見知らぬ世界
「ダンジョン攻略を祝して、乾杯!」
「おおー!」
高らかな歓声とグラスを打ち付けあう音が部屋中に響く。乾杯を終えるなりパーティーの皆は飲み物をあおって、テーブルの上に並んだ料理に手を伸ばす。
いま行っているのは祝勝会だ。参加こそしているものの、主役は間違っても僕ではない。ヘルプに入っただけの僕がはしゃいでは雰囲気が台無しだろう――そう考えて、コーラの入ったグラスを片手に部屋の隅へと移動する。
「いい戦いぶりだったじゃないか、ルカ」
しかしたどり着く前に、僕をこのパーティーに誘ったフレンドに捕まってしまった。飲んでいる酒はデータで構成されたもの、つまりアルコールなど一ミリも入っていないはずなのに、彼は酔っぱらっているみたいに上機嫌だ。
「いやあ、お前が頼みを聞いてくれてよかった! 今まで何回あのボスに床を舐めさせられたか……さすがは“狼”だ」
「“狼”ねえ……」
いつからか、僕はこのゲームで“狼”と呼ばれるようになっていた。いわゆる二つ名というやつだが、なぜそんな名前を付けられたのかは分からない。いい機会だから、ついでに聞いてみることにした。
「あのさ。なんで“狼”なのか、理由を知ってるか?」
「プレイスタイルだろ、たぶん。ものすごい速さでで駆け回って、勢いよく敵に喰らいつく――ほら、まさしく“狼”だ」
「走って噛みつくから……? そんなの他にいくらでもいるだろう。獅子とか、ネコ科の肉食動物のほうがそれっぽいような――」
「俺が知るかよ、そんなこと。いま言ったことだってただの推測だ。合ってるかどうかも分からん」
付け加えるように「大外れとまではいかないと思うがね」と彼は言った。直後に彼は他の仲間に呼ばれ、部屋の真ん中へと歩いていく。
ふと視界の端に目をやると、時計は午前一時過ぎを示していた。思い出したように眠気が襲ってきて、邪魔にならないようメッセージでログアウトする旨をフレンドに伝える。こっそりと部屋を抜け出して、同じ街にある宿へと向かった。
みるみる瞼が重さを増し、閉じそうになる目をこすりながら借りている宿へと入る。あくびをしながら装備タブを開いて《武器解除》のボタンをクリックすると、背中の剣と腰の投げナイフが効果音とともに消滅してアイテム欄へと格納される。
「上着は……いいや」
そのままベッドに飛び込んで、メニューを操作してログアウトタブへと移動する。あとは《YES》のボタンをクリックすればログアウト処理が始まり、アバター《Ruka》としばらく別れることになるのだが――、
「……ぐぅ」
そこで僕は力尽きて、そのまま寝落ちてしまうのだった。
音が聞こえた。
鳥の鳴き声、木々の葉が擦れる音、川を流れていく水の音。心地よい自然の音が耳を満たす。違和感と寝苦しさを感じて寝返りをうつと、頭が固いものに触れた。
「いたっ」
手探りでそれを掴み、何に頭をぶつけたのか薄目を開けて確認する。どうやら小さな石のようだ。なんだ石ころか、とそれを放り捨てようとして、ふと疑問に思う。
――どうしてここに石ころが?
眠気で呆けている頭をどうにか働かせて、どうやって寝たのか思い出す。
ああそうだ、昨日はゲームで寝落ちたんだった――であればゲーム用のデバイスを頭に装着したまま自室のベッドで目覚めるはずだ。枕元に石ころなんてあるはずがない。そもそも石が転がっているのは野外の地面ではないだろうか。
では、なぜ地面で寝ているのか。
ようやく頭が異常を感知して、僕は勢いよく跳ね起きる。
「……どこだ、ここ」
辺りを見渡すと、視界に入ってくるのはたくさんの樹木。それから生えた葉によって頭上に蓋がされている。そのわずかな隙間から線のように光が差し込んできていた。
「森、か? じゃあゲームの中……?」
メニューウィンドウを開こうとして、自分の手に黒のグローブがはめられていることに気がついた。コートにシャツ、ズボン、おまけにブーツまでそのままだ。
やはりゲームの中なのだろう。座標移動チートの被害を受けたのだろうか。であればモンスターに出会う前に装備を整えなければ――そう思って指を振り、メニュー起動の操作をするが、
「あれ?」
メニューウィンドウは現れない。何度繰り返そうが、右手でやろうが左手でやろうが一向に開くことはなかった。
「チート被害にシステムエラー、か。……踏んだり蹴ったりだな」
とりあえず動くべきだ、そう考えて立ち上がる。
まずは森から出る。徒歩でどこかの街に向かって、他のプレイヤーに助けを求めれば――これからの計画を頭の中で組み立てつつ、とりあえず正面方向に歩いてみる。
地面の感触や草をかき分ける感覚がどうにも気持ち悪かった。地面を踏めばぬかるんだ土が沈み、草に触れると生き物みたいに纏わりついてくる。樹木の幹に触れてみると剥がれた樹皮が指先にくっついた。
自分がどちらの世界にいるのか、だんだんと確証が消え失せてきていた。
今にもモンスターが出来てきそうなこの場所、そしてゲームにしか存在しないこの服装は現実ではありえない。しかしオブジェクトの質感や触れたときの感触はゲームのものよりもはるかにリアルで――現実でしかありえない。
「……!」
視線を感じて立ち止まる。その方向を見返してみると、木々の間になにかが見えた。離れた位置、木と地面の違いも分からないような闇の中だが、人影だけがはっきりと見える。
ぱきり、と枝を踏む音がした。そちらに顔を向けると、暗い場所に同じような影がいるのが分かった。
まさかと思って周囲を見渡す。どの方向に目をやっても人影が最低一つは目に入った。囲まれていたのだ。
モンスターか――舌打ちをして迎撃態勢を整える。《体術》スキルで相手ができる敵であることを願いつつ、影をじっと睨みつける。
「グルルルァ!」
吠えながら、人影が闇から飛び出してきた。特徴的な額にある小さな角のおかげで、それがゴブリンであるとすぐに分かった。
なんだ雑魚か、という安堵を感じた直後、僕は背中に虫が這い上がってくるような悪寒を感じた。
「なっ――」
ゴブリンの口からはぬらぬらと光る涎が垂れていて、その相貌は殺意に醜く歪んでいる。ゲームのモンスターにそんなことは出来ない。垂らすことのできる涎は持っておらず、感情は『斬られたことによる怒り』のようなリアクションでしか表現できないはずだ。
少なくとも、ここは僕が愛するゲームの中ではない。
――では、ここはどこなんだ? 僕はどこにいるんだ?
「……ッ!」
離れていきそうな正気をどうにか引き戻し、その場から急いで飛び退く。ついさっきまで僕がいた場所にゴブリンの剣が突き立った。
「考えごとをしてる暇は無いか……!」
そもそも悩んだところで意味はない。正しい解に辿り着くには手持ちの情報が少なすぎる。
知識が必要だった。誰かに聞くなりなにかを見るなりして、この状況について知らなければならない。
ぞろぞろと姿を現したゴブリンたちを睨んで、僕は拳を強く握った。
――最初にすべきことは、この窮地を脱することだ。
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