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逆行悪女は弟を愛でて生きたいです  作者: 朝吹はづき
序章 「私が絶望と決意をした日」
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第0話 オープニングは牢の中からでございます(1)

 三日月は、細々と輝く夜であった。鉄格子から入って来る夜風がイクシャの身や心を突き放すように、かと言って、力の限りに蝕むようにひりひりと痛めつけていく。



 あることが原因で諦めと絶望で心を支配されていたイクシャ・リセ・ローベルはこの二日間、この場に囚われになってから御飯も食べず水も飲まず“その時”を健気にそして、律儀に待って居た。

 力も尽きていて睡眠をとらなければその身は朽ちてしまうような状態であり、この時も瞳を閉じていた。出来ることならば自然に“迎え”が来て誰にも覚られる事もなく消えてしまいたいと心から願っていた。


 イクシャは思う。己に主役の為の階段は用意されていないと。

 皆から愛され守られ温かくされることなんて望んでいなく、只数人の、それでも欲深いとでも言われれば婚約者だった人だけでも良かった。誰かに愛を貰えれば良かったのだ。

 

 ──“イクシャ・リセ・ローベル!! 私は婚約破棄をする!!”


「……どぉ、し、て……」


手足に繋がる鎖を見て改めて己の死を間近に感じ耐え切れない絶望感と倦怠感、そして胃に生じる刺されるような痛みに苦しみ蹲る。

 殴られるような頭痛、寒気、空腹やストレスからの刺されるような腹痛に吐き気、喉の渇き、眩暈が襲ってくる。時折、その痛みがピークになり座っていられなくなるぐらいに呻き藻掻く時があった。


 それが、今。


 こんな姿を見ても心配にしてくれる人など元々居ない。皆面倒くさそうに只の腹痛だと鼻で笑いながら外面を繕うばかりの人間がイクシャの地位や名声、権力のおこぼれを貰おうと群がるだけ。


 そのおこぼれを貰おうと近付いていた少女に油断し、大切な者を奪われた──雨水の滴る音が響く地下牢に一つの足音が響き渡っていた。



 ──「フェリシテ・アスラン………男爵令嬢……ッ」


 桃のように鮮やかな、艶のある美しい髪にライトブルーの輝かしく快晴を想わす瞳。愛らしい顔立ちの少女は無理矢理笑ったような表情で暗闇の中から姿を露わにする。

 けれどそれも束の間、息を呑む瞬間もなくイクシャが地べたに這いつくばり痛みに悶える姿を目にした途端に血相を変える。


「ぁ、………い、イクシャさまっ! 大丈夫ですか、わたし、わたし、あんな事があっても、イクシャさまが……ッ」


 心配で、と掠れ気味の声が彼女の口から漏れる。手に持っていた鍵を鉄格子に慌てて差し込み、此方へと駆け寄って来る彼女。ハーフアップにした桃の艶めかしいさらさらとした髪がイクシャの頬にかかり、空色の目に沁みる瞳が戸惑いなどの複雑な色を奥に含ませて。


「こんな、冷たくなって…………夜風がイクシャさまの御持病を悪化させたのですね……っ!」


 耳を疑った。持病のことは家の者しか知らない。この事は箝口令(かんこうれい)がひかれる程の隠しごとだった。持病と言う欠陥があっては皇妃には完全に、本物として成れないから。皇室との関係を強められないから。皇帝皇妃と父とのだけの隠しごと。けれど天使のような容貌を持つフェリシテや元婚約者でありこの国の皇太子殿下とある者に問い詰められれば口も割ってしまうか、と自分で解釈し。


 自分を殺そうとした人間に情けを、優しさをくれるなんて、と驚いた。だが、それがフェリシテなのだと今になって理解出来た。

 それが、もっと早ければ早ければ、己とフェリシテは良い関係を築いていたのかもしれないと後悔の念に駆られて、瞼を伏せていた。


 そんな自分のしでかしたことを重く受け止めていた、時。こんな、時。




 ──「あぁあー良かったあっ、上手くいったみたいね!! 驚いた? どれだけ世界を、愚かな自分を恨んだかしら? ねえ、教えてよ。と言っても貴女は教えてくれない……貴女の心の中が見えるたらいいのになぁっ!」

