり味わえなかったので、また作って下さいと章子さんにお願いしたの。今日の料理はそのときと同じもの」
貴子が純一に説明するように言った。
「あの時、人数も多かったし、大変だったわよね」
「イタリア人の人たち、美味しい、美味しいって、何度も言ってましたね」
「彼らの持ってきたあのワインの方が、私には美味しかった」
章子が貴子の方を見て笑う。
「確かに、美味しいワインでしたね」
貴子も頷きながら答える。
「タニカはヨーロッパの家具を扱う店なんやろ。注文なんかはどうしてるの」
純一が貴子に聞いた。
「オーナーが年に何度かヨーロッパに行って、直接買い付けている。ヨーロッパと言っても、イタリアとノルウェーが中心」
「オーナーは女の人なんだよね」
「ええ。四十歳くらいなんだけど、素敵な女性よ」
朝、八時頃に出勤すると、純一はまず、総務部の席に着く。八時二十分から向かいにある会議室で職員朝礼があり、連絡事項が確認される。八時三十分から四十五分まで、ホームルームで朝読書が行われ、五十五分から一時間目の授業が開始される。
朝の慌ただしい時間が過ぎた後、時々授業の空き時間に純一は総務部の席に戻り、部に関わる仕事を片づける。
今日は二時間目、三時間目と授業が空いているので、一時間目の一年生の授業の後、総務部の席に戻ってきた。
総務部長の柳原隆良も席に居たので、久しぶりにクラスの状況を報告した。国際コースに短期留学コースを設置したことも、その中に理系クラスを作ったことも、柳原の長い時間を掛けた計画の結果のひとつであり、純一のクラスの状況には柳原がずっと注目していることを感じている。
柳原は純一と同じ理科の教員で、化学と物理を中心に教えているのも同じなので、教科の話もよくしている。国際コースで初めての理系クラスを担任するようにと言ったのも柳原だった。
総務部には三つの仕事の分野がある。一つ目は国際教育・国際交流で、国際コースの運営もその中にある。二つ目は校内コンピュータネットワークの管理と情報教育。三つ目は行事・式典の運営。
宇多野中学高等学校では校内のコンピュータネットワークが非常に整備されている。生徒のパソコンを含めると、校内にある五百台以上のコンピュータがネットワークで管理されている。校内のアクセスポイントのどこからでもネットワークにアクセスできるし、校内のどのプリンターにもプリントできる。ファイルサーバー上でのデータの遣り取りも、非常に便利に利用できるようになっている。純一は三年生の教員室と総務部の両方の席にパソコンを置いているが、仕事のデータファイルはファイルサーバー上に置いているので、どちらの席からでもすぐに仕事途中のファイルを取り出せる。
この大きなネットワークを数人の教員と一人の職員が管理している。中心になっているのは辰村誠でネットワークを初期から一人で作り上げてきた。すべての教員にとって、毎日の仕事がこのネットワークなしに済ませることが出来なくなってしまった現在、もし、辰村に何かあればどうするという声もあり、今は複数の人間がネットワーク管理の業務を共有するようになった。
辰村誠は情報の科目も教えるが、元々は物理を中心に教えている理科の教員なので、同じ総務部員というだけではなく、理科の先輩でもあるので純一には特に親しくしてくれている。
校内ネットワークの管理が総務部の業務になっていることから、部長である柳原に最終的な責任が掛かってくる。そのため、柳原自身、簡単なサーバーの構築ができる程度にはネットワークについての知識を身につけている。何より、ネットワークについて辰村と議論し、指示を出せるようにする必要がある。
だが、総務部の業務の中心はやはり、国際教育・国際交流の分野であり、柳原の部長としての仕事も、その分野に偏っている。
副部長の杉本敏彦は英語の教員で、英語の運用能力はネイティブスピーカーに近いものを持っているだけではなく、英語の進学指導においても抜群の知識と能力を持っている。留学や海外研修のための現地の学校やコーディネーターとの英語での連絡はすべて杉本が行っている。だから、柳原にとって、自分を補佐してくれる杉本の存在は非常に大きなものになっている。
柳原が総務部長を引き受けてから、十一年目になる。その間に、宇多野中学高等学校の国際教育・国際交流は発展してきた。
元々、その先鞭をつけたのは十一年前に亡くなった教頭の新井義正だった。当時、柳原は教務部の副部長で、教務の実務を取り扱う中心になっていた。新井はそんな柳原や当時の教務部長で今は教頭をしている谷坂康雄を別室に呼んで、理事会での様子などをよく話してくれていた。
柳原は新井が始めていた国際教育・国際交流の仕事を大きく評価していたが、新井はそれをひとりでやっていた。アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドなどの英語圏の国との交流、アメリカへの修学旅行、留学コースの設置など。ひとりでやっている以上、学校全体に広がっていくことはないと思い、柳原は新井の手伝いをする形で、新井から国際教育・国際交流の仕事を教務部の中に引っ張っていき、教務部の業務として学校全体に広げようとした。
柳原が新井から仕事の内容をほぼ受け継いだ矢先に、新井が心筋梗塞で亡くなった。新井は亡くなる前に、各部署の統廃合を進めようとしていて、国際教育・国際交流を推し進めるための部署である総務部を新たに創ろうとしていた。その部長を引き受けるのは柳原以外になかった。
柳原が部長になった総務部は新しい部なので、すべてのことを新しく組み立てることが出来た。
新井から引き継いだものの中で、最初に変更したのが留学コース。これまで高校を卒業してから海外の大学に留学するためのコースとして設定されていたものを、在学中に留学するコースにし、コース名も国際コースに変更した。その結果、これまで十名前後しか生徒が集まらなかったコースが、一気に三十名近くの生徒が集まるコースになった。
これまでの留学コースでは一年生で秋に二ヶ月間アメリカへ短期留学していたが、国際コースの留学は二年生の九月から七ヶ月間として、留学先はイギリスとした。留学による語学の伸びは出発する時の語学力に比例するところがあり、一年生の秋では早すぎることと、二ヶ月間では期待できる伸びは少ない。
国際コースの最初の生徒たちが入学した年の夏、柳原は十二名の生徒をイギリスに連れて行った。全校から募集する夏休み海外研修の行き先をイギリスにし、柳原が引率することにした。
プログラムは四週間のホームステイで、夏休みの現地の高校をスタディーセンターとして開催される語学学校に参加するものだった。当時はまだ、自分たちでプログラムをすべて準備するということはできなかったので、プログラムをコーディネイトする業者を利用した。その業者には柳原が引率する目的のひとつが国際コースの留学先の候補となる高校を視察することなので、添乗員にその案内が出来る人をお願いすると言ってあった。
実際に研修が行われたのはイギリスの南端、イギリス海峡に面したイーストボーンという、海辺のリゾートとして十九世紀以降発展してきた町だった。
柳原は添乗員の太田史恵の案内で、留学先の候補と考えられる幾つかの学校で話を聞くことが出来たが、すぐに動きそうな話にはならなかった。太田史恵は同時通訳ができる程に英語が堪能で、柳原の留学についての想いをよく理解してくれた。
研修が終わり、留学先に関して収穫のないまま、日本に帰ってきた。
夏休みが終わって一ヶ月程した頃、太田史恵から電話が掛かってきた。
研修で利用した語学学校の校長、ジョージ・サンダースから電話があったということだった。語学学校のスタディーセンターとして施設を使っていた高校、イーストボーン・カレッジが宇多野高校の生徒を留学生として受け入れてもいいと言っているということだった。イーストボーン・カレッジはサセックス州でトップクラスの進学校だ。宇多野高校生のために、特別の授業も組むことも出来るし、ホームステイはジョージ・サンダースの語学学校が準備する。
