白髪の新米冒険者
「ああ、疲れた……。大型が厄介なのはどこでも同じだな」
ため息を吐きながら魔物の亡骸を見る。虎のようにも見えるその化け物は首に大きな傷をつくって絶命していた。僕が右手に持っている剣によるものだ。しかしその刀身は半ばほどで折れている。
初依頼の報酬で安い剣を買ったのだが、全力で振った衝撃に耐えられず折れてしまったのだ。購入してから二時間と経っていない。剣に問題があったのではないかと鍛冶屋に聞いたが十分以上の出来だったそうで、『おかしいのはお前のほうだ』と言われてしまった。
安い剣を買い直しても同じことの繰り返しだと思ったので、僕は折れた剣を引き続き使っている。使うといってもトドメだけで、主となる攻撃は殴り蹴りの格闘だ。
依頼を受け戦い、帰って街を知り、宿の中で読み書きを学ぶ。その生活は今日でちょうど一週間だ。
「今日の報酬を合わせれば、そろそろいい剣が買えそうだ」
たしか一番いいやつが金貨三枚くらいの値段だった覚えがある。多少切れ味は悪くてもいいので折れない剣が欲しかった。最高級品の半分近い手持ちがあればそれなりのものが買えるだろう。
「じゃあ、帰ってショッピングの時間といきますかね」
木の棒みたいに軽い剣を鞘に納め、城の方向へと歩き出す。
馬鹿みたいに広い平野をしばらく歩いていると、空気を切り裂くような甲高い叫び声が聞こえた。魔物か――そう思って周囲を警戒する。
この一週間で自分の身体についてかなり理解が進んでいた。《疾走》と《肉体改造》は単純なステータス増加として扱われているようで、ゲーム時代から引き継がれているステータスに加算されることで以前と変わらない動きができている。残る二つは限定的なタイミングでの能力強化だ。
《索敵》は感覚機能を強化するものに変わっていた。自分が敵意を持った、または自分に敵意を向ける『敵』に対して効果を発揮する。たとえば今のように敵を探る行動を取れば、スキルがそれをサポートしてくれるのだ。
スキルにより強化された聴覚が足音を捉えた。近くはないが、それほど離れてもいない場所で敵がたくさん移動している。
「この動き、誰かを追いかけてる……?」
音の方向に視線を向ける。聞こえた通り魔物が群れをなして移動していた。遠目に見ただけでは遠征、あるいは住まいを変えるための移動だが、ただの移動にどかどかと足音を立てて走るなんてことはしないだろう。耳を澄ませば怒声も聞こえる。追われている誰かはよほどのことをしたらしい。
「聞こえるけど見えないな。行くしかないか」
誰が追われていようと見て見ぬふりをするつもりはない。敵が手に負えない化け物であろうと、せめて狙いを僕に変えるくらいのことはしてみせよう。
少し距離はあるけど、この身体なら――僕は地面を蹴った。肉食獣のように地面を駆けて、それとの距離を縮めていく。
「誰かッたすけ――あう」
全力で走る。後ろからは怒り狂ったゴブリンの群れが迫ってくる。捕まれば間違いなく酷い目にあって殺される。それだけは嫌だ、と必死で走る。
しかし全力疾走を長く続けたせいで足は悲鳴を上げている。元より運動は得意でないのだ。転がっていた石に躓き、草原を見ていた視界が一瞬にして固そうな地面に埋め尽くされた。
べちん、と顔面から着地して痛みに呻く。ぶつけた顔を手で押さえると、手のひらが鼻血で真っ赤に染まっていた。
痛みと恐怖で涙が溢れだしてきた。走らなければならない、そう考えるが足が動かない。足音はすぐ後ろに迫っている。振り返るとゴブリンたちは好機に顔を醜く歪め、ついに私を捕らえようと飛びかかってきているときだった。
もはや悲鳴も出せず、顔を背けて目を瞑る。ああ、私はここで死ぬのだ――しかしいつになってもゴブリンが私にのしかかってくることはなかった。
「……?」
