第10話 抱き締めたいその心に、悲鳴を上げてしまうから
「今度のイクシャ八歳の誕生日会には何時もの家の者だけで行う簡易的で質素なものではなく多くの人間を招待するパーティーを開催するつもりだ、と言っても私とネニュファール、ローベル家が代々関わりを持ってきた人間だけに限るが」
「えぇ……」
デビュタントは一四歳。もう少しで十歳になるのだから顔を自分の周りの人間に見せて、妻にでもと己を使ってその関係を深めようとしていることぐらい手を取るように解る。
「どうしても、そうしなければならないのですか」
「どういう意味だ」
この家の女当主として君臨していたネニュファールが心の病を悪化させている今、パーティーを開くのかと不謹慎ではないかとその一言には多くの意味が含まれていた。
紅茶を嗜む姿は絵になるが威圧感が満載でとてもじゃないけれど見惚れるなんて事は出来ず、言葉も発せなくして俯いてしまう。
「お母さま、は……お父さまに」
お前のせいで病が悪化したと言えば首を撥ねられる事は無くとも駒としての関心も失うだろうか。もう話しても顔を見て貰えなくなるのだろうか。
それをリュシアンが居なければ、リュシアンが前回の人生で最期に涙を流して逢ってくれなければ、全ては変わりこの家族と極力関わらないようにひっそりと過ごし興味を失ってもらうのを望んだ筈だ。
今も、時々心の隅でこの人とは解り合えず話してはいけないと警鐘を鳴らすように胸が高鳴り足が竦み怯えてしまうのに、出来れば一緒に居て欲しいと願い祈ってしまう。
「ああ、そう言えば……あの時、お前は私とネニュファールの話を聞いていたな。淑女としての過ちを正そうと思っていたのだが……思い出した」
それ以上は何も言っていなかったのに。拗れさせない為に言わなかったのに。自らそうやって事を大きくし拗れさせて、火に油を注いでいく。
感情の読み取れない顔で目を細めて薄笑いを浮かべる目の前の、父である筈の人を凝視する。
「なん、で……知って、いて……」
「知っていたさ。子供の気配何て足音や息遣いで判る……話を聞いていたなら気付いているのだろう。出来ればシアンと離れろと言うことや早めに婚約者を決めて欲しいとも。このパーティーはお前の見合いの場でもある、将来の伴侶は此方で条件に合う者を選んでおいたからあとは自由に顔や性格、話してみて選びなさい」
悪びれもしないベルナールにイクシャは絶句する。
「えらぶ、って……私は、私は、望んで、いません……ッ! どうして、どうして、私はシアンやお母さまの役に、立ちたいのです、……婚約者を選ぶには、早いと思います!」
「どうしてだ? お前の年頃の良家の娘の多くはもう婚約者が居るようだ、まさか好きな男でもいるのか? シアンや母親を出さずに正直に話しなさい、家の騎士団の者か? それともフロウラントの息子か?」
話が通じないと失望した。正直に話しているのにも、ベルナールは自分の意見を押し通そうと話を丸め込もうとイクシャの言う“真実”を“嘘”だと決め付け否定する。
「……もう、良いです。それよりもパーティーのことはお母さまにお伝えになられたのですか」
「了承してもらうつもりだ、その事は心配しなくて良い。それよりも自分の誕生日を楽しみにして待っていなさい」
既に相談無しで決まったことを押し付けられたイクシャは不服に思う気持ちが露わとする表情を隠す為に俯いて退出しようとする。
イクシャの小さな後姿を一瞥して、ベルナールは一口も飲まれていない紅茶に好きなのだと侍女やネニュファールが笑って報告してきたお菓子も食べて居ないのを初めて気が付く。
──「紅茶は、菓子は好きではないのか」
思わず訊いてしまったベルナールが目にしたのは子供とは思えない壮絶なる経験をしてきた大人の、凛々しい顔付きの少女だった。この部屋に来る前の小さくなって震え怯え苦しむ少女だったのに。
自分の知らない所で何を経験し何を想い何を考えるのか。
「恐ろしい虎が与えて来たものをむやみに口にする事は命取りになるので」
──『イクシャに限っては、悩みは人一倍あるようで苦しみや辛さ怒りを溜め込んでしまうようです』
己の言葉により心が壊れてしまった妻である女の言葉が蘇る。脳裏には辛さや恐怖を我慢し悲し涙し叫び怒ったあの姿が浮かび、押さえつけてくるような頭痛が生じてくる。痛みを振り払うように頭を振ってその場をベルナールは立ち尽くした。
▲▽▲
膝の上で両拳を握っていたことに気付いた。多分、イクシャが書斎部屋を出る前からそうしていたに違いなかった。開くと、手のひらに爪の赤い痕が幾つも遺っている。また握る。強く、痛い程に。
このやり場のない怒りが、収まるまで。
自室までの道のりが遠く感じた。凄く凄く、孤独で、寂しくて寒くて、辛くて。口元に何かが伝う。乾いた唇の隙間から入って来るものの味はしょっぱくて、より一層悲しく心が虚しく感じてしまう。
イクシャが手探りに頬を撫でて目の淵に触れると、手には生温かい液体があった。
(……なみだ、だ……わたし、泣いてたんだ)
──あんな人の為に。
「ああ、やだなあ。親子ってやだなあ」
──本当はもっと優しくて愛してくれるお父さんが良かった。
願い求めるのには簡単だ。それを実行したくなるのが人間の常だ。不満を漏らし吐ききれない愚痴を抱え、それが人を憎み恨むものとなり沢山の巻き込む、それが醜い感情の末路。
その感情の末路を知っているからこそ。その想いが要らぬものだと知っているからこそ。抱いてしまう己が恥ずかしく苦しく嫌になる。
「何が、嫌なんだよ。泣き虫」