イーストボーンに居る間に、ジョージ・サンダースとは何度か話をしたし、留学先を捜していることも伝えてあった。しかし、生徒たちの様子を見るため、毎日のように通っていた学校で留学が可能だったとは思いもしなかった。
ジョージ・サンダースがイーストボーン・カレッジの校長に掛け合ってくれた結果のようだ。
柳原は太田史恵に、直ぐに具体的な内容について打合せをしたいので、間に入って欲しいと依頼した。この時、杉本敏彦はまだ、総務部のメンバーにはなっていなかった。
イーストボーン・カレッジへの留学が順調にスタートし、特に大きな問題もなく何年かが過ぎた。
太田史恵はその間、最初のイーストボーンでの研修をコーディネートした業者とは離れ、留学中の宇多野高校生たちの様子を頻繁に見に行ってくれていた。太田史恵は年に何度もイギリスに行くことがあり、その度にイーストボーンに寄ってくれていた。生徒たちがホームステイで折り合いが悪くなったりして相談すると、ジョージ・サンダースと話し合って、ホストファミリーを変更するなど、すぐに手を打ってくれた。担任は生徒たちとメールの遣り取りはしていて、その報告を柳原にするが、余程のことがないと、イギリスまで出掛ける訳にはいかないので、太田史恵の助力は非常に有り難かった。
留学から帰ってきた生徒たちも満足していたし、それなりに英語力も着けていたので、留学プログラムを変更する必要は特にはなかった。
ただ、柳原にとっての不満はイーストボーン・カレッジには宇多野高校生以外に留学生がいず、宇多野高校生のための特別の授業は日本人ばかりの集団を作ることになるため、どうしても、日本語から離れられない状況に置かれることだった。そう思って、出来るだけ多くの時間をイーストボーン・カレッジの生徒たちの授業に分散して参加できるようにして貰いたいと要望したが、イーストボーン・カレッジはトップの進学校なので、授業内容が高度なため、宇多野高校生が参加できる授業は限定されていた。
それからさらに何年かが過ぎたが、国際コースの生徒たちは一クラス三十名程度で、一定、安定した状態が続いていた。留学中の生徒に幾つかのトラブルはあったが、大きな問題にはならなかった。杉本敏彦が国際コースの担任となったのは、そんな時だった。
杉本のクラスが一年生の終わりに近くなった頃、太田史恵から電話があり、留学先の学校を変更しなくてはならなくなったと話された。サセックス州の高校の統廃合があり、宇多野高校生は留学生が集まる別の高校に編入されることになったということだった。
「一年間、イーストボーン・カレッジに留学することを前提に指導してきたのに、今更、それはないでしょう。どうしてくれるんです」
杉本が困惑した表情で柳原に訴えた。
生徒たちの留学先の学校が正式に決まった春休み、柳原は杉本を伴って、新しい学校、ルイス・カレッジを視察するため、イギリスに渡った。
学校はイーストボーンから少し内陸に入ったルイスという町にあった。ルイスはサセックス州の古都で、町の中心にそびえる古城の屋上からは町を囲む美しい森が見渡せる閑静な住宅街になっている。
ルイス・カレッジにはヨーロッパ、中国、台湾、韓国、日本などから留学生がたくさん集まっていて、外国人に英語を教えるノウハウが蓄積されている。幾つかの授業を見学したが、確かにこんな授業を受けていたら、「読む・書く・聞く・話す」のすべてにおいて英語力が身につくだろうと思えた。
十五人位の生徒がコの字形に机を並べ、正面に教員席とホワイトボードがある。教員は資料を配り、説明し、その後、生徒たちにグループ毎に議論させる。生徒たちが議論している間、教員は生徒の傍に行き、質問に答えたり、議論に加わったりする。一定時間議論した後、何人かに議論の結果を発表させる。最後に、生徒たちは自分の意見や思ったことを用紙にまとめる。この用紙は後で教員がチェックして生徒たちに返す。これが柳原が見た授業の基本的な形になっていた。
宇多野高校国際コースの英語の授業には、この時、柳原が見たルイス・カレッジの授業の方式が取り入れられ、改善されている。
外国人のための英語クラスは生徒の英語力の違いで、八段階のグレードに分かれている。グレードによって、授業の進め方は違うし、同じグレードにも幾つかのクラスがあるので、実際には授業の形もそれぞれに違っている。
ひとつのクラスに日本人が多くても数人しか居ないので、イーストボーン・カレッジでの留学に感じていた、宇多野高校生以外に留学生がいず、どうしても、日本語から離れられない状況に置かれるという柳原の不満も、これで一気に解消された。
一年後、ルイスでの留学を終えて帰ってきた生徒たちの英語力が格段に伸びていたことを見て、ルイス・カレッジで留学生に行われている英語の指導はやはり優れていると柳原は実感した。
杉本敏彦が担任する国際コースの生徒たちは、留学で身につけた英語力を武器にして、慶応に特待生として入学するなどの成果を上げた。イギリス側の勝手な事情によるサセックス州の高校の統廃合で留学先が別の高校に変わったことは、それが分かった時に杉本が「どうしてくれるんです」と訴えたのとは逆に、杉本を喜ばせる結果となった。その翌年度から杉本は総務部の副部長となった。
ルイス・カレッジを視察するための渡英には柳原にとって、もう一つの成果があった。
日本を出発する前に、太田史恵と電話で話したとき、イギリスに行くなら、是非、ケンブリッジに寄ってくださいと言われた。知り合いがケンブリッジの英語学校にいる。その英語学校は夏の間、ケンブリッジ大学の神学部の施設を使っている。素晴らしい場所なので是非、見てきて下さいというものだった。
ルイスからロンドンを経由してケンブリッジまで列車で移動した。
英語学校の本校に着くと、太田史恵の知り合いの日本人女性は本校の施設を一通り案内した後、営業担当のマネージャーの男性を紹介した。マネージャーは柳原たちを近くのレストランに連れて行き、昼食をしながら英語学校について詳しく説明した。夏の授業のクラスやホームステイについても、生徒たちが安心して勉強や生活ができるシステムになっていることを納得いくように説明した。
食事の後、夏の上級グレードのクラスが授業で使用するリドリーホールと言われるケンブリッジ大学の神学部に連れて行かれた。教室、寮、食堂、教会などが敷地にこぢんまりと並ぶように建っている。ケンブリッジ大学の伝統が自然に感じられる素晴らしいキャンパスだった。
「こんな所で生徒たちに勉強させたい」
柳原は一瞬で決めてしまった。夏の海外研修はここにする。
その夏、柳原は十三名の生徒を連れて、ケンブリッジに再びやって来た。
夏休みの英語学校には世界中から多くの生徒たちが集まるので、本校での授業が中心になるが、リドリーホールで授業を受けることができる生徒も半数近く居た。柳原自身はリドリーホールの中の夏休みでケンブリッジ大学の学生が引き払った寮の一室を借りることになった。
柳原の毎日の仕事はリドリーホールで授業を受ける生徒たちを朝に迎え、ホームステイなどでの問題は無いかを確認する。その後、本校で授業を受けている生徒たちにも会いに行って、話を聞く。それ以外の時間は、ケンブリッジのあちらこちらを散策したり、列車に乗って、周辺の町を見て回った。
その時以来、宇多野高校の夏期海外研修はケンブリッジの英語学校を利用している。また、特進Aコースの海外研修旅行もケンブリッジでの四週間のプログラムとなって定着している。
中島利勝にとって、中学までの理科の授業で楽しいと思えることは一度もなかった。高校に入って、理科が化学とか生物になった。特に化学なんていうのは嫌いな科目だと思っていた。しかし、それが結構面白いと思うようになっているのが不思議だった。
真野という化学の教師は利勝をいつも気に掛けてくれている。これまで、教師から注目された経験があまりない利勝にとって、ちょっとした驚きだった。
