第6話 “友人同士”のような親子
落ち着いた雰囲気の根源であろう艶めかな紺色の髪に優しげに笑う好奇心を宿したアーノルドと同じ黄色の瞳。アーノルドの小麦色の肌と相対する色白の肌。
「この愚息と言ったら何度言い聞かせても、令嬢子息教師関係なく気遣いない言葉を投げて相手の気持ちを損ねて礼儀と遠慮を知らない者でして度重なるご無礼を私が代わって謝罪します。それから、これまで交流をして頂いてありがとうございます、どうか気が向いたらでいいので馬鹿な話にも付き合ってあげて下さい」
「……無礼とか馬鹿な話って何だよ親父。イクシャと俺は同い年で、それも付き合いも七年以上になる幼馴染だ。敬称とか敬語なんて必要ねえと思うけど」
イクシャが言葉を言う暇を奪われる。父親に対する憧れもあっての、幼馴染にぺこぺこ敬称で呼び丁寧に話をし礼を尽くす姿は七歳の子供にとっては格好悪いと思うのか否や不愉快そうに眉を顰め鋭い視線でフロウラントを突き刺す。
その瞬間、鉛のような重たい音が響く──諭すよりも先にフロウラントがアーノルドの頭に拳骨をおとしていた。指の関節を前に出して拳骨をされたようで鋭い痛みに苦し藻掻く息子を満足気に見て説教へと持ち込もうとする父親。喧嘩をしてばかりだと見えるが目線を変えたら仲睦まじい対等に話せる“友人同士”のような親子。
イクシャにとって二人は、ベル家は羨ましく眩しく見えた。目を細めながら見つめていたイクシャの脳内には前回の人生でのベル家だ。イクシャの選択により今と少しは変わったように見えるベル家。
学者であるフロウラントがリュシアンだけの専属教師となって行く行くは臣下の頂点である宰相となり、今はちょっと馬鹿っぽい印象を与えてしまう快活とした正直な少年だが以前は研ぎ澄まされた剣のように鋭く慎重な面を人に多く見せていた憧れの的である騎士。
(私がいなくともこの親子は道を違えたのかしら。天才的な頭脳を持ち合わせ学ぶこと、本好きなことで有名な学者の両親を持ちながらの騎士道に歩み国家を代表とする者となったのはある意味での仕返し……? なのかしら前回の人生でのアーノルドの行動は)
そんな、気がした。忠誠を誓う皇室や仲間、あの愛らしい令嬢だけには清々しい笑顔を放っていた騎士はイクシャを物怖じもせずにあの時も今と同じような表情で、冷酷な顔で捕らえた。イクシャに、ローベル家だけにあからさまな敵意を真っ直ぐに向けていた。
父の授業をサボり、でもそれを父であるフロウラントは叱りもせずむしろ優しい言葉遣いで授業を受けるように促し気に掛けて来たが、それを跳ね返してフロウラントを蔑ろにする傲慢に我儘に悪として生きて来た獰猛で狡猾な少女が許せなかったのだろう。
「この馬鹿息子! お前のしている事はイクシャお嬢さまを含めて公爵ローベル家の威信に関わる事だ、それも理解出来ずにイクシャお嬢さまに付き纏うのなら容赦はしない! お前の浅はかな行動や態度も話もカシャロット公とイクシャさまの慈悲により許されてるものだ、そのお心が消えたら罰せられるかもしれないと言う事を覚えておけ」
(この家に来るのはベル先生の授業がある日。アーノルドは学ばない馬鹿を見る正直者と思っていたけど多分きっと違うわ、自分の暇とベル先生の授業前後の時間が重なる時だけ来る……アーノルドは、父親に、逢いたいだけ。ローベル家や私への深い意味は……きっと無い)
首根っこを掴まれて不遜な態度や相手を敬わない言葉遣いを改めろとか叱られて涙を浮かべ始めるアーノルドを助けようとする気持ちにならなかったのは、羨望とか嫉妬とかの厄介な人間の悪になりうる感情ではなく。
「姉さまっ!」
花のように笑い天使のように美しく愛らしい弟が視界に飛び込んできたからだ。星の輝きの碧眼はイクシャだけを映してくれる。灰色系統の髪は、イクシャに撫でさせてくれる。そのきめの細かい色白の手はイクシャの手を真っ先に選んでくれる。その足はイクシャに向かってくれる。その性格はイクシャを愛し頼ってくれる。
イクシャが前回の人生で狂い求めた愛を、最期に見たあの時のリュシアンと同じように注いでくれる。リュシアンは、前回の人生のリュシアンと大差ない。その本質は変わらないのだ。
(甘えたがりで寂しがり屋だけど、ほんの少しの勇気と何もかもを包み込む壮大な優しさを持ってる可愛い私の弟)
己を幸せにしてくれるリュシアンが居たから。だから、だから、リュシアンを幸せにしようとした。世界中の誰よりも。温かい家で成長させて愛する人と結ばれ幸せな家庭を築く、それを見守るのがイクシャの役目だと思い願い祈っている。傍を離れてしまうと思うと寂しいし辛いけどリュシアンが幸せになるのなら別に良い。身を引ける。
「姉さまー、見てましたか? あともう少しで、ししょうを倒せました、いつも転ばされてましたけど……体調をくずしやすいお姉さまが無理して外に出て見てくれていたおかげですね……!」
「そんな……全部シアンの実力よ。買い被り過ぎだわ、それにシアンの稽古をじかに見たかったから、私は私の為に勝手に行動したまで、感謝しなくていいわ」
でも頑張って凄い自慢の弟ね、と褒めると頬を緩め目尻を下げて無邪気に笑う。老いても孫が出来ても尚、リュシアンの無邪気で純粋に笑うその姿が一生続けばいいなと思った。
「この休憩が終わったら自由時間になるんですけど……お姉さまは次、フロウラント先生の授業ですよね?」
「えぇ……でも授業が終わったら……一緒に、そうね将来の為になる兵法や国学、魔術の本を読みましょう。難しい事も噛み砕いて話してあげる。その前にシアンが何時も学んでいることの復習からしていきましょ」
将来のローベル家を担うリュシアンの将来を考えて今のうちから習ったことの定着を図っていく。大切な紳士教育から跡継ぎ教育のこと。
「姉さまの特別授業ってことですね! そんなたのしいことが待っているなら退屈な時間もがまんできます!」
「それを聞いて安心したわ、じゃあ私は授業の支度があるからもう行くわね。ちゃんと汗を掻いたのだから拭いて着替えること、解った?」
仔犬のように何度も頷いて、大きく手を振って来る。小さく返してから、アーノルドへのフロウラントの説教が続く以上長く待つことになると思い、失笑を独り溢しながらゆっくり学習室への歩みを進めた。