そっと目を開けゴブリンのほうに視線を戻す。飛びかかってきていたゴブリンは放り投げられて、バウンドしながら群れに戻っていく。魔物の攻撃を遮ったのはいつの間にか現れ、ゴブリンと私の間に立っているこの白髪の剣士だろうか。
「おお、やっぱりすごく怒ってるな。……君、あいつらに何したの?」
ぐうう、と剣士は威嚇されるが、それを意にも介さず私を見下ろす。
私に言っているのか――それがようやく分かって返事をしようとするけれど、喉から漏れるのは声にもならない呻きだけだ。
「……まあ、後で聞けばいいか。まずはこの状況をどうにかしよう」
呟き、剣士は群れを睨む。負けじとゴブリンも威嚇を続けるが、何体かが怯んでいるのが見て取れた。ぎぃぎぃと呻いているのは仲間への抗議の声だろうか。
その群れの後方から体躯の大きい個体が吠えた。群れを真ん中から割って前に出てくる。群れのリーダーなのだろうか、先頭に出てくるとその大きさは圧倒的だ。剣士の倍近い高さがある。
「でかいなあ」
剣士はそれに臆すことなく、それどころか緊張すら感じていない様子で呟いて、背中の剣を音を立てて抜き放つ。しかしその剣は半分から先がなかった。
巨大ゴブリンがニタリと笑う。当然だ。刃折れでは武器として使えるはずがない。しかしそんなことは関係ないというふうに、男は剣を化け物に向ける。
私の剣を貸そうかと思ったが、逃げるときに捨ててしまったのを思い出した。もっとも、今持っていたとしても渡せるとは思えないが。なにせ口と同じで手もうまく動かないのだ。
ゴブリンがふるると唸り、握っていた剣を鞘に戻した。空いた両手をぐっと握り締める。固く握られた拳はそれだけで武器のようだ。
「手を抜いてくれるのか。そいつはありがたい」
その行動は余裕を表していた。貴様を殺すのに武器など必要ないと。それほどまでに男は格下に見られている。
それは戦いに生きる者にとって最大の侮辱だ。白髪に隠され僅かに見える横顔が歪むのが見えた。
ゴブリンが吠える。それを戦いの合図のようにして、怪物は剣士へと一気に走る。
折れた剣よりもゴブリンの腕の方が長い。リーチを生かして遠距離から掴もうとしたその腕を、剣士は逆に掴み返した。
「おかげで楽に勝てそうだ」
ゴブリンの腕の方が明らかに太いのに、掴まれた腕はぴくりとも動かない。剣士は腕を引っ張って、下がってきた顔面に膝を埋めた。仰け反ってがら空きになった腹部に今度は肘を打ち込む。
苦痛に呻き俯いて、ゴブリンは何歩か後ずさる。ゴブリンが顔を上げたとき、その時にはもう視界に剣士の姿はない。次の瞬間、ゴブリンの視界が反転した。
背後に回った剣士がゴブリンの首を掴み、力任せに放り投げたのだ。きりもみ回転しながらゴブリンは群れをなぎ倒して、手下を何体か下敷きにして倒れる。その集団に向けて、かつかつとブーツの底を鳴らしながら剣士がゆっくりと歩み寄った。
「まだ来るなら相手をしてやるけど……どうする?」
剣士はゴブリンを冷たい視線で見下ろした。右手の剣が怪しく光る。それは武器としては力不足だが、命を奪う刃物としてなら十分だ。
群れの一匹がぎぃぎぃと唸った。剣士にではなく仲間に向けて。それにどんな意味があったのか分からないが、その言葉でゴブリンたちは戦意を失ったようだった。巨大な個体を筆頭として私たちに背を向け去っていく。
それを見送るつもりはないらしく、男は剣を鞘に納めて振り向いた。その目に殺意は宿っていないが、私に向かって歩いてくるのを見ると次は私の番ではないかとさえ思える。
剣士が右手を突き出した。反射的に私はびくりと身体を震わせてしまう。それに苦笑しつつ彼は言った。
「無事でよかった。怪我は無い?」
ああ、あの手は立つのを手伝うために差し出してくれていたのか――私は早とちりを恥じて顔が熱くなっていくのを感じつつ、その手を取って立ち上がった。
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