最初の化学の授業で、真野は自分の自己紹介を簡単にした後、生徒にも一人ひとり自己紹介をさせた。利勝は自分の番が来たとき、名前以外に言うことはなかったので、「僕は理科が嫌いです。特に化学みたいな分野が嫌いです」とそれだけ言って座った。
「そうか」
真野はちょっと悲しそうな顔をした。
「君が化学を好きになるように頑張るし、化学は面白いと思え」
「無理です」
利勝は俯いたまま、小さな声で言った。本当にそう思っていた。
それから、真野は毎時間、利勝に声を掛けるようになった。
「中島、今の説明、解った?」
首を傾げると、もう一度、利勝に向かって丁寧に説明した。
「中島、ここに入る数字は何や」
原子の構造を説明した後、表を黒板に書いて聞いた。
「十一と十二と二十三」
「ちゃんと、理解できたみたいやな。解ったら、面白いやろ」
利勝は無意識に頷いていた。
授業中に自分に関心を示してくれた教師は今までいなかった。廊下で擦れ違ったときも、笑いかけるか、一言声を掛けてくれた。
この高校に来て、何かが変わったような気がする。化学の時間だけではなく、授業に集中できるようになった。だから、授業の内容がよく解るようになった。解るようになると面白い気がする。クラスに友達も何人か出来た。
ただ、ひとつ嫌なことがある。
クラスでいじめをしている奴が居る。まだ、大したことはないが、放っておいたら、エスカレートするような気がする。いじめられるのが自分でなかったのは良かったが、いじめられてる安永は可哀想な気がする。
安永和幸がいじめられる理由が特に何かあった訳ではなく、いつからか、からかわれるようになっていた。動作が少し鈍いところがあって、体育の時間にそれが目立つ。走っているときに押されて転んだこともある。
頭を叩いたり、椅子を蹴ったり、首を絞める格好をしたり、ボールペンで突いたり、消しゴムで顔を擦ったり、安永の嫌がるいろんなことをやる。安永は「やめとけや」という以外、無抵抗にされるままになっている。何度か、教室から連れ出されたこともあるが、何をされているのかは分からない。
いじめているのは京南中学から来た二人。時々、他のクラスにいる京南の仲間が教室にやって来て、いじめに荷担する。
奴らがやっているのはいじめだけではない。個人ロッカーや掃除用具箱、ゴミ缶を蹴ってへこませたり、椅子の脚を歪めたり、いろんなことをやる。担任がへこんでいることに気がついて、誰がやったのか聞いたが、誰も答えない。
利勝は小学生の時から、少年野球のチームに入っていた。中学になってからは、中学校の部活でも野球をやっていた。高校になって、野球部に入ってからは、少年野球のチームで練習することはなくなった。少年野球時代の仲間の三人が京南中学だった。京南中学は隣の中学だった。
その仲間の一人で、一番仲の良い高原という友達にクラスにいる京南中学から来た二人について聞いてみた。高原は京南中学の近くの公立高校で野球をしている。
「学校を荒らしてた奴らは俺たちの学年には十人ほど居てて、その内の五人が宇多野へ行った」
「中学ではどんなことしてよったん」
「学校の中では、タバコを吸う、物を壊す、ガラスを割る、教師を取り囲んで脅す、ナイフをちらつかせる、いじめ、暴力。いろんなこと。学校の外では何やってたんか分かれへんけど、何度か警察に補導されたらしい」
「そうなん。高校ではまだ、いじめとタバコくらいやけどな」
「まだ、入ってすぐやからな。そやけど、もうちょっとしたら、何するか分からへん」
「そんなに酷いとは思ってなかった」
「そやけど、あいつらはまだ、ましや。今の中三には、ワルがもっとようけ居てるねんけど、その中に陰のボスがいてる」
「えー!」
「本当はよう分かれへんねんけど、あいつらを陰で動かしてる奴がいるらしい」
「何や、それ」
「これは噂なんやけど、やくざと大物政治家が絡んでいて、そいつの言うことには誰も逆らえへんらしい」
「それが誰なんか知ってるの」
「俺は知らんけど、本当らしい」
「嘘やろ、そんな話」
利勝は笑ってみたが、どこかで嫌な気持ちになった。来年、そいつらがまた、宇多野高校に入って来たら。
「今の話は本当かどうか、実際には分かれへんけど、あいつらには関わらん方がええ」
高原は利勝に忠告するように言った。
安永和幸に対するいじめを何とかしてやりたいとは思うが、良い方法が分からない。担任が分かっているのかどうかも分からない。真野に相談してみたら何かうまくやってくれそうな気がしたが、逆に、教師が関わることで状況がもっと酷くなるような気もした。
前期第一回試験も終わり、六月に入っていた。真野純一は放課後、化学実験室に来ていた。教室で勉強している生徒たちには五時半には戻ってくると言ってある。
宇多野中高の理科には実験助手がいない。実験の準備から後片付けまで全部自分でやらなければならない。簡単な準備や後片付けは空き時間でもできるが、ちょっと手の込んだ実験はどうしても放課後の時間になってしまう。
今日の実験の準備は、明日に純一のクラスの生徒にさせる、酸・塩基についての基礎実験だ。本来、三年生でやるような実験ではないが、遊びや息抜きも兼ねている。
「すおう」という木のチップを水で煮込むと染料が抽出できる。この抽出液に布を浸し、絞った後で乾かすと赤味みを帯びた黄色に染色される。
実験では染色されたこの布を三等分する。一枚は食酢を薄めた溶液に浸し、酸性にすると鮮やかな黄色になる。もう一枚は炭酸ナトリウムの溶液に浸し、塩基性にすると赤味が増す。残りの一枚はそのままに。
更に、その三枚の布をそれぞれ四等分する。それを鉄、銅、すずのイオンの入った溶液に浸す。それぞれの布が鮮やかに変色し、十二の色布が出来上がる。
酸と塩基の違いで、同じ「すおう」の染料が様々に違う色に変化する。酸・塩基の基礎実験としては目に見えて変化がはっきり現れる面白い実験だと思っている。
この実験は純一のオリジナルである。
以前、草木染めに興味を持った時に、草木染めの工房を見学したことがあった。その折りに、「すおう」がいろいろな色に変化することを聞き、すぐに生徒実験として取り入れた。
純一は「すおう」を煮出しながら、他の溶液の準備を始めていた。その時、実験室の生徒用入口のドアにノックの音が聞こえた。誰だろうと思って、鍵を外してドアを開けると、大沢香奈と西村玲子が立っていた。
「先生、手伝いに来たよ」
「えー、ほんとか」
教室を出る前に、実験室で明日の実験の準備をするとは言ってあったが、誰かが手伝いに来るとは思っていなかった。
「実験室でひとりなんて、淋しそうやし」
「君らの勉強はいいのか」
「今、ちょっと休憩」
「手伝ってくれるのは、有り難いけど。そしたら、ちょっとだけ、頼もうか」
大沢香奈は遠足の日に出て来て以来、休まずに登校している。放課後の勉強にも毎日参加している。家庭訪問の折に聞いた話から考えて、香奈の心の傷はまだ癒えていない筈だが、それを克服するように頑張っている彼女の姿を見ながら、純一は心を痛めていた。
「先生、何したらいいの」
「ええーと。香奈はこれを二00CCのビーカー八個に等分して、ラベルに食酢と書いて貼って。玲子はこっち。炭酸ナトリウム」
実験室には四人掛けのテーブルが十二あるが、今回は八テーブルしか使わない。
「ほんと、お酢の匂いがする」
香奈が薄めた酢が入ったビーカーに鼻を近づけて言う。
「酢の臭いは大丈夫か」
「私、お酢は好きだから」
「ラベルが貼れたら、そっちのバットに並べていって」
深いトレイのような白いバットが八個、後ろのテーブルに並べてある。
「すおう」を煮出しているビーカーで、液が小さく沸騰している。
今まで、一人で居た実験室が急に華やいで明るく感じられる。
純一は塩化鉄の溶液を作りながら、二人の女生徒の動きを見ていた。大沢香奈がこんなに元気そうに振舞えるようになったことを本当に嬉しく思う。心の傷が癒えるためには長い時間が必要だろうが、少なくとも、表面的には落ち着いた様子を示している。大沢香奈を支えてきたのが西村玲子を中心にした、仲の良い四人の女子たちだ。こうしていつも一緒にいる西村玲子の存在は大きいと思う。
