第7話 家族の形はきっと、歪み欠けた不格好な
性格は正反対で油と火のような、話せば一発即発の雰囲気がある夫婦の会話を聞いてしまったのは偶然か必然か。イクシャは立ち尽くした。
──「ですがッ、ですが、……だ、旦那さま。家の大黒柱でありローベル家の家督を継ぎ我が夫である子供達の教育の方針を決める貴方に口を出すことではないと思います。妻と言うのは夫に従い支えなければならないのだとも痛い程に理解しています」
窓の外を見て黙り込むベルナールのその後ろ、己の目の前で跪く灰色系統の髪をした美しいネニュファールは声を荒げていた。
狙っているのか狙っていないのか無造作に半開きになった扉の横で壁に寄りかかって話を聞いてしまう。駄目だと解っているのに。悪いことだと知っているのに。
「ですが……旦那さまがとるあの子達への態度が、我慢なりません。あの子達は成長しています、何も知らない何も出来ない笑うだけが取り柄のあの頃の、……箱庭の天使では無くなりました。学び考え覚えて立派な人間になろうとしています」
「あぁ」
感情を抑えきれない抑揚のある言葉と相対して機械的な相槌。
「あの子達も悩みます。小さいながらもシアンは考えることが率直で深いです。よく人を観察しています。イクシャに限っては、悩みは人一倍あるようで苦しみや辛さ怒りを溜め込んでしまうようです」
「……」
自分の名前が出た時、これまでにないくらいに心臓が高鳴り、握り締められた。一瞬止まったんじゃないかと思う。心臓が奏でる大きな音に呼応するように視界が歪む。それについてはベルナールは己への責任を感じ後悔を積もらせ、間違っていたと憤慨するネニュファールに何も言わず窓の外を黙って見つめていた。
「私が自分を嫌っているのではないか……でもシアンだけには嫌わないで欲しいと涙を流し懇願してきましたッ。自分は良いと、姉として一歩引いた大人の目線で……私や旦那さまの考えや教育によりあの子達の心が傷付けられるなんて、もう、見たくもありませんッ!」
「そうか。なら、どうする? 継承者であるシアンが甘えたがりの幼稚な弱い心を持ったまま成長したらそんなので家督が務まるか? イクシャにはそれを防止する為にもシアンからも一刻と早く離れ、婚約者と未来を見据えローベル家を支える柱になる立派な者になって欲しいのが私の想いだ」
初めて、窓の外からネニュファールへと蒼い瞳が向かう。その美丈夫はまるでお前が間違っていると言わんばかりに従えと言っているように重圧的にネニュファールへと近付き見下ろした。
其処で初めてネニュファールが言葉を失う。何時ものように怯え苦しみ辛さを隠し通そうとする従順な妻に戻っていく。恐怖がネニュファールを包み、震えさせる。
「どう、して………あんな、仲睦まじく……見て居てッ幸せになれる……、互いを愛し……理解し、合う二人を、引き……剥がせるのでしょ、……うか………どう、してそんな事が、ッ出来るのでしょうか……ッ?」
「ローベル家の命運の為だ、理解しろネニュファール」
その言葉に空気は重くなる。固まっていた氷が一瞬にして割れる。ひびが入る。壊れる。
「ど、どうして、どうして――ッ! そんなに冷酷無情に生きられるの……?」
掠れた声で彼の誰からも呼ばれることも少なくなり、なくなろうとしていた名前で呼ぶ。悲鳴に近かった。嗚咽交じりに涙を流し必死に酸素を身体に取り込もうとする息遣い。
「下がれ、出ていくんだネニュファール。今の君は、混乱して目の前のことに、感情に惑わされている……しっかり頭を冷やせ。このことを持ち出せばこうやってお互いを傷付けるだけの無駄な話になる。絶対にもう話には出すな」
最後まで命令言葉。対等に支え愛し合い笑い合うことをかつて誓った筈の夫婦は行くところを間違えた。ネニュファールは絶望と失望の塊を目の前に言葉を失い震えの止まらない身体を己で抱き締めてしまう。
近付き己の震える肩に手をやろうとする大きな悪魔の影。
身が強張る。触れられたら息さえも止められてしまいそうに思えた。
「さわ、……触らないで。触らないでよッ、何時から変わったの、どうして変わってしまったの。あの時の貴方は何処!! あの時の貴方は、子供を、思いやる心が少なからず冷たい人だったけれどあった筈よッッ!! 私の、事を……ッぁ、愛して、くれたでしょう……?」
絶望に失望に、涙を流して狂ったように叫び出す。笑ってくれた彼。愛してると頬を赤らめてそっぽを向いて言った彼。ネニュファールは走馬灯のように、それでも昨日のことのようにはっきりと鮮明に想い出すことが出来ることが冷静を失う程に苦しいものだった。
母の悲鳴を母の嘆きをイクシャは涙を静かに流し、父の冷酷さを無情さを感じ。どうして前回の人生でいなくなり、夫婦が道を違えたのかネニュファールが悩んでいたことが解って当然の会話。
「どうしてなの、どうして、変わってしまったの?」
──「我妻は勘違いをしているようだ。言っとくが私は、最初から思いやる心何て無かった。最初から君のことを、愛してなんか、いない」
耐え切れなくなりイクシャはその場を立ち去っていた。書斎部屋からは美しい女性の泣き叫ぶ声が漏れ、走り去るイクシャの後を追い掛けるかのように長い廊下を無情に響いて。