第15話 誕生日パーティー(2)
「シアン……」
「お姉さま、きれいです。エスコート、させて頂いて良いですか」
シャンデリアの光に照らされ、輝きを増す碧い瞳が笑う。そんな弟にイクシャは見惚れ、幸せが醸し出す微笑をして返事をした。
天使のようなドレスを身に纏う姉に合わせてか淡い色のスーツに包む弟。
イクシャよりも背が小さい筈なのにもリュシアンは瞳の位置ぐらいまで背が高くなっていた。足元を見れば厚底なのが判る。ハイヒールを履いているような状態なのにも表情も変えないその堂々とした姿勢に感嘆してしまう。
「シアン、ありがとう」
「此方こそ。八歳の誕生日、おめでとうございます。何時までも優しく笑顔を絶やさないお姉さまで居て下さい」
仲睦まじく笑い合い、眩しい姉弟に横目で見ていた父であるベルナールは表情を曇らせた。
このパーティーで間接的にローベル家の姉弟の仲の良さが伝わりその二人はセットであるかのように言われるだろう。
ベルナールはイクシャとリュシアンを離れさせたかった。二人は太陽と月のように交じり合ってはならず、朝昼と夜の世界で別々に生きなければならない運命にあると考えて居る、なのにも二人は交じり合って手を取り合って今を生きている。
自分の後を継がなければならない、家督を担う人間が、何時だって隙を見せず弱点を作ってはならない人間が、あんなにも姉を大切にし姉に向けて、この場に居る全ての人間に向けて腑抜けた笑顔を振りまいているなんて家を根幹から揺るがす脅威となる筈。
イクシャは、リュシアンにとって将来を妨げるものだ。
そう思った瞬間に居てもたっても居られず、ワイングラスを片手に話していた同僚と別れ姉弟の元へ爪先を向けていた。
「イクシャ」
後ろから呼びかけられたイクシャは振り向く。其処には普段の格好と変わりない父が居た。肩は少し上がっていて何だか顔色も良くない。目の奥の隠してあるベルナールの野心と冷酷さの表れである光が光っている気がした。
警戒心を覚らせないように変わりなく僅かな微笑を無理矢理固まった表情筋を動かして浮かべてみる。
「誕生日おめでとう。これから大人になっていくお前に紹介したい人が何人かいるんだ、おいで」
何時になく物凄く、優しい笑みを浮かべるベルナールに思わず狼狽してしまう。そうやってたじろぐイクシャの腰に手を回しベルナールは力を込めて引き寄せた。
「不審な動きをするな。私とお前は親子なのだから子供らしく笑顔を浮かべてろ」─────要は余計な事をするな考えるなと小さな耳に向かって囁く。
絡めた手が冷たくなるの感じ、ぎこちない笑みを浮かび始めた娘を一瞥して歩みを進める。
そう、此処では仲睦まじい親子、家族だ。だからこそネニュファールも女当主として母として妻として無理を押し切って参加をさせている。
「イクシャ、御挨拶しなさい。国事を担う宰相さまだ」
値定めするような目つきにある初老。これがフロウラントが就く前の宰相、と心の中で反芻しながら淑女の挨拶を済ませる。
何度も何度もこのパーティーに向けてダンス、挨拶、マナーを学んできた。と言っても昔のパーティー浸りだった経験があるので無くても良かったと心の隅で思うが今はたった八歳のイクシャ・リセ・ローベルなのだと言い聞かせる。
「ほぉ……ローベル家の深窓の令嬢は大層美しいな。その翠眼と顔の造り、表情、身のこなしまで奥方様によう似とる」
ネニュファールの翠眼が出た瞬間、ベルナールの眉は動く。今にもこの初老を取って喰らおうとする野獣の眼はすぐにして消え、微かな笑いを漏らした。
「愚息は……済まない、何処かにほっつき歩いてるようだ。見つけたらすぐに紹介しよう、今後ともよろしく頼むな、カシャロット公。そして小さな天使さま、貴女の幸せが続きますように」
そしてその後、覚えきれない程の人へと挨拶を行い、ベルナールとその人達の会話が始まったところでやっと解放されたイクシャは同じく囲まれているネニュファールとリュシアンを見つけ、引っ張り出す与力もなくテラスへと向かっていたのだが。
「よぉ」
「ッ……ぁあ……何だアーノルドか……びっくりしちゃった」