 


 はにかむ笑顔は、きっと可愛いのだと思う。綿菓子のようなその声は愛らしいのだと思う。けれど今のイクシャにとって“それ”は何物でもない悪魔が死にゆく人間を見て嘲笑い声を上げて馬鹿している図にしか見えなかった。


 「ねえ聞いて──っ」甘く淡い恋愛を恥ずかしがりながらも教えてくれる小さな女の子のようにイクシャに近付き、しゃがんで、耳打ちしてくる。 


 感じていた寒気はもっと強いものになっていき、夜風と共に総攻撃にしてくる。


「わたしがね。わたしが殿下と皇帝に言ったの、悪女・イクシャは普通の牢屋では脱走してしまうかもしれない、私を殺しに来るかもしれない、恐い。だから逃げ場も隙も与えないよう地下に閉じ込めてって」


 わらう、嗤う。お前が見ていたフェリシテ・アスランは偽物だと、嘘だったと思い知らすような冷たい顔で嫌に嗤う。見たこともないくらいに微笑む。息は瞬間、止まった。

 

「此処なら悪化していく持病で辛さ苦しみながらわたしの御蔭で生き永らえて来たあんたは、よくも知らない男に最期の最後にスパっと殺されるのよ! ねえ最高でしょう!?」


 凄いことしたのよほら褒めてよ、と賛同を求める子供のように。しゃがみ込んで耳打ちしていたフェリシテは立ち上がりくるくると舞い回る。ほら喜んでと嗤いかけられる。

 ゾッとした。胸を突き破りそうな鼓動に手を当てて、何度も息を吐いた。大丈夫だと、自分に言い聞かせて。ぐるぐると攪拌された脳が、焦りと混乱でゆっくりと冷やされていく。


 今まで騙されていたのだ。自分も、友人も、家族も、誰も彼も──皇子も、勿論。こんな悪魔に何もかもを奪われ奪い去られ壊されて来たのだ。


 不思議と今までのように取り乱さなかった。怒りは、あった。憎しみは、あった。苦しさ辛さは、あった。だけど、それより感じたのは。



 イクシャが、感じたのは、誰も彼女の毒に気付かず吐き出す所を用意したあげなかった所に何故か同情心を覚えた。そして、その怒る姿が不意に己の姿に重なった。

 


「ふふ早く見たいわ貴女が打ち首に処されるのが。ねえ、馬鹿馬鹿しいと思わない? 貴女は何も悪くもないのに悪と決めつけられて打ち首に愛していた人に断罪され誰も貴女の心に気付かないで悪女と大罪人と言い立てているこの狂ってる世界が、神も何もかも助けてもくれないで見て嗤うだけのこの残酷で無情な世界が」


 何もかもを愛し、何もかもから愛されてきたと思っていた彼女が小さな毒を吐く。やがてその小さな毒は集まって天使のような純粋なフェリシテを大きな悪魔へと変化させたのだろう。


 その事実に、驚きで何も告げられなかった。そして優し気に微笑んだと思ったら顔つきを険しく歪める。


「……貴女は人からの好意に対して貪欲なだけ、わたしは、気付いていたわ。一目貴女を見た時、妬ましく感じた。わたしにはない奇麗な翠眼に、見たこともない程の黒髪。はっきり言って女に見惚れたのは貴女が初めてよ。いなくなって欲しいと呪詛を吐いていたら貴女は思い通りに動いてくれた」


 そうか、あの異様な感情の高ぶりは呪詛の影響でもあったのか。そうか、私はこの天使のような仮面を被っていた少女にまんまとハメられたのか。


 そう思ってもはっきりとした考えも感情も浮かばなかった。死の間際になったり何も失うものがないと確信したりすると人は本当は、何も感じず思わなくなるのかとぼんやりと考える。


 時が経つのを、早く過ぎるのを、待つ。

 すり減って、麻痺して、放棄した思考で。ただ歯を食い縛り耐える事だけを、理解し実行ていた。


「こうやって着飾っていた貴女の化けの皮が剥がれて良い気持ちだわ。お蔭様でわたしは皇妃、国母と成れる。死んでしまう貴女には悪いけど男爵家としてもわたし自身としても凄く感謝してるわ」