「先生、私、もう大丈夫だからね」
純一と向かい合う位置で作業していた香奈が突然言った。
「そうか」
「玲子たちにも宣言したの。もう、あのことは忘れることにするって」
「うん」
「あいつら、許せないけど、今は勉強する方が大事だって思うことにしたの」
「うん、そうだな」
「香奈、強いね」
西村玲子が純一に言った。
純一はしばらく、何も言えなかった。
「そうだ。先生、あれ誰?」
「え?」
「この間の土曜日の夕方、河原町通りで女の人と腕を組んで歩いてたでしょ」
香奈がくすくす笑いながら言った。
先週の土曜日は三年生はベネッセのマーク模試があったので、それが終了した段階で生徒たちは下校して行った。だから、久しぶりに貴子と河原町で待ち合わせた。
「そうか、気が付かなかった。声を掛けてくれたら良かったのに」
「私はそんな野暮ではありません」
「香奈が高校生みたいだったって言ってたけど、高校生なの」
「まさか」
「真野先生の恋人は高校生なんや」
「違うって。君らがみんな俺の恋人になってくれるんならそうだけど。だけど、彼女は違う。れっきとした大学の四年生」
「そうなんか。真野先生の恋人は大学生なんや」
玲子がしんみりと言う。
「芳江、ショックやろな」
「!」
「芳江、先生のファンやし」
桜井芳江は国際Bコースの三年生で、三月にイギリス留学から帰ってきていた。帰って来たすぐに、わざわざイギリスのお土産を持って純一のところにやってきて、一時間程、七か月間のイギリス留学の話を純一に聞かせた。可愛い生徒だ。
「まあいいわ。芳江が可哀想やし、黙っといてあげる」
「先生、次、何しよ」
「この布、この大きさに三十枚切ってくれる」
月曜日から教育実習生が八名来ている。月曜日の朝、職員朝礼で教員に紹介され、南グラウンドで行われる全校朝礼で生徒たちにも紹介されている。教育実習が始まって、最初の週の終わりになっていた。
教育実習生を担当するのは総務部で、部長の柳原隆良には結構仕事がある。先週の金曜日に打ち合わせ会を行って、実習生と指導教員に心構えと事務手続きを伝達した。これからは毎日、実習生の様子を確認しながら、実習簿の点検を行う。八人の実習簿の点検だけでも、結構の時間を取られるが、実習生にアドバイスしながら、若い教師の卵を見ているのは、柳原には結構楽しい時間だった。
今回の実習生の中に、ひとり、国際コースの卒業生がいる。大山郁夫。杉本敏彦が担任したクラスの生徒だった。ルイス・カレッジで七ヶ月間留学したが、大学の二年生の九月からまた一年間、カナダにも留学していた。その為、教職の単位が不足しているので、現在、大学院に進んで教職の単位を取っている。
杉本が指導教員になっていて、杉本が教える国際コースの英語の授業をすべて担当することになっている。ホームルームも杉本のクラスを担当する。
普通、部の副部長は担任を持たないが、杉本の場合、特別に担任を持っている。担任を持てないなら、副部長は引き受けないと杉本が断言したので、柳原は仕方なく了承した。杉本は現在、国際Bコースの二年生を担任している。八月の終わりにはクラスの生徒たちをイギリスに送り出す。
「君らの頃と比べて、今の国際コースはどうや」
会議室に居た大山郁夫の前に座りながら柳原が聞いた。実習生は普段は会議室が控え室になっている。会議室にはもうひとり実習生が居るだけだった。
「僕らのクラスはもっとこぢんまりと纏まっていたような気がします。留学の時も、みんなルイスだったんで、すごく仲良くやっていました。今は四クラスもあるし、留学もみんな、行くところが違うんでしょ」
あのクラスで柳原も化学を教えていたが、仲の良い、よく纏まったクラスだった。今は留学先の高校も増え、希望により幾つもの中から留学先を自分で選べるようになった。その分、クラスみんなで同じ所に留学するという纏まり感は無くなっているのだろうという気がする。
「人数が多くなったし、いい留学先が見つかってきたからな」
「僕らの時にはAコースはなかったし、一クラスだけでしたから」
「君らの学年から、国際コースが質的に変化し始めたんだろうな」
「留学先がルイス・カレッジに変わったからですか」
「それもあるし、大学の入試にAO入試みたいなのが増えてきて、君らのような留学経験で得たものが評価されるようになった」
「僕らが卒業した後、すぐに、国際コースに入ってくる生徒の数が増えたんですか」
「いや、毎年、少しずつ増えていった。それに、オール5に近い成績の生徒が増えた」
私立高校の入学試験では、公立高校は受けず、高校が示す成績以上で、中学の推薦を受けた生徒は推薦入試で受験する。高校は中学との信頼関係を重視するから、推薦入試で受験した生徒は、余程のことがない限り、不合格にしない。推薦入試で高校が示す成績の基準を推薦基準と言っているが、コースによって様々に基準を設けている。宇多野高校の場合、国際コースではそれほど高い推薦基準を設けていなかったが、実際には成績の高い生徒が入学して来るようになった。
「それで、Aコースをつくたんですか」
「Aコースを設置した時には、オール5に近い成績の生徒が増えていて、国公立大学の五教科入試に対応できる実力を持つ生徒もかなり居ることが分かってきたし、長い留学をさせなくても、英語力を十分に伸ばすことが出来ると思えるノウハウが短期間で蓄積していっていたんでな」
「二年生以外のAコースの英語とか社会の授業を何度か見せて貰いましたが、あれなら確かに効果が上がりそうですね。二年生の授業も見たかったですね」
二年生の国際Aコースは短期留学のために、すでにアメリカへ出発している。
「君らがイギリス留学から帰って来て、三年生になってからの英語の授業が変わったと思わなかったか」
「そうですね。単に僕らの英語力が変わったからだと思っていましたが」
「それもあるけど、杉本先生と英語の授業のやり方をかなり時間を掛けて議論した結果が、杉本先生の授業だけでなく、あの時の他の英語の授業にも反映されたと思う。ルイス・カレッジで我々が見学した授業も参考にして議論したしな。それが今の国際コースの英語の授業のベースになっている」
「ルイスでの英語の授業に似ていましたね。英語で議論して、英語でまとめをして、発表するパターンが多かったです。僕らの三年の時の英語の授業」
「あれから六年経って、今はかなり進化したと思う」
「国際Aコースと特進Aコースは両方とも国公立の五教科型入試をねらうコースでしょ。国際Aコースが出来たことで、特進Aコースの邪魔にはならなかったんですか」
「最初は国際Aコースが特進Aコースの生徒を取り込んでしまって、特進Aコースの生徒が減るかもしれないと思ったけど、実際には逆に増えている。互いに競争関係になっていることが、良い結果になっているんやろな。国公立の大学に行きたいけど、英語も思い切り伸ばしたいとはっきり思っている中学生は少ないやろけど、漠然とそんな感じに思ってる成績の良い子が国際Aコースには来ているんやろな。特進Aコースの生徒とはちょっと雰囲気が違うから、上手く住み分けが出来てるんやと思う」
「僕は英語がどうしても上手くなりたかったから、やっぱり国際コースでしたね」
「君の場合、今だったら、AコースかBコースか、どっちを選ぶ」
「やっぱり、Bコースでしょうね。ガリガリ勉強するタイプではなかったし」
大山郁夫は右京中学の出身で、右京中学は柳原の以前からの入試での担当校だったから、自分が中学から取ってきた生徒という目で、三年間見ていた。当時の国際コースの推薦基準と比べて、格段に高い成績を持った生徒で、今の国際Aコースや特進Aコースでも余裕で推薦を受けられる成績だったし、授業料全額免除の特別奨学生として入学していた。
「いつ頃から、英語の教師になりたいと思ったの」
「中学生の頃からかな。何となく、英語が話せて、教えられたらと、漠然と考えていたような気がします」
「今は、宇多野高校で教えたいと?」
「そうですね。出来たら」
「宇多野中高で英語の専任になるのはハードルが高いぞ」
