六、
「ああもう、嫌になっちゃう」
小さくぼやく。
倒れてまだ二日目。好奇心の目はまだおさまらず、他のクラスの人まで通りすがりに注目され、囁かれるようになってしまった。
それだけで迷惑なのに、あの五十嵐啓がちょこちょこ小夜に話しかけてくるものだから、女子の視線は鋭くねばっこくなってきている。
小夜の対応がそっけないのも問題ではあるのだが、自分の影響力を自覚しろと助言したのにもかかわらず、ひっついてくるあの人のほうがもっと悪い。
放課後は図書室にまでついてくるのだ。ついてくるのではなく、生徒会室に同じタイミングで向かっているだけ、と本人は主張しているが。
生徒会室前は、学年関係なく多くの生徒が群がっている。あのうるさいのがこの女子に捕まって、小夜はようやく解放されることになるのだ。
すぐそこの図書室に向かう途中、とん、と誰かと肩がぶつかった。
「すみません」
極力人との交流は避けたくとも、お詫びをするくらいの常識はある。相手を見ると、クラスメイトの井上睦美だった。
この人ももしかして生徒会役員が目当て?
そんなふうには見えない、おとなしいタイプだと思っていたけど……意外。
そんなことを思っていたときだった。
「なんであなたが」
ぼそっと、そう聞こえた気がした。
え?
振り返ると、井上睦美がいきなり掴みかかってきた。目に涙が浮かんでいる。
「なに?!」
「なんであなたなんかがっ!」
と、小夜の抱えるトートバックに井上睦美の目が移った。
「それは……よこせ」
急に声のトーンが重く低くなる。腹の底から響くような、彼女のものとは思えない声。
「それって……ああ、これのこと?」
井上睦美の様子がなんだかおかしい、とは感じたが、また大事になると面倒なので冷静に対応することにする。
トートバックの入っているのは図書室で借りている本とティッシュにハンカチ、あとはあのカッターナイフ。
見せてほしいとすれば、このカッターナイフだと思い、がさがさと取り出す。
「これのことかしら? 欲しいってこと? でもこれ、実習には向かないからおすすめしな」
「渡せぇぇぇえええ!!」
おとなしいとはかけ離れたものすごい形相で、井上睦美がカッターナイフをふんだくろうとした。
と。
「ぎやぁぁああああああ!」
これまた大きな悲鳴をあげて、井上睦美が手をおさえてうずくまった。小夜にはなにが起きたのか、すぐには理解できなかった。
「なにがあった?!」
騒ぎを聞きつけ、生徒会役員――さっき解放されたばかりの五十嵐啓がとんでくる。
辺りはざわざわしている。小夜のことを、まるで汚いものでも見る目つきで凝視してくる。
そして気付いた。持っているカッターナイフから、血がしたたっているのを。
うずくまる井上睦美の手からは、赤い血が滲んでいるのを。
なんで? 刃は抜いていなかったはずなのに。
頭が混乱して立ち尽くしていると、お声がかかった。
「黒沼、生徒会室に来て。世良さんは井上を保健室に」
世良と呼ばれた女子生徒は、一年の世良春香。一年でめでたく生徒会役員に抜擢された白魔道士である。
彼女は「はい」と一言返事して、井上睦美をどうにか立たせて連行した。
「黒沼」
もう一度呼ばれる。生徒会室に入らない、という選択肢は与えられていないらしい。腹を決める。
一般生徒は入室禁止の生徒会室に入ることと、このまま血のついたカッターナイフを持ったまま立ち尽くすのを天秤にかけると、前者に傾いた。