 ──「そう」


 きっとイクシャが悔しがり最期まで憎しみを持っているのを確認したかったのだろう。対等に憎み合う為に自分を恨んで欲しいのか。返答に期待しているようだがイクシャは素っ気なく相槌を打つ。

 ゆったりと微笑んでいた彼女の顔が茹でた蛸のように真っ赤になって信じられない、馬鹿じゃないのと言うように顔を歪める。

 

「貴女は騙されハメられたのよ!!? 美しさを大切として自分の武器だと、取り柄だと言っていたのにもこうやってされたのよ!!? なのに、何時もみたいに怒り狂わない訳!!?」

 ──「ええ」


 人形のように頷いた。


 今のイクシャの姿は鼻水と涙で顔を汚くし目の下は隈付き、肌はカサカサしていて見るに堪えない醜女だ。服は薄汚く洗いもしていないデザイン性に欠ける囚人服。

 美貌に気を遣いそれが自らの自らだけの武器だと思い込んでいた昔の抱いた感情自身に理性まで呑み込まれていたイクシャであれば頭に血が上り過ぎて卒倒していたであろうか。


 もう怒り狂う、という行動は無意味に感じていた。感情を露わにするのも疲れたと言う思いもある、だってイクシャが怒鳴ったって泣き喚いたって誰にも本心は伝われない。


 けれど感情には素直なように生きていたかつてのイクシャならば不満を身勝手にぶつけて関係がない人まで巻き込み恨み憎み、嫌悪し冷たくし、あらゆる負の感情を八つ当たりしていたであろう。だが、それもする力や心の余裕もない。


「どう、してそんなに平然と居られるの。貴女は殺されるのよ、明日、ギロチンで!!」

 ──「ええ、そうね」


 我儘を言う子供を宥める母親のように目を伏せて頷いた。


「思えば、無駄な時間を送って来た……他人の目を気にして、愛に固執して沢山の人を傷付けたし巻き込んだ。殿下に気持ちを受け止めてもらおうと盲目に追い掛けて迷惑を掛けたこと。ストレスも溜め込んで苦手なヒールに好きでもない服を身に着けてブランド品に散財して、何もかもが無駄で浅はかだったわ」


 気付けばイクシャは起き上がってその青空のような瞳を見上げていた。強い死ぬ覚悟という眼光を宿らせた奇麗な翠色の瞳で。


「でもこれで終わりって打ち切られてしまうなら未練何て山のように残るでしょう、でもそれが終わりなら終わり。受け入れるしかないわ、心の残りがあるとすれば……っそう、ね」


 自分の生きて来た人生そのものを否定されているような状況に今頃になって嘲笑し語る。掠れた笑い声がどんどんくぐもった聞き取りずらい声になっていく。


 脳裏に浮かんだのは、小さな子供の姿。己よりもずっと小さな背中を抱いて、手を握り締めた記憶が、今になって思い浮かぶ。

 胸が熱されたように熱くなっていく。喉の奥から何かが込み上がってくるものがある。吐くものがないからか胃酸か。


「ぉえ、いおぅ、……わ、ッ、わた、わた、しの……、こ、心残りは……ッ」


 過ちを悔やんでも悔やんでも神はこの苦しみと痛みから救ってはくれない。簡単には償わせてくれない。死ねない。人を巻き込んで傷付けた過ちはそれ程に軽くはない。

もう生きる意味などないのに己は酸素を欲して息をする。これが不毛で。阿保らしくて笑いが止まらない。

 痛みで滲んだ涙で景色が輪郭を一瞬にして失くす。戸惑うような慌てるような影の足を掴んで言った。

 

 「こ、心の残りはッッ!! おッ、おと、弟のッッ……シ、アン、リュシアンを、可愛がって、やれずにッッその手を放してしまった事よッッ!! ずっと、握って、やれ……ッな」


 ──ねえたま、おかあさまは、何処へいっちゃったの?

 ──姉上まで、どう、していなくなってしまうのですか!?


 自分の事ばかりで動いてきたこの何年間で彼はどんな表情を見せてくれ、幾度自分を呼んだろうか。そして、その呼び名は幾ら変わり、彼の中でどんな葛藤があっただろう。


 彼との最後のやり取りが、唐突に脳内再生された。


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