「ええ、分かっています。駄目なら、しばらくは非常勤でもいいです」
「いや、出来れば、国際コースで担任を持ちながら、英語を教えるべきやな」
「頑張ります」
「部活の方も見に行ってるの」
「ええ。時間のあるときは」
大山郁夫は中学の時から、相撲をやっていた。高校でも相撲部に入り、インターハイに出たりしている。大学に行くときには、幾つかの大学から、部活動推薦で入学しないかとの誘いがあったが、大学に入ってまで相撲はするつもりはないと言って、一般の入試で受験した。
柳原にとっては担任は持たなかったが総務部長としても、教科担当者としても関わったクラスの生徒で、右京中学から自分が預かって来たという特別な思いもあったので、特に親しみを感じていた生徒だった。大山郁夫も柳原には特別な親しみを感じているようだった。
純一は久しぶりに下宿でゆっくりと一日を過ごしていた。生徒たちの多くが英語検定を校外の会場で受けることになっていて、教室での勉強会も休みにしていた。
二級までは土曜日に校内で受験するが、一級、準一級は日曜日に校外の会場で受ける。二級が受かっていなかった生徒はまだ数人いて、土曜日に学校で二級を受けていたが、準一級も同時に受ける。彼らの英語力は日増しに伸びているので、二級と準一級が同時に受かることもある。準一級が受かっている生徒も一級はさすがに難しいが、今回、一級に受かる可能性がある者も何人か居る。
良く晴れた、気持ちの良い天気だった。
午前中に部屋を掃除し、近くのコインランドリーで洗濯をした。
昼からは貴子から借りていた本を読んで過ごした。「東ゴート興亡史」。貴子が卒業論文のテーマにした、東ゴートの王、テオドリックについて調べるのに、最初に読んだ本だという。彼女の高校の図書館にもあった本で、その後も、この本は大事にしていると言っていた。
夕方になって、街にやってきた。木屋町通りにある、スペイン料理店で貴子と待ち合わせていた。貴子は朝から夷川通りの家具店でアルバイトとして働いていた。
純一が店に着いた時にはまだ、貴子は来ていなかった。テーブルが八席あるだけの、こぢんまりとした店だが、本格的なスペイン料理を食べさせてくれる。やっと暗くなり始めた時間だったから、奥の二つの席に客がいるだけだった。
店は二階にあり、広い窓から木屋町通りが見える席に案内して貰った。その席からは高瀬川も見える。入口の辺りに目を向けていると、待つまでもなく、貴子が現れた。タイトな濃いブラウンのスカートにクリーム色のフォーマルなブラウスを着けている。目元のはっきりとした貴子の顔に良く似合っている。
「向こうから、純クンがここに入って行くのが見えた」
「ジャストタイミングやな」
「この前、待たせたから、今日は時間通りに」
貴子が席に着くと、ウエーターが注文を取りに来た。
ふたりでメニューを見ながら、チョリソと生ハムの盛り合わせ、シーフードのオリーブ炒め、パエリアにワインを注文した。
「この前の土曜日に河原町を歩いてるとき、生徒が俺たちを見てたみたい」
「そうなの」
「河原町通りで腕を組んで歩いてた相手は誰だって」
「それで、どう言ったの」
「いや。声を掛けてくれたら良かったのにと言うたら、私はそんな野暮じゃあありませんて」
「女の子ね」
「うん。貴子のこと、高校生みたいやったって」
「ふーん。あの時は着替えてから来たから、Tシャツにジーンズだったからね」
「確かに、貴子は幼く見える」
「そかな。でも、ちゃんと二十歳を超えた大学生だって言ってくれた」
「うん。そしたら、先生の恋人は大学生なんやって、俺の顔を見てニタニタと」
「かわいいね」
そう言って、貴子はおかしそうに笑った。
ワインが運ばれてきたので、乾杯をする。
「仕事の方は忙しかった?」
「うん。今日はお客さんが多かったから」
「スーパーで物を買うのとは違って、時間を掛けて家具を見ていくんやろな」
「そう。一組のお客さんを一時間以上掛けて案内することもある。気に入った物がお店になかったら、イタリアの問屋のカタログを見て貰うの。コンピュータでカタログが見れるようになっているから」
「お店に置ける家具やインテリアは限られた数やろからな」
「もっと、たくさん置ければいいのにねってよく言ってる。スペースは限られてるからね」
「お店は広いの?」
「うん。結構広くて、一階と二階が家具の展示スペースで、三階がインテリア」
「オーナーがヨーロッパで直接買い付けているって言ってたけど、どれを買うかを選ぶのは難しいやろね」
「仕入れて、売れなかったからって、簡単に送り返せないから、必ず売れるものを買い付けるのは、確かに難しいでしょうね」
「売れなかったらどうするの」
「売れるまで置いておく、のかな。でも、実際には適当に売れているみたい」
「オーナーの目がしっかりしているのかな」
「先週もヨーロッパに行っていたんだって。今日、お店に行ったら、お土産だってこれ頂いたの」
胸元に着けていた、革紐のネックレスに付いた十字架のペンダントを指で触った。
「綺麗なペンダントや」
「そうでしょ。アンティークのお店で見つけたんだって。真ん中に付いているのは、小さいけど、エメラルドなんだって」
「よく似合ってる」
それから、貴子はオーナーのことを純一にいろいろ説明した。
しばらくして、注文した料理が運ばれてきた。
スペイン料理店を出た後、木屋町通りを少し北に上がり、六角通りを西に向かって歩いた所にある、小さなバーにやって来ていた。店の名前は「ライラック」。カウンターに椅子が八個並んでいるだけの、本当に狭い、小さな店だ。五十歳くらいのマスターが一人でやっている。
CDプレーヤーから、ジャズが静かに流れている。マスターに聞くと、モダンジャズの草分け的存在であるアルトサックス奏者チャーリー・パーカーのアルバムだということだった。
純一たちの他に、三人の男の客が居た。客も時々マスターと話をする以外、あまり声を出さない。別にジャズに聴き入っている訳でもなさそうだが。純一たちも声を小さくして話をしていた。
「今日の昼間は、貴子から借りた本を読んでたんやけど、テオドリックのことがだいぶ分かった気がした」
「ただの読み物だから、そんなに詳しく書かれている訳じゃないけどね」
「貴子はテオドリックについて、どんなことをテーマに卒論を書こうと思ってるの」
「彼が東ゴートの大王と呼ばれるようになったのは何故か。彼個人の能力の問題と歴史的な必然性について考察してみるって感じかな。個人の能力も歴史的な必然性によって生まれてきたところもあるから、単純には分けられないけど」
「それなら、ゴート族が南部スウェーデンからバルト海を渡って、ポーランドの辺りに移動して、そこから更に南東に移動して行ったことが、歴史的な必然性の始まりなんやろね。紀元前一世紀から西暦一世紀頃なんかな」
「そうね。そういう言い方をすると、すべてのことに、歴史的な必然性があるよね」
「北部ヨーロッパから南東に移動して、黒海の北に辿り着いた。この移動には数世紀の時間が掛かっているのやね」
「移住先には先住民がいるからね。集団移住というのは先住民を武力により征服するだけではなくて、長い時間をかけて同化していく過程でもあったのよ」
「太陽の光と暖かさに惹かれるように、移動と同化をゆっくりと繰り返していっていたってことか。ゴート族がキエフ付近のドニエプル川に辿り着くまで、三00年近い時間がかかったということなんやね」
「今のウクライナ、特に首都キエフの辺りを中心に、ゴート族が王国を築いていって、その力が頂点に達したのが三六0年頃で、ゴートの大王と言われたエルマナリクの時代だから、それくらいの時間が経っていたやろうね。ウクライナはドニエストル川からドン川にいたる穀倉地帯ね」
「やっと、暖かくて、豊かな土地に安住できたと思ったところに、フン族が来襲した」
「東からフン族の大軍が押し寄せてきたのよね」
「それで、フン族のゲリラ的な騎馬戦術に翻弄され、ゴート王国はあっけなく崩壊してしまったということかな」
純一は今日読んだ本の内容を思い出しながら言った。