突然に声を掛けられ声にもならない悲鳴を小さく上げたイクシャはその声の主を見て胸を撫で下ろした。近くにあった椅子に座り痺れが走る足を伸ばして深呼吸する。
疲れの滲んだ表情にアーノルドは嘆息し、水の入ったグラスをテーブルから持ってくれば口を開く。
「……お前忙しそうだな、疲れたって顔に書かれてるぞ。全く、お前の誕生日パーティーで盛大に祝おうとか言って置いて公爵の交流会じゃねえか。奥方様も蒼褪めた顔でいらっしゃるし、何よりも弟はもう限界って今にも飛び出してきそうな手を上げた表情で、付き合わされてる感半端ないなこのパーティー」
─────「ええ、そうね」
さり気なく水を渡してくるアーノルドに礼を短く言って乾ききった喉を潤す。水も飲まずケーキも食べず休む暇もなく飛び回っていたイクシャにとっては神の恵みも近しいものだった。
そう水を同じく飲むアーノルドは全て見抜いているようで話を進める。笑顔を作って取り繕っているのにもこの家族の“仲の良い”仮面がアーノルドにとっては無いもののように思えるのだろう。
「お前が主役なのに音を上げてどうすんだよ。このパーティー、本当は何が目的なんだ? あちこちに父親と挨拶回りに行ってさ」
─────「婚約じゃない?」
イクシャは、このパーティーの意味を教えられているけれどわざと知らないような風に言った。アーノルドに重荷を背負わせたくはない気持ちはあの日から時間が経っても変わらなかったからだ。
あっけらかんとした危機感も無い顔つきにアーノルドは唇を噛み、大声を出してしまいそうになるが手で制される。
あの人の事だから監視の【目】と盗み聞きの【耳】が何処にあるかも判らないから声を潜めて、と付け加えて白地に冬の花が刺繍されたレース調の扇で口を隠しながら話を続ける。
「お父さまの目的はリュシアンと私を離れさせる為かしら。公爵を継ぐリュシアンが子供みたいですぐに侮られ利用されてしまうもんじゃ心配でしょ。あの子可愛いし可愛いし可愛いし優しいしさー何しろ純粋でしょ? 慈悲深いし」
冗談めいた口調にアーノルドが息を呑む。
「お前は婚約だなんて弟の為に押し付けられて嫌じゃねえのかよ。愛のない名誉と金と権力、地位だけの結婚だなんて」
「……私はね、自分の事よりもリュシアンの方が大切。リュシアンが一番よ、この家を明るく照らしてくれるのはリュシアンだもの。リュシアンに元気が貰えるから、リュシアンの幸せと成功の為ならば身を粉にしても良いの」
顔を険しくさせたアーノルドを顔を上げて見つめるとイクシャは急に真剣な顔になって見せる。
「でもね、お父さまには悪いけれども私はまだリュシアンとお母さまの傍に居たい、ずっと。だから───」
何が何でも今回、婚約者を選ぶつもりはないと其処だけを声を出さずに口だけを動かしたイクシャは不敵に笑う。動揺を隠しきれないアーノルドは掠れた声で何かを問おうとしているがイクシャはそれを聞き入れずに淑女らしく別れる際の礼をした。
「それではベル公子。楽しい時間を過ごせました、お水、気遣って持ってきてくれてありがとうございます。助かりました、流石ベル先生のご子息であられますね、紳士な振るまいに感激いたしました」
「……いいえ、此方こそ。イクシャ嬢、そのような勿体無いお言葉……身にしみます。けれど、父関係なく、女性の体調を気遣うのが男たる者ですから。本当に今回はありがとうございました……また」
引き留めたそうなアーノルドはグッと堪え優しく笑みを浮かべて礼し合う。
アーノルドと別れ、イクシャはテラスへと向かう。ベンチに座ると靴を脱いで赤くなった足を揉んで休める。疲労感たっぷりのとても主役とは思えない表情で「つかれた」と口にするイクシャは空を見上げていた。
空の色は朱色と藍色に分かれている。普通ならばお開きなのだがこのパーティーは夜会もあるだろう。つまり、朝までだ。子供は抜きで大人達の密談が始まるのだろう。良い迷惑だ。
(あと数時間も続くのね………やってらんないわ、前はパーティー大好きだったけどもう無理。嫌なもんは嫌よ。詮索の交差するところに何時間も突っ立って挨拶して笑顔を作っているなんて)
─────「君って噂通りパーティー嫌いなんだ」
その声は、胸を縛り付けた。