「一言で言えば、そういうことね。エルマナリクもかなりの期間、防戦したけれど、最後には自殺してしまった」
「その頃、ゴート王国はすでに東と西に分かれていて、東ゴートはフン族に組み込まれてしまって、西ゴートはフン族から逃れて南の方、東ローマ帝国との国境の方へと移動していった。この西ゴートの移動がゲルマン民族大移動のきっかけとなった。ミナゴろごろと大移動の三七五年だよね」
純一は高校生の時に口ずさんだ、年号を覚える語呂合わせをちょっと口にした。
「ミナイこうゲルマン民族大移動の三七五年」
「覚え方が違う」
「年齢差かな、地域差かな」
貴子がそう言っておかしそうに笑った。
「一四九二年は?」
「いよくにもえるコロンブス」
「それはいっしょや」
貴子はまた笑った。純一はそれを見ながら、ウイスキーの水割りに口をつけた。
「その後、六〇年近く経って、四三四年にアッティラがフン族の王になってフン王国が最盛期を迎えた時に、東ゴート族が再び独自の王を持つことを許されたのは、テオドリック大王に繋がる大事な歴史的な必然性よね」
「復活した東ゴート王国の三人の王子の末弟がテオドリックの父親やからな。何ていう名前やったっけ」
一度、本を読んだだけなので、詳しいところまでは覚えていない。
「長兄がワラメル、次がウィディメル。彼の父親がティウディメル」
「アッティラが死んで、フン王国が崩壊した後に、東ゴート王国は独立国家になっていて、三人の王子はそれぞれが王として、三つの地域を治めることになったんやね」
「そう。アッティラに従属させられていたゲルマンの諸族がフン王国に反旗をひるがえして、アッティラの息子たちの軍勢と戦って、完全な勝利を得たのよね。フン王国からの独立戦争みたいなもの。この戦いでフン王国は消滅し、三人の王もそれぞれに新しい領地を手に入れた」
「テオドリックが生まれたのはその頃やね」
「アッティラが死んだのが、四五三年で、彼が生まれたのは四五五年と言われているから、その頃ね」
「それから、しばらくして、幼いテオドリックはコンスタンティノープルの東ローマの宮廷に人質としておくられた」
「そう。テオドリックが過ごした宮廷での生活に私は興味があるんだけど、資料が今のところ、ほとんど見つからないの」
「少年時代のテオドリックが東ローマの宮廷生活で、どうローマ文化を吸収していったのかな。子供やから、いろんな所へ行ったやろし、ローマ人の友達もできたやろしな」
「当時の東ローマ皇帝、レオ一世や皇后のウェリナ、その皇女のアリアドネとは深い交流があったでしょうし、アリアドネと結婚して次期皇帝となったゼノンとの親交もあったかもしれない」
「いろんなドラマがあったんやろね」
「まだまだ、わからないことが沢山あって、調べるのが大変みたい」
純一は一冊の本を終わりの方まで読んだだけだったが、貴子が興味を持っている世界を少し覗けるようになった気がした。
「テオドリックが人質になっていたから、東ローマとの関係は問題なかたんやろけど、周辺のゲルマン部族との間ではいざこざが絶えなかったようやね。その戦いで長兄の王が戦死した。ワラメルやったかな」
「それが四六九年で、テオドリックの父親のティウディメルは東ゴート全体を統括することになったらしいの。どうして、次の兄のウィディメルじゃなかったのかはわからないんだけど。ワラメルが戦死した戦いで、決定的な勝利をつかんだ東ゴートは日増しにその勢いを高めっていったようね。それまで、東ゴートを牽制する目的でその敵対勢力を支援していた東ローマ皇帝のレオ一世は、手のひらを返して東ゴート支援に傾いて、人質としていたテオドリックを父親のもとに送り返す結果となったの。帰国したテオドリックは伯父のワラメルが治めていた領土を引き継ぐことになるのね。それが四七〇年」
「テオドリックは十五歳?」
「彼が生まれたのは四五三年という説もあるから、それなら十七歳ね」
「どっちにしても、まだ高校生の年齢やん」
「そうね。でも、父親のバックアップがあったでしょうからね。それに、家臣団もいたようだし」
「その後、テオドリックは東ゴートの全体の王になる」
「フン族から独立した時に手に入れた領土が狭くなったのか、残ったふたりの王はそれぞれ違った方面に進出することになったの。ティウディメルは東ローマ方面、ウィディメルは西ローマ方面。でも、ウィディメルはアルプスを越えてイタリアに入ったところで死んでしまうし、四七四年にはティウディメルも死んでしまう。その結果、テオドリックが東ゴート全体を治める王位に就くことになったのよね」
「なんか、貴子先生の授業を聞いているみたいやな」
「純クンはちゃんと下調べをしてきた、お利口さんの生徒かな」
純一は笑いながら、グラスを空にし、新しいウイスキーの水割りを注文した。
これまで、純一はテオドリックについて、貴子から一方的に話を聞いていただけだったが、一冊の本を熟読したことで、これまで以上に話がよく分かるようになったし、興味も深くなったような気がした。
三十年前、「こんな学校にしたい」と思っていた夢が、今になって、やっと実現した。柳原隆良にとって、この数年の実感である。
決して、進学校にしたいと思った訳ではない。生徒も教師も楽しく通える学校。ただそれだけで良かった。
今は総務部長として、国際コースに掛かりっきりになっているが、以前は進学指導が仕事の中心だった。ある意味、必死で進学指導にこだわってきた。特進コースの担任を三年間持ち上がったこともある。
時々、三十何年間の記憶がふと思い浮かぶことがある。
三十数年前、宇多野高校はどん底の状態に喘いでいた。
授業中、コーラの缶やちり取りが黒板に投げつけられる。昼休みの教室はタバコの煙で曇っている。「霧の摩周湖」と自虐的に笑う教師がいた。当時、修学旅行は北海道だった。生徒同士の喧嘩は日常茶飯事。それだけならまだしも、真面目な生徒が集団で暴行を受けることも珍しくなかった。顔を腫らした生徒に事情を聞いても、口をつぐんで一切喋らない。告げ口をすれば、さらに酷い暴力が待っていると脅迫されている。消火用のホースが引き出され、廊下が水浸しになったこともある。大勢が見ていた筈なのに、誰一人としてやった生徒の名前を告げることはなかった。恐喝、窃盗も珍しくない。それも目に見えるのは氷山の一角。教師は歯ぎしりするような悔しい思いで校内を巡回していた。
一度の入試の失敗が私立高校にこれほどまで大きなダメージを与えることを柳原はしみじみと味わった。
当時の入試委員会では、中学からの内申成績が推薦基準を満たした生徒で、推薦入試で受験する場合、不合格にはしないと、中学に確約することを決めた。今後、生徒数を安定的に確保するため、中学との信頼関係を築くことが目的だった。
しかし、結果は悲惨なことになった。中学との信頼関係など、その頃、まだどこにもなかった。多くの中学が、どこの高校にも行けない、成績が悪くて問題を抱えた生徒の成績を、推薦基準を満たしているように書き換えて、ここぞとばかり、おめでたい宇多野高校に送ってきた。
それまで、一学年十二クラスだったのが、一気に十六クラスになった。増えた四クラス分は、これまで、宇多野高校には入ってくることがなかった生徒たちだった。
柳原はこの学年を一年生から三年生まで持ち上がった。商業科六クラス、普通科十クラス。二年生の時には、普通科で英語や古典と一緒に地学が選択科目になり、選択科目でクラス編成がされた。柳原は地学を選択した生徒のクラスを担任した。真面目で、勉強しようとする生徒は英語や古典を選ぶ。学習意欲の乏しい、やんちゃな生徒が集まった男子ばかりのクラスができていた。
その生徒たちを連れて、北海道の修学旅行にも行った。土産物屋から万引きの苦情が来た程度で、無事帰って来られたことにほっとしたものだった。
いじめられている生徒が居て、昼休み、うっすら鼻血を出して、泣きながら教室に戻ってきたことがあった。しかし、柳原は何もしてやることができなかった。非常勤の先生から、生徒が授業中に立ち歩いたり、物を投げたり、ふざけて声をあげたり、授業の邪魔をすると、何度も相談があったりもした。それでも、生徒たちをかわいいと思えていた。直接、柳原に反抗したり、食って掛かる生徒はほとんどいなかった。やんちゃでもかわいい、というより、やんちゃだからかわいい。そんな生徒も沢山いた。放課後の教室掃除の当番の生徒たちがサボって帰ってしまったとき、柳原がひとりで掃除を始めると、野球部の生徒が「先生、大変やな」と言って、手伝ってくれたこともあった。
三十年以上前の光景が今でも思い浮かぶ。
この学年が三年生になったとき、理系のクラスが二クラスできて、そのひとつを担任することになった。前年度のクラスとは反対に、理系の大学・学部への進学を考える生徒たちの集団になっていた。中には、理系でもないのに、他のクラスよりマシなクラスになると考えて、避難するように理系を選択した、いじめられっ子もいたようだ。
確かに進学という目標もあり、よく勉強する生徒が多かったし、文化祭で演劇をやるなど、活発な生徒も多かった。
この生徒たちが卒業する時、柳原に言った言葉がある。
「先生は一年間、よく僕らに進学の指導をしてくれたけど、進学のための勉強が必要だってことを、何で一年生の時から教えてくれへんかったん」
この言葉がずっしりと胸に残った。
翌年度、また、一年生の担任になって、柳原の進学指導がスタートした。
教師は毎日、生活指導に追われていて、宇多野高校には進学指導は存在しなかった。進学のための指導をするという発想も余裕もなかった。一度の入試の失敗で奈落の底に落ち込んだ学校には、問題を起こす生徒が毎年、沢山入ってくるようになっていた。教師はその対応に疲れていた。宇多野高校は荒れているという評判はすぐに広がっていた。
柳原は学年会で進学指導の必要性について何度も話をした。前年まで、三年間、同じ学年を持ち上がってきた教員も半数以上いた。その中で最初に手を挙げてくれたのが、英語の女性教員の月岡好美だった。柳原とは同期で宇多野高校に入っていた。
「当面、英検の三級合格を目標に、特別の指導をするわ」
「それやったら、一年生全体で取り組んだらええ。前田先生、よろしいですな」
柳原より三つ年上の数学の西浦直明が言った。前年の柳原のクラスの生徒たちを、柳原と一緒になって熱心に指導してくれていた。
「それをやるなら、学年には進学係がいるやろ。柳原、あんたやれ。責任は儂がとるから、好きなことをやったらええ」
学年主任の前田和幸が柳原を見ながら言った。前田は柔道部の顧問をしている、体育の教師だった。親分肌の貫録のある人物だが、子供のようなかわいさも同時に持ち合わせていた。
英語を伸ばすには単語力がなければと、月岡と何度か話をしていたら、しばらくして、学年全体で、英単語テストにも取り組もうということになった。
学年主任の前田の後押しがあったから、みんなが気持ちよく協力してくれた。
希望の生徒には、英語のワークブックや、英文テキストの和訳の添削指導も始めることになった。月岡ひとりに負担が掛からないよう、担任ができるだけ自分のクラスの生徒の面倒は見ることにしていた。
学年が二年生になったとき、月岡や西浦と話しているうち、今やっていることは、この学年だけではなく、学校全体の取り組みにすべきだと思うようになっていた。あの、どん底の状態を経験した柳原には、何とか、今の状態から這い上がらなければいけないという切実な思いがあった。
柳原は西浦と何度も話しながら、プランを作っていった。最終的に出来たものは、「学力問題研究委員会」を発足させる提案だった。
現状の生徒の学力の分析から始めて、進学指導のために、学校全体として何が必要かを議論する場を作ることだった。現状では教師は生活指導に追われていて、進学指導などに手が回らないという意見があったが、進学指導をきっちりとやり、生徒が勉強する雰囲気になれば、生活指導の必要性が減っていくというのが発想の根本にあった。
教務部長に何度か話をしているうちに、腰を上げてくれることになった。「学力問題研究委員会」が発足した。
「今日、六時間目が終わったら、教員室に行っていいですか」
五時間目の一年六組の化学の授業が終わって、階段を三階まで下りたところで中島利勝に声をかけられた。四階が一年生のフロアーで二階が三年生のフロアーになっている。中島はいつもと違って、授業中何か考え込んでいるようだった。
「ああ、いいよ。どうかしたか」
「ちょっと」
それだけ言って俯いた。
「終わって、十五分程してからでいいか」
「はい」
「そしたら、三年生の教員室で待っている」
真野純一が三年生の教員室に戻ると、しばらくして、中島利勝が教員室の前にやってきた。
中島を教員室の中に誘い入れて、パーテーションで仕切られた談話スペースに連れて行った。
「どうした」
「すいません。ちょっと、先生に相談があって」
純一は中島の顔を首を傾げるように見た。中島は言葉を途切れさせて俯いた。すぐにまた、顔を上げて、純一を見た。
「安永和幸ってわかりますか」
「廊下から二列目の後ろから三人目やな」
「そうです。安永がいじめられているんです」
純一は頷きながら、中島を見た。
「先生、知ってはったんですか」
「いや。知らんかった。ただ、ひょっとして、そんなことが起こるかもしれんとは思っていた」
「誰がやってるかも」
「いや」
純一は多分とは思ったが口には出さなかった。
「京南中学から来た連中です」
やはり、そうかと思う。サッカー部の一年生から聞いた話を思い出していた。
「どんなことをされている」
「今日の昼休みは、木下がいきなり安永の椅子を蹴って、『おもしろないね』というて、平手やけど、結構強う頭を叩きよった。安永が顔をしかめて木下を見たら、『その顔はなんや』というて、今度はゲンコツで後ろから頭を殴りよった。安永が頭を抱えたら、肩にパンチを何度も。その間、北川は笑って見とおった。最後に、安永を押し倒して出て行きよった」
「五組の荒川、安本やら七組の大橋は?」
「今日はあいつらは来てなかったけど、よくうちの教室に来て、木下やら北川と一緒になって、安永をいじめてます」
「このこと、担任には言うたん」
「いいえ、先生が初めてです。担任に言うたら、何か、ややこしくなるような気がして」
「中島は俺にどうして欲しいと思ってる」
「話を聞いて貰いたかっただけです。先生、何もしないでください。先生が何かしたら、今より悪くなるかもしれないと思います」
「やり方の問題やろな」
「何か、いいやり方がありますか」
「ちょっと、考えてみる。ただ、教師が表に出て何かしたら、君が言うように、問題が悪化する可能性は確かにあると思う」
「僕、先生に言うのも、だいぶ、迷ったんです」
「そうやろうな。まあ、何が出来るか分かれへんけど、一緒に考えよ」
中島はちょっとにっこり笑って頷いた。
「僕も小学校の時、いじめられたことがあったから、他人のことやからとは思えなくて」
「小学校のいつ頃」
「まだ、少年野球を始める前。四年生の時です」
「今の君からは、あんまり、想像できんけどな」
「いじめられるのは、やっぱり辛いですよ」
「そうやろな。安永とは話をした?」
「まだです」
「一度、安永がどう思ってるか、聞いてみたってくれるか。教師にはなかなかしゃべり難いやろからな。それに、味方がいることを安永に知らせてやってくれ」
「今度の日曜日にでも、どこかで会って話をします」
「また、その結果は報告してくれるか。俺の方は、平林先生に相談するわ。平林先生には当面、表だって何もしないようにとは頼んでおくし」
一年生の学年主任の平林幸三なら、状況に応じて、上手く動いてくれるだろうと純一は思った。
中島を送り出して、すぐに一年生の教員室に行った。平林は柔道部の生徒と話をしているところだったので、少し離れたところで待った。生徒との話が終わって、純一に気がついていたようで、すぐに談話スペースに入るように誘った。
「一年六組の安永という生徒が、例の京南中学から来た連中にいじめられているようなんです」
「酷いのか、いじめは」
中島から聞いた話を伝えた。
「放っておくと、もっと酷くなるような気もします。五組の荒川、安本やら七組の大橋なんかも一緒になってやっています」
「そうか。この間、君から話を聞いて、気をつけて見てはいたんやがな」
「安永はからだは小さくないですが、おとなしい生徒です」
「担任は知ってるのか」
「どうかな。僕のところに相談しに来た生徒は担任には言ってないと」
「何で、担任やなくて、君のところに来たんかな」
「担任やったら、放っておけへんから、いろいろ動くことになって、それが問題を悪化させる結果になることを心配していたようです。僕に相談しに来たけど、僕にも何もせんといてといいました。ただ、話を聞いて欲しかったと」
「やってる当人に、色々な形で注意を与えることは簡単やが、いじめが陰湿になるだけということもあるからな」
「平林先生にも、当面、何もせず様子を見て貰うだけにして欲しいのですけど」
「わかった。表だって動くことはせんとく。ただ、担任には知らせておく必要はあると思うから、話はするけど、担任にも充分気をつけて動くように言うとく。この間から京南中学の連中にはそれとなく声を掛けたりしてるけど、ある意味ではかわいいところのある生徒やという気がしてるんやけどな」
「その辺が、平林先生が生徒に信頼されるところなんですね。どんなやんちゃな生徒でも、うちの生徒ならかわいいと思える」
「そんなことはない。時々、ほんまに腹が立つこともある」
「それも、生徒を信頼してるからなんですよ」
「まあ、生徒がほんまにかわいいと思えるのは、幸せなことや」
平林は嬉しそうな顔でそう言って、短髪の頭を撫ぜた。
「ところで、去年の京南中学の入試担当は誰なんですか」
「去年も今年も、入試対策の大薮さんや」
「そうか。大薮さん、あんな生徒を取ってきたのを知ってるんですかね」
大薮正人は入試対策部に所属している、純一と同じ年齢で同期の教員だった。平林は大学を卒業した後、しばらく大阪の私立高校で教員をしていたので年齢は違うが、同じ年に宇多野高校に入ったという意味では平林とも同期である。
「この前、入試対策部に行ったとき、ちょっと彼と話をして、京南中学の生徒のことを報告して、嫌味を言っといた。驚いたような素振りをしていたが、本当に知らなかったのかどうか。国際Aコースには優秀な生徒も来てますと言っておった」
「確かにあいつらは成績もいいし、サッカーでも優秀な選手です」
「あの子らはほんまにいい子やな」
「大薮さんはうちとライバル関係にある私学を卒業して、うちの学校のことをどんなふうに思ってるんでしょうね」
「あいつは自分が卒業した学校に帰りたがっているんや。うちの生徒をかわいいとも思ってないし、うちの学校なんかどうでもいいとしか思ってない。俺は前に居た学校も好きやったし、生徒もかわいかった。あいつにはそんな感じは全くない」
宇多野高校の卒業生として、母校やその生徒たちをこよなく愛している教員の口から出た辛辣な言葉に、純一は返事ができなかった。
一年生の教員室から三年生の教員室に一度戻って、純一はすぐにサッカー部のミーティングに参加した。
朝から雨がしとしと降っていた。近畿はすでに梅雨入りしていた。
サッカー部の部員は校舎の一部の廊下を使って、ウエイトトレーニングなどをした後、教室でミーティングをしていた。純一のクラスの教室は使えないので、キャプテンの植田俊夫のクラスの教室を担任に断って使わせて貰っている。
生徒は現在、一年生八人、二年生五人、三年生三人の十六人になっていた。三年生の特進Aコースの上杉大地は五月の高校総体を最後に引退した。「サッカーで大学に行ける訳ではないのに」と言われながら、よく頑張ってきた。もうひとり、二年生の高木幸助は家庭の事情から退部した。総体の前にメンバー表から自分は抜いてくれとキャプテンの植田俊夫に言ってきたというのを後で聞かされた。その時から、退部することを決意していたのだろうと思う。
高校総体の成績は最初に一勝しただけだったが、応援も結構来てくれて、盛り上がった雰囲気の中で試合を楽しむことができた。
ミーティングでは試合形式の練習を含め、どう練習を組み立てていくかを話し合っていた。雨の日のトレーニングも狭いスペースで出来る、面白いメニューを考えている。キャプテンの植田俊夫に任せていると、まとまり良く話を進めて行くので純一が口を挟む必要がほとんどない。
ミーティングに最後まで付き合った後、三年生の教員室でパソコンと英単語の試験問題を取ってから、ホームルーム教室に戻った。
三人の生徒がすぐに、英単語テストのプリントを取りに来た。教室には十数人の生徒が居た。
純一はいつものように、前の席の机と椅子を逆に向けて、生徒たちの様子を見ることが出来るように座っていた。何気なく右手に目をやった時、端の列の後ろから二番目の席にいる池内貞之が目に留まった。物理の問題集を見ながら考え込んでいる。それを見ながら、今は頑張っているが、いつまた、元の状態に戻るか、心配は消えない気がした。
昨年の短期留学が終わった後、九月に入って暫くした頃から池内貞之がよく学校を休むようになった。どうしたと聞いても、首を捻って黙って下を向く。十月になって、全く学校に来なくなった。何度も家庭訪問をした。
「学校で何かあったのか」
「いえ、そんなことは何も」
「そしたら、どうして出て来ない」
「どうしてなんでしょうね」
他人事のように呟いた。
「部屋に閉じこもっている訳ではないんですよね」
母親に聞いた。
「よく、外には出て行きます」
「奈良によく行っているみたいです」
父親が言った。
「奈良のどの辺に行くの」
「明日香村とかいろいろ」
「池内は古代史は特によく知っていると林田先生が言うてはった」
国際Aコース理系ではカリキュラムに日本史がないので、池内は日本史を専門に担当する林田伸仁にずっと特別に指導を受けている。あれだけできたら、日本史で受験しても大丈夫ですと林田は請け合っていた。
「もう、そろそろ、授業時数も限界に来ているし、これ以上休んだら、進級ができなくなる。来週で時間数が切れる科目が出てくる」
「それは解っています」
ひとつの科目でも、年間の授業時数の四分の一を越えて欠席すると、ほぼ自動的に進級が出来なくなってしまう。もうすでに、幾つかの科目で、それに近い欠席をしていた。これまで、何度か、本人にも親にも、そのことは説明してあった。
それぞれの生徒のすべての科目について、欠課時数を表示してくれるプログラムを校内ネットワーク上で利用できるので、時間割変更を落とさずに記録しておくと、正確な欠席時数が把握できる。
「明日からでも出てこないか」
「明日からは出て行こうと思っています。毎日、そう思っています。そやけど、朝になるとまた」
これまで、何度か、同じような言葉を聞いていた。
不登校についての研修会でも、学校に行けないことで、本人は充分辛い想いをしているのだから、教師が無理に学校に来いとか言って、更に苦しめてはいけない、見守ってあげることが大切なのだと聞いている。しかし、実際に、出席時数が足らなくなって、進級が出来なくなることを目の前で見ていると、どうしても、学校へ来いと言ってしまう。
ただ、池内貞之の場合、翌週の月曜日から登校できるようになったことを考えると、進級ができなくなるという圧力が結果的には良い作用をしたのかもしれないと思う。そのことで、池内がどれだけ苦しい想いをしたかは純一にはわからないが。
その後、池内の欠席は一日も無くなった。大学で日本古代史の研究をするという大学進学の目標がはっきりしてきたから、もう大丈夫だろうと思う反面、何かあれば、またポキッと折れてしまうのではないかという不安もぬぐい去れなかった。純一は池内が友達と話をしながら、楽しそうに笑っているのを見ると、ほっとすることがよくあった。
英単語テストのプリントを取りに来たひとりが、出来たプリントを持ってきた。目の前で採点して、全部出来ていたので「良くできました」と言って返すと、嬉しそうに、にっこりとして席に戻っていった。